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ブルックナー (1824-1896)

CD 【中古:盤質A】 チェリビダッケ・エディション第2集 ブルックナー:交響曲集、テ・デウム、ミサ曲第3番(12CD)

【中古:盤質A】 チェリビダッケ・エディション第2集 ブルックナー:交響曲集、テ・デウム、ミサ曲第3番(12CD)

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検索結果:28件中1件から15件まで表示

  • ★★★★★ 

    I.O.U  |  北海道  |  不明  |  2021年07月09日

    ブルックナーは一時凝っていた時期があり、他にヨッフムのWarner・DG、ヴァント、カラヤン(全集)、クレンペラー、クーベリック、インバルなどのCD所有しているが、それぞれ個性的で素晴らしいが個人的にはブルックナーに宗教音楽的な重厚感を求めるのであればチェリビダッケのこちらのボックスセットは最右翼であろう。ハマると他にはないカタルシスに浸ることができる。

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  • ★★★★★ 

    せごびあ  |  愛知県  |  不明  |  2021年04月25日

    最近はチェリビダッケを何枚もずっと聞いているのですが、すぐに「遅い」と言われますし私もそう思い込んでいましたが、さほどでもないですしそんなことはあまり重要では無いと気付きましたね。それよりもその手段によって新たな素晴らしい響きの芸術に昇華され、違和感は全く消え去りたいへんな充実感が得られます。曲全体を見通す感覚も優れていると思います。

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  • ★★★★★ 

    Q  |  埼玉県  |  不明  |  2015年04月12日

     おそらくチェリビダッケは、音楽の背後の「思想」や「精神論」等のあやふやな「もの」には興味はないと思う。彼は、「プロ」として、徹底的におのれの仕事を、「音」を磨き上げる。音楽が、結局「自己」をさらけ出すことならば、そのための「方法」を徹底的に磨き上げる。「プロ」として。しかしそれは真逆の結果をもたらす。結論として、われわれ、いや、わたしは彼の「音楽」に果てしなく「巨大な」「知識」を聞く。もちろん彼は特別な「耳」を持っているのだけれど、それ以上に、自己の「仕事」への「厳しさ」、「プロ」とは「どうあるべきか」という意識。いずれも現代、特に日本においては過去のものになりつつあるものだと思う。だがまだわたしにはそれを確認することのできる手段がある。老哲学者の独り言です。

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  • ★★★★☆ 

    AKINARI  |  愛知県  |  不明  |  2015年02月01日

    チェリ&ミュンヘンのブルックナーは昔FMで聴いたがテンポが曲想と合っていないと思っていた。が、しかし今回のCDではこのテンポはオーケストラの音響美の追求ゆえのことであったと理解することができた。それほど録音が良いということだ。フルトヴェングラーのように思念の表現ではなくともブルックナーの音楽は 様々な演奏が成立する説得力を持つ証となろう。

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  • ★★★★★ 

    アイル  |  岐阜県  |  不明  |  2013年10月15日

    いやあ、遅いなあ。第4番は、かろうじて1枚に収まりましたが、第5番は、2枚組となってしまいました。ブルックナーの交響曲なら、私はヨッフム(旧版でも新版でもどちらでも良いですが)のような演奏をいつも手元に置いて楽しみたいと思います。けれども、このチェリビダッケはいいなあ。この演奏を無視することはできません。チェリビダッケは、ブルックナーとは特に相性が良いように思います。いくら遅くても、ひとときも弛緩することなく、思索と緊張がぎっしりと詰まった演奏といえます。チェリビダッケの古い演奏は、公式盤か海賊版か知りませんが、とにかく音が貧しいのが問題でした。ミュンヘン・フィルとの一連の録音は、本当に良い音です。よくぞこのような物を残してくれたものだと感謝しています。

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  • ★★★★★ 

    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  2013年07月04日

    ミクロとマクロの高次の融合!ブルックナーは、とにかく一曲が長い。それに加えて、チェリビダッケのテンポが余りに遅いために、嫌悪感を抱く人がいるのも無理はない。しかし、ブルックナーの作品は、各主題の提示→展開→再現という流れと、断片的なモチーフの提示と応用という、二重三重の伏線が張り巡らされている。そのために、微細レベルで主題やモチーフを活かしつつ、総体として壮大な音響の伽藍を築き上げるという、ミクロとマクロの両視点が不可欠となる。加えて、それらを充分に再現するためには、例えどんなに小さなモチーフでも克明に聴き取れるほどの響きのクリアネスが必要である。この意味において、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルこそ、ミクロとマクロが高次に融合した演奏を聴かせているといえよう。ミュンヘン・フィルの高度なアンサンブルは、もはや神業といっていい。完璧としか言えないピッチ、空間性を感じる“間”の取り方、なかんずく、ffでの全合奏ですら威圧感を感じず、むしろ無限の透明感すら覚えさせるバランスの良さ!これらによって、ただ長いだけに思われていたブルックナー観が一変、幽玄なる美しさの中にも確固とした構成を意識させるような、実に充実した演奏である。それがこの安さとは、買いだろう。

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  • ★★★★★ 

    ニャンコ先生  |  Tochigi  |  不明  |  2013年04月29日

    セッション録音を嫌ったと伝えられるチェリビダッケであるが、ミュンヘンの楽団と放送局が、最近流行りの「ライヴ録音CD」に匹敵する完成度の録音をたくさん残してくれたことに感謝の念を禁じえない。指揮者も自らの音楽の完成形をこのような形で残すことに同意して、練習と実演に臨んだのではないかと勘ぐってしまうほどの出来だ。なかでもこのブルックナーのセットはテ・デウムの録音にやや難があることをを除けば、長く名盤として残るに足るセットである。チェリビダッケ食わず嫌いの方、昔聴いてピンとこなかった方、ぜひこのセットだけは聴いてみていただきたい。

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  • ★★★★★ 

    zoko  |  福井県  |  不明  |  2013年04月04日

    桜が満開になったので、職場からの帰路を少し遠回り。地元で有名な河原の桜並木のトンネルを通って帰る。ライトアップされていてあまりに美しいので、自転車から降りて手押しして目線を上げて歩く。 そしてやがて驚き!桜の時期にも何度もそこを通ったことがあるのに、その美しさに何かが胸に込み上げてきて泣きそうになる。 こんなことは初めてだ… 目線を45度上げて、同時に移動するスピードを極限まで落とすことで、日常から隔絶した世界がそこに広がっていた! 私を追い越してゆくたくさんの人達や、腰を降ろして見上げている人達は、なんともったいないことをしているのだろう! 夜空を背景にゆっくりと動いていく桜はなぜか宇宙を連想させた。そして続いて連想させられたのが、チェリビダッケのブルックナー。 そういうことだったのか!? ちょっと寄った店で飲んだ安ウイスキーのせいだろうか… 帰宅して真っ先にしたことは、このセットの9番の再生… そして至福の時間。

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  • ★★★☆☆ 

    konaka  |  広島県  |  不明  |  2013年01月26日

    DG盤と比べると、かなりのテンポの遅さを感じ、聴き続けることが辛くなることがありました。 晩年のチェリビダッケの良さがわかるには、修業が必要かなと感じました。

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  • ★★★★☆ 

    うるさい高校生  |  山形県  |  不明  |  2013年01月13日

    安いなあ。チェリビダッケはMPO時代、映像無しの録音をほとんど認めなかったはず。しかし、映像見てみると、あまりに動きのない指揮にがっかりしてしまう。ファンには怒られるかも知れないが、正直、CDで充分だと思う。 演奏は、3・4・5・8番が特に良い。8番は有名なあのライブ盤があり、完成度や聴きやすさはそちらに譲るだろうが、これはホームでゆったり構えた感じ。テンポは本当に遅い。しかし、決して弛緩しないところが凄い。このテンポで聴くと、特に8番の4楽章が味わい深い。また、MPOのザードロのティンパニの強烈さだけでも、オケの意欲を充分に感じられる。一方、比較的正常なテンポなのが、5番。これは同曲屈指の名盤だと思う。全体に、チェリビダッケのブルックナーは計算しつくされた感じがする。そのためやや冷たい印象を受けることもあるが、聴後感は爽快。6番なども当初気に入っていたが、よく聴いてみると、この人にしては迷いが感じられるか。9番は、私は受け付けなかった。テンポ設定のため、全体のバランス、見通しが悪い。

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  • ★★★★☆ 

    saitaman  |  埼玉県  |  不明  |  2013年01月04日

    遅い。ここまでスローだとは。でも、こんなに弱音をゆっくり長く引っ張っぱり続けているのに、各パートの均整が整然と取れていて全く音がかすれない。ああ、これなのか、チェルビダッケのブルックナーの世界は、という感じ。ただ、感動したかと問われると、あまりの遅さに対してちょっとついていけないものがあったというのが正直なところ。

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  • ★★★★★ 

    広島のパヴァンヌ  |  広島県  |  不明  |  2012年10月22日

    チェリビダッケのブルックナーについて、リアルタイムに聴いていない人にとっては抵抗があるらしく、最近の雑誌でもその緩やかなテンポに対して評価が高くないようです。しかし、これは紛れもなく絶品ですよ。録音がきれいにとれていると同時に、ハーモニーが全く破綻なく、入念なリハーサルに支えられた演奏の完成度の高さも比類がありません。これだけでも十分価値があるはずです。そのうえ、チェリビダッケの宇宙的な解釈が聞けるのに、どうしてケチをつけられましょうか。それでもお気に召さぬ方がいらっしゃるようですが、これ、会場で聞くと、絶対しばらく感動で声が出なくなると思います。かく言う私は、このセットを初版で購入していました。2万円という安くない値段で、30cm四方の豪華ボックス6000セット限定でした。他の人に購入される前にそそくさと予約をし、手に入れました。そして、どっぷりとチェリの世界へはまり込みました。只、パッケージがあまりに豪華すぎて、CDの出し入れに少し手間がかかり、全部聴くまでしばらくかかりましたね。今回のこのパッケージは、簡便でいいですね。しかもこの安さ。昨年、再度購入し、カーステレオでも聴いています。この内容でこの値段。買って損するはずないじゃないですか。

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  • ★★★☆☆ 

    EIHIKO  |  埼玉県  |  不明  |  2012年10月19日

    まず、このボックスは驚くほど安い。で、チェリビダッケのブルックナーだが、確かに演奏は凄いとは思うが、私はどこかに違和感を感じている。3番や4番は、丹念な音響だがとても冷たい。7番も冷たい。8番なんかはいいかもしれない。かつてはすばらしい演奏だと聴いたが、朝比奈やらシューリヒトやらクナッパーシュブッシュに慣れた耳には、別ものだ。あまり考えたくないが、チェリビダッケというのは、精神性や心の内面の表現者ではなく、表面の物理的音響の美学を追究した表現者ではないだろうか。同じ路線の代表者はカラヤンだが、フルトヴェングラーの後継者というのはまったく違っていて、彼は音響主義者ではないだろうか? ブルックナーが構築した建物は、じつに立派に見せてくれるが、その建物のなかには、人というか心というか、魂というものが抑圧されているように見える、いや、聴こえる。ブルックナーには、どんなに鈍重でも、自由さや明るさが表現されないと、私は楽しめない。しかし、音響的表現では、随所に美しく厳しい響きがある。録音は、まあまあか。しかし、これだけ聴けてこの値段は安い。ミサ曲はなかなかよいかも。

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  • ★★★★☆ 

    mio  |  東京都  |  不明  |  2012年09月30日

     この12CDの交響曲集とヴァントの33CDボックスの購入を機に、カラヤンとインバルの全集、ベーム、フルトヴェングラー、ジュリーニ、クレンペラーの何曲かを聴き比べながら、ブルックナー浸けの夏休みを過ごしました。  チェリビダッケの美点が、ライブ録音でありながら入念なリハーサルによって得られた整った響きで、楽譜にあるすべての音を聞き分けることができることにあることについては、多くの方が述べられているとおりです。条件の良い録音用の演奏でありながら、この楽器の音が鳴っていないなと教えられた箇所がいくつもあり、この演奏によって、新しい魅力を発見することができました。  一方、チェリビダッケの演奏には、テンポの遅さのため曲に対する構成感が希薄(魅力ともなりますが…)で、強音の箇所でオーケストラ側がどこまでの音量と長さで演奏するか混乱して、音が鳴りきらないうちに脱力してしまう傾向があります。  第9番では、天空に昇っていくように静かに消えてゆくべきホルンの音が、余りのテンポの遅さのため奏者の息が続かず、息継ぎか吹き継ぎのために最後の最後で音が不安定で厚くなってしまっています。  第7番以降の3曲の特に7番の第2楽章(音楽の友社のポケットスコアでは練習番号Sから)、8番の第1楽章(同じく練習番号Uから)、9番の第3楽章(同じく練習番号Oから)のそれぞれの最後のクライマックスの部分は、ヴァグナーの死ややがて訪れる自分自身の死に対する極めて人間的な切羽詰まったおののきや痛切な悲しみの爆発を聴き取ることができると思うのですが、チェリビダッケのコントロールが効いた破綻のない音で演奏されるとその痛切さが伝わらず、どうしても不満が残るのです。  私は、静かに終わる曲で、最後の音が消えた後の拍手までの間の素晴らしさをこよなく愛する者ですが、クライマックスを作って強音で終わる曲で、このCDのように楽譜よりも明らかに長すぎる拍手までの間については、聴衆と同じ空気を共有していない私には、その間を強制されているようで興ざめでした。  したがって、チェリビダッケのファンの方には納得できないでしょうが、私の好みで★3と★5の間の★4とさせていただきます。  最後に私がこの交響曲集の中でどうしても忘れることのできない演奏があります。  何人かの方がチェリビダッケの第4番の演奏を高く評価していますが、私も賛同します。付け加えますと、チェリビダッケは終楽章のコーダ(音楽の友社のポケットスコアでは練習番号Vから)で第1、第2ヴァイオリンとヴィオラのトレモロを浮き上がらせ、最初はややそっけなく、そしてクライマックスに向かって次第に悲しみとも怒りともつかない行進の足取りのように響かせて演奏させています。そのために、クライマックスで壮大に演奏される冒頭の動機が輝かしい変ホ長調であるにもかかわらず、これほどまでに痛切な響きで聴いたことはありませんでした。(あるいは、この第4番の拍手が録音されていないのは、チェリビダッケの意図しない早すぎる拍手のせいだったのでしょうか。)

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  • ★★★★☆ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年04月29日

    チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。表向きは、実演をCD(LP)では表現尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であったと言える。もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。正に、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであったと言える。チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追及しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、正に音のドラマ。これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤におさめられたブルックナーの交響曲集についても、そうしたことが言えるのではないだろうか。特に、第5番、第8番、第9番の超スローテンポによる演奏は、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。他方、第3番や第6番などは、その極大なスケールに圧倒されるところであり、チェリビダッケだけに可能な個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。このように、功罪相半ばする交響曲集であると言えるところであるが、チェリビダッケの最晩年の芸風を満喫することができることや、約3000円という信じ難いような廉価(私は、国内盤として愛蔵家ナンバー付きの選集を購入した記憶があるが、約3万円であったと記憶している。)であることに鑑みれば、★4つの評価が至当ではないかと考えられるところである。

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