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モーツァルト(1756-1791)

CD 『ドン・ジョヴァンニ』全曲 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ、ディミトリス・ティリアコス、カリーナ・ゴーヴァン、他(2015 ステレオ)(3CD)

『ドン・ジョヴァンニ』全曲 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ、ディミトリス・ティリアコス、カリーナ・ゴーヴァン、他(2015 ステレオ)(3CD)

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    風とライオン  |  ZIMBABWE  |  不明  |  2017年12月27日

    古楽というとチェンバロをシャラシャラ鳴らしてオケはまったりした響きで快活なテンポ、みたいな演奏をつい想像するがクルレンツィスは全く違う。コミカルな部分はより明朗に、リリックな部分ではより抒情的に、ドラマティックな部分ではデモーニッシュに、と極限まで強烈な表現。全く魅了させられる。これほど感動的で滅法面白く鳥肌の立つほど激しいモーツァルトの演奏というのは初めて聴いた。この峻烈な演奏を聴くとカラヤンやベームなどはおろかアバド、ムーティからアーノンクールあたりも旧世代として葬られてしまう感じ。クルレンツィス、指揮者としてはまだ若手と言える年齢だが恐るべき才能だ。一方歌手の方はオケ程は目覚ましいものではない。若手中心でスター歌手は居ない。ただ特に足を引っ張る歌手もいないし、主役のギリシャ人はなかなか聴かせる。いつの日かクルレンツィスの振る舞台がビデオ収録されて映像付きで見れるようになればなおいいのだが。

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    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2017年01月08日

    ダ・ポンテ・オペラ三部作の締めくくりにふさわしく、指揮は雄弁きわまりない。早くも開幕冒頭の決闘シーンから、思いがけぬ騎士長の出現によって意に反して犯してしまった殺人が生き残った者(ドン・ジョヴァンニとレポレッロ)にどんなトラウマを残したのかを、余すところなく分からせてくれる。毎度ながら感嘆させられるのは、各ナンバーとそれをつなぐレチタティーヴォとの有機的な絡み合いの見事さ。第2幕「墓場の場」と続く「ドンナ・アンナの家」の間をつなぐフォルテピアノのパッセージなど、まるでモーツァルト自身が書いたかのように天才的だ。今作で特に目立つのは通奏低音楽器(フォルテピアノとリュートを使い分け、色彩の多様さを狙っている)が歌のナンバーにも積極的に加わってくること。ドン・ジョヴァンニの「カンツォネッタ」ではそのためにマンドリンが二つに分身してカノンを演じるかのように聴こえる。 この記念碑的な録音を彩る歌手陣はティリアコス、パパタナシウ(ギリシア)、プリアンテ、ロコンソロ(イタリア)、ゴーヴァン(カナダ)、ターヴァー(アメリカ)、ガンシュ(オーストリア)、カレス(フィンランド)という国際色豊かな面々。前作までのケルメスの姿は見られないが、『フィガロ』にも『コジ』にもいた場違いな人、つまりミスキャストが誰もいないという点では最高の出来ばえ。どこから見ても星5つ間違いなしの録音なのだが、一つだけ疑念を述べたい。 この録音にはメイキングの映像があって、クラシカ・ジャパンで見ることができたが、そこから見えてきたのは1)予想通りの指揮者の奇人変人ぶり、すなわち細部に対する異常なまでのこだわりと、2)一見「民主的」に見える指揮者と歌手たちとの関係が、実は勝手な解釈を許さぬ指揮者独裁制であること。カラヤンのオペラ録音だって指揮者独裁制であり、2)は特に非難すべきこととも思わないが、おそらくそのために、この録音には強烈アクセントとささやき声(ソット・ヴォーチェ)の二項対立で音楽を作っていく方法論がワンパターン化しかけている箇所がある。例を挙げれば、第1幕のドンナ・アンナのレチタティーヴォからアリアまでの展開。ここで彼女がオッターヴィオに真実を語っているかどうか、要するにオペラの開幕前に彼女とドン・ジョヴァンニとの間に性行為があったかどうかについては、E.T.A.ホフマン以来、様々な議論がある。それは音だけでは表現しようのないことなのではあるが、聴き手にそういう想像の余地を残すようなデリケートな演奏であれば、なお良かったと思う。結果として、ほぼ同じアプローチで臨んでいるヤーコプスの録音に比べて、本作は「先の読めない意外性」と「指揮者と歌手の解釈がズレつつ重なり合う重層的な面白さ」の二点において、ほんの少し劣るところがあると感じる。もちろん、ごく僅かな不満に過ぎないのだが。レポレッロとツェルリーナの二重唱に至るまで、ウィーン版追加曲のすべてを含む録音。

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