歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」(1989年、ミラノ・スカラ座) フレーニ/ドヴォルスキー/ガヴァッツェーニ/ミラノ・スカラ座管&合
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烏 | 広島県 | 不明 | 2009年11月11日
歌手(特に女声歌手)にとって、技量の頂点と容姿のそれとが一致しないのは、ある意味では宿命的な不幸である。しかしまた見方をかえれば、そうした歌手の成長を見守る聴衆がいるならば、そのことは歌手生命をより伸ばすことにもなるだろう。この時期のフレーニは、まさしく大歌手と言っていい時期なのだろうが、あのフレーニがという思い入れを込めて見る(聴く)のと、そうでないのとでは受ける印象や評価も変わりそうだ。また、現代のオペラは演出の時代だと言われるが、ここでのそれ(プッジェッリ)は、やや前時代的なものだ。すなわち、演技はすべからく歌に従属しているのだ。フレーニにしてもそうだが、とりわけコッソットの歌い方や演技にそれが顕著である。スカラ座の舞台は絢爛豪華。また、音質や画質はまずまずといったところだ。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 2009年09月16日
もちろんLDも持っているけど、最近あまり稼働しないLDプレーヤーのご機嫌の悪さに音を上げていたところなので、待望の日本語字幕付きDVD化。2000年収録のデッシー、ボロディナ組と基本的に同じ演出、指揮も大差ないので主演歌手二人の勝負になる。特にフレーニとデッシーを比べると、歌唱スタイル、演技の質そのものが11年の間に大きく変わったことが分かる。後は好みの問題だが、この役に関しては、やはりフレーニに軍配。「哀れな花」などド演歌の世界だが、これをクサイと思う人は、そもそもこのオペラには近づかない方が良い。イタリア人の間に入るとドヴォルスキーは発声自体、異質に感じるし、最新の録画に比べれば音、絵ともに遜色を感じるが、いずれもまだ致命的な欠点ではない。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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