NHK交響楽団85周年
年末第9の真打ち企画
前代未聞! 豪華装丁! 高音質!
NHK交響楽団第9大集成!
第1弾は1970年代クロニクル
定期的に第9の録音がこれほどまでに残されているオーケストラは世界的にみてもNHK交響楽団くらいと思われます。しかも、その指揮者陣は今から思えば大変な水準でありました。当企画によって第9の奥深さ演奏芸術の面白さに新たに開眼させられることうけあいです。音質も万全です。新たにオリジナル・アナログテープをNHK職員立ち合いのもと、ビクター・スタジオにてトランスファーののちXRCD化しています。また、2012年末には第2弾の80年代クロニクルが発売予定です。(キングインターナショナル)
Disc |
年 |
指揮者 |
ソプラノ |
アルト |
テノール |
バリトン |
コーラス |
録音日 |
Disc1 |
1973 |
サヴァリッシュ |
A.トモワ・シントウ |
荒道子 |
H.ウィンクラー |
R.ヘルマン |
東京芸大 |
1973.6.27 |
Disc2 |
1973 |
マタチッチ |
中沢桂 |
春日成子 |
丹羽勝海 |
岡村喬生 |
国立音大 |
1973.12.19 |
Disc3 |
1974 |
スイトナー |
河原洋子 |
伊原直子 |
田口興輔 |
岡村喬生 |
国立音大 |
1974.12.22 |
Disc4 |
1975 |
マタチッチ |
松本美和子 |
春日成子 |
W.ウー |
木村俊光 |
国立音大 |
1975.12.17 |
Disc5 |
1976 |
ライトナー |
E.ジェポルトヴァー |
V.ソウクポヴァー |
V.プジビル |
K.ベルマン |
国立音大 |
1976.12.22 |
Disc6 |
1977 |
シュタイン |
中沢桂 |
伊原直子 |
田口興輔 |
木村俊光 |
国立音大 |
1977.12.17 |
Disc7 |
1978 |
スイトナー |
曽我榮子 |
伊原直子 |
小林一男 |
木村俊光 |
国立音大 |
1978.12.21 |
Disc8 |
1979 |
ビエロフラーヴェク |
曽我榮子 |
辻宥子 |
小林一男 |
木村俊光 |
国立音大 |
1979.12.19 |
【収録情報】
NHK交響楽団によるベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』
1970年代編(8つの演奏)
Disc1: 1973年
アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)
荒道子(アルト)
ヘルマン・ヴィンクラー(テノール)
ローラント・ヘルマン(バス)
東京芸術大学合唱団
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
録音時期:1973年6月27日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(NHKホールこけら落とし演奏会ライヴ)
Disc2: 1973年
中沢桂(ソプラノ)
春日成子(アルト)
丹羽勝海(テノール)
岡村喬生(バス)
国立音楽大学合唱団
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指揮)
録音時期:1973年12月19日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc3: 1974年
河原洋子(ソプラノ)
伊原直子(アルト)
田口興輔(テノール)
岡村喬生(バス)
国立音楽大学合唱団
オトマール・スイトナー(指揮)
録音時期:1974年12月22日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc4: 1975年
松本美和子(ソプラノ)
春日成子(アルト)
ウィリアム・ウー(呉文修)(テノール)
木村俊光(バス)
国立音楽大学合唱団
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指揮)
録音時期:1975年12月17日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc5: 1976年
エヴァ・ジェポルトヴァー(ソプラノ)
ヴィエラ・ソウクポヴァー(アルト)
ヴィレム・プジビル(テノール)
カレル・ベルマン(バス)
国立音楽大学合唱団
フェルディナント・ライトナー(指揮)
録音時期:1976年12月22日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc6: 1977年
中沢桂(ソプラノ)
伊原直子(アルト)
田口興輔(テノール)
木村俊光(バス)
国立音楽大学合唱団
ホルスト・シュタイン(指揮)
録音時期:1977年12月17日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc7: 1978年
曽我榮子(ソプラノ)
伊原直子(アルト)
小林一男(テノール)
木村俊光(バス)
国立音楽大学合唱団
オトマール・スイトナー(指揮)
録音時期:1978年12月21日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
Disc8: 1979年
曽我榮子(ソプラノ)
辻宥子(アルト)
小林一男(テノール)
木村俊光(バス)
国立音楽大学合唱団
イエジ・ビエロフラーヴェク(指揮)
録音時期:1979年12月19日
録音場所:NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
【指揮者プロフィール】
ヴォルフガング・サヴァリッシュ[1923-] Wolfgang Sawallisch
ドイツ、ミュンヘン出身。戦後、ミュンヘン音楽大学でハンス・ロスバウト、イゴール・マルケヴィチに指揮法を師事。47〜53年にはアウグスブルク歌劇場でコレペティトゥア、カペルマイスターとしてキャリアをスタートさせる。53〜58年にはアーヘン歌劇場、58〜60年にはヴィスバーデン歌劇場、60〜64年にはケルン歌劇場の音楽総監督を務める。60〜70年にはウィーン交響楽団の首席指揮者、同時に61〜73年にはハンブルク歌劇場の音楽総監督、同フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、70〜80年にはスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を兼任した。バイロイト音楽祭には57〜62年にかけて出演し、ザルツブルク音楽祭、フィレンツェ歌劇場、ミラノ・スカラ座などにも客演。
NHK交響楽団には67年に初出演し、毎年客演。71〜92年には、バイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任し、76年シーズン以降は、アウグスト・エファーディンクの後任として劇場総監督も兼任し、同歌劇場の黄金期を築いた。82〜83年にかけてワーグナーの全オペラ作品、88年にはリヒャルト・シュトラウスの全オペラ作品を上演する、という快挙を成し遂げる。退任後は93〜2003年までフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務める。2006年3月、心臓病を理由に、それ以降に予定されていた演奏会をキャンセルし、現役からの引退を宣言した。
オトマール・スイトナー[1922-2010] Otmar Suitner
オーストリア、インスブルック出身。インスブルック音楽院を経てザルツブルク・モーツァルテウムでピアノを学び、クレメンス・クラウスに指揮を師事。インスブルック劇場のカペルマイスターとしてキャリアをスタートし、レムシャイト、ルートヴィクスハーフェン、ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団など各地の歌劇場やオーケストラを経て、60-64年ドレスデン・シュターツカペレ首席指揮者、64-71年、73-90年ベルリン国立歌劇場総音楽監督、69年よりサンフランシスコ歌劇場客演指揮者。オペラではモーツァルト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス作品を得意とし、1964〜67年バイロイト祝祭歌劇場で「タンホイザー」、「さまよえるオランダ人」、「ニーベルングの指環」を指揮。伝統的なレパートリーのみならず近代作品も幅広く取り上げ、とりわけデッサウ作品を意欲的に演奏し、歌劇「Puntila」(1966)、「Einstein」(1973)、「Leonce und Lena」(1979)などを初演。病を理由に1990年代に指揮活動から退いたが、1980年代初期に登場したデジタル録音のパイオニアのひとりとして、その後も録音を通じて国内外で高い人気を誇った。NHK交響楽団名誉指揮者。
フェルディナント・ライトナー[1912-1996] Ferdinand Leitner
ドイツ出身。ピアニストから指揮者へ転向し、1943〜45年ベルリン・ノレンドルフプラッツ劇場、45〜46年ハンブルク州立歌劇場、
46〜47年バイエルン州立歌劇場を経て、50〜69年ヴュルテンベルク州立歌劇場(シュトゥットガルト歌劇場)の音楽総監督を務め、オルフ「僭主オイディプス」(1959)、「プロメテウス」(1968)などを世界初演。47〜51年バッハ週間(アンスバッハ)上級音楽監督。オペラ指揮者として人気を博し、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、モーツァルトのほか、オルフなど20世紀作曲家の作品も得意とした。51年ベニスでストラヴィンスキー「放蕩者のなりゆき」世界初演のリハーサルを指揮(初演本番は作曲家自身が指揮)。56年、E.クライバーの後任としてブエノスアイレス・コロン劇場の首席指揮者に就任。69〜83年チューリヒ歌劇場音楽監督、76〜80年ハーグ・レジデンティ管弦楽団首席指揮者を兼任。88〜90年RAI 国立交響楽団(トリノ)首席客演指揮者。チューリヒ音楽院長として教鞭も執る。客演も多く、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ベルリン・フィル、ドイツ各地の放送交響楽団などのオーケストラや、シカゴ、ミュンヘン、ハンブルクの歌劇場等で指揮。第二次世界大戦後、ドイツ・グラモフォンで精力的に録音をおこない、名盤とされるブゾーニ「ファウスト博士」など300 以上の録音を残した。76〜90年NHK交響楽団客演指揮者。またライトナーはブラームスの孫弟子でもある。
ホルスト・シュタイン[1928-2008] Horst Stein
ドイツ出身。NHK交響楽団名誉指揮者、バンベルク交響楽団終身名誉指揮者。1947〜51年ヴッバータールのコレペティトゥアとしてキャリアをスタートし、51〜55年ハンブルク州立歌劇場のカペルマイスター。55〜61年ベルリン国立歌劇場のカペルマイスター。61〜63年ハンブルク州立歌劇場音楽監督代理。63〜70年マンハイム国立劇場音楽監督、70年よりウィーン国立歌劇場第一カペルマイスター。73年よりハンブルク州立歌劇場音楽監督。74年よりハンブルク州立音楽大学教授。52年よりバイロイト音楽祭でカラヤン、クナッパーツブッシュ、クラウス、カイルベルトのアシスタントを務めて研鑽を積み、69年の「パルジファル」以降、86年までほぼ毎年出演。80年代以降はオーケストラの指揮活動が中心となり、スイス・ロマンド管弦楽団(80-85)、バンベルク交響楽団(85-96)、バーゼル交響楽団(87-94)の首席指揮者を務めたほか、ベルリン、ロンドン、ウィーンの各フィルハーモニー管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、NHK交響楽団など客演も多数。NHK交響楽団には73年定期公演に初出演し、98年までの間に16回出演。マックス・レーガーの管弦楽作品全曲録音でも知られる。
イエジ・ビエロフラーヴェク[1946-] Jiri Belohlavek
チェコ出身。プラハ音楽院、プラハ舞台芸術アカデミーを経て、チェリビダッケに師事。1970年チェコの指揮者コンクールで優勝。72〜78年(73年〜とするサイトもある)ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、欧米ツアー(オーストリア、ドイツ、アメリカ)に随行。77〜89年プラハ交響楽団首席指揮者。90〜92年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者。93年、プラハ・フィルハーモニー管弦楽団を創立し、首席指揮者兼初代音楽監督に就任、2005年より桂冠指揮者。95〜2000年BBC交響楽団首席客演指揮者、06年より首席指揮者。97年よりプラハ音楽アカデミー教授(指揮)。98年プラハ国民劇場の首席客演指揮者に就任。現在、プラハの春国際音楽祭総裁。ニューヨーク、ミュンヘン、ベルリン、日本、ストックホルムの各フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、ドレスデン・シュターツカペレ、ボストン、ウィーン、ロンドン、シティ・オブ・バーミンガムの各交響楽団など客演も多数。グラインドボーン音楽祭やメトロポリタン歌劇場でオペラも指揮しているほか、タングルウッド、ルツェルン、ザルツブルク、エジンバラ、モントレー、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、パースの各音楽祭などにも出演。2012年9月よりチェコ・フィル首席指揮者に復活する予定。Supraphon、Chandos、harmonia mundi、Warner Classicsなどで録音多数。
ロヴロ・フォン・マタチッチ[1899-1985] Lovro von Matacic
クロアチア出身。指揮者、作曲家。1908年ウィーン少年合唱団に加わり、1916年ケルン歌劇場のコレペティトゥアを務め、1919年には指揮デビューも飾るが、第一次世界大戦が勃発して従軍志願。終戦後、オシエク、ノヴィサド、リュブリャナ、ザグレブなどの歌劇場を経て、38年ベオグラード歌劇場音楽監督およびベオグラード・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者に就任。36年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演。第二次世界大戦でも従軍し、クロアチア軍の音楽隊を監督する傍ら、ザグレブ、ウィーン、ベルリンなどで指揮活動も続けるが、ナチス協力者として逮捕され1年以上投獄される。戦後、スコピエで音楽活動を再開し、ドゥブロブニク、スプリット音楽祭を創立。やがてミュンヘンやベルリン、シュトゥットガルト、ザルツブルク、グラーツなどへ活動範囲を拡げ、56〜58年ドレスデン州立歌劇場およびシュターツカペレ、ベルリン国立歌劇場音楽監督(F.コンヴィチュニーと共同音楽監督)。58〜64年ウィーン国立歌劇場。59年シカゴ・リリック・オペラ出演。61〜66年フランクフルト歌劇場総音楽監督。70〜80年(〜82年?)ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(のちに終身名誉指揮者)、74〜79年モンテカルロ歌劇場音楽監督(のちに終身名誉指揮者)。ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン・フィル、プラハ・フィルなど欧米各地のオーケストラの客演や、ミラノ・スカラ座、バイロイト音楽祭(59年「ローエングリン」)、ローマ歌劇場などオペラも多数指揮。ブルックナー、ワーグナー作品の解釈に定評があるほか、ヤナーチェク「イェヌーファ」などスラブ系作曲家の作品でも知られ、クロアチアの作曲家の作品も精力的に取り上げた。国際ブルックナー協会よりブルックナー・メダル、ウィーン交響楽団よりブルックナー・リング、チェコ共和国政府よりヤナーチェク・メダルおよびスメタナ・メダル、オーストリア政府より一等文化学術十字勲章、ベルリン・フィルよりハンス・フォン・ビューロー・メダル受賞。NHK交響楽団名誉指揮者。
【本企画の聴きどころ 音楽学者 広瀬大介】
まず、ひとつのオーケストラの変化を、一年ごとに、それも同じ曲で順に辿っていくことのできるような類似の録音そのものがほとんど見当たらないという点だけに絞っても、本企画の独自性はすぐにおわかり頂けよう。小編成のアンサンブルと異なり、オーケストラは毎年のように、数人単位とはいえ、人の入れ替わりはある。一年ごとにオーケストラの音色がどう変っていくか、あるいは変らずに残る部分はどこか、まるで毎日の天気を定点観測するように、しかもそれを同じ曲で比較することができる。とりわけ精緻にこまかな違いを聴き
比べるのが好きなファンが多いクラシック音楽の聴き手にとっては、何度聴いてもその興味が尽きることはないであろう。
1973年6月NHKホールのこけら落としに際して演奏されたサヴァリッシュの《第九》が収録されていることも、本盤の価値を大きく高めている点に数えるべきだろう。一点一画をゆるがせにしないサヴァリッシュの几帳面な音楽作りはこの時期から徹底されていたことが、痛いほど伝わってくる。ある意味でマタチッチとは全く対極にある音楽作りなのだが、その規律の中から、思いがけずサヴァリッシュの思いがほとばしる場面などもあるのが興味深い。第2楽章のトリオが終わり、スケルツォ主題に戻るところなどは、これがサヴァリッシュか、と思うほどの「タメ」を聴かせてくれたりもする。ホールのこけら落としという「お祭り」を、祝祭性をうちに併せ持つ《第九》で祝うにあたり、その効果的な聴かせ方をきちんとわきまえていたのだろう、と思わずにはいられない。
ここに収録されたライトナーの76年の録音では、第1楽章の展開部から再現部へと戻る箇所の迫力が聴きものだろう。とてつもない音量によるティンパニの強奏によって、この再現がまったくありふれたものではない、尋常さを遙かに突抜けた音楽であることが明らかとなる。オペラ的、と言っては語弊もあろうが、静と動のバランスの良さ、ここぞというところで聴きどころを作ってみせるライトナーのメリハリに対する感覚が非常に良く表れている演奏となっている。他の録音に比べるとやや速めのテンポで推移しつつも、所々でグッと腰を落ち着けて歌わせる箇所など、10年分の演奏の中ではもっとも無理なく、コクのある演奏を聴かせてくれている。
本企画に収められた73年、75年の演奏は、いずれも他の誰とも異なるマタチッチらしさが前面に押し出された、もっとも特徴的な、まさに豪放磊落な演奏と呼んでよいだろう。細かなリズムが合わなかったり、アンサンブルに乱れが生じたりすることはあちこちで起こるのだが、そんなことがまるで気にならない。むしろ、マジメなイメージの先行する(いや、実際真面目なのだとはおもうのだが)N響のメンバーが、規格外の才能に触れ、かき乱され、狼狽し、なおそこからひとつの音楽を紡いでいこうと立ち上がる様子が透けて見えるようで、筆者としては、聴いていて「面白い」のは、断然このマタチッチとの録音であった。もっとも、そのかき乱され方は73年の録音のほうが激しいだけに、75年の録音では、マタチッチによる(恐らく想定外と思われる)突然のテンポの揺れや音の強調の指示に対しても、楽員がそれをある程度想定に含めて演奏しているのでは、とも思われる。もちろん、統率が取れていながら迫力を増した75年のほうがよい、という聴き手も多いであろう。
74年、78年、二種類遺されているスウィトナーの録音は、穏やかさを保ちつつも、楽団員の自発的な演奏をなんとか促そうとし、あちこちに火を付けようとする指揮者の奮闘ぶりが窺える。74年録音では、まだお互いの間合いを計りかねている箇所もあるように感じられるが、78年録音では、とりわけ第3楽章の木管楽器の歌い回しなどに、格段の深化が感じられよう。サヴァリッシュ同様、N 響の音楽の多くが、スウィトナーによって形作られたことが、この二つの録音を聴くだけでも聞こえてくるような思いにとらわれる。
シュタインはスターのような華やかさこそないものの、その職人的技術の確かさを「カール・ベームを継ぐべき」人材(宇野功芳氏)と形容したところにこそ、この指揮者に対する当時の楽壇の期待が透けて見えるようだ。実際、その厳しい、時には癇癪を破裂させるような練習に楽団員は驚くが、その卓越した音楽性はやがて誰もが認めるところとなった。77年の録音を一聴してすぐに気がつくのは、他のどの演奏よりも鋭角的であり、リズムの処理を厳格に徹底させ、隅々まで緊張感を漲らせるその優れた手腕であろう。第4楽章の嵐のごとき冒頭部、まるでオペラの登場人物のひとりになりきったかのように、チェロ・コントラバスにレチタティーヴォを弾かせてしまうその力量こそ、シュタインが練習でしごきあげたその成果が現れている。
チェコの指揮者ビェロフラーヴェクによる79年の演奏は当時N響といえばドイツ、というイメージがどうしても先行しがちだが、実はヴァーツラフ・ノイマンをはじめ、チェコ出身の指揮者との縁も深い。ある意味、この曲集に収められた録音の中でも、もっともやわらかで、圭角のない、慈愛に満ちた響きに溢れた演奏かもしれない。張り詰めた緊張感に支配されているのではなく、もっと伸びやかでおおらかな響きに彩られた演奏には、聴いているこちらの頬が思わず緩んでしまいそうになる。
《第九》を彩る歌手にも一言触れておこう。73年6月のサヴァリッシュによるこけら落とし公演、および76年のライトナーで、外国勢を招いて歌わせている以外は、すべて日本人歌手によって歌われている。外国勢ではとくに、キャリア最盛期に来日したアンナ・トモワ=シントウの歌声が、資料的にも価値が高く、聴きごたえがある。日本勢では特に中沢桂、伊原直子、岡村喬生といった名前に懐かしさを覚える聴き手も多いことだろう。とりわけ男声が活躍するこの曲では、数年にわたって出演し続けた田口興輔、木村俊光による安定した歌唱を愉しむことができる。毎年指揮者が変わることによって、その指示に従いつつ、同じフレーズを時には荘重に、時には軽快に歌い分けるその柔軟な音楽性に耳を傾けることができるのも、この企画の優れた点であろう。