『モーゼとアロン』全曲 カステルッチ演出、フィリップ・ジョルダン&パリ・オペラ座、T.J.マイヤー、グラハム=ホール、他(2015 ステレオ)(日本語字幕付)
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 2017年06月06日
まもなくバイエルン州立歌劇場の『タンホイザー』が日本でも観られるカステルッチの読み替え演出はそれなりに面白く見せつつも、作品の哲学的含意を重視した、なかなか高尚な舞台。冒頭、モーゼが神の啓示を受けるシーンでは空中でテープレコーダーが回り、そこから黒い磁気テープがモーゼのもとまで降りてくる。かつては最前衛だったが、今や時代遅れのテクノロジーになってしまったオープンリールのテープレコーダーを「十二音技法」の比喩と見れば面白い。ユダヤ・キリスト教もヨーロッパ知識人の間ではとっくに時代遅れなわけだけど。モーゼとアロンの出会い以降の場面では背景や紗幕に様々な言葉が文字として投影される。言葉それ自体が避けがたく形象、つまり「偶像」を招き寄せてしまうという最終場のテーマの先取り。アロンが幾つかの奇蹟を演じて見せる第1幕終盤(近未来風だけど実はアナログな、大きなペニスのような機械装置が持ち出される)はすべて紗幕の中で演じられ、モーゼ一人だけが紗幕の手前に出てしまう。彼だけが疎外されているという状況の鮮やかな視覚化。第2幕になるとアロンは磁気テープという時代遅れのイデオロギーで緊縛されて身動きできなくなり、人々は好き勝手に乱痴気騒ぎを始めてしまう。このシーンは白服の人々が黒い墨汁まみれになるという分かりやすいが、いささか陳腐な表象で表現され、全裸の女性(ただし一人だけ)や本物の雌牛(立派な乳房があるので雄牛ではない)は出てくるものの性的なモティーフはごく控えめ。ルール・トリエンナーレのデッカー演出のような露骨なものを期待すると、肩すかしを食う。 マイヤーとグラハム=ホール(後者はややリリックな声だが)の両主役は理想的な演唱。フィリップ・ジョルダン指揮のオケとコーラスはすこぶる精緻でありながら、オペラとしての「劇的」な面白みも十分。このコンビの近年の好調さがうかがわれる。9人の方が、このレビューに「共感」しています。
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