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チャイコフスキー(1840-1893)

CD 交響曲第6番『悲愴』 カラヤン&ウィーン・フィル

交響曲第6番『悲愴』 カラヤン&ウィーン・フィル

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  • ★★★★★ 

    今も昔もただの人  |  北海道  |  不明  |  2022年02月14日

    酷評もあり、どんなものかと聴いてみましたが、素晴らしい「悲愴」だと思いました。ベルリンフィルも良かったが、何か力を抜いてウィーンフィル独特の美しさを引き出していて、決して疲れることなく、安心して音楽に没頭できました。幸せ!

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  • ★★★★★ 

    海尾水  |  神奈川県  |  不明  |  2021年07月12日

    あらゆる悲愴の中でも、最も完成度が高いといえる。問題なのはOIBPリマスターで、初期のCDと印象が1部異なるほどの編集がされていることだ。終楽章でのダイナミックレンジが小さく、より普通になっている。

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  • ★★★★★ 

    チキンラーメン  |  不明  |  不明  |  2021年03月07日

    ウィーンフィルと晩年のカラヤンが奏でる美しい悲愴です。聴いている者に感傷を呼び起こす演奏で、様々な悲愴の名録音がある中でも、ときに無性に聴き浸りたくなります。第1楽章の第2主題が始まったその瞬間、まるで廃墟の中に美しい風景が蘇ったかのようです。第2楽章では失われた友人と昔話に花を咲かせ、勇ましい第3楽章を経て、第4楽章で慟哭のカタルシスを得ます。チャイコフスキーの一つの側面が感傷と美しさの融合であるとすれば、この録音はその完成形のようです。感情を言葉で伝える詩がなくとも、熱気を肌で感じられるライブ演奏でなくとも、音楽は様々な感情を掻き立てることができるのだと驚かされます。

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  • ★★★★★ 

    ムサイシス  |  三重県  |  不明  |  2014年03月14日

    これはチャイコフスキーにおけるカラヤン美学の結晶だ。

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  • ★★★★★ 

    アッキ  |  茨城県  |  不明  |  2014年02月01日

    前回、ウィーンフィル&マゼールでレビュー述べた。あれはあれでパワフルで思い切りある演奏だったが、本来の悲愴からはかけ離れていた感じ。悲愴といえば行きつくところはウィーンフィルではこの演奏になる。カラヤンのベルリンフィル日本ラスト公演のCDもあるが、それはあまりにも重くそれから見てはこちらの方が健康的感はある。つまり安定感というのだろうか。かつての完璧を求めたものではないが、ウィーンフィルならではの妖しい弦の響き・・全編において美しくも哀しい

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  • ★★★★★ 

    なごやん  |  愛知県  |  不明  |  2013年05月29日

    冒頭のファゴットの何と重く暗いことか。この出だしだけで、この曲はこんなにも重く暗い一面があったのかと、あらためて思い知らされた。そして、美しくメランコリックなチャイコ節はうねるように歌われ、聴かせどころへの盛り上げと頂点でのエネルギーの炸裂はすさまじい。カラヤンは全く老いていない。しかし、静かで澄み切ったエンディングは、最晩年のカラヤンの心境を映し出しているかのよう。マエストロとウィーンPOの至芸に、敬意と感謝を表したい。

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  • ★★★★★ 

    としちゃん  |  宮城県  |  不明  |  2013年01月13日

    20年前、とある寮の一室で友人が聴かせてくれたのが、このカラヤン盤だった(このジャケットじゃないけれども)。その前に聴いていたのがベーム=ロンドンのテープだったのだが、カラヤン盤は聴いてすぐ、「うわ、なんてきれいな演奏だろう」と未だにその一時を覚えているぐらい思い出深いCDだ。その後、悲愴は「極遅バーンスタイン」や「怖いムラヴィンスキー」、「颯爽アバド」、「ねっとりロストロポーヴィチ」、「男気スヴェトラーノフ」、「響き過ぎカラヤンEMI」などを堪能した。ところが前述盤は全て売り払ってしまった。飽きてしまったのだ。今はマルケヴィッチやフリッチャイ、曽我大介盤だけが手元に残った。カラヤンの演奏は本当に久しぶりに手に入れた(西独輸入盤)のだが、やはりカラヤン。無様な演奏は残さないな、と感銘を新たにした。これは、プロの中のプロの到達した、粋を凝らしたセッション録音だと思う。

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  • ★★★☆☆ 

    一人のクラシックオールドファン  |  Hyogo  |  不明  |  2012年11月17日

    私は歌謡曲それも演歌が好きでよく現役の時は大阪北新地で飲んでカラオケでも歌ったものです。その演歌で例えば石川さゆりの名唱名曲「津軽海峡・冬景色」などでも数種の録音暦があり年を重ねての微妙な歌いまわしの違いがあるらしいのですが私は彼女がまだ十代の時の張りある声でのこの曲のデビュー盤・・・カセットテープなのですが・・・を愛聴しています。演奏者にもよりますが程度差はあれ確かに年齢というのはその演奏に表れる様で特に晩年高齢での演奏を円熟・枯淡・権威等のワードで評価する具合の難しさはありますね(逆のことも言え如何に天才・・・大半のケース技巧上での評価となっています・・・でも少年・少女のクラシック演奏を愛聴し続けるほどの余裕は私にはありません)。さて、カラヤンは悲愴交響曲の演奏を非常に得意にしており後述の様に盤種も多く、カラヤンの年齢とオーケストラとの組み合わせで演奏の雰囲気は夫々異なっている様で勿論私も全てを聴いたわけではありません。本盤はある意味でその代表格として1984年カラヤンが晩年期に近い76歳の時VPOを振ったもの(@18’24A8’51B8’29C9’49)でやっぱり聴き慣れた往年のBPOとのコンビ物とは雰囲気が異なっています。マァ、それだから録音を何回か重ねてリリースするわけでチャイコフスキーがロシアのヨーロッパ化に心がけていた事を納得させる様な感じで全体ロシア臭はせず従来のカラヤン仕立てのスマート感は辛うじて維持はされています。第1楽章出だし割りと線太く艶っぽさを伴ってスタートしますが「突っ込み」に今一押しが弱い様でもありました。中間部ゆっくり管を歌わせ全合奏で始まる展開への入り口寸前での気をもたせ「間」も絶妙さは流石上手いものですが全体この楽章ファッーとした雰囲気はBPOとは違うVPOの特質から来てるのか「緊張感」が足らないのか、結局あの「テーマ」も「泣き」に走らずカラヤンも円くなったなぁと感じた次第です。第2楽章の舞踏も執拗ではなく中程は比較的ゆったりとさせ聴きようによってはダルくも・・・ただ管楽器は実に美しいです。第3楽章はかつてのスポーティさは影を潜めどっしりしたと言うのでしょうかマーチ節間でのアドリブ的な触りが印象に残りました。続いてスゥッーと入って行く最終楽章も「泣き」具合は迫らず、ピークも決して「凄み」を極める掘り下げはなくそれだけサプライズはありません・・・「悲愴」に縛られない曲そのものに対応した様でありそういう意味で全体アイデンティは保たれているのではないでしょうか。この演奏が得意としたこの曲への結論だったのかは本人が知るのみで静かに長く引っ張って曲は閉じられます。時折オーケストラ・コントロールが甘く聞こえる箇所もないわけではありませんが天下のカラヤン/VPOがそんな安易な出来上がりで「了解」するとも私は思えません・・・ただ、私にとっては1964年BPO演奏盤が良い悪い或いは好き嫌いは別にして懐かしく、「悲愴」交響曲として聴くよりカラヤンの録音暦を聴く心構えで当面OKランクとさせて下さい。なお、その他のカラヤン指揮分「悲愴」交響曲は次の通りであります・・・・1939年BPO(トータルタイム44’07)、1948年VPO@18’43A8’52B8’08C9’52、1954年NHKSO@19’17A8’51B8’41C10’09、1955年PHO@18’54A8’14B9’02C9’24、1964年BPO@18’53A7’59B8’44C9’19、1971年BPO@18’16A9’01B8’15C10’10、1976年BPO@18’24A9’04B8’28C9’59、1988年BPO@19’18A9’13B9’14C11’42(拍手込み)。幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1982年収録、タイム22’08)は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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  • ★★★★★ 

    たけっちゃん  |  兵庫県  |  不明  |  2012年10月28日

    学生時代、このCDが出た頃に買いました。  最近、久し振りに取り出して聴いてみた感想・・・・買った頃には「老境に達したカラヤンの枯淡の演奏」という評価を鵜呑みにして「そんな感じやなあ・・・」と思いながら聴いていました。で、このたび、久し振りに&先入観の無い状態で聴いてみると、まずはウィーンフィルの美しい音色と深い表現力のある演奏に「おおっ、さすがや!」と感じました。そして、カラヤンの指揮も、そんなに老いぼれた感じはなく、3楽章など十分にスポーティー。聴かせ上手な円熟の至芸で目からウロコの演奏で、改めて「カラヤンって、偉大な指揮者やったんやなあ!、ウィーンフィルって、ホントに良いオーケストラやなあ!!」と感じました。   リマスターが出た時期でもなく、今頃レビューしても誰も読んでくれないでしょうが、この気持ちをどこかに記したくて、投稿した次第です。

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  • ★★★★★ 

    チェロTP  |  静岡県  |  不明  |  2012年09月15日

    賛否両論だな。ここでひとつ提案だが、カラヤンの7種の悲愴を年代順にすべて聴いてみたらどうだろうか。そのうえで本盤が、年をとって健康を害した指揮者の演奏であるのか、はたまた名指揮者のたどり着いた孤高の境地であるのかを、聴き手一人ひとりが判断すれば良いのではないか。

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  • ★★★★★ 

    abbadondon  |  栃木県  |  不明  |  2012年02月11日

    ある意味、人生の最期を飾る名演だと思う。 EMIは豊麗(ヒスノイズだらけ)で、 DGは精緻な演奏だが、このVPO盤は 老いを感じるものの、4楽章の悲哀は他の比ではない。 私は初版でこのCDを買って20年以上愛聴している。 だから名演なんだよ。 悪ければすぐ飽きるもの。 ちなみにこのCDジャケット、初版のほうがいいと思う。

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  • ★☆☆☆☆ 

    音楽ばか。  |  北海道  |  不明  |  2012年01月15日

    この演奏はヒドすぎる。演奏内容もそうだが特に録音の悪さが。 デジタルの特性を出そうとして本来けっしてありえないほどの明瞭な音に仕上げた代償に、低音域がやせ細っている。ダイナミックレンジが狭いし、ラッパだけがやたら聴こえてくる金管楽器のバランスの悪さと、まさに初期デジタルの弊害と言わざるを得ない録音である。晩年のカラヤンとウィーンフィルの録音のほとんどがこのような録音であり(彼らのライブ演奏はともかく、スタジオのはずのブルックナーの7番、同時期のベルリンフィルとの録音は気にならない・・・やっぱり音が悪いと思ってしまうほどのヒドイ演奏だからなのか・・・)、その中でもこの演奏の録音は最悪である。 演奏内容も褒められたものではない・・・トランペットなどアマチュア並みに下手。やたらデカイのは録音のせいとしても音程が全楽章通して悪く、吹き方が田舎臭いしダーダー吹き。短い音をペッと唾を吐くように演奏している。このラッパは本当に論外。管楽器だけで演奏を判断するなよとお思いになるかもしれないが、音が1番デカイラッパのこと、聴きたくなくても聴こえてきてしまう。これだけでこの演奏は聴けたものではないのだが、世間の評価は高いからと無理して何度も聴いた。 弦の音はそれなりに美しいし、一楽章の木管の掛け合いの部分も好ましいが、全体通すとやっぱりやる気がなさそう。こんな生きた屍みたいな演奏なら連続で4、5回は演奏できてしまいそうだ。 ここまで散々に貶したことには理由があり、同曲、同コンビによる映像があり、その演奏はひょっとしたら悲愴で最高かもと思うほどに素晴らしいものだったことである(映像は大体が作り物だが、映像の一部、演奏自体はライブ音源だと思われる。演奏中に咳が聴こえる。)。カラヤン自身晩年は録音というよりも、自分の姿を映像で残すことに集中していたこともあって、当演奏はただ世間の需要に答えて演奏しただけなのではないだろうか・・・カラヤンがそこそこ好きな者として、こういう演奏ばかりが決定盤としてレコード雑誌などに掲載され続けることには非常に憤りを感じている。もっと素晴らしい演奏などいくらでもあるではないか!

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  • ★★★★☆ 

    karajan fan  |  北海道  |  不明  |  2011年10月16日

    レビューアの評価が真っ二つに割れていのが面白い。 確かにこれまでのカラヤンの悲愴をイメージすると大きな期待はずれにあう。 熱いライブ感を再現したEMI盤。音響美を極限まで研き上げた76年DG盤。 どちらもカラヤンの悲愴の代名詞であり、これらの盤もご他聞にもれず賛否両論である。 つまり、カラヤンの悲愴自体がアンチの格好の標的にされていると言うことなのであろう。 さて、このレビュー欄はそのような議論をする場所ではないのでこのCDについての主観的感想を書きましょう。 まず、大前提としてカラヤンは自身の感情を直接ぶつけるような演奏はしないということ。 そして、彼自身がインタビューなどで何度も言っているように、演奏会ではオーケストラに最大の自由を与えるということ。 後者はセッション録音時の全てに当てはまるか?というとそれは違うであろうが、基本的にはオーケストラの自乗的な演奏を心がけていたと云うことだろう。 つまり、BPOとVPOの違いがすなわちこれまでのカラヤンの悲愴とこの悲愴の違いということである。この理屈は非常に単純なようだが、実は途方もなく深遠な問題である。 この悲愴は下のレビューにもあるように「耀かしい音」から「枯れた音」、とくに第3楽章はこれまでのような重厚な推進力は影を潜め、カラヤン特有のレガートも優美さを欠いた軽妙なマーチになっている。しかも、この時期のカラヤンの身体的な状況を考えると、老いてなおこのテンポ設定は早く、積極的で生きいきとしたと表現になている。 しかし、終楽章は一転してこれまでの彼の美意識からは大きくかけ離れた、これまでにない人間臭さに満ちたカンタービレになっている。 それは彼の音楽には一番不適当な「告白」という表現が用いられてもおかしくないような印象を受ける。 いわゆる一部の評論家たちが盛んに用いる「精神性に満ちた」という表現がこれなのかもしれない。 この時期、諸般の事情が無ければ多分ベルリンフィルと録音していたはずであるが、このVPOとの作業を通してきっとカラヤンは新しい悲愴感を得たはずである。 そしてこの演奏を経験した延長上に88年の来日演奏があるのだろう。

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  • ★★★★☆ 

    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2011年07月03日

    所謂、演奏映えするチャイコフスキー「悲愴」交響曲をカラヤンは数多く録音しており日本のオーケストラNHKSOを振ったものもかつて出ていました。手元資料でその過去の録音歴をメモしておきましょう・・・1939年BPO@〜C計44’07、1948年VPO@18’46A8’55B8’08C9’54、1954年NHKSO@19’17A8’51B8’41C10’09、1955年PHO@18’54A8’14B9’02C9’24、1962年BPO@18’53A7’59B8’44C9’19 、1971年BPO@18’11A8’56B8’12C10’10、1976年BPO@18’22A9’01B8’24C9’50、1984年VPO@18’24A8’49B8’31C9’46、 1988年BPO@19’19A9’14B9’15C11’43(拍手入り)・・・といった具合であります。カラヤンの年齢とオーケストラとの組み合わせで演奏の雰囲気は夫々異なっている様で勿論私も全てを聴いたわけではありません。本盤はカラヤン76歳の時、1984年VPOを振ったもので全体としてやや早めで・・・それも前のめり気味である事とあっさり感が支配されている感じがしました。老成故なのかある意味何もかも経た大指揮者の結論めいたものを聴きとって良いのか単にコンディションとオーケストラの性格に因るものと解しておくのか微妙な処ですね。第1楽章での序盤管楽器の詰寄り具合は弱く余り芝居地味はしません。そして中盤アレグロ爆発への転換も底浅く他の指揮者で聴き慣れた嵐の怒涛も大人しく感じました。第2楽章はその大人しめのスタイルがツボにはまりメロディラインを弦は美しく描きます。第3楽章では所々レガートを噛まし厳しい箇所をマイルド化し、又前述の様に前倒し気味で進めマーチも従って「溜め」も余分には無くテンポも速いです・・・私には高音勝ちにも聴こえました。サラッーと開始された最終楽章はやはり綿々と愁嘆を展開するのではなく進めますが後半のあの抉る様なピークへの行程は充分迫力がありその息遣いが感じられました。ファースト・チョイスというわけには行きませんがカラヤン・ファンにはその演奏スタイルの一面を聴く意味で必聴盤なのではないでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年06月19日

    カラヤンは悲愴を7度もスタジオ録音したほか、昨年発売された死の前年の来日時のライブ録音、N響とのライブ録音など、数多くの録音が残されている。この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの71年及び76年の録音と、本盤におさめられたウィーン・フィルとの84年の録音ということになるだろう。71年盤はライブのようなドラマティックな名演、76年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、84年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。

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