『ドン・ジョヴァンニ』全曲 ネゼ=セガン&マーラー・チェンバー・オーケストラ、ダルカンジェロ、ディドナート、ヴィラゾン、ダムラウ、他(2011)(3CD)
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mari夫 | 東京都 | 不明 | 2015年06月23日
実に充実した歌手陣を率いた俊英ネゼ=セガンとマーラー・チェンバー管による名演。マーラー・チェンバーの『ドン』といえばハーディンクの革命的な演奏があるが、拍子を間違ったのではないかと言うような超快速だったあれとは違い、ネゼ=セガンのテンポや表現はむしろオーソドックスと言っても良い。言い換えれば、あまりオリジナル派的なわけではない。比較されるべきはむしろこれまでのモダンオーケストラの演奏群で、それでもフルトヴェングラー、クレンペラー、ベーム、カラヤンなどの巨匠たちに伍してもむしろ優位に立つといっても良いくらいだから立派なものだ。それには歌手たちの力に追うところも大きい。「出世魚?」ダルカンジェロは、今や立派なドンだ。声の立派さでもシェピに引けを取らないくらい。ライブな故かシャンペンのアリアは幾分オケについていけないところがあるが、セレナーデなどの美声と貫禄!当代一と称して間違いないだろう。レポレッロは昔のように完全なブッファという歌唱は見られなくなってしまったが、ピサローニも若い日のドン(見習い?)という感じで悪くない。しかし、これらの歌手陣も結局、オリジナル流ではなくて、従来型の傑出した歌唱なのではないか?ディドナートのエルヴィーラは声も表情もシュワルツコップにそっくりだし、ダムラウのアンナの、父殺しの犯人に気づく箇所のリアルな表現は、モダンというべき。ビリャソンも、ドミンゴばりの美声で、いい意味でも悪い意味でも従来型の「ダメ男」オッターヴィオを唱っている。私的にはツェルリーなのエルトマンに少々おぼこ娘感がなさすぎだと思うが、頑張っていることは否定出来ない。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 2012年09月24日
モーツァルトの7つのオペラをCD録音だけするという、レコード業界不況の中では全く奇特な企画の第1弾。強力な歌手陣も単なる寄せ集めではなく、2011年7月にバーデンバーデンで3回の演奏会形式上演を行ったメンバーが全員そのまま録音に参加しているので、一体感があるし、レチタティーヴォの部分も舞台上演さながらに、いや舞台のライヴ以上にしっかりと芝居がついている(観客の笑い声が聞こえる箇所もあるので、一部はライヴの収録をそのまま用いていると思われる)。まず歌手について述べると、ターフェル同様、レポレッロ役からドン・ジョヴァンニに「出世」した(さらに前のアバド指揮の録音では、彼はマゼット役だった)ダルカンジェロ。普通にイメージされる通りの伊達男だが、バスなのでギャラントな中にも押しの強さがある。レポレッロのピサローニと似た声だが、これはこの二人をドッペルゲンガー(お互いの影)と見る最近の解釈を反映しているのだろう。女声陣ではディドナートのドンナ・エルヴィーラがかなり誇張した役作りをしているのが面白い。彼女に対するパロディの意図は、バロック的な大げさな身ぶりをする曲自体の中に既にあると言われるが、これほど戯画的な側面をはっきり見せるエルヴィーラは初めてだろう。ダムラウも復讐を求める叫びの背後に、ドン・ジョヴァンニに惹かれる心理の分裂があることを巧みに見せる。エイトマンは小悪魔というよりは、清純だが男の扱い方をすでに心得ている賢い女性。ビリャソンが歌ったからと言ってダメ男、ドン・オッターヴィオのイメージが大して変わるとは思えないが、もともとセリア系の役なので大過なく歌っているし、ジョヴァンニに部屋に押し入られたが何事もなかったとアンナが嘘を言うレチタティーヴォでのボケっぷりも的確。 録音はティンパニや金管の突出をやや抑えているようだが、指揮はもちろんピリオド・スタイル。非常にアクセントの強い表現が随所にある。しかし、第2幕最後のドン・ジョヴァンニと騎士長の対決の場などは、これまでのピリオド派指揮者に比べると、遥かにテンポが遅い。18世紀にどう弾かれていたかは一応踏まえるが、歴史的正統性にはもはやこだわらないという現代の聴衆のためのピリオド・スタイルだ。7人の方が、このレビューに「共感」しています。
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