津田梅子 科学への道、大学の夢

古川安

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784130230780
ISBN 10 : 4130230786
フォーマット
出版社
発行年月
2022年01月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
古川安 ,  
追加情報
:
198p;20

内容詳細

津田梅子は優れた生物学研究者だった!帰国後なぜ生物学者への道を歩まなかったのか、歩めなかったのか。科学とジェンダーという切り口で描く新しい梅子像。

目次 : 第1章 アメリカに渡った少女(津田仙と農学/ 少女たちのアメリカ ほか)/ 第2章 ブリンマー大学と生物学(ブリンマー大学の生物学科/ ブリンマーの梅子)/ 第3章 生物学者への道(ウッズホールの夏/ モーガンとの研究 ほか)/ 第4章 英学塾の裏側で(女子高等教育不要論/ 熱血童女 ほか)/ 第5章 塾から大学へ(星野あいとブリンマー留学/ 戦時下の理科創設 ほか)

【著者紹介】
古川安 : 1948年静岡県に生まれ、神奈川県で育つ。1971年東京工業大学工学部卒業。同年帝人株式会社。1983年米国オクラホマ大学大学院Ph.D.(科学史)取得。1985年横浜商科大学商学部助教授。1991年東京電機大学工学部教授。2004年日本大学生物資源科学部教授などを経て現在、総合研究大学院大学客員研究員。科学史家、化学史学会前会長、英国化学史学会モリス賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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  • 壱萬弐仟縁 さん

    黒田清隆は就学児童にとっての母親の家庭における影響を重視し、賢母養成のための女子教育・家庭教育の重要性を訴えた。ヴィクトリア時代のアメリカの家庭観を反映。森有礼初め、明治の啓蒙家が共有していたという(16−17頁)。新5千円札肖像になる予定だが、円という通貨単位が2年後、続いているか? 私は疑っていて、日銀の看板も変わるか? などと予想している。近代化日本のジェンダー平等、今のSDGs令和日本でも男女共同参画のあり方が問われ続けている気がしてならない。長野県知事選では女性候補が居ない。不満である。

  • さくら咲く さん

    伝記のつもりで手に取ってみたが「学術書」であった。津田梅子ばかりで無くそれを囲む人々の学問への道筋、主に留学の経緯などこと細やかに著されている。梅子が立ち上げた女子英学塾が津田塾大学に至るまでの歩み、同時期に専門学校から女子大へまたは共学大学へと進む他校の変遷など興味深かった。また女子英学塾時代の生徒にはその後、名を馳せる人物もおり何名かの名前が目に止まった。膨大な資料を元に記された現代日本の女子教育の礎を作った人々の記録。感服です。

  • Ryoichi Ito さん

    1871年五人の少女が岩倉使節団とともに米国に向かった。五人の少女のうちの一人が津田梅子(七歳)だった。梅子は米国で小学校,私立女学校を卒業し,1882年に帰国した。華族女学校で教えた後,1889年7月に再び渡米,ブリンマー大学に入学し,生物学を専攻した。三年次にはトーマス・モーガンの指導の下にカエルの発生に関する研究を行った。1894年の論文は日本人女性として外国の学術誌に載った最初の自然科学論文だ。なぜ彼女が科学者の道を諦め,女子教育に生涯を捧げたかが本書のテーマだ。多くの人にぜひ読んでほしい。

  • きょん さん

    卒業して10年以上経ったいま読むと、入学前や在学中に読んでもっとしっかり学びたかった、と思うけど、きっとその頃に出会っていても読まなかったのだ。生物学への好奇心と女子教育への使命感に、胸が熱くなって、わたしもまた学びたくなった。

  • takao さん

    ふむ

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古川安

1948年静岡県に生まれ、神奈川県で育つ。1971年東京工業大学工学部卒業。同年帝人株式会社。1983年米国オクラホマ大学大学院Ph.D.(科学史)取得。1985年横浜商科大学商学部助教授。1991年東京電機大学工学部教授。2004年日本大学生物資源科学部教授などを経て現在、総合研究大学院大学客員研

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