フェルナンド・ペソア

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不安の書

フェルナンド・ペソア

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784779126048
ISBN 10 : 4779126045
フォーマット
出版社
発行年月
2019年08月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
686p;20

内容詳細

ポルトガルの詩人、ペソア最大の傑作『不安の書』の完訳。
装いも新たに、待望の復刊!

旧版の新思索社版(初版2007年、第3刷2012年)より断章6篇、
巻末に「断章集」を増補。

生前は文壇の一部を除いて、
無名の存在であったフェルナンド・ペソア(1888–1935)。

没後、大型の収納箱に残された膨大なテクストにより、
20世紀前半のヨーロッパを代表する詩人・作家となる。

本書『不安の書』は、ペソアが長年にわたり構想を練り、
書きためた多くの断章的なテクストからなる
虚構上の著者、帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの魂の書である。

著者プロフィール

フェルナンド・ペソア(フェルナンドペソア)

Fernando Pessoa (1888-1935)
20世紀前半のヨーロッパを代表するポルトガルの詩人・作家。
本名のフェルナンド・ペソアだけでなく
別人格の異名カエイロ、レイス、カンポスなどでも創作をおこなった。
邦訳に上記4名の詩選『ポルトガルの海』(彩流社、1985年/増補版1997年)、
『アナーキストの銀行家 フェルナンド・ペソア短編集』(彩流社、2019年)ほか。
散文集『不安の書』は、ペソア自身に近い男ソアレスの魂の書。

高橋 都彦(タカハシ クニヒコ)

たかはし・くにひこ
拓殖大学名誉教授。
【著書】
『ブラジルポルトガル語の基 礎』(白水社、2009年)、
『現代ポルトガル語辞典 3訂版』(共編、白水社、2014年)ほか。
【訳書】
ジョルジ・アマード
『老練な船乗りたち──バイーアの波止場の二つの物語』(水声社、2017年)、
ジョアン・ギマランイス・ホーザ『最初の物語』(水声社、2018年)ほか。

目次

紹介者フェルナンド・ペソアの序
第1部 ベルナルド・ソアレスの序論(断章)
第2部 告白
  1 生前ペソアにより刊行されたか、あるいは
    そのために準備されたテクスト
  2 予め準備されたのではないが
    年代順に配置されたテクスト
  3 日付のないテクスト
第3部 題名のある文学的なテクスト
  1 生前に詩人の発表したもの
  2 年代順のもの
  3 日付のないもの
【増補】
  結婚に失敗した女性への助言(1)
  結婚に失敗した女性への助言(2)
  結婚に失敗した女性たちへの助言(3)
  効果的に夢見る方法(1)
  効果的に夢見る方法(3)
  形而上学に従って効果的に夢見る方法

フェルナンド・ペソアと『不安の書』(高橋都彦)
訳者あとがき

断章集
関連書


【著者紹介】
フェルナンド・ペソア : 1888‐1935。ポルトガルの首都リスボン生まれ。5歳にして父を失い、母が南アフリカ共和国のダーバン駐在の領事と再婚し、義父の任地に向かう。10年近くイギリス系の教育を受け、英文学に親しむ。1905年、リスボンに戻り、実の父の祖母の家で暮らし始め、これ以降この町を離れることもまれ。大学も退学し、貿易会社で英文、仏文のビジネスレター作成の仕事で生計を立てながら、ポルトガル文学、特に古典詩人の作品に傾倒し、自らもヨーロッパの前衛的文学運動に同調した新しいポルトガルモダニズム運動を牽引した。1914年に、本名のペソアだけでなく、それぞれ互いに異なる文学傾向をもつ異名者カエイロ、レイス、カンポスの名前のもとに詩作をおこない始める。しかし、広く世の中に知られるようになるのは死後のことだった

高橋都彦 : 拓殖大学名誉教授。1943年東京生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。ポルトガル語学・ポルトガル語文学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 踊る猫 さん

    会社勤めの平凡な日々の中に、思索は静かに溢れ出す。先鋭的な知性が日々の中で感じた「不安」が、断章形式となって結実する。私自身「不安」を感じて読んでしまったからか――むろん、ペソアほどの詩才はないのだけれど――心に沁みる読書となった。答えが書かれているわけではない。読んでいても私の「不安」は癒やされない。だが、その「不安」がこうして結実することは決して無意味なことではない。こんな大著を生み出すほどの「不安」を抱えて生きることは徒労だっただろう。生きづらさがしかし無為/無意味なものではない。その事実に救われる

  • 踊る猫 さん

    実を言うと何も読みたくない時が続き、これから先どんな人生が待ち受けているのか、と考え込んでしまっていた。そんな時に読んだのだけれど、ペソアが描く世界は実にモノクロームの映画のような堅牢に作り上げられた美学に裏打ちされており、こちらの陰鬱さを慰撫する働きがある。ペソアの苦悩や倦怠は私たちにもありふれたものであり(反出生主義?)、ゆえに私たちは偉大な先人としてペソアを読むことができる。彼は今に生きていてもきっとアルファとしてブログや詩を書き残し、私たちを震撼させたに違いない。早すぎた「つぶやき」文学を堪能した

  • 踊る猫 さん

    実にメロウでメランコリックな本だ。ここに記されている事柄を事務的に綴れば、ある堅実な生活を過ごす(?)勤め人の内省と観察、あるいは省察を綴ったものとなるだろう。1人の人間の内側にここまで豊かな思念が詰まっていることに唸らされ、そして彼が見る外側の世界が一見すると退屈な日常であるようで、しかし同時に豊満なディテールを備えた(悪く言えばペソアの陰鬱な世界観をそのまま投影した)ものであることも痛ましく感じさせられる。いつも思うのだけれど、この「つぶやき」は今のブロガーの共感を誘うのではないか。読むことを薦めたい

  • 踊る猫 さん

    読み直す。今ならブログなどで吐露されるのであろう生きづらさ、倦怠感がしかしここでは高度な思索の結晶として形作られている。自分を見つめ直し、苦しみと誠実に対峙する姿勢はこんなにも大きな書物を生み出した。個人ブログで自分語りをする人は、いっそペソアに倣ってとことんまで自分に溺れてみてはどうだろう。それは(もちろん皮肉ではなく)きっと有益ななにかを生み出すはずだ。今なお、いやこれから、きっと読まれるだろう本だと思う。二度目の読書となったが断章はまろやかな読後感を残し、訳文の上品さも相俟って素晴らしいものとなった

  • 踊る猫 さん

    どこにも連れて行ってくれない本だ。ペソアにとってこの作業は日記だったのだろうか。読めば読むほど、過剰な思索と詩才に彩られていながら実は日常の倦怠感を描写した独特の世界に陶然としてしまう。読んでいて決して心が晴れるというか、胸がすく感覚は感じない。どこまでも憂鬱に溺れて虚しく時間を浪費しているだけのように思われ、その悲しみに浸るという行為自体が心地よく癖になる。この自家中毒のような時間もまた読書の醍醐味、なのかもしれないのだが……ペソアを読むことはカフカや古井由吉と読むこととその意味では繋がるのかもしれない

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フェルナンド・ペソア

1888‐1935。ポルトガルの首都リスボン生まれ。5歳にして父を失い、母が南アフリカ共和国のダーバン駐在の領事と再婚し、義父の任地に向かう。10年近くイギリス系の教育を受け、英文学に親しむ。1905年、リスボンに戻り、実の父の祖母の家で暮らし始め、これ以降この町を離れることもまれ。大学も退学し、貿

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