個人と国家 今なぜ立憲主義か 集英社新書

樋口陽一

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784087200676
ISBN 10 : 4087200671
フォーマット
出版社
発行年月
2000年11月
日本
追加情報
:
18cm,230p

内容詳細

個人とは、自由とは、国家とは、そして、個人にとって憲法のもつ意味とは。根源的な問いに答えつつ、欧米で再認識されてきている立憲主義の重要性を説く。

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読書メーターレビュー

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  • megumiahuru さん

    選挙で勝てば何でもありという言説がまかり通る今日、「民主主義」が必ずしも人権を守らないのだということを痛感しています。 憲法とは、弱者や少数者でも、人間が人間として、個人が個人として大切にされるという「人権」の最後の砦なのですね。本来は国民が国家を縛るためにある憲法を、国家が国民を縛る法に変えようとしている昨今の動きは、人類の遺産である「立憲主義」を破壊するものであるということが、よく分かりました。「今なぜ立憲主義か」−憲法という命綱を自ら手放す愚を犯してはならないと思わされました。

  • katoyann さん

    立憲主義の基本的コンセプトやその歴史について分かりやすく説いた憲法学者の本。立憲主義とは「権力に勝手なことをさせない」(84頁)という説明が分かりやすい。近代社会の人権享有主体は個人であり、個人の権利を保障するのが国家の義務である。逆に言えば、個人の権利を国家が侵害することがないように国家権力を拘束するのが立憲主義であり、憲法の価値観である。フランス、アメリカ、ドイツの例を取り、基本的にどの社会も憲法の核となる部分には手を入れていないという。改憲議論がいかに杜撰であるかを知る意味でも読む価値がある。

  • coolflat さん

    立憲主義とは。具体的には違憲審査制度の事であり、米国が発祥だという。違憲審査制が米国以外に広がるのは、戦後を通して、いずれも独裁制が否定された場所だというのは興味深い。敗戦直後の西ドイツ、イタリア。70年代のスペイン、ポルトガル。冷戦終結後の東欧諸国。韓国でも民主化へ移行する過程で憲法裁判所が作られた。民主主義だけだと、民主の名における独裁になっていく危険性がある。だから民主よりも立憲主義、裁判所による違憲審査が不可欠だという事だ。翻って戦後日本は。日本に憲法裁判所はない。日本に立憲主義は根付いていない。

  • giant_nobita さん

    イギリスやアメリカ、フランス、ドイツの憲法もまた(イギリスは成文憲法ではないが)、その生い立ちに恥ずかしさや後ろめたさがあるという指摘は、加藤典洋の日本国憲法に関する議論への応答として読んで興味深かった。他国の憲法の成立史と比較する視点のない加藤よりは樋口のほうが「アメリカの『正義の戦争』によって『戦争に正義はない』という9条の理念がもたらされた」という日本国憲法の屈折について本質的なものを掴んでいるように思う。

  • ちあき さん

    戦後の憲法学をリードした碩学が、現代日本のねじれた政治状況を立憲主義という立場から再考察する一冊。新聞はそこそこ読んでる、将来は法学部もいいかなと思ってる、でも公民の授業がつまらない――そんな高校生は参考書を手にとるんじゃなく、まずこれを読むべし。「憲法を通して近現代史が学べる講演録」でもあり、事実の連関が意味するものをみごとに解説してくれている。実際読めば現代史の見通しが圧倒的によくなるから(「4つの89年」というとらえ方など眼からウロコ)、世界史選択の諸君や歴史が苦手な大人にもおすすめ。

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