モンテヴェルディ(1567-1643)

CD 【中古:盤質A】 L'incoronazione Di Poppea: Garrido / Elyma Ensemble

【中古:盤質A】 L'incoronazione Di Poppea: Garrido / Elyma Ensemble

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    baroque mania  |  広島県  |  不明  |  2011年04月17日

    ポネルの演出、アーノンクールの指揮によるDVDを既に聴いていたのでそれとの比較で言うならば、歌手陣は皆かなり高い水準だと思う。さらにCDの音質が良い上に省略場面がなく全曲録音であるのも長所といってよい。伴奏については大きな欠点もなく全体としては悪くはない。ただし、いくつかの場面における、歌手の表現力や指揮者ガリードの採用する演奏テンポについては、アーノンクール版の演奏の方が優れている。例えば、@王妃オッタヴィアの嘆きのあと乳母のヌトリーチェが励ます場面でのレシタティーヴォアコンパニャート(叙唱)の表現力の弱さと途中での不必要なテンポの変化、Aセネカとネローネが激しく言い争う場面での二人の同じく途中から激しいレシタティーヴォアコンパニャートに変わるところでの早すぎるテンポ(言葉が聴き取れなくなることから却って劇的表現力を損なう)、Bネローネとポッペアの2回目の愛の場面でネローネがポッペアにローマを与えようとアリオーソを歌う場面での早すぎるテンポ(ここは聴かせ所の一つであった)、Cセネカの友人(弟子か?)の一人が若い女性に求愛するコメディ場面でのわずかに早すぎるテンポ(小躍りするようなテンポといわゆる早いテンポは違う)、Dオッタヴィアがオットーネに対しポッペアの殺害を命じる怖い場面における一定しない速度と表現力の弱さ等が指摘できる。又、これらとは違うが終局の有名な二重唱については、二人の声質が似通っているのがマイナスに作用しているし、二人とも息が続かないようで聴いていてつらくなり宣伝文句とはかなり異なる。他にもあるがいずれにしても、歌手の表現力(声の強さとかバロックの音楽語法に対するセンス)において、特に各場面での速度については、アーノンクール版は遅すぎず速すぎず絶妙であり劇的かつ芸術的です。一方ガリードの採用したテンポについて言うならば、演奏効果を狙うあまり、ゆったりしたテンポと早めのテンポとの差をつけすぎていることから逆に劇的効果を損なってしまったと考える。速度の差をつけることで劇的効果を出そうという素朴かつ本能的な誘惑から逃れきれなかったのかもしれない。これは他のあらゆるオペラにも当てはまることである。当時の楽譜(写譜)にはおそらく速度記号など全く書かれてはいないはず。後の時代の楽譜の考証に基づいて試行錯誤の中から速度を決定するものと思う。概ね1960年代までの演奏速度は遅すぎるものが多く、70年代以降の演奏の中には時々速すぎるものがあり、バロックに限らず古典派でも適切な速度を決定することは極めて難しい。ただ、私の考えるところは例えばアンダンテやアレグロと言ってもよく知られているようにその中には種々の中間的な速度があり、両者の速度の間には頭で考えるほど差はない。アンダンテをほんのわずか早めるだけで人間の聴覚にはかなり速い速度に感じるのであり、このことを無視すると却って声楽における(器楽においても)劇的効果を損ねてしまうではないだろうか。アレグロといってもいわゆる快速にではなくわずかに遅めの速度で決然とした演奏を要求される場面も多いと思う。あれこれ書いたけれども演奏速度は極めて重要であり、これを誤るとその作品全体を台無しにしてしまう危険性があることから、演奏家特に指揮者には速度のもたらす効果について常に熟考してもらいたいといつも思うところです。

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