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シューベルト(1797-1828)

CD ピアノ三重奏曲第1番、第2番、ノットゥルノ アンドレアス・シュタイアー、ダニエル・ゼペック、ロエル・ディールティエンス

ピアノ三重奏曲第1番、第2番、ノットゥルノ アンドレアス・シュタイアー、ダニエル・ゼペック、ロエル・ディールティエンス

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    道草少将  |  神奈川県  |  不明  |  2021年05月14日

    他のレビュアーの方々、少し誤解があるようです。第2番の終楽章に限っていえば、演奏・録音は3種類ありえます。(1)シューベルトの初稿(提示部のリピートの指示あり)を指示通り演奏したもので、20分前後の演奏時間になる。(2)そのリピートを省略したもの。15分前後。(3)出版時にシューベルト自身が短縮した版(リピートの指示なし)による演奏で、13〜14分。(2)と(3)の違いは聴けば直ぐ分かります。(2)ではチェロで奏される第2楽章の主題が展開部で2回とコーダの1回、合計3回現れます。(3)では展開部の終了直前がカットされて、全体で2回しか出現しません。シュタイアーたちのこの演奏は(3)によるものです。リピートの指示自体ないのですから従うも従わないもありません。また、(1)も(3)もシューベルトの意思を反映しているものですから、作曲者の意図に反したとはいえません。ただ、私としては(1)に魅力を感じますので、出版に際しての強いられた妥協の産物と思われる(3)を、シュタイアーとあろう者がどうして選んだのだろうと残念には思います。テンポも動かしすぎではないでしょうか。もっとも、一方では、その2番の第3楽章のトリオでフォルテピアノの特殊なペダルを使っている(トルコ行進曲風のドンチャン)ことなど、面白く感じた点も沢山あります。第1番など魅力的な演奏です。

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  • ★★★★☆ 

    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2020年11月02日

      再度投稿させてもらいました。   前のレビュアーのレビューにうなずかされる部分が多く勉強になりました。が、それでも私は第2番の最終楽章でのリピートはあってほしいと考えてます。時間間隔について言うと確かに昔と今では隔たりはあることでしょう。しかし私は時間の問題でリピートが冗長とするより、「シューベルトの心象風景のドラマ」という意味合いでリピートはあってほしいと考えています。   あくまで個人的な感覚ですが最終楽章次のようなドラマが書かれていると考えています。まず冒頭非常に気軽で楽し気な歌から始まるものの、そこから雲行きが怪しくなり、自分の置かれた境遇への焦りや失意に加えて、病気への、そしてそれがもたらす死への不安や絶望で精神がバラバラに壊れていくような感覚があると思います。第2楽章でも突然舞台が暗転し何かを叫ぶような曲調に変わる場面がありますが、最終楽章ではそれが「再発」し、叫ぶどころか泣き叫び、身もだえ、頭をかきむしるかのような絶望や苦悩や狂気が次々に待ち構えてシューベルトを襲っています。普通であればその絶望の苦しみは一度で終わるべきですが、シューベルトの「闇(死)への恐怖」はそれで終わってはくれません。堕ちても堕ちてもまだ底が見えない、そんな「地獄への転落」を私は感じてしまいます。人によってはシューベルトのある種の作品を「天国的な長さ」と形容します。D944の交響曲であれば納得しますが、この曲に関しては「地獄的な深さ」とでも言ったらよいような恐ろしさが潜んでいる・・・。これが私の感覚です。そして、その恐怖のドラマ(またはその夢)から覚めないうちにその余韻の震えを残す中で孤独を抱えながら奇妙な微笑みを浮かべながら曲が終わっていくように私は感じています。   A.シフ、塩川悠子、M.ペレーニ(Teldec)や、T.デメンガ、 H.シュネーベルガー、J.E.デーラーら(ECM)のトリオのディスクではリピートがされています。時間的な整合性も一理ありますが、ドラマにはつきものの「非整合性」があると考えています。非整合性があるからこそ、流れが不自然に聴こえることがあると思います。 要するに、時間間隔や流れの整合性をとる方もいるでしょうし、そこに反対する気は全くなく、あくまで「シューベルトが伝えたかったもの、残したかった想い」を従容として受け入れ追体験する意味で聴いてみていただければと思います。逆説的ですが前のレビュアーの意見があったからこそ上記の部分により思いをはせることができたのでありがたく思います。   蛇足ながら、リピートがないからこのディスクが悪いとは思いません。その感想についてはすでに書いているので繰り返しませんが「聴くべきディスク」なのでおすすめしたいです。そもそも上にあるのは私個人の主張で、それが正しいとは言いません。ただ「こんな聴き方する奴もいるんだ」程度の参考として乱筆ながら述べさせていただきました。。。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2016年11月13日

    もはやピリオド楽器であることのデメリットを全く感じさせない、メリットばかりが目立つような演奏。この2曲は単に歌にあふれた美しい音楽というにとどまらなず、特に第2番は死と孤独の影を強く感じさせるような名作だが、そういう陰影の表出も申し分ない。第1番第1楽章では小結尾主題に入るときのリタルダンドと間が絶妙。全体としては晴朗なこの楽章に孤独の気配を導き入れる。第2楽章は意外に遅めのテンポで、音量を抑えたひそやかな歌が紡がれる。一方、第2番の第2楽章は予想通りの速めのテンポだが、中間部の修羅場の表出は迫真的だ。第3楽章のトリオではフォルテピアノの特殊ペダル(打楽器効果)を使用。前のレビュアーが書かれた通り、「天国的に長い」第4楽章の提示部反復はなし。 この時代の音楽におけるリピートは難しい問題だが、ピリオド楽器によるものであれ、現代の聴衆のための演奏であり、二百年前の人々と飛行機や高速鉄道で移動する現代人の時間感覚がもはや全く違う以上、楽譜通りにすべてのリピートを実行すべきとは私は考えない。たとえば『未完成』交響曲や変ロ長調ソナタの第一楽章提示部反復はぜひしてほしいと思うが、「大ハ長調」交響曲、特に終楽章のリピートには反対だ。作曲者自身がリピートのための経過句を作り付けているにもかかわらず、後者の場合などリピートは音楽の自然な流れを破壊しているとしか思えない。

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  • ★★★★☆ 

    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2016年10月11日

     シューベルトのピアノ・トリオにまた一つ聴きごたえのあるディスクが加わった。A.シュタイアーを中心に、時代楽器を使っての演奏であるが、思ったより痩せぎすしないしっとりした音質。  できれば第2番(第4楽章)でリピート部分をすべて演奏してほしかった(作曲家が聴いたであろう楽器の音は再現するが、作曲者が意図したリピートは再現しないというのは片手落ちと思うが…。)という不満は残るが、演奏自体はシューベルトらしい自由で歌があふれる雰囲気を主体としながらも、ところどころに孤独感や絶望がすきま風のように吹き込まれるよう。あまり深刻にならずにシューベルトの「歌」を愉しむにはちょうど良いディスクだと思うのでおすすめです。いままでシューベルトは長くてダラダラして退屈…と考えていた方にも試していただきたい。

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