CD

モノドラマ『大鴉』 シャルロッテ・ヘレカント、川瀬賢太郎&アンサンブル・ルシリン(日本語解説付)

細川俊夫 (1955-)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
NYCC27298
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明

細川俊夫:『大鴉』
シャルロッテ・ヘレカント(メゾ・ソプラノ、朗読)
川瀬賢太郎&ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリン

日本語解説付き

エドガー・アラン・ポー[1809-1849]の「大鴉(THE RAVEN)」は、1845年に「イヴニング・ミラー」紙に掲載され、瞬く間に人気を博した作品です。恋人を失って嘆き悲しむ主人公の元に、人間の言葉を操る「大鴉」がやってきては彼の心をかき乱し、その謎めいた言葉はやがて主人公を狂気の淵へと追いやるというものですが、全編を貫く高貴な様式と文学性、そしてあらゆるところに散見される古典への比喩など、多くの点で人々の心を捉えて離さない魅惑的な物語詩なのです。
 日本が誇る作曲家である細川俊夫氏も、そんな「大鴉」に魅入られた一人であり、彼はこの不可思議な物語から、日本古来の伝統芸能である「能」の世界観を見出し、これらを融合することで新たな宇宙を創り上げています。物語を進行していくメゾ・ソプラノのシャルロッテ・ヘレカントによる表現豊かな歌唱と語り、それを彩るルクセンブルクの名アンサンブル「ルシリン」の精緻なアンサンブル。恐怖の中に点滅する甘美な余韻までが見事に捉えられた、緊迫の音楽劇です。(Naxos Japan)

【収録情報】
● エドガー・アラン・ポー作:「大鴉」朗読
● 細川俊夫:大鴉〜メゾ・ソプラノと12人の奏者のためのモノドラマ


 シャルロッテ・ヘレカント(メゾ・ソプラノ、朗読)
 ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリン
 川瀬賢太郎(指揮)

 録音時期:2014年10月29,31日
 録音場所:広島県、アステール・プラザ
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


【『大鴉について』 細川俊夫】
「日本の伝統的な物語のなかで、動物や植物が、人間と交流を持ち、人間と会話をするような物語はよくあることである。アニミズムの伝統の深いアジアでは、西洋のように、人間と動植物が、はっきりした境界線を持つことなく共存している。エドガー・アラン・ポーの「大鴉」のテクストを知ったとき、私は日本の能の劇作品を思い浮かべた。能は人間中心主義ではない。その主人公は、動物や植物であったり、またすでにこの世にいない霊であったりする。
 ポーの作品は、近代人の理性的世界に守られた存在に、不気味な動物「鴉」が侵入して、その理性的秩序の世界が、崩壊する過程が描かれている。私は、この作品を一遍の能ドラマとしてとらえ、それを一人のメゾソプラノとアンサンブルによるモノドラマで表現しようとした。本来は男性が主人公のこの「大鴉」を、女性によって語らせ、歌うようにしたのも、能では、役が女性の場合であっても、男性がそれを演じるのと逆の関係にしたのである。
 このポーの主人公は、嵐の夜、一人で回想にふけっている。ここに起こるドラマはすべて、彼の心の中で起こる想像であり、夢、幻かもしれない。(能では、ドラマはほとんど夢のなかの出来事である。)主人公は、亡くなった愛する恋人レノーアの追想にふけっている。
その時に現れるのが、大鴉である。そうするとこの鴉は、レノーアの亡霊かもしれない。「Never more」としかしゃべらない、不気味な霊としての鴉。その霊との交感、会話がこのポーの作品である。
 私の音楽で、女性が中心となる作品の多くは、その女性を冥界とつながろうとするシャーマンととらえている。この私の「The Raven」での、メゾソプラノも、鴉の不気味な自然の力に、理性を崩壊させる近代人であると同時に、冥界、人間の不可思議な世界との交感をしようとするシャーマンでもある。その場合、死んだ恋人、レノーアは主人公の声に乗り移って、歌い語り、発狂するのだろうか。
 人間の理性の世界と、その理性では捉えることのできない狂気の世界、理解できない自然の沈黙との関わり。このように私はポーを読み解くことにより、この作曲を行った。
 この作品を、私のオペラ『松風』において、村雨役を歌ったCharlotte Hellekantとルシリン・アンサンブルにささげる。」(Naxos Japan)

【ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリン(アンサンブル・ルシリン)】
ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリンは1999年、西欧の中心部に位置し、欧州文化が高度に集約されるルクセンブルク大公国で現代音楽の創造と推進を目的とするアンサンブルとして、有志の音楽家により結成された。弦楽四重奏にピアノ、打楽器のアンサンブルを基本に、楽曲によって管楽器を加えるフレキシブルな楽器編成を採っている。本拠地ルクセンブルクを中心に世界各国への客演を含めで年に20回から30回のコンサートを行っている。その演奏は、知的要素、精神性、視覚などを複合した、独特な表現で高い評価を勝ち得ている。また、ルシリンは演奏活動のみにとどまらず、演奏家、作曲家、舞台芸術家の集う創造の場として、新ウィーン楽派から新世代のアメリカのミニマリスト音楽、即興演奏や電子音楽など、現代の音楽創造の広い分野をカヴァーしている。 これまで楽曲を委嘱し初演した作曲家は、ルカ・フランチェスコーニ、ドンチャ・デヒニー、ジャン=リュク・ファフシャン、マルセル・ロイター、ミヒャエル・リースナー、ヤン・マレシュ、マルタン・マタロン、クラウス=シュテッフェン・マーンコプフ、細川俊夫と多士済々である。(Naxos Japan)

内容詳細

ポーの詩『大鴉』の不気味でこの世ならぬ幻想世界を能の趣と見立て、女声とアンサンブルによるモノドラマとしたという大作。細川独特の、時をためて情念をゆっくりと動かしていく重い響きが、原詩の狂気に向けて募りゆく精神のざわめきを騒がず映し出していく。例えれば能『隅田川』の物狂い。濃密だ。(中)(CDジャーナル データベースより)

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 2018年2月、新国立劇場での「松風」にも...

投稿日:2018/05/03 (木)

 2018年2月、新国立劇場での「松風」にも村雨役で熱演していたS.ヘレカントのすばらしい歌唱が光るモノドラマ。テキスト(邦訳をネットで探して参照しながらですが… )が深遠で、だからこそ音による表現が多様に行えるのか音楽の重力が大きい。実際に舞台作品として上演したのかはわからないが、面白い演目になるのではないだろうか。松風のように能をベースにしても物語が活きてきそうだ。むしろ実際の能舞台の上で上演するとこれはかなり刺激的で重層的な作品になるような気がする。能舞台の橋掛かりがかなり重要なスペースとして使われそうな演出が望ましいと思う。少なくとも当盤を聴けばその手の想像が各々に働くのではないだろうか。   朗読が最初のトラックに入っているのでそこでじっくり「予習」して音楽に臨むこともできるのはうれしいところ。   文章で追うだけだと只の文学になる所に、細川俊夫の音を入れることで現実と夢幻が徐々に入り混じって自分が果たして「現実」にいるのか「夢幻」に来てしまったのか、解らなくなる様なドラマが展開されていく。大鴉とは、本当に家の扉の外から来たのか、それとも心の中の扉に潜んでいたものなのか…それを考えていくのは、これを聴いてもらい各々が感じてもらえれば。と思う。

うーつん さん | 東京都 | 不明

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