Extreme

Extreme (エクストリーム) プロフィール

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’87年に結成されたエクストリームは’89年にひっそりとしたデビューを飾った。メンバーはヌーノ・ベッテンコート(g.)、ゲイリー・シャノン(vo.)、パット・バジャー(b.)、ポール・ギアリー(ds.)。大手レーベルA&Mからのデビューであったが、今から考えると新人としてのプロモーション攻勢などのない比較的地味なデビューと言えた。

1stアルバム 『エクストリーム』は作品としては新人らしからぬスケールを感じさせるものであったが、本国ではそうしたプロモーション不足もあって、きちんと評価を受けることはなかった。しかし、彼らに注目した日本のレコード会社が、ショウケース来日を企画。日本のファンやプレスにはライヴでのエクストリームの凄さを認識させることになり、彼らはこの時点で早くも日本では正当な評価が受けられたのだった。

’90年2ndアルバム 『ポルノグラフィティ』発表。ギタリスト、ヌーノの本領が遺憾なく発揮されたこの作品は、ヌーノの思い描くコンセプトと卓越した技術が高いレベルで融合した名作といえるだろう。ヌーノが得意とするファンク系のギター・カッティングを用いた曲や、ハード・ナンバー、そして全米ナンバー・ワンを奪取した"モア・ザン・ワーズ"に代表されるアコースティック・バラード。一分の隙もない見事さだった。

’91年にライヴの為に再来日。その後’92年に3rdアルバム 『スリー・サイズ・トゥ・エヴリ・ストーリー』発表。アルバム・タイトルにあるようにこのアルバムは3部構成で、いわゆるプログレッシヴ・ロックを彷彿とさせるコンセプト・アルバムだった(この時期ヌーノはそれまでに増してプログレに大きな興味を抱いていたようだ)。ただプログレとはいっても音楽性はいわゆるそれ風というわけではなく広い意味での、といったニュアンス。シングル・ヒットした"レスト・イン・ピース"を含む[ユアーズ・サイド]にはエクストリーム独自のファンク・ハード路線の曲が満載され、[マイン・サイド]はアコースティックなナンバーで固められた。そして[ザ・トゥルース・サイド]ではいよいよオーケストラとともに彼らの新局面を披露。物事には全て3つの見方がある”というタイトル通り、[貴方側]、[自分側]、[真実]というこの3部によって作品が表現されているのだ。但しこの作品、コンパクトさに欠ける為、前作ほどのセールスを上げることもなく、また充分な評価も受けられなかったが、非常にエクストリームヌーノならではの魅力やクオリティがあると言っていいだろう。

’95年『ウェイティング・フォー・ザ・パンチライン』(現在廃盤)発表。アルバム制作中にポール・ギアリーが脱退し、代わりにアナイアレイター等に在籍した経験を持つマイク・マンジーニを迎え、彼らにとって初のメンバーチェンジという難局を乗りきる。さて、この『ウェイティング・フォー・ザ・パンチライン』はまたもやファンを驚かせる作品だった。前作までのような徹底的な作り込みを排した、ラフなライヴ録音。それは一聴すると以前から米音楽界で騒がれ、主流にもなろうかという時期だったオルタナ〜グランジ系のサウンドにも聞こえるほどのものだった。ここでまたもや、エクストリームヌーノは冒険に打って出たのだった。しかし、結果的にこのアルバムもセールス的には芳しくなく、その後バンドはあえなく解散。

その後’97年にはベスト盤がリリースされた。またメンバーのその後だが、ヌーノはソロ・アーティストとしてデビュー。ヴォーカリストのゲイリー・シェロンは第3期ヴァン・ヘイレンのヴォーカリストとなった(現在は脱退)。

エクストリームの王道ハード・ロックともオルタナティヴ・ロックとも距離を置いたユニークなサウンド、活動は今後きっとより評価されることだろう、と思う。

Nuno Bettencourt
エクストリームの中心人物でギタリストのヌーノはバンド解散後、ソロ活動に入る。’97年にヌーノ&モーニング・ウィドウズ名義で『スキゾフォニック』発表。かなりのセールスを上げ、根強い人気を示した。

Gary Cherone
ヴォーカリスト、ゲイリー・シャノンは第3期ヴァン・ヘイレンに加入。ゲイリーのヴォーカルが聴けるのは『ヴァン・ヘイレンIII』デイヴ・リー・ロスサミー・ヘイガーに次ぐ3代目ヴォーカルとなったが現在は脱退。

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