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ブルックナー (1824-1896)

CD 交響曲第5番 チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(1986年サントリーホール)(2CD)

交響曲第5番 チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(1986年サントリーホール)(2CD)

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  • ★★★★★ 

    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2014年07月29日

     「音を出す」というより「音が生まれる」ような印象を受ける演奏と録音。急がず焦らずじっくりとブルックナーの楽堂が築かれていく。時間的な威容はいつものことだが、ここでのチェリビダッケはできたばかりのサントリーホールに音を染み込ませようとするかのようなテンポで静かに進めていく。音の輪郭はくっきりしている印象はない。スーッと音が湧き出てきて響きが余韻として残されていく。    特に大好きな第2楽章の敬虔な祈りの感情の表出は目をつぶってその中に浸れる喜びがある。  他にも堂々とした歩みの第1楽章、勇猛な第3楽章、堂々たる伽藍を思わせる第4楽章もこれ以上ないくらい立派。   ヴァントのようなキリッとした演奏とは違う。でもどちらも素晴らしい演奏なことでは同じ。  あと個人的にはEMIからでたブルックナー・チクルスの演奏よりこちらの方が好き。緊張感が全体に漂い、しかもそれが良い方向に活きているのでは1986年の日本公演盤の方だと思う。 これだけ質の高い演奏が日本で残されたことに感謝したい演奏だと思う。

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  • ★★★★★ 

    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  2013年10月16日

    冒頭のピチカートの深々とした響きからして、格が違う。続く弦楽器のシルキーな質感、あたかも霧の中から浮かび上がるような、透明感極まりない響き。管楽器にも威圧感がなく、まるで天啓の如く鳴り響く。全合奏でも音がダマにならず、サントリーホールの中めいっぱいに拡散していくのが分かる。単に音ならず、音と音の重なりによって醸される響き、なかんずく、その響きを作り出す会場の空気感をも感じ取れる。サントリーホールは数多の楽団が来日し、日本でもN響が定期公演を開いているが、このような幽玄なる響きを創れるのはチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルしかいない。加えて、当時の録音陳およびALTUSの復刻技師の技術力の高さがものをいう。チェリビダッケ特有の、ミクロまでこだわる音作りの一つ一つまで捉えつつ、総体として大きな音楽曼荼羅を形成していく。チェリビダッケは禅仏教に精通していたというが、音の運びが座禅を組んだときの丹田呼吸のように深い。その深々とした呼吸が、奇しくもブルックナーの音楽観と一致し、クライマックスに神秘性をもたらしているのではないかとさえ思える。特に、間の取り方に、空観を感じさせるのだ。加えて、「終わりの中に始まりがある」という言葉も、「色即是空、空即是色」の世界観に通じる。西洋人のチェリビダッケが、東洋の思想を、西洋の音楽で表現してみせた。凄い。

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  • ★★★★★ 

    和尚  |  群馬県  |  不明  |  2013年01月17日

    あらゆる音が、一つの哲学によって鳴り響く希有の演奏。指揮者の意志がすべての音を支配する。このCDが発売されるまでは、会場で聴いたこの演奏はEMI盤より速かったと信じていた。遅さを感じさせない充実した内容、論理性があった。このテンポでなければ表現できないという圧倒的な説得力。最後尾のプルトまで見事に統一されたボウイングによって、全身全霊で弾ききっていた弦楽器奏者。集中・没入しきり、演奏終了後拍手が起こっても、我に返らず立ちつくす指揮者。25年前の客席での感動が甦る。

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  • ★★★★★ 

    masato  |  新潟県  |  不明  |  2013年01月11日

     多くの方がおっしゃられているように、「ブルックナーを聴いた」という感じにはなれないんだろうなと思います。私は「チェリビダッケのブルックナーはブルックナーじゃない」とか「カラヤンのマーラーはマーラーじゃない」という感じ方はあまり好きではありません。作曲家が残した楽譜から、指揮者が何を読み取り、どう表現しようと思い、それにオケがどう反応し、どのような音楽を鳴らしているか…そして、何より「自分が感動したか、感銘を受けたか」が最重要であると思っているので、ここに聴けるブッルクナー(チェリビダッケが感じ、解釈し、オケが演じたブルックナー)を最高レベルのものと感じています。  そもそも時間の流れ方が他の指揮者と違うのでしょう。渋谷駅前とモンゴルの大平原では時間の流れ方が違うように。確かに「遅い!」…でも、私にはその遅さが無駄に感じられないのです。驚くほど慎重に、驚くほど想いを込めて、音を鳴らしているように感じます。そして、音符の数と同じだけある(厳密に言えば1つ少ないですが)音符と音符の間にも意味があるんだ、と我々に伝えようとしているかのようにも感じます。この“音(音符)”と“間(空白)”の作り出す美の世界…私には抗することはできません。  ここまでは、4、6、7、8番を収めたSACDのセットへのレビューと殆ど同じです。そのセットには収められていないこの5番ですが、上記セットの4曲同様、私にとっては素晴らしい5番でした。私にはヨッフム&コンセルトヘボウ管(1986)という絶対的な5番が存在するのですが、それとはまた違った素晴らしさをもった5番を経験させてくれます。そして、何よりこちらはLive in Japan! 聴いていて、ある種の“ナショナリズム”が高揚してきてしまうのは致し方ないところ。  「これはブルックナーではない」という意見の方がもしかしたら多いのかもしれません…が、これは間違いなく、紛れもなく、美しく感動的な“音楽”です。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年11月03日

    生前は原則として一切の録音を拒否し、幻の指揮者と言われていたチェリビダッケであるが、没後、相当数の録音が発売されることになり、その独特の芸風が多くのクラシック音楽ファンにも知られることになった。数年前にブルックナーの交響曲第8番とともに、本盤におさめられた交響曲第5番の来日時(1986年)のコンサートのライヴ録音のCD化が行われたのは記憶に新しいところである。今般、ついに、そのライヴ録音CDが、第8番とともに、シングルレイヤーによるSACD化が図られることになったのは、チェリビダッケの芸術を更に広く知らしめる意味においても、極めて意義の大きいことと言わざるを得ない。チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであったと言える。チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追及しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、正に音のドラマ。これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、それはブルックナーの交響曲についても言えるところだ。EMIから発売されているブルックナーの交響曲集についても、第3番や第6番は素晴らしい名演であったが、第5番や第8番については、超スローテンポによる演奏で、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。ところが、1986年の来日時の演奏である本盤におさめられた第5番、そして同時発売の第8番については、アプローチとしては基本的に変わりがないものの、チェリビダッケが愛した日本での公演であること、当日の聴衆の熱気、そして何よりも極上の高音質録音によって、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることなどが相まって、スローテンポであってもいささかも間延びがしない充実した音楽になっているのではないかと思われるところだ。確かに、この演奏をブルックナーの交響曲演奏の理想像と評価するには躊躇するが、いわゆる音のドラマとしては究極のものと言えるところであり、良くも悪くもチェリビダッケの指揮芸術の全てが如実にあらわれた演奏と言うことができるだろう。いずれにしても、聴き手によって好き嫌いが明確に分かれる演奏であり、前述のように、ブルックナーらしさという意味では疑問符が付くが、少なくともEMIに録音された演奏よりは格段に優れており、私としては、チェリビダッケの指揮芸術の全てがあらわれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、前述のように、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、シングルレイヤーによるSACD化によって、音質が更に鮮明になり、なおかつサントリーホールの残響の豊かさが活かされた臨場感溢れる音質であることも一躍買っていることを忘れてはならない。

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  • ★★☆☆☆ 

    endless odyssey  |  大阪府  |  不明  |  2011年07月17日

     テンポを極端に落とす事によって、確かに音一つ一つの美しい響きを聴かせてくれます(特に1,2楽章)。しかし、音楽の重要な要素のひとつであるリズムが感じられません。元々5番自体がテンポの良いリズムや印象深いメロディで作曲されているわけではありませんので、余計停滞感があります。  チェリビダッケのファンの方々には申し訳ありませんが、私には少々きつい演奏でした。

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  • ★★★★★ 

    飴善 祥匠  |  東京都  |  不明  |  2011年01月01日

     今頃になってヤット聴きました。チェリ初体験、サントリーホール初体験で当日連なっておりました。このCDは20数年隔てて、当日の空間をありありと思い出させてくれました。よく憶えているのは、1楽章のピチカートの初音が出るまで、ホールが息もつかえるほど静寂だったことと、1楽章が終わったところで、マエストロが何か確かめるように聴衆の方を向いたことです。コンサートというより何か音による時空体験のようでした。当夜の時間の流れと20数年の時の流れの両方をしみじみと味わい、また一つ掛けがえのない財産が増えた思いです。感謝感謝。

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  • ★★★★★ 

    fukifuki  |  茨城県  |  不明  |  2010年01月01日

    イヤー、安いとき買ってよかった。ラッキーとしか言いようがない。値段だけではない。演奏内容もすばらしくラッキー。今までは、コンヴィチュニー ゲヴァントハウス盤がお気に入りでしたが、この盤に取って代わってしまった。超最晩年に到る前の録音だけに、ただ遅く細部を丁寧に表現しているだけではない。力強さ推進力も感じられる。すでにレビューもかなりの数に上っており、賛否両論あるが私はこれでいいと思う。ほかに、ヴァント、朝比奈、ヨッフム....聴けばいいのですから。録音も半ば隠し録り(失礼)の割にはすばらしく、金管もうるさくなく、どっしりと低音も響いている。大きな不満なし。ブラ4といい、ブル5といい実体験した人は一生の宝ですね。うらやましい。

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  • ★★★☆☆ 

    fossil  |  東京都  |  不明  |  2009年12月31日

    こんな演奏は他に決して無く、また誰にも真似することは出来ないと断言したい。これほど緻密にただの一音も逃さず制御するならばこのテンポにも誠に納得がいく。いやむしろこれ以外にはありえないだろう。唯一無二の演奏、その価値は揺るぎない。後は聴く人が共感できるかどうかだけ。わたしは選ばれた人間ではないようだから。(星は1つか5つか悩んだ末)

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  • ★★★★☆ 

    森林浴  |  京都府  |  不明  |  2009年11月01日

    この5番といい、展覧会の絵といい、終曲の最後の一音の扱いが、この指揮者に限って、録音毎に変わる。展覧会などは、ベルリンフィルハーモニーでのMPOの遠征時のものと、ガスタイグでのEMI録音、LSO来日公演などでは彼のホール残響へ適応のせいか、全く別物。5番もSROの旧録音、ガスタイグでのEMI,そしてこの東京公演と、変貌する。個人的には、この東京公演の終音はアタッカがもう少し欲しかった。チェリビダッケらしい最後の一音で総崩れ。逆に朝比奈は、最後の一音で納得させる。

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  • ★★★★★ 

    イリビタッテ  |  東京都  |  不明  |  2009年10月27日

    第三楽章のチェリビダッケのかけ声をただの雑音としか感じられない人は決して購入すべきではないと思います。なお、先にブラームス4番がしばらく同様に税込み1,050円という廉価で販売されていましたが、再び従来の値段に戻されています。一回限りの再生されることのない演奏会であるからこそ、この上ない慈しみをもって演奏された音楽を、無断で録音し、それをまた聴いて楽しもうとは、はなはだ人の真心と幸せを盗み聴きしているようで誠に申し訳ない気はするのですが、やはり世に出し共有されるべき貴重な録音記録です。

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  • ★★★★★ 

    okm  |  大阪府  |  不明  |  2009年09月22日

    心より、恐れ入りました。

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  • ★★★★★ 

    良い演奏  |  兵庫県  |  不明  |  2009年09月14日

    まったく長さを感じさせないすばらしい演奏です。一音一音丁寧に綴られていく音楽がただただ美しい。フィナーレの金管のコラールのロマンチックさはこれまでマタチッチの最後の録音が最高だったが、全体の完成度を含めこの演奏が一番すばらしい。

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  • ★★★☆☆ 

    とかげのおっさん  |  TOGO  |  不明  |  2009年09月13日

    確かに響きは美しく、各パートのバランスに非常に気を使っているのがわかるチェリらしいもので、ホールで聞いたなら感動するのかもしれないが、CDで聞く限り期待した程の感動はなかった。とりわけ、終楽章のフィナーレに至っても金管が力をセーブしてしまっているのは物足りず、五番を聞き終わった感じがしない。もちろん好みの問題だが、私には力を出し切って派手に終わる演奏のほうが好感がもてる。

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  • ★★★★★ 

    OTTO  |  不明  |  2009年09月09日

    チェリビダッケのブルックナーはAUDIORの8番が最高と思いますが、5番ではこの盤が一番気に入りました。特に2楽章が素晴らしく、主題を歌わせるときの絶妙な間のとり方から始まり、充実した時間が流れていきます。

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