侘び然び幽玄のこころ 西洋哲学を超える上位意識
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jiaoao | 東京都 | 不明 | 2015年02月04日
美しく、印象的な本。 『わびさびを読み解く』を著した米国人編集者のレナード・コーレンが、 かつて自身の日本体験を通して、最早日本には「わびさび」を理解できる人間がいなくなっているのではないかと失望したという。 彼は次のように指摘している。 大抵の日本人が「わびさび」について問われても口ごもり、説明できない、 その「最大の理由は、たいての日本人が一度も知的な言葉でわびさびについて学んだことがないからである。 というのもそれを教える先生も書物もないのである。」 しかし、この書物こそ、日本人に「侘び然び」を教えてくれる書物だと言えよう。 コーレンの目の前にこの本を示したいくらいだ。 ひとつの学説や日本の伝統美を語るに終わるのではなく、 血の通った、大地の香が立つような生き様としての「侘び然び」を語っている。 著者は読み物としても読者を楽しませてくれるように配慮して書いたとあるが、本当にそうだ。 胸の奥が疼くような何とも言えない懐かしい思いにかられる。 日本人のDNAというものだろうか。 素晴らしい本だ!0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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1kanara | 所在地 | 不明 | 2015年02月04日
序盤は、懐かしい日本の風景が目に浮かんできた。侘び寂び(本書には「然び」と述べられている)幽玄は特権階級の者だけのものでなく、むしろ庶民の中にこそ、大地に根付いた者しか分からないものだというところがとても興味を引いた。侘び寂びの色々な文献を目にしたが、この本は独自の視点で述べられており、ある種実践的な記述が随所に見られ、説得力もある。今まで誰もしたことのない(と思われる)竜安寺に侘びがあるかということの著者の意見は痛烈、痛快である。わびさびの違いが明確に述べられているのも、初めてなのではないだろうか。これが本流なれば、自分自身を誇れるものとなるだろう。一読を薦める。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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恕丙 | 東京都 | 不明 | 2015年02月02日
今まで、侘び然び(寂び)は日本固有の美意識・文化だからと片づけらていたから、考察が深まらなったのだろうか。 茶の湯のページのわびさび解説を読んで、ふと思った。 この本にあるように、ミレーの「落ち穂拾い」は寡婦たちの悲し気な生活、寂しさ、惨めさを表現している。この寡婦たちは農園主でも小作人でもなく、二宮金次郎さんのように落ち穂を拾って生をつないでいる人たちだ。拾った落ち穂を入れるかごすら描かれていない。確かに侘びていると思う。 侘び然び(寂び)は、様式、形式を示す日本固有の美意識・文化ではない。 もっと広く人ひとの精神性を示す文化なのだろう。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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細雪 | 所在地 | 不明 | 2015年01月28日
この本を読み始めてから、ずっと「わびさび」って何だろうと考えています。この本は、単なる「わびさび」論ではなく、日本人のアイデンティティを問うていて、さらには、読者にそれぞれの生きざまを問うているようにも感じられました。 興味深かったのは、「モナリザ」の絵を通して、ダ・ヴィンチの心理、深層意識を語っている部分です。絵だけでなく、歌や俳句、建物などを通して、その人の心理、意識だけでなく、境地までも読み取ることができるのだと驚きました。 深淵な哲理、厳しい覚悟、豊かな感性。読み返す度に新たな気づき、発見があります。何度か読み返してじっと考えていたら、この本には、すべてのものに対する愛情が込められているように感じられてきました。2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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