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モーツァルト(1756-1791)

LPレコード ピアノ協奏曲第20番、第25番:マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、クラウディオ・アバド指揮&モーツァルト管弦楽団 (アナログレコード)

ピアノ協奏曲第20番、第25番:マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、クラウディオ・アバド指揮&モーツァルト管弦楽団 (アナログレコード)

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  • ★★★★★ 

    ドンナー  |  神奈川県  |  不明  |  2017年08月21日

    アナログ盤を聴きました。現代におけるピアノ界、指揮界の大御所のコンビによる演奏で、悪かろうはずがありません。若い頃のようなスリリングな演奏ではないものの、気心知れた大家が、昔話を語るように、この落ち着いた語り口の演奏は、アナログ重量盤で聴くのにふわさしいです。アバドの死によりこのコンビの演奏が聴けません。ジャケット裏面には若き日のアルゲリッチとアバドの写真(1960年代後半?)。40年以上にもわたって協演し続けたなんて二人は幸せだったんだなぁと思いますし、それをこうしてディスクでたどることができることに感謝します。

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  • ★★★★★ 

    北途 啓  |  東京都  |  不明  |  2015年02月18日

    アバドが死の直前に素晴らしいモーツァルトを残してくれたことに感謝。また美しい個性的な音色で共演したアルゲリッチにも感謝。30年以上前にロンドンのバービカンホールでアバドLSOの演奏を聴いたのを思い出しました。リゲティとマーラーでしたが、ケレンのない引き締まった音楽に感動しました。この演奏を聴いて、その頃と比べると、アバドの音楽づくりが進化しているのだと実感しました。この演奏では、弦楽に古楽風の処理がされているなど、音響や響きの奥行を良く考えており、また録音もその意図をそれなりにとらえているように思います。この二つの曲は、録音もライブもさんざん聴いており、また素晴らしい演奏がたくさん残っています。しかしながら、アバドとアルゲリッチは、初めて聴いた時の感動を呼び起こしてくれる「新鮮さ」を伝えてくれます。

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  • ★★★★★ 

    ジャン=ルイ  |  千葉県  |  不明  |  2014年06月25日

    およそモーツァルトの演奏を、こんなにワクワクドキドキしながら聴いた記憶はない。 音楽と戯れるかのような感興に溢れ、緻密さと即興性が絶妙の感覚でブレンドされている。 数々の演奏で耳に馴染んだ曲であるにもかかわらず、次はどんな風に展開するのだろう、と息を呑むような思いで聴いた。 アルゲリッチの独自の世界に、アッバードの指揮ぶりも当意即妙の呼応をする。 数ある同曲演奏の中でも、極めて個性的な名演。

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  • ★★★★★ 

    まさおさん  |  東京都  |  不明  |  2014年02月22日

    モーツァルトの協奏曲20番と25番、最後にとても素敵な音楽を残してくれたマエストロ アバドに感謝です。謹んでお悔やみ申し上げます。アバドはひとつひとつの木管楽器を際立たせる傾向にあるので、特に20番の第3楽章などクラリネット対ピアノ、フルート対ピアノと室内楽的な掛け合いが美しい。アルゲリッチのピアノもキラキラと透明感のある音色で素晴らしい。

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  • ★★★★☆ 

    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2014年02月22日

     アリゲリッチをなだめて(?)ようやく登場したモーツァルトの協奏曲。昔、F.グルダを楽しく思い出すためのコンサートで彼女の弾くK466を生で聴いて「良くも悪くもアルゲリッチらしい」と感じたことを思い出しつつ聴いてみた。     アルゲリッチの「剛」とアバドの「柔」の調和を愉しむCDだ。ピアニストはモーツァルトでもお構いなしに自分の流儀を貫く。とはいえ時折垣間見せる柔らかなタッチがまた魅力。カデンツァは手綱を離したとたん走ってゆく奔馬のごとし。  アバドはそんなアルゲリッチをそっと、だが的確にサポートする。K466、503の両曲ともベストのCDとは思えない。それでもアルゲリッチのピアノを聴くために、またはアバド指揮によるしなやかな演奏を愉しむためにこれからも聴き続けることだろう。こんな好演を遺したアバドに感謝。 もうすこし余裕があったらピリスといれたK466&595も買って聴き比べをしてみたいものだ。

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  • ★★★☆☆ 

    雲谷斎  |  埼玉県  |  不明  |  2014年02月14日

    せっかくの演奏を耳の悪い録音スタッフがあれこれいじりまくって台無しにしてしまった残念な1枚。モーツァルトは弾けないからと尻込みしたアルヘリッチの背をアバドが押し、満を持して実現した演奏だけにその水準は高い。だが、若き日のアバドにはこの両曲ともグルダと共演したウィーン・フィル盤があって、特に20番は今もって名演の誉れ高い。モーツァルトの協奏曲に必要なのは清新さ、溌剌さであり、今回の顔合わせでは当然別の売り物を用意しなければならなかったのだが、往年の若さを凌ぐまでの出来とはならなかった。モーツァルトが相手ではアルヘリッチが危惧したとおり、老練ではカバーしきれない何かがあるということだろう。演奏に何らの瑕疵もないが、この両曲を聞くのにこの1枚を忘れては困るというほどの名演でもない。もっと問題なのは録音である。いったいどのような音響美学からこのような索漠とした音づくりになるのであろうか?モーツァルトの音楽に必要な潤いやみずみずしさをすべて取り去り、残響も極力排除した砂漠のような音。ルツェルンからの放送録音ならばFM放送ですらもっといいソースがいくらでもあるというのに、この鼻づまりのような音はせっかくの演奏を無味乾燥なものにしてしまう。この録音チームにはそういう感覚や能力がないのであろう(この手の録音が最近のDGには少なくない)。半世紀以上前のレッグ、カルショーの録音美学に基づいた名盤誕生時代に比べ、おそろしく劣化したものである(演奏=3.5、録音=3)。

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  • ★★★★★ 

    デジタル音痴  |  神奈川県  |  不明  |  2014年02月11日

    世にも恐ろしくすばらしい演奏を聴きました。 アルゲリッチとアバドによるモーツアルトのピアノ協奏曲K466です。 CD前半のK503も恰幅が大きくピアノの音は美しく、大変すばらしい演奏です。 が、その後のK466が衝撃的でした。 曲それ自体が強い力を持っているのですが、この演奏はその曲自体の奥底にある魅力あるいは魔力を如実に目の前に提示しているかのようでした。 暗と明でピアノのタッチ、音色、表現、感情は毅然と変化します。特に第1楽章、2楽章でその変化は明確です。 ベートーヴェンのカデンツアが演奏されていますが、モーツアルトとベートーベンの音楽感、表現様式、思いがはっきりと弾き分けられていて、このように明確にわかる演奏も珍しいのではないでしょうか? また第2楽章から第3楽章にはいる「間」が絶妙です。 聴き終わって呆然としました。 収録されている拍手を、もう少し待ってほしい、という気持ちになりました。 K466は20曲ほど手元にありますが、恐らく一二を争う名演奏ではないかと思います。

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  • ★★★★★ 

    kadoshin  |  東京都  |  不明  |  2014年02月10日

     解説書にアバドとアルゲリッチの若い頃の写真も収められていますが、数十年にわたる共演を経て、ジャケット写真のような風貌になったのかと感慨深いものがあります。  おしもおされぬ2人の大家が、モーツァルトの音に遊びつつ、魂の触れ合いを楽しんでいる風情。死去の報に接した後に聴くということもあるかもしれませんが、このアバドの無心さはいったいどうしたことでしょう。25番は堂々としたベートーヴェン風というより愉悦感や繊細さを強く感じました。ドラマティックな20番も声高に絶叫するのではなくあくまでも歌と声部のバランスを丁寧にすくいとっていく風情。フィナーレの冒頭などかつてのような煽りは一切見られません。  小編成のオケの純度がきわめて高く、木管を重視(偏愛?)するところに若い頃からのアバドの個性を感じ、「こういうところは一生変わらなかったな」と微笑ましく思いました。随所にみられるピリオド的なアプローチも効果的です(好みは分かれると思いますが)。  アルゲリッチの方はアバドにつられたのか、彼女の演奏にときどき感じる表現意欲の強さやとんがったところをあまり感じさせません。音楽的センスの良さと小気味良いテクニックは相変わらず。緩徐楽章でのインティメートな対話など、こういうのを「ミューズの神が舞い降りた」というのでしょうか。

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