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ワーグナー(1813-1883)

DVD 『パルジファル』全曲 M.シュルツ演出、ティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデン、ボータ、W.コッホ、他(2013 ステレオ)(2DVD)(日本語字幕付)

『パルジファル』全曲 M.シュルツ演出、ティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデン、ボータ、W.コッホ、他(2013 ステレオ)(2DVD)(日本語字幕付)

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  • ★★★★☆ 

    Cherubino_492  |  東京都  |  不明  |  2021年03月14日

    ボーダはみずみずしい声と感性でパルジファルらしいパルジファルだ。早世が惜しまれる。ミリングのグルネマンツが素晴らしい。この役は最近はパーぺの活躍が目覚ましいし、パーぺの明るい声と深い表現は魅力だが、やや若作りになる。ミリングは声の魅力ではパーぺに及ばないとしても老騎士の風格と鋭い表現力で踏み込んできて、別の魅力がある。コッホはアンフォルタスとクリングゾルの二役。この人は人間味溢れる役はうまいけれど、こうした癖のある役だとイマイチ吹っ切れていない。シュースターのクンドリーは大きな問題はないものの、表現に幅がないので、例えば第2幕の口づけの前後のメリハリなど不満もある。ティーレマンはいつも通り表現力旺盛、若い頃の恣意的なアゴーギクはこなれてきたが、円熟と言うには山っ気は残る。良くも悪くも手応えのある表現だ。演出はゴルゴダが再現されて、前世でキリストを嘲笑したクンドリーが「やり直し」をして救済される、と言うプロットは良いとしても、それを終盤に詰め込んだので、浄化していく音楽の背景でドタバタした感は否めない。アイデアだけではなく音楽に寄り添っていないとオペラの演出としては成功しない。

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  • ★★★★★ 

    kn  |  神奈川県  |  不明  |  2013年11月23日

    まあ、最近のドイツ人の演出としてはまともな方。どうにも分からぬ登場人物も出てくるが、アムフォルタスも白痴でなく(ケント・ナガノの同曲の演出は酷かった)、まあまあ気に障るところは少ない。何より良いのは歌手が出しゃばらないことで、これは録音についても言えること。数あるディスクのなかには歌手の声がオケを圧倒してしまうものもあり、そんなものでは劇場で聴いているような気になれない。このディスクはその点節度がある。演奏は安心して聴くことが出来る十分練れたもので、さすがである。  さて、話しは飛ぶが、近頃のドイツ人の演出家たるや、どうしてこんなにも酷いのだろう。まるで突飛なことをやらないと存在をアッピール出来ないと思っているように、意味ないことをする。コスチュームがお粗末になったのは分かる。財政上の理由で補助金が切られたからであろうが、最近の演出は、バイロイトと言えどもヌードが登場する。しかも私にはヌード登場の必然性が見えない。例えばこうである。3年ほど前のバイロイト、マイスタージンガー、最終幕の歌の競技の場面、ベックメッサーの登場に合わせて舞台上にテーブルが置かれ、それに砂が盛ってある。ベックメッサーが歌いながら砂を穿ると、ヌードダンサーが出てくる。ヌードを出す必然性も何も無い。ただヌードを出すためだけにやったと思われる。幸いにしてこのパルジファルは、そのような酷さは免れている。  第二に、原作で重要な時代設定を無視している演出家が多い。ケント・ナガノのローエングリンのレビューにも書いたが、オペラには時代設定を考えなくて良いものと、時代設定が重要なものがあり、ローエングリンは後者である。いろいろな解説書を読むと、時代設定を10世紀半ばとしたのはワグナーの脚本家としての才能がただ者で無い証としている。これを、ケント・ナガノのディスクの演出家は19世紀プロイセン風の軍服を着せ、ぶちこわしてしまった。このパルジファルは、時代が判然としない服装だが、といって鑑賞の邪魔にはならない。まあまあだ。  この間の「魔弾の射手」も酷かった。時代設定が論外だし、第一オペラの雰囲気が無くまるで映画館の感じ。序曲にいきなり大砲の音とは、雰囲気を増すどころか音楽を鑑賞しようとする者にとっては騒音であり、これからオペラの雰囲気に浸ろうと期待した矢先のことで、オペラとしてはぶちこわしである。レビューに「これはオペラでは無い」と書いたら、投稿したけど掲載されなかった。しかし、この投稿欄を管理している方に申し上げておくが、純粋な音楽愛好家としては、あのようなディスクはキワモノであり、私がもしあのディスクの内容を知っていたら決して手を出さなかった。それほど音楽を軽く見たようなディスクなのである。あれではハーディングが気の毒だ。ここでのティーレマンは、すでに確固たる名声を持ったマエストロであり、演出家もそれなりの敬意をはらったものと思われる。ともかく最近のドイツの汚さからは免れている。購入したことに後悔はしていない。

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  • ★★★☆☆ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2013年09月19日

    ティーレマンは本当に演出に恵まれないな。バレンボイムのように(彼だっていつも演出に恵まれるわけじゃないけど)いい演出と指揮がお互いを触発し合う相乗効果なんて全く期待できない。もっともティーレマン自身、音楽さえちゃんとしてれば演出なんてどうでもいい、と公言してるわけだから自業自得だけどね。指揮は第1幕は比較的おとなしい(テンポも遅くない)が、第2幕から本領発揮、第3幕は非常にテンポ遅く、早くも前奏曲からコテコテの「ティーレマン節」を披露。手練手管満載だから嫌いな人には嫌われそうだけど、お見事な出来ではある。歌手陣はそんなには誉められない。文句なしなのは、久しぶりに「普通」のグルネマンツだったミリングぐらい。シュースターはまあまあのクンドリー。二役挑戦のコッホはどちらも不可。指揮者、演出家どちらのアイデアか不明だが、そもそもこのアイデア自体、感心しない。クリングゾールの対人物はティトゥレルでしょうが。ボータは声自体はすばらしいが、舞台に出てきてしまうと、とたんに『パルジファル』が『ファルスタッフ』になってしまう。ヴィジュアル重視、演出偏重の昨今では実に不幸なヘルデンテノールだ。 さて、問題の演出。少なくとも「分かりにくい」演出ではないと思う。舞台はSF風、聖杯騎士団は疲弊したカルト集団というのは最近の『パルジファル』演出の定番で少しも新味はない。この演出がダメなのは説明過剰なこと。題名役氏が究極の大根で、全く演技できないせいでもあるけど、各キャラの「分身」を繰り出して、とことん状況や心理を説明しようとする。その結果、説明に忙しく肝心のドラマがすっかり空洞化している。その最悪の例が最終場。パルジファルとアムフォルタス(死んでいるようだが、誰からも見向きもされない)そっちのけでクンドリーとキリスト(一人目のキリストは彼女にしか見えない幻覚のようだが、第3幕から二人目が登場)の話になってしまっている。『パルジファル』は宗教という抑圧的な制度の起源についての物語というのが演出家の批判的な「解釈」のようだが、そんな解釈は論文で述べてくれ、舞台上で見せるなよと言われそうだ。去年、二期会が上演したグート演出も似たような解釈だと思うけど、シュルツ演出は遥かに見せ方が下手だ。

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  • ★★★★☆ 

    森の道  |  埼玉県  |  不明  |  2013年08月24日

    ティーレマンとドレスデンが素晴らしい。音楽はスケールが雄大であり、鮮烈な起伏も素晴らしく、聴手を決して飽きさせない。一方で「聖金曜日の音楽」などでは、繊細な音楽を引きだしており陶酔させられる。歌手も皆立派。正に「音楽の勝利」。さて、演出はというとこれがよくわからない。そもそもこの劇の登場人物は十分に奇怪であり、極限の世界にいるはずである。それにもかかわらず、あえて主要な人物の無意識を顕在化したようなダンサーやグロテスクな人物が登場し、本当に目障りであり、音楽を邪魔していると感じる。第3幕の幕切れは特に顕著。これでは演奏会形式の方がよほどいい。  

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