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ドビュッシー(1862-1918)

SACD ドビュッシー:交響詩『海』、牧神の午後への前奏曲、ラヴェル:ボレロ ショルティ&シカゴ交響楽団(1976)(シングルレイヤー)(限定盤)

ドビュッシー:交響詩『海』、牧神の午後への前奏曲、ラヴェル:ボレロ ショルティ&シカゴ交響楽団(1976)(シングルレイヤー)(限定盤)

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    meji  |  神奈川県  |  不明  |  2012年09月15日

    まずはK・ウィルキンソンによるアナログ末期の超ハイファイ優秀録音がこうしてSACD化されることに対してユニバーサル社に心より感謝の意を表したい。ウィルキンソンにとってショルティ&シカゴSOによるメディナテンプルでのセッションは73年から数えて3シーズン目を迎え、指揮者、オケ、ホール、エンジニア四者が互いの個性や特徴を知り尽くした状況での万全のセッションであったし、この月はウィルキンソン本人も絶好調であり、クリーブランド録音ではマゼールと「ローマの祭・松」を、シカゴ録音ではショルティと「さまよえるオランダ人」といった超優秀録音を立て続けに生み出している。本ディスクにおいても「牧神の」の冒頭ではフルートソロがスピーカの後方数mにピンポイントで定位し、その生々しいブレスノイズと相俟って奏者の口元まで見えるようだし、続くホルンがフルートの後方やや左よりからメロウで肉厚なフルボディサウンドでこれに応えると同時に、ステージの左奥からハープが艶めかしくも鋭い立ち上がりでぬうっと顔を出す部分の3次元的なパースペクティブは、ウィルキンソン録音の真骨頂であり、聴き手はスピーカの存在を忘れ、30数年前のメディナテンプルにワープする。このような超ハイファイサウンドで「牧神」を聴くと、20年後にパリの聴衆を騒然とさせたストラヴィンスキーの「春の祭典」は、冒頭のフルートこそファゴットに置き換えられてはいるが、この「牧神」を下敷きに作曲されたことを確信させられる。「海」も「ボレロ」も数多ある同曲録音の最高峰に位置する偉大な録音である。ショルティ&シカゴの演奏は恐ろしく精密なアーティキュレーションによりスコアに書かれた全ての音符の再現を試みているが、その結果これらの有名なフランス音楽が、フランスのオケによる定番の名演よりフランス的に聴こえてくるから不思議だ。SACDもこのような70年代のアナログ円熟期の超優秀録音でこそその本領を発揮できると考えるので、ユニバーサル社には是非ともマゼールの「ローマの祭・松」、メータの「トゥーランドット」、ショルティの「春の祭典」「幻想」「千人」といったウィルキンソン録音の最高傑作をシリーズに加えることで、オーディオファイルの長年の渇きを癒してほしいものだ。

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年09月01日

    フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、そしてラヴェルのボレロがおさめられているが、本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くおすすめできない演奏であると言える。本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美。正に、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えていると言えるだろう。このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。本演奏におけるショルティのアプローチは、例によって強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。このような演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないと言えるが、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーや、管弦楽法の大家とも称されたラヴェルが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないかと考えられるところだ。そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、私としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつあると言える。これには、我が国の音楽評論家、とりわけ前述のとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ないと言える。いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、とりわけ牧神の午後への前奏曲における類稀なるフルートソロが鮮明に再現されていることや、ボレロにおける各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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