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プッチーニ (1858-1924)

Blu-ray Disc 『トゥーランドット』全曲 レーンホフ演出、リッカルド・シャイー&スカラ座、ニーナ・ステンメ、アレクサンドルス・アントネンコ、他(2015 ステレオ)

『トゥーランドット』全曲 レーンホフ演出、リッカルド・シャイー&スカラ座、ニーナ・ステンメ、アレクサンドルス・アントネンコ、他(2015 ステレオ)

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    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2017年05月24日

    スカラ座音楽監督としてプッチーニのオペラ全曲録画プロジェクトを進めるシャイーだが、これは一足先に2015年ミラノ万博の際に収録された映像。指揮はさすがに素晴らしい。そんなに特別なことをしているわけでもないのだが、20世紀の作品らしい和声の斬新さ、オーケストレーションの面白さを的確に伝えてくれる。歌手陣ではステンメが期待通り。このような一発ライヴに近い収録では、なるほど高い音に危ない瞬間があるが、ニルソン以後、最も頼りになるトゥーランドットであることは間違いない。演技も悪くないし、「絶世の美女」とかいう見た目にこだわらなければ(そんなの所詮、男の妄想でしょ)、申し分ない題名役だ。対するアントネンコは強い声でひたすら力押しする無骨なカラフ。華はないが、リューの気持ちを知りながら「絶世の美女」の謎への挑戦をやめられないマッチョイズムの化身みたいな男には、ちょうどいい。映像では実年齢以上に老けて見えてしまうのが残念なアグレスタも、歌そのものはとても見事。 レーンホフの遺作となった演出は、北京の民衆たちが仮面をかぶった18世紀仮面劇の人物であるように、中国や東洋趣味には最初から関心のない舞台。各幕ともに金属製(に見える)のボルトが突き出た巨大な壁が正面に立ちはだかっており、同じくベリオ補筆版を使った2002年ザルツブルクのパウントニー演出に似た無機質な印象。だからゼッフィレッリ演出のようなデコラティヴな舞台が好きな人には受け入れられないだろうが、私はいつものレーンホフらしく過激な読み替えはないが、細部には色々と工夫のある舞台をとても面白く観た。第1幕では本物の火を使った合唱場面がさすがの迫力(俯瞰映像で見ると、舞台に引火しないよう細心の注意が払われているのが分かる)。ペルシャの王子が全裸、弁髪姿(後ろしか見せない)であるのも不思議なインパクト。第3幕では冒頭からトゥーランドットが舞台上にいるので、例の「誰も寝てはならぬ」は彼女の前で歌われることになる。リューの死の場面でも彼女が短刀を奪う相手がト書きと違うが、これもとても秀逸な工夫だと思う。さて、ベリオ補筆版については賛否両論だろう。しかし、音楽のスタイルが全く異質だとしても、私はなぜプッチーニが最後の二重唱以降を作曲できなかったかを良く考えた(カラフの強引な接吻で「氷のような姫君」の心が溶けるという原作戯曲の男尊女卑的な設定に違和感をぬぐえなかったからだと私は思う)ベリオ版が通常のアルファーノ版より好きだ。ただ一つ惜しまれるのは、ベリオがなぜか慣用版の歌詞にそのまま作曲してしまったこと。トスカニーニがカットしてしまったアルファーノ版オリジナルの歌詞を復元し、そのうえで不要と思われる部分はカットするのが筋だったろう。なぜなら、トスカニーニが削ってしまった部分の歌詞には、トゥーランドット姫がなぜ求婚者に謎を出して首をはねるというエキセントリックな所業に及んだのか、その理由がより克明に語られているからだ。

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