フルトヴェングラー&ウィーン・フィル大注目の『田園』
第1楽章提示部は、オリジナル音源通りの「反復なし」!
原盤SPの11面中4面はEMI盤と別テイク!
96kHz/ 24bitでデジタル・リマスターでCD化!
フルトヴェングラー・ファン注目の1943年のウィーン・フィルとのセッション録音が好条件でCD化。
1943年のフルトヴェングラーはいろいろと大変でした。2月上旬にドイツ軍がスターリングラードで大敗したことを受け、2月18日にはゲッベルスが「総力戦」について演説。徴兵や軍需動員の強化が想定される演説内容ということもあって、フルトヴェングラーはツアーなどを増やして本番演奏を増強することで楽員を戦争から遠ざけようと努力します。
一方で、4月20日の総統誕生日演奏会は何としても回避したかったフルトヴェングラーは、医師も交えた入念な仮病作戦(?)を実施し、ゲッベルスが病状を心配するほどの演技力で無事に出演を辞退。フルトヴェングラーは翌1944年の総統誕生日演奏会も仮病で出演不能とし、代役はどちらもクナッパーツブッシュが引き受けていました。
出演辞退といえば、フルトヴェングラーは、ゲッベルスの肝煎りで制作が発表されたベルリン・フィルのプロパガンダ映画『フィルハーモニカー』への出演依頼も断ってゲッベルスとヒトラーの不興を買っていましたが、直後の6月下旬から10月下旬までベルリンから離れていたことでなんとか無事にやり過ごすことに成功。ちなみに映画での代役もクナッパーツブッシュが引き受けていました。
5月6日にはウィーン・フィルとの北欧ツアーを開始、5月14日までデンマーク、スウェーデンで演奏。デンマークは占領地でしたが、主催者とウィーン・フィル側の希望により実施、これについては戦後問題視されることになります。
5月17日、ジーメンスの巨大工場でベルリン・フィルとコンサート。「ドイツ労働戦線」の大衆社会福祉団体「歓喜力行団(かんきりっこうだん)」主催の公演でした。
5月22日と23日、ウィーンを訪れ、ウィーン・フィルを指揮してベートーヴェンの3番と4番を演奏。
6月24日から30日までの1週間は、ベルリン・フィルとベートーヴェン・プログラムに取り組み、その間、6月26日には、エリーザベト・アッカーマンと結婚・入籍。
フルトヴェングラーと24歳も年齢差のあるエリーザベトは、女性政治家の娘で、夫は1940年6月に戦死、4人の子供の母で、しかもエリーサベトの異父姉のマリア・デーレンは、長年のフルトヴェングラーの愛人でもあったという複雑な状況下の結婚でもあります。
7月にはバイロイト音楽祭に6年ぶりに復帰して『マイスタージンガー』を4回指揮。バイロイト音楽祭は1940年から大衆社会福祉団体「歓喜力行団」が主催するようになり、一般へのチケット販売はおこなわず、ドイツ国防軍兵士の帰省休暇や労働者のために公演が利用されるようになっていました。そうした事情もあって、不仲のヴィニフレート・ワーグナーとあまり関わらずに済んだことも復帰の理由と考えられ、実際、バイロイト滞在中のフルトヴェングラーのはしゃぎっぷりには、かなりのものがあったようです。
一方、ゲッベルスからフルトヴェングラーの結婚を聞いたヒトラーは、バイエルン湖畔の家を提供しようと持ち掛けますが、フルトヴェングラーはこれを辞退して、とりあえず妻と子供たちを、危険なポツダムからヴィースバーデンに移して連合国軍の爆撃を回避。
8月下旬にはチューリヒ・トーンハレ管を指揮したのち、休暇を取得してオーストリアに転居。この転居はフルトヴェングラーの弟の知人から、空爆の無いオーバーエスターライヒ州アハライテン(リンツ近郊)の住宅の提供を受けて実現したものでした。知らせを聞いたヒトラーは、その住居専用の防空壕を建設すると伝えますが、フルトヴェングラーは、転居物件が地下室もある堅固な建物である旨を説明して辞退し、ポツダムの自宅の方を何とかしてくれるように依頼、結果、ポツダムの地下室が補強されることとなります。
9月30日、ミュンヘン・フィルに客演。ベートーヴェンの5番と6番を指揮。
10月15・16・17日、ウィーン・フィルを指揮して3日連続でブラームス・プログラム。23・24・25日、ウィーン・フィルを指揮して3日連続でブルックナー6番とワーグナーのプログラム。
10月27日にはベルリンに戻って国立歌劇場で『マイスタージンガー』を上演、そして10月31日、11月1・2・3日と4日連続でベルリン・フィルを指揮。ベートーヴェン7番とペッピング2番などを指揮。
11月5・6・7日、ウィーン・フィルを3日連続で指揮して『ツァラトゥストラ』などを演奏。中旬にはベルリン・フィルに戻ってブル6など4公演、下旬には再びウィーンに行き、国立歌劇場で『トリスタンとイゾルデ』を上演。
11月から12月にかけては、フルトヴェングラー単独でスウェーデン客演ツアーを実施、エーテボリ響とストックホルム・フィルを指揮し、12月12日にはベルリンに戻って12・13・14・15日と連続でベルリン・フィルとブラームス・プログラムを披露。
ベルリン公演を終えるとウィーンを訪れ、12月18・19・20日の3連続でベートーヴェンの5番と6番を指揮。続く22日と23日に同じムジークフェラインザールで、エレクトローラ・レーベルのためにレコーディングを実施、これが今回の『田園』ということになります。
この年のフルトヴェングラーは57歳で非常にエネルギッシュであり、SPレコード用の煩雑なレコーディング・セッションとは言っても、直前に同一プログラムを実演で3日連続でとりあげるなど準備も万端、劇場的な高揚感にもこと欠かない仕上がりとなっているのにも納得です。
そしてこのセッションから間もない翌月には新婦エリーザベトが妊娠、その10か月後に息子アンドレアスを授かることになります。
【販売元情報】
フルトヴェングラー&ウィーン・フィル/田園(1943)
優美で気品ある至高絶美のサウンド!
ウィーン・フィルの美質をいかした フルトヴェングラー最高の『田園』、
ついに世界初出音盤(LP)のマスターテープから初CD化。
望みうる復元最高音質で登場。
併録の2曲は超希少音源
―宇野功芳絶賛の『ティル』と巨匠の発言入り
『未完成』練習風景。
SP時代の『田園』というと、ワルターがウィーン・フィル(VPO)と1936年におこなった録音が有名ですが、フルトヴェングラーもVPOを起用し て43年に独エレクトローラ(EMI系)へセッション録音(会場はムジークフェラインザール)を行なっていました。しかし、戦時の折、材料不足のため SP発売は見送られることに。1952年、LP時代になって、巨匠はVPOとLP用に再録音したため、43年録音のほうはお蔵入りの状態が続きました。 1971年に米ターナバウト・レーベル(VOXプロダクション)よりLP(TV-4408)が登場。これは43年録音の世界初出音盤。86年になってようや くエレクトローラがLPで発売したときのような、第1楽章提示部の反復を “加工再使用" したものではなく、巨匠のオリジナル演奏通り(反復なし)の もの。しかも、原盤のSP11面中4面は別テイクとなっています。この巨匠オリジナル演奏通りのマスター音源が96kHz/ 24bitでデジタル・リマスター されて、ついに初めてCDで登場します!
この演奏こそ、フルトヴェングラー理想の『田園』といえるもの。ムジークフェラインの豊かな残響を取り入れ、弦は典雅にまろやかに響き、低弦はコ クある深みの音を、木管は爽やかで瑞々しい歌を奏でます。慈しむように優しい自然な流れ。BPOとの翌44年録音のような激烈な『嵐』(ティンパニの 強打)にはならず、そのあとに訪れる平安は祈りに満ちた感情を呼び起こしてやみません。
ボーナストラックとして2曲を追加。ベルリン・フィルとの『ティル』と『《未完成》の練習風景』で、1952年公開のドイツ映画 「音楽の大使(フルトヴェングラ−と巨匠たち)」で使われた音源です。77年に発売されたLP・米エヴェレストSDBR-3252のマスターテープから96kHz/ 24Bitで変換された 迫真の音質にご注目ください。 『ティル』・・宇野功芳氏が『演奏自体はウィーン盤よりもさらに優れている。・・その気迫の鋭さには誰しも圧倒されよう。・・猛烈な終結も比類がない』(『フ ルトヴェングラーの全名演名盤』講談社α文庫)と評しているように、巨匠随一の名演。ベルリン・フィルの上手さ、その合奏力には舌を巻くほど。 『《未完成》の練習風景』・・曲の冒頭から3分強(61小節まで)の練習風景。巨匠の発言入り。市販CDとしては初出となる超希少音源。日本語帯・解説付。(以上、キングインターナショナル)
【収録情報】
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
録音:1943年12月22,23日 ムジークフェラインザール、ウィーン
<ボーナストラック>
●R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』Op.28
●シューベルト: 交響曲第8番ロ短調 D.759『未完成』-第1楽章リハーサル
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
録音:1951年頃、ベルリン
音源:1952年ドイツ映画『 音楽の大使(フルトヴェングラーと巨匠たち)』サウンドトラック
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フルトヴェングラー 帝国放送アーカイヴ 1939-45(22SACD)
戦後フルトヴェングラー&ベルリン・フィル定期演奏会のベートーヴェン(6CD)
【人間フルトヴェングラー】
ヘルシー志向
フルトヴェングラーはヘルシー志向で、ヨーグルトやミューズリー(健康志向のドイツ式シリアル)を好み、公演前の食事も卵2個にライスと果物といった感じで、ときには本番直前に生卵をすすったりもしていたものの、基本的には軽めで、長いオペラの場合には、休憩中にサンドイッチやナッツ、果物、そして果物のジュースを摂取するようにしていたということです。
そうした健康に配慮した食生活を効果的に維持するためか、フルトヴェングラーは、コーヒー、タバコ、アルコールは控えてもいました。
感情爆発
フルトヴェングラーといえば、ときに引き起こす感情の爆発でも有名でした。女性秘書のベルタ・ガイスマールに重い灰皿を投げつけたり、プロデューサーのウォルター・レッグのいる現場で爆発してレッグを精神的に追い詰めたり、ウィーン・フィルのリハーサルで譜面台を荒っぽく倒して出て行ったり、何度電話しても相手が出ないと怒り狂ってこぶしで窓を叩き割って自分が怪我をしたりといったことが伝えられています。
口元の傷跡も、少年時代に家政婦に本を取り上げられたことに怒り狂ってガラス製のドアに激突して大怪我をしたときのものということなので、なんというか筋金入りです。
また、子供たちとゲームをする際にも、60歳を過ぎても自分が負けると大声で怒鳴り、ドアを叩きつけるように閉めて出ていくのが常だったとも言います。
これらのことは、相手が誰であっても、自分の自尊心を傷つける者は許さないというフルトヴェングラーの基本姿勢を示していますし、もしかしたらそうしたことが、フルトヴェングラーの音楽解釈の闘争的な面を魅力的にしているのかもしれません。
ちなみに父アドルフも感情爆発型だったということで、自分にとって気に食わないことがあると、食事を叩きつけたりすることもあったようで、フルトヴェングラーの粗暴なふるまいへの影響も大きかったものと考えられます。
コミュニケーションが苦手
フルトヴェングラーは生涯に渡って、家族と、家族同様の人々以外には、「du」という言葉で呼ばれることを嫌悪していたようです。家族と、家族同様の人々以外の場合は、どんなに親しい場合でも「du」という呼びかけはせず、たとえば若い頃から親しかった秘書のベルタ・ガイスマールに対しても「du」は絶対に使わなかったといいます。
要因としては、両親が長男のフルトヴェングラーに対しては自由を尊重、周囲の人間に配慮するというような、通常の意味での躾や会話の方法を教えていなかったことが考えられます。加えて、父アドルフは気弱で時折感情が爆発、母アーデルハイトは、顔の右半分の麻痺のため、常に超然としているように見えるなど、少年フルトヴェングラーにとっては、普通のコミュニケーションを学ぶのが難しい家庭環境だったことも影響していたようです。
結果として、家族(と、家族同様の人々)以外の人間が、フルトヴェングラーに対してコミュニケーションを持とうとすると苦労することも多かったようです。
スピード大好き
フルトヴェングラーはスピードが出るものを好んでおり、「自動車」「スキー」「スケート」「乗馬」などに熱中していたほか、若い頃には自転車で山を越えてイタリアまで出かけるなどといったこともしていました。
フルトヴェングラーのこうしたスピード志向が、ブルックナーの8番やベートーヴェンの9番のエンディングでの突撃ぶりや、モーツァルトでの疾走感などといった独特の解釈を生み出した可能性もありますし、それが生き生きと揺れ動くフルトヴェングラーならではの音楽の魅力の源泉となっているのかもしれません。
ちなみにフルトヴェングラーは「自動車」の運転は好きでしたが、あまり上手くはなかったようで、路面電車に追突する事故を起こしたり、R.シュトラウスを助手席に乗せて走っていた時に、ホテルに駐車中の車に衝突して、その車を破壊してしまったりと豪快なエピソードも伝えられています。
また、1954年、亡くなる直前には、体調が悪くなったために自分で車を運転して病院まで行くなど、技術はともかく、性根の座ったドライバーであったことは確かなようです。
フルトヴェングラーの「スキー」の腕前はプロ級だったといいますし、1941年春には、ザンクト・アントンのスキー場で飛ばし過ぎて転倒、腕の神経にも影響が出るほどの重傷を負い、8か月もリハビリに要したこともあったほどでした。
若い頃には「スケート」も好んでいましたが、ある時、氷が割れて湖に落ちた友人を助けようとして、フルトヴェングラー自身も転落、漁師に命を助けてもらった事故の後は、あまりやらなくなってしまったようです。
一方で、スピードの出るスポーツの花形でもある「乗馬」に関しては、晩年までおこなっており、達者な馬術を披露してもいたようです。
艶福家
フルトヴェングラーは社交的では無いものの、指揮者としての名声に加えて容姿にも恵まれており、気に入った相手とは親密な交流をせずにはいられないという熱い性向もあって、多くの女性に囲まれていました。
フルトヴェングラーは、16歳で婚約、相手は彫刻家の娘で、同年齢のベルテル・フォン・ヒルデブラント[1886-1963]。しかしこの婚約は、フルトヴェングラーの心変わりにより、20歳の時に解消。
その後、多くの女性と交際、最初の婚約から21年を経た37歳の時には、デンマーク人のツィトラ・ルントと結婚。しかし、子供が出来なかったこともあってか8年後に破綻。
それから12年を経た57歳のときにエリーザベト・アッカーマンと再婚しますが、この結婚までに、フルトヴェングラーはすでに13人の婚外子をもうけていたということです。しかも、エリーザベトも死別した前夫とのあいだに4人の子供があり(1人は妊娠中)、さらに2人の間に息子アンドレアスが誕生したので、フルトヴェングラーは計18人の子供の父親でもあったということになり、経済的な負担もかなり大きかったようです。
ちなみにエリーザベトは、フルトヴェングラーの最初の結婚時代の愛人のひとりでもあるマリア・デーレンの異父妹で、姉妹が同席していたテーブルで、マリアの隙を見てフルトヴェングラーがエリーザベトにアタックし、それがきっかけでやがて結婚に至るという驚きの展開となっています。
なお、往年の巨匠たちの中には、フルトヴェングラーほどではないにしてもほかにもお盛んな人がいたようです。クレンペラーの女性問題には凄いものがありましたし、ワルターも女性にはかなり情熱的だった証拠の手紙が遺されており、モントゥーに至っては、不倫発覚でボストン響を退任させられてもいました。
また、トスカニーニについても、フルトヴェングラーとの不仲の要因のひとつが、「女性問題」だった可能性が高いことをうかがわせる、まるで若者のように感情むき出しの生々しい手紙が発見されたりして、トスカニーニ好きのあいだで話題になるなどしていました。
【年表】
1886年(0歳)
●1月25日朝7時半、グスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティン・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ドイツ帝国のベルリン、シェーネベルク地区で誕生。
父方は南ドイツ人
フルトヴェングラーという長い姓は、南西ドイツ、フライブルク近くのフルトヴァンゲン近郊にある標高1,000メートルという山間部の農地「フルトヴェングレ」に由来し、フルトヴェングラーの父方の先祖たちは、神聖ローマ帝国時代の15世紀から17世紀まで同地で代々農業に従事。
18世紀になると隣の山村であるギューテンバッハに移り住み、やがて鍛冶屋に転向、18世紀終わりのバルトロメウスの代には、山間集落から抜け出して近隣の町に暮らし、馬車によって時計などを運ぶ運送業のほか、穀物商も営んでいました。
そのため時計に縁のあったバルトロメウスは、子供たちの大半に時計職人の技術を学ばせ、12人の子供の半数は時計職人となりますが、オルガン製作者になったフィリップや、大学で文献学と考古学を学んだヴィルヘルム[1809-1875]という例外もいました。
このバーデン大公国時代に生まれたヴィルヘルムは、指揮者フルトヴェングラーの祖父で、学生の時にギリシャの陸軍大臣の家で家庭教師として働き、考古学の博士号を取得してからは各地を転々、最後はフライブルクのギムナジウムで校長を務めていました。
その息子で指揮者フルトヴェングラーの父親であるアドルフ[1853-1907]も、父ヴィルヘルムと同じく考古学の道に進み、「壺絵におけるエロス」という論文で学位を取得、ボンとベルリンの大学で非常勤講師を務めるなどしながら各地で発掘作業に携わり、1894年にはミュンヘン大学の教授に就任しています。フルトヴェングラーが生まれたときは、ベルリン古代博物館の館長助手でした。
母方は北ドイツ人
母アーデルハイト・ヴェント[1863-1944]の祖父は、プロイセン王立学校の教育行政官で、のちに枢密顧問官にまで出世。父親も教育者で、ギムナジウムの校長のあと、バーデン教育委員会の枢密顧問官を務めています。また、母アーデルハイトの母方であるドールン家の親族には、教育関係者のほか、音楽家も多く、中にはブレスラウ音楽学校長になった従兄のゲオルク・ドールン[1867-1942]といった人物もいて、フルトヴェングラーにヴァイオリンを教えたり、作品を指揮して初演したり、仕事の支援をしてくれたりもしていました。
ヴェント家には音楽サロンがあって、多くのアーティストの交流の場となっており、ブラームスが訪れたこともあったのだとか。アーデルハイトはそうした環境の中で育ち、音楽と美術の両方に通じていました。特に美術の画力には秀でていたようで、後年、夫アドルフの発掘品を記録する作業にも役立ちました。
幼児教育は母と父方の叔母から
母アーデルハイトは、最初、息子に対して、美術教育の一環としてスケッチを教えるなどしていましたが、やがて、ピアノも教えるようになり、基礎的な部分を終えると、ピアノ教師である叔母ミンナのところで本格的にレッスンを開始。7歳からは作曲も始めています。
1892年(6歳) 基礎学校(ベルリン)
●ベルリンで基礎学校に入学。
1893年(7歳) 基礎学校(ベルリン)
1894年(8歳) 基礎学校(ベルリン)、基礎学校(ミュンヘン)
●父アドルフ、ミュンヘン大学の考古学教授と博物館館長に就任。
●フルトヴェングラー家、ミュンヘンのシュヴァービング地区に転居。ルートヴィヒ2世の狩猟小屋を購入。テニス・コートと、多くの魚が泳ぐ大きな噴水のある庭園付きでした。
1896年(10歳) 基礎学校(ミュンヘン)、ギムナジウム(ミュンヘン)
●ミュンヘンのギムナジウムに入学。
1897年(11歳) ギムナジウム(ミュンヘン)
●ミュンヘンのヴァルター四重奏団が、フルトヴェングラー家で、ヴィルヘルム少年の作曲した弦楽四重奏曲を演奏。ちょっとした噂になり、のちに彫刻家の家に招かれることとなります。
●音楽家としての才能があるかどうかを確かめる審理会で試演。審理にあたったのは、マックス・フォン・シリングス、ヘルマン・レーヴィ、アドルフ・ザンクトベルガーといった音楽家で、才能ありという診断でした。
●春、楽器法と対位法について、アントン・ベーア=ヴァルブルン[1864-1929]から教えを受けます。
1898年(12歳) ギムナジウム(ミュンヘン)
●1月6日、ミュンヘンの彫刻家、アドルフ・フォン・ヒルデブラントの自宅に招かれ、娘のベルテルと知り合い、意気投合。
1899年(13歳) ギムナジウム(ミュンヘン)
●ミュンヘンのギムナジウムを退学。
●家庭教師として、学生のヴァルター・リーツラー[1878−1965]が着任。哲学と芸術に関して教えますが、彫刻家のヒルデブラント家に引き抜かれてしまいます。リーツラーはのちに音楽学者となります。
nbsp;リーツラーの後任は、ルートヴィヒ・クルティウス[1874-1954].で、ローマ文化を中心に教えました。クルティウスはのちに考古学者となり、1952年にはドイツ政府より文化功労賞を授与されてもいました。
●6月、母アーデルハイトに連れられ、ドールン家の面々と共にベルリンを訪問。マックス・ブルッフやヨーゼフ・ヨアヒムと交流し、ヨアヒムからは作曲家のヨーゼフ・ラインベルガー[1839-1901]を紹介され、レッスンを受けることになります。ラインベルガーの作曲の授業は厳しく、技術を重視したものでしたが、フルトヴェングラーはそういったものが苦手だったため、課題に真剣に取り組まず、のちに後悔することとなります。
●父アドルフ、ミュンヘン郊外の湖、テーガンゼーのほとりに土地を取得し、森の木を使って、1人の大工と共に自力で別荘「タンネック」を建築。家族は毎年この自然の中で4週間の休暇を過ごすことになります。その後、フルトヴェングラーは、ヨット遊びや山歩き、スキー、乗馬が好きになっていきます。
1900年(14歳)
●2月、自作の「序曲」と「ピアノ四重奏曲」を、ミュンヘン・オーケストラ協会で初演。「序曲」は自己流で指揮したためオーケストラとの意思の疎通に苦労。「ピアノ四重奏曲」のピアノも自分で弾きました。
1901年(15歳)
●父の発掘調査に同行。ギリシャのアイギナ島にあるアファイア神殿の調査で、出土品の成果もありましたが、フルトヴェングラーはあまり関心が持てなかったようです。
●11月25日、ラインベルガー死去。2年間でフルトヴェングラーの作曲技術は大きく向上していましたが、まだ修業が必要ということで、マックス・フォン・シリングス[1868-1933]が作曲の教師になります。また、シリングスは指揮者でもあったので、フルトヴェングラーは初めてプロから指揮の教えを受けることになります。
1902年(16歳)
●2月、ベルテル・フォン・ヒルデブラントと婚約。
●春、家庭教師のクルティウスと共にフィレンツェに旅行。半年間に及ぶ滞在中、メディチ家礼拝堂のミケランジェロ作品や、バッハのマタイ受難曲の演奏に感銘を受け、直後に自身の作曲のスケッチをおこなってもいます。
1903年(17歳)
●11月、自作の交響曲ニ長調の初演に列席するため、母の従兄であるゲオルク・ドールンの暮らすブレスラウを訪れます。ドールンは、ブレスラウ音楽学校の校長を経て、現在はシュレジア・フィルの指揮者となっており、フルトヴェングラーはその縁故を頼って自作の交響曲ニ長調(18分ほどの1楽章作品)の初演を依頼していました。
●冬、ベルリンで一人暮らしを開始し、翌年まで滞在。目的はピアノの技術の向上や、大学での聴講のほか、自作の売り込みでした。ピアノはあまり上達せず、自作の売り込みにも失敗、不眠症気味となります。
1904年(18歳)
●夏、気晴らしにロシアに旅行。同行者は母方の叔父のヴォルフ・ドールンと、母方の親戚のハラルト・ドールンで、祖父の資金を用いての旅行でした。ヴォルフはのちにドイツ民主党委員長ナウマンの秘書になります。
●「一年志願兵資格試験」に不合格。一年志願兵制度は、軍服・装具・食事などの費用をすべて自己負担して入営、訓練を受けるもので、兵役(3年間)の回避や、将校候補資格の取得などというメリットがあったため当時盛んに利用されていました。
1905年(19歳)
●夏、友人の作曲家パウル・フォン・クレーナウの招待で、デンマークのヘレベック近くの海辺に滞在。
●秋、母の従兄ゲオルク・ドールンの紹介で、ブレスラウで指揮者の仕事を得ますが、オーケストラの下稽古や演劇の伴奏だったので、冬には辞めてしまいます。
●「一年志願兵資格試験」に不合格。
1906年(20歳) チューリヒ市立劇場楽長
●2月19日、カイム管(現ミュンヘン・フィル)を指揮。カイム管は当時財政難に陥っており、父アドルフは、カイムと直接交渉、1,400マルクで3回のリハーサルと1回の本番公演を獲得し、新聞でも告知。プログラムは、自作の交響詩ロ短調(1番1楽章の原型)、ベートーヴェン『献堂式』序曲、ブルックナー9番というマニアックなものでした。成功すれば指揮者として契約という約束でしたが、公演は評判にならず、カイムは翌年プフィッツナーと指揮者契約を結んでいます。
●春、婚約者のベルテルと別荘タンネックで過ごし、ベルテルの姉夫婦と4人で自転車で峠を越えてフィレンツェまで旅行。この旅行で、フルトヴェングラーはベルテルに対し、結婚の意思の無いことを伝えています。知り合ってから8年、婚約から4年が経っていました。ベルテルは悲しみに沈み、カトリックに改宗。
●秋、チューリヒ市立劇場の3楽長(カペルマイスター)兼合唱指揮者に就任。オペレッタを担当。マックス・フォン・シリングスの推薦による契約で、10月には指揮を開始。月額報酬は200スイス・フランでした。
●「一年志願兵資格試験」に不合格。
●10月、チューリヒ(プフィッツナー『ソルハウグの饗宴』)。
●冬、ベルテルとの婚約を正式に解消。ベルテルは3年後、ユダヤ系ドイツ人作曲家のヴァルター・ブラウンフェルスと結婚します。
●12月、チューリヒ(ゼンガー『リューベツァール』)。
1907年(21歳) チューリヒ市立劇場楽長
●1月、チューリヒ(ゼンガー『リューベツァール』)。
●冬、チューリヒ湖でスケート中に、氷が割れて湖に落ちた友人を助けようとして、フルトヴェングラーも転落、漁師に救助されて助かります。
●2月、チューリヒ市立劇場で、当時世界的にヒットしていた『メリー・ウィドウ』のスイス初演を担当。しかし、オペレッタをワーグナーのようにしか指揮できなかったことから評判は上がらず、立ち会ったレハール本人も落胆、妻宛に酷評の手紙を書いていました。
●4月、チューリヒ市立劇場との契約を解消。『メリー・ウィドウ』の16回目の上演で指揮を辞退、シーズンなかばで劇場をあとにしています。
●夏、別荘タンネックで挫折の夏を過ごします。
●秋、「一年志願兵資格試験」に不合格。これで4度目でした。
●10月10日、父アドルフ、ギリシャで赤痢に罹患し死亡。ギリシャへの貢献が称えられ、同地で国葬が営まれます。
1908年(22歳) ミュンヘン宮廷歌劇場コレペティトア
●冬、ミュンヘン宮廷歌劇場のコレペティトア(助手)の職を得ます。音楽監督はワーグナー指揮者として知られたフェリックス・モットル[1856-1911]でした。
1909年(23歳) ミュンヘン宮廷歌劇場コレペティトア
●ミュンヘン宮廷歌劇場での『エレクトラ』の準備で、R.シュトラウスの要請で主役を歌うことになったツデンカ・ファスベンダー[1879-1954]の練習相手を務めます。ファスベンダーは、指揮者のフェリックス・モットルのパートナーでもありました(妻ヘンリエッテとの離婚が未成立のため妻ではありません)。
なお、フルトヴェングラーは2シーズンに渡ってコレペティトアを務めましたが、実際に本番の指揮をすることはありませんでした。しかしこのワーグナーやモーツァルトを目玉とする劇場での雑多な実務経験は、フルトヴェングラーにとって重要な蓄積となったものと考えられます。
1910年(24歳) シュトラースブルク歌劇場楽長
●シュトラースブルク歌劇場の音楽監督になったプフィッツナーを頼り、第3楽長、および監督助手として契約。シュトラースブルクに転居して、仕事に精力的に取り組みます。プフィッツナーもフルトヴェングラーのことを気に入り、弟子のクレンペラーらと同じく定期的に会う仲間という位置づけとします。
●9月27日、ドニゼッティ『愛の妙薬』でシュトラースブルク歌劇場デビュー。
●10月、シュトラースブルク(『ヴィラールの竜騎兵』)。
●11月、シュトラースブルク(『マルタ』)。
●フルトヴェングラー「テ・デウム」初演。ゲオルク・ドールン指揮シュレジア・フィル。
1911年(25歳) シュトラースブルク歌劇場楽長、リューベック市音楽総監督
●1月、シュトラースブルク(『小さなミシュ』『マルタ』)。
●2月、シュトラースブルク(『ヴィラールの竜騎兵』『小さなミシュ』『マルタ』)。
●2月27〜28日、シュトラースブルク歌劇場で『こうもり』を指揮。ガラでは自ら舞台に上がって付け髭&ジプシー姿でピアノを弾くなど、上演を楽しんでいました。
●3月、シュトラースブルク(スッペ『陽気な若者』『リゴレット』『マルタ』)。
●自作「テ・デウム」をシュトラースブルクのオーケストラと合唱団で演奏。
●春、母アーデルハイトの友人で小説家のイーダ・ボイ=エド[1852-1928]から、リューベック市の音楽総監督を公募しているという連絡があり、フルトヴェングラーもすぐに応募を決め、ボイ=エドに市当局への取り成しを依頼します。
前任者のヘルマン・アーベントロート[1883-1956]がエッセンに行くことになって退任、市では後任を探しており、すでに97名が応募し、最終段階の4名に絞り込まれているという状況でした。
●4月、選考になんとか間に合って実際の管弦楽で関係者を圧倒し、アーベントロートを含む全員一致で新しい音楽総監督をフルトヴェングラーにすることに決まります。
仕事の内容は、市の運営する楽友協会のオーケストラと合唱団の公演、及び市立劇場でオペラを指揮するという多忙なもので、フルトヴェングラーのこれまでの蓄積が十分に役立てられるポジションでした。当時のフルトヴェングラーは指揮台上で暴れまくることでも有名で、髪を振り乱して両腕を大きくふり回し、足もドタバタで顔の表情もまるで百面相というスタイルだったということです。
●10月、リューベック、管弦楽(5回)。
●11月、リューベック、管弦楽(5回)、声楽(1回)。
●エリーザベト・フーフ[1883-1956]と交際開始。10年後の1921年には娘フリーデリケ(3番目の婚外子)が誕生することとなります。
1912年(26歳) リューベック市音楽総監督
●1月、リューベック、管弦楽(5回)。
●2月、リューベック、管弦楽(5回)、声楽(1回)。
●3月、リューベック、管弦楽(5回)、声楽(1回)。
●4月、リューベック、管弦楽(2回)、声楽(1回)。
●10月、リューベック、管弦楽(6回)。
●11月、リューベック、管弦楽(4回)、声楽(1回)。
●12月、リューベック、管弦楽(4回)。
●ディークマン領事夫人に連れられて、有名な指揮者アルトゥール・ニキシュ[1855-1922]の公演を聴くためにハンブルクを訪問。フルトヴェングラーは、モーションが小さいにも関わらず効果絶大なニキシュの指揮ぶりに感銘を受けます。当時のフルトヴェングラーは動きの激しい指揮スタイルでしたが、以後は動きを抑えた指揮に変えて行きます。公演終了後、領事夫人の紹介で、ニキシュを囲む食事会に出席。
1913年(27歳) リューベック市音楽総監督
●1月、リューベック、管弦楽(5回)。
●1月26日、ウィーン演奏協会管、初めての国外公演。
●2月、リューベック、管弦楽(5回)、声楽(1回)。
●3月、リューベック、管弦楽(4回)、声楽(1回)。
●4月、リューベック、管弦楽(6回)、声楽(1回)。ベートーヴェン9番を初めて指揮。
●10月、リューベック、管弦楽(6回)。
●11月、リューベック、管弦楽(4回)、声楽(1回)、オペラ(1回)。
●12月、リューベック、管弦楽(4回)。
1914年(28歳) リューベック市音楽総監督
●1月、リューベック、管弦楽(5回)。
●2月、リューベック、管弦楽(3回)。
●3月、リューベック、管弦楽(5回)。
●3月、ハンブルク、
●4月、リューベック、管弦楽(6回)、声楽(2回)。
●7月、ミュンヘン演奏協会管(現ミュンヘン・フィル)を指揮。
◆8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告。
◆8月3日、ドイツがフランスに宣戦布告。
◆8月4日、イギリスがドイツに宣戦布告。
●9月、リューベック、管弦楽(1回)。
●10月、リューベック、管弦楽(5回)。
●11月、リューベック、管弦楽(4回)。
●11月、ハンブルク(2回)(ベートーヴェン・コンサート)。
●12月、リューベック、管弦楽(6回)。
1915年(29歳) リューベック市音楽総監督、マンハイム宮廷劇場楽長
●1月、リューベック、管弦楽(6回)。
●2月、リューベック、管弦楽(5回)。
●3月、リューベック、管弦楽(4回)、オペラ(1回)。『フィデリオ』上演を、ボダンツキーらマンハイム宮廷劇場の面々が調査鑑賞。
●4月、リューベック、管弦楽(3回)、オペラ(2回)。
●9月、マンハイム宮廷劇場の音楽監督に就任。開幕公演はリューベックでも評判だった『フィデリオ』に続いてマルシュナーの『ハンス・ハイリング』も上演。メトロポリタン歌劇場に移ったアルトゥール・ボダンツキー[1877-1939]の後任となります。
●10月、マンハイム、管弦楽(1回)(ベートーヴェン5番ほか)。
●10月、マンハイム、オペラ(『さまよえるオランダ人』『魔弾の射手』)。
●11月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブルックナー4番ほか)、オペラ(『フィデリオ』『ワルキューレ』『モナ・リザ』)。
●12月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブルックナー4番ほか)、オペラ(『魔弾の射手』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』『モナ・リザ』)。
●ガイスマール弁護士の家を訪れ、のちに秘書となる才媛ベルタ・ガイスマールと対面。
1916年(30歳) マンハイム宮廷劇場楽長
●1月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブラームス1番ほか)、オペラ(『ワルキューレ』『トリスタンとイゾルデ』『ウィンザーの陽気な女房たち』『さまよえるオランダ人』『モナ・リザ』)。
●2月、マンハイム、管弦楽(2回)(ベルリオーズ幻想交響曲ほか)、オペラ(『ドン・ジョヴァンニ』『ウィンザーの陽気な女房たち』『モナ・リザ』)。
●3月、マンハイム、管弦楽(1回)(R.シュトラウス『死と変容』ほか)、オペラ(『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』『ウィンザーの陽気な女房たち』『モナ・リザ』)。
●4月、マンハイム、オペラ(『さまよえるオランダ人』『パルジファル』)。
●4月、ドイツ軍が占領した北フランスのリールの歌劇場に、マンハイム宮廷劇場と引っ越し公演。『フィデリオ』を指揮。さらに管弦楽コンサートも開催し、ベートーヴェン5番、『エグモント』序曲など演奏。聴衆は主にドイツ兵と看護師でした。
●5月、マンハイム、オペラ(『トリスタンとイゾルデ』『パルジファル』『哀れなハインリヒ』『シュラミート』)。
●6月、マンハイム、オペラ(『パルジファル』『ワルキューレ』『哀れなハインリヒ』『フィデリオ』『さまよえるオランダ人』『ウィンザーの陽気な女房たち』)。
●9月、マンハイム、オペラ(『さまよえるオランダ人』『カルメン』『ワルキューレ』『タンホイザー』)。
●10月、マンハイム、管弦楽(2回)(シューベルト『グレート』ほか)、オペラ(『タンホイザー』『ウィンザーの陽気な女房たち』『魔弾の射手』『カルメン』『さまよえるオランダ人』『後宮からの誘拐』『こうもり』)。
●11月、マンハイム、管弦楽(2回)(マーラー『大地の歌』ほか)、オペラ(『アイーダ』『後宮からの誘拐』『魔弾の射手』『ワルキューレ』)。
●12月、マンハイム、管弦楽(1回)(クレーナウ『ダンテ交響曲』ほか)、オペラ(『カルメン』『シュラミート』『アイーダ』『ナクソス島のアリアドネ』『こうもり』)。
●フルトヴェングラーの最初の子供(婚外子)、ヴィルヘルム誕生。母親はオーストリア出身のペンション従業員ユーリエ。
1917年(31歳) マンハイム宮廷劇場楽長
●1月、マンハイム、管弦楽(2回)(ベートーヴェン4番ほか)、オペラ(『サロメ』『ナクソス島のアリアドネ』)。
●2月、マンハイム、オペラ(『タンホイザー』『こうもり』『サロメ』)。
●3月、マンハイム、管弦楽(2回)(ベートーヴェン3番ほか)、オペラ(『ジークフリート』『サロメ』『カルメン』『こうもり』)。
●4月、マンハイム、オペラ(『フィデリオ』『魔弾の射手』『パルジファル』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『魔笛』)。
●5月、マンハイム、オペラ(『魔笛』『フィデリオ』『魔弾の射手』『こうもり』『パルジファル』『タンホイザー』)。
●6月、マンハイム、オペラ(『魔笛』『アイーダ』『ヴィオランタ』『トリスタンとイゾルデ』『ラインの黄金』)。
●7月、マンハイム、オペラ(『ワルキューレ』『ヴィオランタ』『神々の黄昏』)。
●9月、マンハイム、オペラ(『魔笛』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』)。『ニーベルングの指環』はマンハイム、およびバーデン=バーデンのクアハウス(カジノ)への引っ越し公演で2サイクル上演。
●10月2日、ヒンデンブルク大統領の誕生日祝賀演奏会を開催。
●10月、マンハイム、管弦楽(1回)(ベートーヴェン7番ほか)、オペラ(『さまよえるオランダ人』)。
●11月、マンハイム、管弦楽(2回)(ブルックナー8番ほか)、オペラ(『ウィンザーの陽気な女房たち』『魔弾の射手』『カルメン』ゼクレス『シェエラザード』)。
●12月、マンハイム、管弦楽(2回)(ブラームス4番ほか)、オペラ(『魔笛』『ナクソス島のアリアドネ』)。
●12月14日、ベルリン・フィルに初めて客演。ワーグナー&R.シュトラウス・コンサート。
1918年(32歳) マンハイム宮廷劇場楽長
●1月、マンハイム、管弦楽(2回)(チャイコフスキー4番ほか)、オペラ(『トリスタンとイゾルデ』『魔笛』)。
●1月、ベルリン・フィル(1回)、ブルックナー4番&ベートーヴェン・コンサート。
●2月、管弦楽1回(リスト『ダンテ交響曲』ほか)、オペラ(『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ウィンザーの陽気な女房たち』ゼクレス『シェエラザード』)。
●3月、ベルリン・フィル(1回)、ブラームス1番&ベートーヴェン・コンサート。
●3月、マンハイム、管弦楽(1回)(シューベルト『グレート』ほか)、オペラ(『カルメン』『さまよえるオランダ人』『魔弾の射手』『パルジファル』)。
●4月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブルックナー8番ほか)、オペラ(クレーナウ『キャルタンとグードルン』『トリスタンとイゾルデ』『ジークフリート』)。
●5月、マンハイム、オペラ(クレーナウ『キャルタンとグードルン』『魔笛』『哀れなハインリヒ』『セヴィリアの理髪師』『後宮からの誘拐』『カルメン』)。
●6月、マンハイム、オペラ(『魔弾の射手』『ワルキューレ』『魔笛』クレーナウ『キャルタンとグードルン』『フィデリオ』『哀れなハインリヒ』『魔弾の射手』)。
●9月、マンハイム、オペラ(『セヴィリアの理髪師』『トリスタンとイゾルデ』『フィデリオ』『マイスタージンガー』)。
●10月、マンハイム、管弦楽(2回)(ブルックナー9番ほか)、オペラ(『後宮からの誘拐』『マイスタージンガー』『魔弾の射手』)。
●11月、ベルリン・フィル(1回)、シューベルト『未完成』&ベートーヴェン・コンサート。
◆11月、「ドイツ国(Deutsches Reich)」で「ドイツ革命」勃発。皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命し、47年間に及んだ「帝政」(通称:ドイツ帝国)が崩壊し、「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)に移行。
◆11月、オーストリアはイタリアに降伏、パドヴァ近くのヴィラ・ジュスティで休戦協定を結び、ほどなくドイツも降伏、コンピエーニュの森の列車で連合国との休戦協定を締結。
●11月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブラームス1番ほか)、オペラ(『セヴィリアの理髪師』『さまよえるオランダ人』)。
◆11月9日、ドイツ、共和国宣言。皇帝ヴィルヘルム2世廃位。
◆11月11日、停戦協定。
●11月、ムゼウム管(2回)、シューベルト『グレート』、ブラームス1番等。メンゲルベルクの代役として成功。以後、数多く指揮をすることになります。
●12月、マンハイム、管弦楽(1回)(シューマン1番ほか)、オペラ(『トリスタンとイゾルデ』『さまよえるオランダ人』プフィッツナー『キリストになった小悪魔』『フィデリオ』『セヴィリアの理髪師』『カルメン』)。
1919年(33歳) マンハイム国立劇場楽長、トーンキュンストラー管指揮者
●1月、マンハイム、管弦楽(2回)(マーラー4番ほか)、オペラ(『さまよえるオランダ人』プフィッツナー『キリストになった小悪魔』ゼクレス『ダンドロ』)。
◆1月15日、設立間もないドイツ共産党の指導者、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトら、数百人のマルクス主義活動家と共に、ドイツ義勇軍により殺害。社民党政権の指示。
●1月、ムゼウム管(1回)、リスト『ファウスト交響曲』、ドヴォルザーク:チェロ協奏曲等。
●2月、マンハイム、管弦楽(2回)(シェーンベルク『浄夜』ほか)、オペラ(『カルメン』『ダンドロ』『魔弾の射手』『魔笛』)、声楽1回(『冬の旅』WFのピアノ伴奏)。
●2月21日、ムゼウム管、シェーンベルク『浄夜』等。
●3月、マンハイム、管弦楽(1回)(チャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』ほか)。
●3月、ムゼウム管(1回)、ブラームス:1番等。
●4月、マンハイム、管弦楽(1回)(ベートーヴェン9番ほか)、オペラ(『フィデリオ』『オルフェオとエウリディーチェ』『マイスタージンガー』)。
●4月、マンハイムとウィーンでベートーヴェン9番を指揮。
●4月、ミュンヘン演奏協会管(現ミュンヘン・フィル)(1回)、シューベルト『グレート』等。
●4月、トーンキュンストラー管(1回)、ベートーヴェン9番等。
●5月、マンハイム、オペラ(『フィデリオ』『魔弾』『オルフェオとエウリディーチェ』『カルメン』)。
●6月、ダルムシュタット(1回)、チャイコフスキー5番等。
●6月、トーンキュンストラー管(1回)、ベートーヴェン6、5番等。
●6月、マンハイム、オペラ(『オテロ』『ワルキューレ』『オルフェオとエウリディーチェ』『パルジファル』『アイーダ』)。
●7月、マンハイム、オペラ(『フィガロの結婚』『後宮からの誘拐』『オテロ』『フィデリオ』)。
◆8月11日、ヴァイマル憲法公布。ドイツ国、ヴァイマル共和政に移行。
●9月、マンハイム、オペラ(『フィガロの結婚』『後宮からの誘拐』『オテロ』『フィデリオ』)。
●10月、マンハイム、管弦楽(2回)(R.シュトラウス『家庭交響曲』ほか)、オペラ、戯曲+音楽1曲(『オルフェオとエウリディーチェ』『イオランテ』『フィガロの結婚』『トリスタンとイゾルデ』『アブ・ハッサン』『エグモント』)。
●10月、トーンキュンストラー管(1回)、ベートーヴェン6、5番等。
●11月、ウィーン響(1回)、ベートーヴェン5番等。
●11月、トーンキュンストラー管(3回)、マーラー3番等。
●12月、ムゼウム管(1回)、ブルックナー5番等。
●12月、マンハイム、管弦楽(1回)(ブルックナー5番ほか)、オペラ(『後宮からの誘拐』『フィデリオ』『イオランテ』『アブ・ハッサン』『ジークフリート』『フィガロの結婚』『トリスタンとイゾルデ』プフィッツナー『キリストになった小悪魔』)。
●著作を愛読していたユダヤ系オーストリア人の音楽学者ハインリヒ・シェンカー[1868-1935]と初めて対面。以後、シェンカーが亡くなるまで、ウィーンに滞在した際は頻繁に訪ねて教えを受けています。
1920年(34歳) マンハイム国立劇場楽長、ムゼウム管指揮者、ベルリン国立歌劇場管指揮者
●1月、トーンキュンストラー管(2回)、シューマン4番等。
●1月、マンハイム、管弦楽(2回)(リスト『ファウスト交響曲』ほか)、オペラ(『さまよえるオランダ人』『ワルキューレ』『魔弾の射手』)。
●2月、トーンキュンストラー管(1回)、リスト『ファウスト交響曲』等。
●2月、ベルリン・フィル(1回)、ブルックナー8番、ブラームス:ピアノ協奏曲2番。
●2月、マンハイム、オペラ(1回)(プフィッツナー『キリストになった小悪魔』)。
●3月、マンハイム、管弦楽(2回)(ベートーヴェン9番ほか)、オペラ(プフィッツナー『パレストリーナ』)。
●4月、マンハイム、オペラ(1回)『パレストリーナ』。
●4月、ベルリン国立歌劇場管の指揮者に就任。
●4月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、ベートーヴェン9番、3番等。
●4月、トーンキュンストラー管(5回)、マーラー3番、ブルックナー9番、ベートーヴェン9番、チャイコフスキー5番等。
●5月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、シューマン4番等。
●5月、マンハイム、オペラ(『パレストリーナ』『カルメン』『オルフェオとエウリディーチェ』『後宮からの誘拐』『アイーダ』『さまよえるオランダ人』)。
●6月、トーンキュンストラー管(5回)、マーラー3番、ベートーヴェン9番。
●6月、マンハイム、オペラ(『パレストリーナ』『後宮からの誘拐』)。
●9月、ムゼウム管(2回)、ブラームス1番等。
●10月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、ブルックナー7番、ブラームス1番等。
●10月、ムゼウム管(2回)、ブルックナー7番等。
●10月、ストックホルム・フィル(4回)、ブラームス1番、シューマン4番、ベートーヴェン5番等。
●11月、トーンキュンストラー管(3回)、ブルックナー7番等。
●11月、ムゼウム管(1回)、ベートーヴェン5番等。
●11月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、マーラー2番等。
●12月、トーンキュンストラー管(2回)、ベートーヴェン・コンサート。
●12月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン・コンサート。
●12月、ストックホルム・フィル(5回)、ベートーヴェン9番、チャイコフスキー5番等。
●娘ダグマーが誕生(2番目の婚外子)。母親は歌手のアウグステ・ベラ。
1921年(35歳) ムゼウム管指揮者、ベルリン国立歌劇場管指揮者
●1月、ストックホルム・フィル(2回)、ブルックナー4番、ベルク:ヴァイオリン協奏曲等。
●1月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、シューベルト『グレート』等。
●1月、ベルリン・フィル(1回)、リスト『ファウスト交響曲』等。
●1月、ムゼウム管(2回)、シェーンベルク『ペレアスとメリザンド』、シューベルト『グレート』等。
●1月、ミュンヘン演奏協会管(1回)、シューマン4番等。
●2月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン7番等。
●2月、ムゼウム管(チャイコフスキー5番ほか)、室内楽(ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ2番、ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲『大公』WF:ピアノ)。
●2月、トーンキュンストラー管(2回)、ベートーヴェン7番等。
●2月、リューベック劇場管(1回)、ブルックナー4番等。
●3月、ムゼウム管(2回)、シューマン4番等。
●3月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン6番等。
●3月、トーンキュンストラー管(2回)、マーラー2番。
●4月、ベルリン・フィル(1回)、ブルックナー4番等。
●4月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ハイドン88番等。
●4月、ムゼウム管(3回)、ベートーヴェン9番等。
●4月、トーンキュンストラー管(6回)、ベートーヴェン9番等。
●4月、エーリヒ・クライバー[1890-1956]が、フルトヴェングラー宛にフランクフルト歌劇場に推薦してくれるよう手紙で依頼、文中で自分がユダヤ人ではないと強調。エーリヒ・クライバーは、鼻の形のせいで、任地のエルバーフェルトでは土地柄もあってかユダヤ人と言われることが多く、教会から証明書を取り寄せるほどの事態にまで陥ってたのだとか。もっとも1926年にはユダヤ人女性と結婚しているので、周辺環境次第ということなのかもしれません。
ちなみに、当時のフランクフルト歌劇場の音楽監督は、着任28年目のユダヤ人ルートヴィヒ・ロッテンベルク[1865-1932]でした。しかし願いは叶わず、デュッセルドルフ、マンハイムと短期間の楽長仕事をこなしたあと、1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任。なお、フランクフルト歌劇場のポジションはロッテンベルクが継続し、1924年からクレメンス・クラウス[1893-1954]に引き継がれています。
●5月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン9番。
●5月、ベルリン・フィル(1回)、ブラームス4番等。
●5月、ヴィースバーデン劇場(1回)、オペラ(『フィデリオ』)。
●6月、ヴィースバーデン劇場管(2回)、ブラームス4番等。
●6月、マンハイム、オペラ(『フィデリオ』『トリスタンとイゾルデ』)。
●8月、ゲヴァントハウス管(1回)、シューマン4番等。
●9月、トーンキュンストラー管(2回)、マーラー1番等。
●10月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン3番等。
●10月、ベルリン・フィル(2回)、マーラー1番等。
●10月、ムゼウム管(1回)、ブルックナー8番等。
●11月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、ブルックナー8番等。
●11月、トーンキュンストラー管(4回)、ブルックナー8番等。
●11月、ウィーン響、ベートーヴェン『荘厳ミサ』
●12月、ウィーン響(3回)、ベートーヴェン『荘厳ミサ』
●12月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン7番等。
●12月、ベルリン・フィル(1回)、ブラームス1番等。
●ユダヤ人ベルタ・ガイスマールと秘書契約。
●娘フリーデリケ[1921-2010]が誕生(3番目の婚外子)。母親はエリーザベト・フーフ[1883-1956]。
1922年(36歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者
●1月、トーンキュンストラー管(2回)、シューマン1番等。
●1月、マンハイム(1回)、R.シュトラウス『家庭交響曲』等。
●1月、ムゼウム管(1回)、R.シュトラウス『家庭交響曲』等。
●1月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、R.シュトラウス『家庭交響曲』等。
●1月23日、アルトゥール・ニキシュ死去。
●1月、ゲヴァントハウス管(1回)、ニキシュ追悼公演。
●1月、ベルリン・フィル(1回)、幻想交響曲等。
●2月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン3番等。
●2月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、メンデルスゾーン3番等。
●2月、トーンキュンストラー管(2回)、幻想交響曲等。
●2月、ウィーン響(1回)、プフィッツナー『ドイツ精神について』。
●3月、ミュンヘン演奏協会管(1回)、ブラームス4番等。
●3月、マンハイム国立劇場管(1回)、ブラームス4番等。
●3月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン9番。
●3月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン8番等。
●3月、トーンキュンストラー管(2回)、ベートーヴェン5番等。
●3月、ウィーン響(2回)、プフィッツナー『ドイツ精神について』、ベートーヴェン9番。
●3月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス4番等。ブラームス没後25周年記念公演。
●4月1日、ウィーン響、ベートーヴェン9番。
●4月、ローマ聖チェチーリア管(3回)、ベートーヴェン5番等。
●4月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、ベートーヴェン9番等。
●5月、マンハイム、オペラ(1回)『ワルキューレ』。
●5月22日、デンマーク人のツィトラ・ルントと結婚。
●5月、ベルリン・フィル(1回)、ブラームス4番等。
◆6月24日、外務大臣ヴァルター・ラーテナウが右翼活動家により殺害。
●9月、トーンキュンストラー管(2回)、ベートーヴェン7番等。
●10月、ベルリン・フィル(4回)、ブルックナー7番、スクリャービン『法悦の詩』等。
●10月、ゲヴァントハウス管(3回)、ベートーヴェン7番等。
●11月、ベルリン・フィル(4回)、リスト『ファウスト交響曲』等。
●11月、ゲヴァントハウス管(3回)、リスト『ファウスト交響曲』等。
●11月、ウィーン響(4回)、シューベルト『未完成』『グレート』。
●11月、財政難のベルリン・フィルのため、ベルリン市が70万マルクの補助金を工面。
●12月、コペンハーゲン・フィル、ベートーヴェン7番等。
●12月、ベルリン・フィル(2回)、シェーンベルク『管弦楽のための5つの小品』等。
●12月7日、ゲヴァントハウス管、シェーンベルク『管弦楽のための5つの小品』等。
●12月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●冬、良い別荘を探していたフルトヴェングラーは、イギリス人富豪の妻となっていた愛人のドイツ人女性エルゼ・ハッチンソンから、スイス、サン・モリッツ近くの山村ツェレリーナ(標高約1,700メートル)の「アクラ・シルヴァ」を紹介され、以後、頻繁に利用するようになります。
1923年(37歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者
◆ドイツのルール工業地帯をフランスが占領。労働者ストライキなどによりハイパーインフレ発生。
●1月、ゲヴァントハウス管(4回)、ブラームス1番等。
●1月、ベルリン・フィル(4回)、ベートーヴェン3番等。
●2月、ゲヴァントハウス管(2回)、メンデルスゾーン3番等。
●2月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス4番等。
●2月、ウィーン響(2回)、ヘンデル『サウル』。
●2月、トーンキュンストラー管(2回)、メンデルスゾーン3番等。
●3月、ゲヴァントハウス管(4回)、ベートーヴェン9番等。
●3月、ベルリン・フィル(5回)、ベートーヴェン9番等。
●4月、ウィーン響(2回)、モーツァルト:レクィエム。
●4月、トーンキュンストラー管(2回)、チャイコフスキー5番等。
●4月、ゲヴァントハウス管(7回)、ブラームス1番等。
●4月、コンセルトヘボウ管、チャイコフスキー5番等。
●5月、ゲヴァントハウス管(1回)、ブラームス1番等。
●5月22日、上流階級のデンマーク人、ツィトラ・ルント[1885-?]と結婚。ツィトラとフルトヴェングラーは、前年12月のコペンハーゲン公演で知り合って親しくなり、当時2度目の結婚生活を送っていたツィトラは、フルトヴェングラーと結婚するために離婚しています。新居はベルリンのホーエンツォレルン通り9番地。ツィトラは声楽を学び音楽に詳しく、バイロイトの支援団体でもある「リヒャルト・ワーグナー・ドイツ婦人連盟」の理事も務めていたほか、「若いアーティストの支援団体」も自ら設立していました。
●6月、ミラノ・スカラ座管(2回)、ベートーヴェン7番等。
●8月、フルトヴェングラーの娘イーヴァ[1921-2010]が誕生(4番目の婚外子)。母親はエルゼ・ハッチンソン[1886-1971]。
●9月、トーンキュンストラー管(2回)、ブルックナー4番等。
●10月、ウィーン響(2回)、プフィッツナー『ドイツ精神について』。
●10月、ゲヴァントハウス管(3回)、ブラームス1番等。
●10月、ベルリン・フィル(4回)、R.シュトラウス『家庭交響曲』等。
●11月、ウィーン響(2回)、ヘンデル『サムソン』。
●11月、ゲヴァントハウス管(4回)、ストラヴィンスキー『春の祭典』等。
●11月、ベルリン・フィル(5回)、ブルックナー4番等。
◆臨時通貨レンテンマルク発行開始。ハイパーインフレからの経済立て直しのため。
●12月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン2番等。
●12月、トーンキュンストラー管(2回)、シューマン4番等。
●12月、ウィーン響(2回)、ベートーヴェン9番。
●12月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン7番等。
1924年(38歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者
●1月、ゲヴァントハウス管(4回)、ブルックナー4番等。
●1月、ベルリン・フィル(4回)、ストラヴィンスキー『春の祭典』等。
●1月、ロイヤル・フィル、ブラームス1番等。
●1月、リヴァプール・フィル、ブラームス1番等。
●2月、ロンドン交響楽団、チャイコフスキー5番等。
●2月、ゲヴァントハウス管(2回)、マーラー3番等。
●2月、ベルリン・フィル(2回)、ブラームス3番等。
●2月、ウィーン響(2回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●2月、ウィーン・フィル、マーラー3番。
●3月、ゲヴァントハウス管(5回)、マーラー3番等。
●3月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン9番等。
●3月、マンハイム、管弦楽(1回)、オペラ(『マイスタージンガー』『カルメン』)。
●4月、マンハイム、管弦楽(1回)、オペラ(『マイスタージンガー』)。
●4月、ベルリン・フィル(4回)、ブルックナー4番等。
●5月、ベルリン・フィル(14回)、ブルックナー4番等。
●5月、マンハイム、オペラ(『マイスタージンガー』『後宮からの誘拐』)。
●8月、バイエルン国立歌劇場、オペラ(『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『トリスタンとイゾルデ』『マイスタージンガー』)。
◆ライヒスマルクが法定通貨に追加。レンテンマルクとライヒスマルクの交換比率は、1:1。
●9月、マンハイム、管弦楽(1回)、ベートーヴェン3番等。
●10月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス4番等。
●10月、ゲヴァントハウス管(4回)、ブルックナー5、9番、R.シュトラウス『アルプス交響曲』等。
●11月、ベルリン・フィル(4回)、ブルックナー5番、チャイコフスキー6番等。
●11月、ロイヤル・フィル(1回)、ベートーヴェン7番等。
●11月、ゲヴァントハウス管(4回)、チャイコフスキー6番等。
●12月、ゲヴァントハウス管(1回)、シューベルト『グレート』等。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、シューベルト『グレート』等。
●12月、ウィーン響(2回)、ハイドン『天地創造』。
1925年(39歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者
●1月、ニューヨーク・フィル(10回)、ストラヴィンスキー『春の祭典』、チャイコフスキー5番等。ミネトンカ号での船旅。
●2月、ゲヴァントハウス管(3回)、ドヴォルザーク9番、マーラー1番等。
●2月、ベルリン・フィル(2回)、マーラー1番等。
●3月、ベルリン・フィル(10回)、マーラー1番、ベートーヴェン9番等。
●3月、ゲヴァントハウス管(4回)、ヘンデル『水上の音楽』、ベートーヴェン9番等。
●4月、ウィーン響(2回)、バッハ『ヨハネ受難曲』。
●4月、ウィーン・フィル(1回)、ブルックナー9番等。
●4月、ストックホルム・フィル(3回)、チャイコフスキー6番等。
●4月、ベルリン・フィル(3回)、チャイコフスキー6番等。
●5月、ベルリン・フィル(24回)、ベートーヴェン5番等。
●6月、ベルリン・フィル(2回)、R.シュトラウス『英雄の生涯』等。
●9月、マンハイム、管弦楽(1回)、ドヴォルザーク9番等。
●10月、ベルリン・フィル(5回)、レスピーギ『ローマの松』等。
●10月、ゲヴァントハウス管(4回)、クレツキ『悲劇への前奏曲』等。
●11月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●11月、ベルリン・フィル(5回)、ブルックナー8番、ベルリオーズ『幻想交響曲』等。
●11月、ゲヴァントハウス管(2回)、ブルックナー8番、ベルリオーズ『幻想交響曲』等。
●12月、ベルリン・フィル(4回)、バッハ:カンタータ51番、ヒンデミット『管弦楽のための協奏曲』等。
●12月、ウィーン・フィル(4回)、ドヴォルザーク9番、R.シュトラウス『家庭交響曲』。
●12月、ゲヴァントハウス管(1回)、ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』、ヒンデミット『管弦楽のための協奏曲』等。
●国際現代音楽協会ドイツ支部長に就任。
1926年(40歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者
●1月、ベルリン・フィル(6回)、ブラームス3番、『ドイツ・レクィエム』等。
●1月、ウィーン響(2回)、ズーター『アッシジの聖フランチェスコのラウダ』。
●1月、ゲヴァントハウス管(2回)、ベートーヴェン3番、ブラームス3番等。
●2月、フルトヴェングラーのニューヨーク公演が始まると、トスカニーニ派のタイムズ紙の音楽評論家オーリン・ダウンズが、反フルトヴェングラー・キャンペーンを展開、あの手この手で演奏を叩きまくりますが、影響はほとんど無く、大成功のうちにツアーを終えています。ちなみにダウンズは、バルビローリがトスカニーニの後任になった際にも徹底的な攻撃をおこなっていました。
●2月、ニューヨーク・フィル(12回)、ブラームス4番、ドヴォルザーク9番等。
●3月、ニューヨーク・フィル(18回)、チャイコフスキー6番、ブルックナー4番等。
●4月、ニューヨーク・フィル(2回)、ベートーヴェン3番等。
●4月、ベルリン・フィル(7回)、チャイコフスキー4番、ブラームス1番等。
●4月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン9番。
●5月、ベルリン・フィル(20回)、ブルックナー4番、ブラームス『ドイツ・レクィエム』等。
●6月、ベルリン・フィル(1回)、ブラームス1番、ピアノ協奏曲2番。
●9月、マンハイム、管弦楽(1回)、フランク交響曲等。
●9月、ベルリン・フィル(2回)、フランク交響曲、ベートーヴェン『皇帝』。
●10月、ゲヴァントハウス管(5回)、ブルックナー9番、ブラームス2番、ホロヴィッツと共演したリストのピアノ協奏曲第2番等。ホロヴィッツとは相性が悪く、ホロヴィッツはフルトヴェングラーの猟色趣味をからかって「ドクトル脳下垂体肥大」というあだ名を考案。ちなみにホロヴィッツはバイセクシャルでした。
●10月、ベルリン・フィル(6回)、ブルックナー9番、ホロヴィッツと共演したリストのピアノ協奏曲2番等。
●11月、ゲヴァントハウス管(2回)、R.シュトラウス『英雄の生涯』、モーツァルト39番等。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、R.シュトラウス『英雄の生涯』、モーツァルト39番等。
●11月、ウィーン響(2回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●12月、ベルリン・フィル(5回)、リスト『ファウスト交響曲』、R.シュトラウス『英雄の生涯』等。
●12月、ゲヴァントハウス管(4回)、リスト『ファウスト交響曲』、ベートーヴェン7番等。
●シャルル・ミュンシュがゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに就任。フルトヴェングラーと共によく酒場に出かけるようになります。
●5月と6月のハイデルベルクでの公演の成功により、ハイデルベルク大学から名誉博士の称号が授与されます。
1927年(41歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者、ウィーン・フィル常任指揮者、ウィーン国立歌劇場楽長、ウィーン演奏協会音楽監督
●1月、ゲヴァントハウス管(2回)、ブラームス1番、メンデルスゾーン3番等。
●1月、ベルリン・フィル(5回)、ベートーヴェン7番、『大フーガ』等。
●1月、ウィーン・フィル(2回)、メンデルスゾーン3番、ブラームス2番。
●1月、ミュンヘン演奏協会管(1回)、ベートーヴェン5番、ブラームス2番。
●2月、ニューヨーク・フィル(10回)、ベートーヴェン7番、ミヤスコフスキー7番等。
●3月、ニューヨーク・フィル(20回)、フランク交響曲、ブラームス『ドイツ・レクィエム』等。
●4月、ニューヨーク・フィル(2回)、ブラウンフェルス『ドン・ファン』、ブラームス『ドイツ・レクィエム』等。
●4月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン3番、ドビュッシー『夜想曲』等。
●4月、ゲヴァントハウス管(2回)、ベートーヴェン9番。フルトヴェングラーがリハーサルで楽員を侮辱したことを赦せなかった幹部楽員がフルトヴェングラーを罵倒、市長がとりなす状態となり、この件が尾を引いたこともあってか、翌年3月までで楽長を辞任、以後は客演のみとします。
●5月、ベルリン・フィル(26回)、チャイコフスキー4番、ブラームス1番等。
●6月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン1・4・5・6・7番等。
●7月、ムゼウム管(1回)、バルトーク:ピアノ協奏曲1番、ニールセン5番。
●8月11日、「憲法記念日式典」で、ベルリン・フィル&ベルリン響を指揮。『マイスタージンガー』前奏曲
●9月、マンハイム、管弦楽(1回)、ハイドン103番、ベートーヴェン7番、プロコフィエフ『道化師』。
●10月、ゲヴァントハウス管(4回)、ヴォーン・ウィリアムズ『タリス幻想曲』、ニールセン5番、プロコフィエフ『道化師』等。
●10月、ベルリン・フィル(5回)、ハイドン103番、ラヴェル『ダフニスとクロエ』2組曲等。
●11月、ゲヴァントハウス管(3回)、シューマン2番、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』等。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、シューマン2番、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』等。
●11月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン7番、ラヴェル『ダフニスとクロエ』2組曲等。
●11月、ウィーン響(2回)、ヴェルディ『レクィエム』。
●12月、ベルリン・フィル(8回)、シューマン2番、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●12月、ウィーン・フィル(2回)、ヴォーン・ウィリアムズ『タリス幻想曲』、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●12月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン1番、R.シュトラウス『ティル・オイレンシュピーゲル』等。大晦日演奏。
1928年(42歳) ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ベルリン・フィル首席指揮者、ウィーン演奏協会音楽監督
●1月、ゲヴァントハウス管(1回)、ブルックナー7番等。元日演奏。
●1月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー7番等。
●1月、ウィーン・フィル(2回)、メンデルスゾーン『フィンガルの洞窟』、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●1月、ウィーン響(2回)、ヘンデル『メサイア』。
●1月、ミュンヘン演奏協会管(1回)、シューベルト『未完成』『グレート』等。
●2月、ゲヴァントハウス管(2回)、シューベルト『グレート』、ブラームス3番等。
●2月、ベルリン・フィル(4回)、チャイコフスキー5番、バッハ『マタイ受難曲』等。
●2月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス3番、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』等。
●3月、ゲヴァントハウス管(7回)、ブラームス3・4番、ベートーヴェン9番等。
●3月、ベルリン・フィル(5回)、ブラームス4番、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲等。
●3月、リューベック、管弦楽(1回)、ブラームス:ピアノ協奏曲2番。
●4月、ベルリン・フィル(10回)、モーツァルト40番、ブルックナー7番等。
●4月、ウィーン・フィル(6回)、ブルックナー7番、バッハ『ヨハネ受難曲』等。
●5月、ベルリン・フィル(20回)、ブラームス1番、シューベルト『グレート』、ブルックナー7番等。
●6月、ベルリン・フィル(5回)、シューベルト『グレート』、ブルックナー7番等。
●8月11日、「憲法記念日式典」で、ベルリン・フィル&ベルリン響を指揮。ブルックナー『詩篇150番』等。
●9月、マンハイム、オペラ(1回)『ワルキューレ』。
●10月、マンハイム、管弦楽(1回)、ブルックナー7番等。
●10月、ベルリン市の音楽総監督に就任。
●10月、ベルリン・フィル(5回)、ブルックナー4番等。
●11月、ベルリン・フィル(10回)、ブラームス1番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲3番等。
●11月、ウィーン・フィル(1回)、シューベルト『グレート』等。
●11月、ウィーン国立歌劇場デビュー。『ラインの黄金』と『フィガロの結婚』で喝采を博し、総支配人から、1930年以降の音楽監督への就任を打診されます。フルトヴェングラーはこれを材料にベルリン市と駆け引きをおこない、ベルリン・フィルの財政支援の強化と、自身のギャラのアップを実現します。一方、断られたウィーンの方は現職のシャルクは気分を害して辞任を表明、後任としてフルトヴェングラーと天秤にかけられて軽く扱われたと感じたワルターも拒絶し、結果として、フランクフルトで実績を上げていた若手のクレメンス・クラウスが、R.シュトラウスの支援を受けて音楽監督に着任することとなります。
●12月、ベルリン・フィル(4回)、シェーンベルク『管弦楽のための変奏曲』、ドビュッシー『海』等。
●12月、ウィーン・フィル(4回)、ブルックナー4番、ブラームス1番等。
1929年(43歳) ベルリン・フィル首席指揮者、ウィーン演奏協会音楽監督
●1月、ベルリン・フィル(2回)、シューマン3番、ストラヴィンスキー『火の鳥』等。
●1月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス3番、ストラヴィンスキー『火の鳥』等。
●1月、ウィーン響(2回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●2月、ベルリン・フィル(7回)、マーラー交響曲1番、ストラヴィンスキー『火の鳥』、バッハ『マタイ受難曲』、モーツァルト41番等。
●2月、ウィーン・フィル(2回)、マーラー交響曲1番等。
●3月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン3番、ハイドン86番等。
●3月、ウィーン・フィル(4回)、モーツァルト41番、ブラームス4番等。
●3月、ウィーン響(2回)、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』。
●3月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン3番等。
●4月、ウィーン・フィル(6回)、ベートーヴェン9・3・8番等。
●4月、ベルリン・フィル(11回)、ベートーヴェン3・7番、ブラームス1番等。
●5月、ベルリン・フィル(20回)、ストラヴィンスキー『火の鳥』、ブルックナー8番等。
●5月、プール・ル・メリット平和勲章叙勲。
●6月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番等。
●6月、ベルリン響(1回)、『フィガロの結婚』。
●6月、ベルリン市立歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●5〜6月、第1回ベルリン芸術祭開催。クライバーの『』マイスタージンガー』、クレンペラーの『今日のニュース』『ドン・ジョヴァンニ』『さまよえるオランダ人』、ワルター『大地の歌』、トスカニーニ&スカラ座の『ファルスタッフ』『ランメルモールのルチア』、フルトヴェングラーの『フィガロの結婚』『トリスタンとイゾルデ』などが上演。期間中にイタリア大使館で開かれたレセプションにはスター指揮者たちが顔をそろえました。
●6月、マンハイム、オペラ(1回)『フィデリオ』。
●8月11日、「憲法記念日式典」でベルリン・フィルを指揮。バッハ管弦楽組曲3番、ベートーヴェン『レオノーレ』序曲3番。
●9月、マンハイム、オペラ(1回)、『ローエングリン』。
●10月、ベルリン市立歌劇場(3回)、『ローエングリン』。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー8番等。
●10月、ウィーン・フィル(2回)、ブルックナー8番等。
●11月、ウィーン・フィル(4回)、ヴォーン・ウィリアムズ『ノーフォーク狂詩曲』、プロコフィエフ『鋼鉄の歩み』等。
●11月、ウィーン国立歌劇場(2回)、オペラ(『トリスタンとイゾルデ』)。
●11月、ベルリン市立歌劇場(1回)、『ローエングリン』。
●11月、ベルリン・フィル(8回)、ベートーヴェン5番等
●12月、ベルリン・フィル(7回)、シューマン1番、レスピーギ『ローマの祭り』等。
●12月、ウィーン・フィル(4回)、シューマン1番、レスピーギ『ローマの祭り』等。
●12月、ベルリン市立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』『ローエングリン』。
◆ドイツの失業者数約200万人。
1930年(44歳) ベルリン・フィル首席指揮者、ウィーン演奏協会音楽監督
●1月、ベルリン市立歌劇場(2回)、『ローエングリン』。
●1月、ベルリン・フィル(2回)、クレツキ『管弦楽のための変奏曲』等。
●2月、ベルリン・フィル(5回)、ストラヴィンスキー『春の祭典』等。
●2月、ウィーン・フィル(5回)、プロハスカ『パッサカリア』、チャイコフスキー6番等。
●2月、ウィーン響(1回)、ベートーヴェン『荘厳ミサ』。
●2月、ベルリン市立歌劇場(2回)、『フィガロの結婚』。
●3月、ベルリン・フィル(8回)、ベートーヴェン『荘厳ミサ』、ブロッホ『シェロモ』、メンデルスゾーン4番等。
●3月、ウィーン・フィル(6回)、レーガー『モーツァルト変奏曲』、ベートーヴェン9番等。
●3月、ゲヴァントハウス管(1回)、メンデルスゾーン4番等。
●4月、ベルリン市立歌劇場(3回)、『ドン・ジョヴァンニ』。
●4月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン5・6番。
●4月、ウィーン・フィル(5回)、ブルックナー4番等。
●5月、ベルリン・フィル(20回)、ブラームス2・3番、ストラヴィンスキー『火の鳥』等。
●5月12日、ウィーン・フィル常任指揮者を辞任。
●6月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番、『荘厳ミサ』。
●6月、ベルリン市立歌劇場(2回)、『フィデリオ』。
●6月、マンハイム、管弦楽(1回)、ベートーヴェン6・7番等。
●6月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン6番等。
●10月、ベルリン・フィル(7回)、ベートーヴェン2・4・5番、ヒンデミット『今日のニュース』序曲等。
●11月、ベルリン・フィル(7回)、ベートーヴェン4番、ブラームス4番、ラヴェル『ボレロ』等。
●12月、ベルリン・フィル(5回)、ベートーヴェン8番、ブラームス4番等。
●ブリューニング首相の判断により、ベルリン・フィルへの12万マルクの補助金カットが決定しますが、ツアーでの海外での知名度向上や外貨獲得を軸としたフルトヴェングラーの交渉により、補助金カットは中止されます。
1931年(45歳) ベルリン・フィル首席指揮者、バイロイト音楽祭総監督
●1月、ベルリン・フィル(7回)、ハイドン『天地創造』、ブラームス4番、ヒンデミット『今日のニュース』序曲等。
●2月、ゲヴァントハウス管(1回)、ハイドン104番、チャイコフスキー4番等。
●2月、ベルリン・フィル(9回)、ハイドン104番、シューマン4番等。
●3月、ベルリン・フィル(16回)、ベートーヴェン7番、大フーガ、ブラームス4番等。
●3月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番等。
●4月、ベルリン・フィル(11回)、ハイドン104番、ブラームス4番、ブルックナー3番等。
●5月、ベルリン・フィル(17回)、ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』、ストラヴィンスキー『火の鳥』、ブラームス4番、ブルックナー3番等。
●バイロイト音楽祭の音楽監督に就任(翌年まで)。
●7月、バイロイト(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●8月、バイロイト、管弦楽(1回)(ベートーヴェン3番)、オペラ(『トリスタンとイゾルデ』(2回))。
●8月、ジークフリート・ワーグナーの未亡人で、強烈な反ユダヤ主義者のイギリス人、ヴィニフレート・ワーグナーがフルトヴェングラーの秘書がユダヤ人であることや、親しい人物にユダヤ人が多いことなどを問題視して、フルトヴェングラーと衝突。
●10月6日、マンハイム、管弦楽、ブラームス1番、ベートーヴェン5番。
●10月、ベルリン・フィル(6回)、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』、ドヴォルザーク:チェロ協奏曲等。
●11月、ベルリン・フィル(4回)、ドビュッシー『夜想曲』、ヘンデル『メサイア』等。
●11月、ベルリン国立歌劇場(3回)、プフィッツナー『心』。
●12月、ベルリン・フィル(7回)、ハイドン99番、チャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』等。
●12月、ベルリン国立歌劇場(2回)、プフィッツナー『心』。
●12月、ウィーン響(2回)、ヘンデル『メサイア』。
◆フランスがオーストリアから資本を引き揚げたこともあって、ロスチャイルド(ロートシルト)家創業のウィーンの大銀行「クレディート・アンシュタルト」が倒産、取引先のドレスデン銀行なども破綻するなど経済が悪化。
●妻ツィトラと別居。ツィトラをベルリンの家に残し、フルトヴェングラーは親密な間柄の家政婦のレンヒェンと2人で、ポツダムのヴィクトリア通りにある2階建ての家に移り住みます。
当時フルトヴェングラーには、数年来の付き合いのウィーンの愛人、ベリーネ・フライシュマンのほか、スイス人女性に、過去の多くの女性たちがいたほか、新たに秘書のベルタ・ガイスマールがブロッホの娘を紹介しようとして連れてくるなどにぎやかな状態でした。
フルトヴェングラーは、妻ツィトラに子供ができず、気絶の発作なども出ていたことから離婚を切り出しますが、愛人と子供たちの養育に金がかかり過ぎていたこともあって、十分な支払いをすることができないこともあってか、ツィトラは離婚に同意せず、引き続きサン・モリッツ近くの別荘などに住むことを希望し、12年後の1943年に離婚に応じています。
1932年(46歳) ベルリン・フィル首席指揮者、バイロイト音楽祭総監督
●1月、ベルリン・フィル(9回)、ハイドン104番、モーツァルト40番、マーラー4番等。
●1月、ベルリン国立歌劇場(2回)、プフィッツナー『心』。
●2月、ベルリン・フィル(15回)、ベートーヴェン『大フーガ』、ブルックナー9番等。
●2月、ベルリン国立歌劇場(1回)、プフィッツナー『心』。
●2月、「ドイツ協会」で講演。ドイツ音楽の優位性について弁論。楽団への支援削減が背景に。
●3月、ベルリン・フィル(9回)、ハイドン102番、ベートーヴェン7番等。
●3月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』プフィッツナー『心』。
●4月、ベルリン・フィル(17回)、ベートーヴェン9番、ブルックナー7番等。
●4月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●5月、ヴィニフレート・ワーグナーがフルトヴェングラー攻撃を強化。ゲッベルス、ヒトラーなどにフルトヴェングラーを中傷する情報をねじ込みます。
●5月、ベルリン・フィル(18回)、ハイドン88番、ストラヴィンスキー『火の鳥』、ベートーヴェン7番等。
●6月、パリ・オペラ座(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●10月、ベルリン・フィル(6回)、ベルリオーズ『イタリアのハロルド』、モーツァルト協奏交響曲K364等。
●10月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『マイスタージンガー』『トリスタンとイゾルデ』。
●11月、ベルリン・フィル(11回)、ベルリオーズ『イタリアのハロルド』、モーツァルト協奏交響曲K364等。
●11月、ベルリン国立歌劇場(3回)、『マイスタージンガー』。
●11月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン6・7番等。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、レーガー『モーツァルト変奏曲』、ベートーヴェン8番等。
●12月、ベルリン国立歌劇場(4回)、『マイスタージンガー』。
◆ドイツの失業者数約600万人。
1933年(47歳) ベルリン・フィル首席指揮者、ベルリン国立歌劇場音楽総監督、プロイセン枢密顧問官、帝国音楽院副総裁
●1月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●1月、ベルリン・フィル(7回)、デュカス『魔法使いの弟子』、シューベルト『グレート』等。
◆1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。「ドイツ国(Deutsches Reich)」の体制は、14年間続いた「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)から「国家社会主義ドイツ労働者党独裁体制」(通称:ナチス・ドイツ)に移行(1945年まで)。
●2月、ベルリン・フィル(22回)、ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』、チャイコフスキー5番等。
◆2月27日、ベルリンの国会議事堂が放火され炎上。これを受けて、「国民と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」が発令され、犯人がオランダ共産党員だったことから、ドイツの共産党と社会民主党も活動を禁止されることとなります。
●3月、ウィーン・フィル(2回)、ヘーガー『ヴェルディの主題による変奏曲』、チャイコフスキー5番等。
●3月、ベルリン国立歌劇場(3回)、『エレクトラ』『マイスタージンガー』。
◆3月21日、ポツダムの日
●3月、ベルリン・フィル(6回)、デュカス『魔法使いの弟子』、シューベルト『グレート』等。
◆3月、国民啓蒙・宣伝省大臣にヨーゼフ・ゲッベルスが就任。プロパガンダのほか、新聞・雑誌・放送・音楽・映画・演劇・文学・絵画・観光・旅行などの「管理・検閲」を実施。当初の予算は1,400万ライヒスマルクでしたが、1944年には13倍以上の1億8700万ライヒスマルクにまで規模を拡大、下部組織に「帝国文化院」も設置して各分野への統制をおこなっていました。
◆4月7日、ドイツ政府により「職業官吏再建法」が施行。公務員から非アーリア人を追放する法律で、ドイツの全公務員、および新政権により新たに「国有化」された企業・団体の職員が対象。
●4月、ベルリン・フィル(11回)、デュカス『魔法使いの弟子』、ブラームス3番等。
●4月、ベルリン国立歌劇場(3回)、『エレクトラ』『マイスタージンガー』。
●5月、ベルリン・フィル(10回)、ベートーヴェン3・6・7番、ハイドン101番等。
●5月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●5月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス1・3番、ピアノ協奏曲2番等。
●5月、ブラームス生誕100年記念演奏会シリーズ(上記曲目)のさなか、師と仰ぐユダヤ人音楽学者のシェンカーのもとを訪れ、深夜まで議論。
●5月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『マイスタージンガー』『トリスタンとイゾルデ』。
●5月26日、ベルリン・フィルとマンハイム国立劇場のメンバー170人から成る合同オーケストラを指揮。
●6月、パリ・オペラ座(4回)、『マイスタージンガー』『ワルキューレ』。
●9月15日、「プロイセン枢密顧問官」に就任。この「プロイセン枢密顧問官」は、仕事の実体がほとんど無い名誉職で月額報酬1,000マルクとドイツ国内の鉄道一等車のフリーパスが与えられます。ちなみに当時のフルトヴェングラーの指揮報酬は1回につき1,000マルクでした。
●9月、ベルリン国立歌劇場(4回)、『マイスタージンガー』『トリスタンとイゾルデ』。
●10月、ベルリン・フィル(5回)、ブルックナー5番、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●10月、ベルリン国立歌劇場(6回)、『アラベラ』『マイスタージンガー』。
●11月、ベルリン・フィル(5回)、ブルックナー5番、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●11月15日、帝国音楽院副総裁に就任(総裁はR.シュトラウス)。
●11月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『マイスタージンガー』『アラベラ』『ラインの黄金』『ワルキューレ』。
●12月、ベルリン・フィル(5回)、トラップ『交響組曲』、レスピーギ『グレゴリオ風協奏曲』等。
●12月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン1番、ブラームス1番等。
●12月、ベルリン国立歌劇場(6回)、『アラベラ』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『トリスタンとイゾルデ』。
1934年(48歳) ベルリン・フィル首席指揮者、ベルリン国立歌劇場音楽総監督、プロイセン枢密顧問官、帝国音楽院副総裁
●1月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』。
●1月15日、フルトヴェングラーとゲッベルス、財政難に陥っていたベルリン・フィルを国が支援することで合意。事実上の国営オーケストラとなり、シモン・ゴルトベルクなどユダヤ人楽員は1935年までに退団。
●1月、ベルリン・フィル(17回)、チャイコフスキー6番、シューマン4番等。
●2月、ベルリン・フィル(11回)、ベートーヴェン7番、プフィッツナー交響曲等。
●2月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『エレクトラ』『アラベラ』『マイスタージンガー』。
●3月、ベルリン・フィル(7回)、ヒンデミット交響曲『画家マティス』(初演)、ベートーヴェン2・5・7番等。
●3月、ベルリン国立歌劇場(9回)、『エレクトラ』『トリスタンとイゾルデ』『アラベラ』『魔弾の射手』『マイスタージンガー』。
●4月、ベルリン・フィル(15回)、ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●4月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番。
●4月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『魔弾の射手』『トリスタンとイゾルデ』。
●5月、ベルリン・フィル(9回)、ベートーヴェン1・5・8番、ブラームス1・3番等。
●5月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『マイスタージンガー』『トリスタンとイゾルデ』。
●5月、パリ・オペラ座(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、ウィーン・フィル(2回)、R.シュトラウス『英雄の生涯』等。
●6月、パリ・オペラ座(2回)、『マイスタージンガー』。
●6月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『エレクトラ』『アラベラ』。
●9月、ベルリン・フィル(2回)、ブルックナー9番等。
●9月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『魔弾の射手』『トリスタンとイゾルデ』。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー9番等。
●10月、ベルリン国立歌劇場(6回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●11月、ベルリン・フィル(5回)、シューマン1番。ブラームス1番等。
●11月、ベルリン国立歌劇場(5回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●11月25日、ヒンデミットの作風などについての擁護文を「ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」紙に掲載、 責任は時代にあるなどと曖昧な論調だったため、ゲッベルスに論破され、ベルリン・フィル首席指揮者、ベルリン国立歌劇場音楽総監督、帝国音楽院副総裁を引責辞任することになります(ほどなく謝罪して指揮活動を再開)。
●12月2日、ベルリン国立歌劇場、『トリスタンとイゾルデ』
●12月4日、ゲッベルス宛てに、ベルリン・フィル首席指揮者の辞表、および帝国音楽院副総裁の辞表と、ゲーリング宛てにベルリン国立歌劇場音楽総監督の辞表を提出。翌日に受理されます。
●12月、エーリヒ・クライバーがベルリン国立歌劇場「音楽監督」辞任をプロイセン州政府に申し入れ。ヒンデミット事件で引責辞任することになったベルリン国立歌劇場「音楽総監督」のフルトヴェングラーに合わせた辞任とも言われていますが、実際には、クライバーの妻ルースがユダヤ系アメリカ人で、息子カール(のちのカルロス)と娘ヴェロニカもユダヤ系となるため、外来ユダヤ人の国籍剥奪や職業官吏再建法、就学制限、学者追放といった反ユダヤ政策の連続的な制定・運用を受けての行動と考えられます。すでにこの年の3月にはドイツ国内に強制収容所が建設され、収容者も2か月で2万5千人に達していたことから、辞任して国外に逃れざるを得ない状況になっていました。
1935年(49歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
◆3月、ドイツ、徴兵制復活。ベルリン・フィル楽員は徴兵免除。
●4月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン5・6番等。
●4月、ウィーン響(2回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●4月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン5・6番等。
●5月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン5・6番等。
●5月、ロイヤル・オペラ(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●5月、パリ・オペラ座(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、パリ・オペラ座(2回)、『トリスタンとイゾルデ』『ワルキューレ』。
●6月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン5・6番等。
●6月、バイエルン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、ハンブルク国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●6月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン5・6番等。
●9月8日、第7回ナチ党党大会で指揮。ニュルンベルク国立劇場で『マイスタージンガー』上演。
●9月、ベルリン・フィル(3回)、シューベルト『グレート』、ベートーヴェン9番等。
●10月、ウィーン国立歌劇場(3回)、『タンホイザー』。
●10月、ウィーン・フィル(2回)、ブルックナー7番等。
●10月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
●11月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、『エグモント』。
●11月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、シベリウス7番等。
●12月、ベルリン・フィル(14回)、チャイコフスキー4番、シベリウス7番等。
●12月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『タンホイザー』。
●12月、バイエルン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
1936年(50歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、バイエルン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。元日公演。
●1月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』。
●1月、ウィーン・フィル(5回)、ベートーヴェン9番等。
●1月、ベルリン・フィル(9回)、ベートーヴェン7番等。
●2月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番等。
●2月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』
●2月、ベルリン・フィル(4回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●2月、友人の小説家、ジョン・クニッテル[1891-1970]と旅行。2月23日にベルリンでの公演を終えたのち出発し、ヴェネツィア、ブリンディージ、アテネ、ロードスを経てエジプトのアレクサンドリアに到着。3月31日にナポリにまで戻り、その後、ドイツに帰還します。ちなみに下の画像で一緒に写っているエリーザベト・シューマン[1888-1952]は、1912年のクレンペラーとのスキャンダルでも知られるソプラノ歌手。
●4月、元秘書のベルタ・ガイスマール、イギリスに渡り、ビーチャムの秘書に。ガイスマールは1921年から15年間に渡って、フルトヴェングラーの秘書を務めていました。
●4月、ベルリン・フィル(13回)、ブラームス2番、ベートーヴェン3・7・8番等。
●5月、ベルリン・フィル(8回)、ブラームス2番、ベートーヴェン3・7・8番等。
●5月、パリ・オペラ座(2回)、『マイスタージンガー』。
●5月、チューリヒ市立劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●6月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『タンホイザー』。
●7月、バイロイト(9回)、『ローエングリン』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
◆7月31日、ベルリン・オリンピック開催。
●8月、バイロイト(9回)、『パルジファル』。
◆ゲッベルスにより「批評禁止令」布告。
1937年(51歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●2月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス4番、ベートーヴェン7番等。
●3月、ヴァイオリン・リサイタルでピアノ伴奏(4回)。ヴァイオリンはベルリン・フィル・コンマスのフーゴー・コルベルク[1898-1979]。
●3月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス2番等。
●3月、ロンドン・フィル(1回)、ベートーヴェン9番。ジョージ6世の戴冠記念行事の一環。
●4月、ベルリン国立歌劇場(4回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●4月、ベルリン・フィル(9回)、ベートーヴェン9番等。
●5月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番等。
●5月、ロイヤル・オペラ(8回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●7月、バイロイト(12回)、『パルジファル』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●8月、ウィーン・フィル(1回)、ザルツブルク音楽祭。ベートーヴェン9番等。
●9月、ベルリン・フィル(1回)、パリ万博。ベートーヴェン9番等。
●9月、ベルリン国立歌劇場(2回)、パリ万博のための引っ越し公演。『ワルキューレ』。
●10月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン1・8番、フルトヴェングラー『交響的協奏曲』等。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、シュミット『軽騎兵の歌による変奏曲』、フルトヴェングラー『交響的協奏曲』等。
●11月、ベルリン国立歌劇場(4回)、『タンホイザー』。
●11月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン9番。
●12月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『タンホイザー』。
●12月、ウィーン響(2回)、ハイドン『天地創造』。
●12月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●12月、ブダペスト・フィル(1回)、『マイスタージンガー』前奏曲、『ハイドン変奏曲』、『死と変容』、『運命』
●12月、ウィーン・フィル(4回)、ベートーヴェン5・6番。チャイコフスキー6番等。
1938年(52歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●1月、ベルリン・フィル(20回)、ブルックナー8番、バルトーク『弦・打楽器とチェレスタのための音楽』等。
●2月、ベルリン・フィル(3回)、プフィッツナー交響曲、ベートーヴェン5番等。
●3月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
◆3月12日、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。当時のドイツは失業率が劇的に改善し、国民の貯蓄額も急伸、公債も大規模に運営されて景気も過熱気味となる一方、アメリカなどへの莫大な負債も抱える債務国でもありました。オーストリア併合の理由も、国境線拡大に加え、オーストリアの保有していた金資産や外貨、鉱物資源、そして何よりもユダヤ人の財産などが目当てだったとされています。実際、ドイツが手にしたオーストリアの金・外貨・財産は14億ライヒスマルクに達し、これはドイツのライヒスバンクの資産7,600万ライヒスマルクの実に18倍以上という凄いものでした。
しかし、景気回復の途上だった人口約650万人のオーストリアの一般市民の生活水準はまだ満足な状態には無く、約60万人も失業者がおり、自国経済の改善に期待する市民の思いは、併合に関して4月10日に行われた国民投票の結果にも反映、賛成99.75%という数字にも表れていました。
併合後は、1925年に「クローネ」から変更されたばかりのオーストリア通貨「シリング」を廃止してライヒスマルクを導入。ライヒスバンクは当初、オーストリア経済の実態に即して「2シリング=1ライヒスマルク」という交換レートを想定していたものの、市民感情にも配慮し、「1.5シリング=1ライヒスマルク」という交換レートを設定、民間組織の国有化など経済再建を進めます。
●3月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『タンホイザー』。
●3月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン3・4番等。
●4月、ベルリン・フィル(8回)、ブルックナー8番、ベートーヴェン4・5番等。
●4月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●4月、ウィーン・フィル(2回)、ブルックナー7番、シューベルト『未完成』等。
●5月、ベルリン・フィル(6回)、ブルックナー8番、ベートーヴェン5番等。
●5月、ロイヤル・オペラ(5回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●6月、ロイヤル・オペラ(3回)、『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●6月、チューリヒ市立劇場(2回)、『フィデリオ』。
●6月、パリ・オペラ座(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●6月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『タンホイザーー』。
●7月、ウィーン・フィル(1回)、『マイスタージンガー』。ザルツブルク音楽祭。新しく建設された祝祭劇場のこけら落とし。
●8月、ウィーン・フィル(3回)、『マイスタージンガー』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ウィーン・フィル(1回)、シューベルト『未完成』、ブルックナー7番等。ザルツブルク音楽祭。
●9月5日、第10回ナチ党党大会で指揮。ウィーン・フィルと共にニュルンベルク国立劇場で『マイスタージンガー』上演。
●9月30日、カラヤンがベルリン国立歌劇場に『フィデリオ』でデビュー。「一撃でベルリンを征服した」とシュトローベルが絶賛。
●10月、ベルリン・フィル(6回)、モーツァルト40番、パーセル『アーサー王』組曲等。
●10月21日、カラヤンがベルリン国立歌劇場で『トリスタンとイゾルデ』を指揮。「カラヤンの奇跡」と称えられ、政治的な意図を疑ったフルトヴェングラーは激怒。
●11月、ベルリン・フィル(8回)、ブルックナー5番等。
◆11月9日、「水晶の夜」事件発生。ドイツ各地でユダヤ人への一連の弾圧行為へと発展。
●11月、ウィーン・フィル(4回)、ラヴェル『ダフニスとクロエ』2組曲、ブルックナー5番等。
●11月、ブダペスト・フィル(1回)、R.シュトラウス『ドン・ファン』、ベートーヴェン6番等。
●11月、ウィーン響(2回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●12月、パリ・フィルハーモニー管弦楽団(2回)、モーツァルト40番、ブラームス2番等。
●12月、ベルリン・フィル(6回)、ストラヴィンスキー『妖精の口づけ』、ブラームス4番等。
●12月、ウィーン・フィル(4回)、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』、ブラームス4番等。
●12月、パリ・オペラ座(2回)、『ジークフリート』。
●マリア・デーレン[1903-1993]と交際。5年後に妹のエリーザベト・アッカーマン[1910-2013]と結婚することとなります。
1939年(53歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ベルリン・フィル(18回)、フルトヴェングラー『交響的協奏曲』、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』等。
●1月、ウィーン・フィル(2回)、フルトヴェングラー『交響的協奏曲』、ベートーヴェン1番。
●2月、ベルリン・フィル(5回)、チャイコフスキー5番等。
●2月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン3番等。
●4月、ベルリン・フィル(10回)、フルトヴェングラー『交響的協奏曲』、ベートーヴェン1番。
●5月、ベルリン・フィル(11回)、ストラヴィンスキー『火の鳥』、バッハ『マタイ受難曲』等。
●6月、チューリヒ市立劇場(4回)、『マイスタージンガー』『ワルキューレ』。
●6月、チューリヒ・トーンハレ管(1回)、『ヴェーゼンドンク歌曲集』『ジークフリート牧歌』。
●7月、ウィーン・フィル(1回)、ブルックナー8番。
◆9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。
◆9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。
●9月、ベルリン・フィル(1回)、ヘンデル合奏協奏曲 Op.6-5、ベートーヴェン5番。ハンス・ロスバウトのもとで活躍していたエンジニア、フリードリヒ・シュナップとの初録音。以後、数多くの放送用録音が制作されます。
◆9月17日、ソ連がポーランドに侵攻。
●10月、ウィーン・フィル(3回)、シューベルト『グレート』等。
●10月、ベルリン・フィル(7回)、シューベルト『グレート』、フランク交響曲等。
●11月、ベルリン・フィル(5回)、チャイコフスキー4番等。
●11月、ヴィンタートゥール市立管(1回)、ベートーヴェン3・4番等。
●11月、チューリヒ・トーンハレ管(1回)、シューマン4番、ブラームス1番等。
●11月、ブダペスト・フィル(3回)、ブラームス2番等。
●11月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』。
●12月、ベルリン・フィル(8回)、チャイコフスキー4番等。
●12月、ウィーン・フィル(3回)、チャイコフスキー4番等。
1940年(54歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『ワルキューレ』。元日公演。
●1月、ベルリン・フィル(17回)、シベリウス2番、R=コルサコフ『シェエラザード』等。
●1月、デンマーク王立歌劇場管、チャイコフスキー5番等。
●2月、ベルリン・フィル(8回)、ブルックナー9番(原典版)、R=コルサコフ『シェエラザード』等。
●2月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●2月、ヴァイオリン・リサイタル(1回)。ピアノ伴奏。ヴァイオリンはベルリン・フィル・コンマスのゲオルク・クーレンカンプ[1898-1948]。
●3月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
●3月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●3月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン5・8番、大フーガ。
●4月、オスロ・フィル(1回)、ハイドン88番、ベートーヴェン7番等。
●4月、デンマーク王立管弦楽団(1回)、ハイドン88番、ベートーヴェン7番等。
◆4月9日、午前4時、ドイツ軍が不可侵条約を破ってデンマークに侵攻。国王は午前6時に降伏を決定。占領統治は3年後の1943年8月に開始されます。
●4月9日、デンマーク王立管弦楽団とリハーサル。10日の本番ためのものでしたが、10日の本番はドイツ軍の占領により中止となりました。
●4月、ベルリン・フィル(1回)、ブルックナー第9番(原典版)。
●5月、ベルリン・フィル(4回)、ベートーヴェン5番、ブルックナー9番。ドイツ東部のブレスラウ、ケムニッツのほか、チェコ解体により保護領となったプラハ、併合されたウィーンへのツアー。
◆5月10日、ドイツ軍がオランダに侵攻し、1週間戦ったのちオランダが降伏。すぐにドイツによる占領統治開始。オーストリア・ナチスの党員からオーストリア内務大臣となっていたザイス=インクヴァルト[1892-1946]が国家弁務官に就任。ハーグにドイツ政府占領機関を設置、要職者はほぼ全員オーストリア人という構成。ちなみに当時、オーストリア・ナチスは、オーストリア人の10%が党員ということで、ドイツの入党率7%を大幅に上回っていました(もっとも、ドイツではナチ人気の過熱により1933年4月から1939年5月までの6年間、入党を制限していたという事情もあり、その後は850万人まで伸び、13%を超える入党率に達しています)。
多民族対応に慣れていたオーストリア人と、地元オランダのファシズム政党「オランダ国家社会主義運動(NSB)」の党員により、官僚たちの率いる行政機構をそのまま生かす形で占領統治を実施。なお、「国家社会主義オランダ労働者党(NSNAP,オランダ・ナチス)」はドイツ当局から選ばれず、1941年12月、NSBを除く他の全政党と同じく解党処置となっていました。
当時のオランダの人口は約890万人でしたが、反ナチ勢力約30万人を強制労働のためにドイツに移送したほか、レジスタンス活動家は処刑し、同じ市町村の人間も見せしめで処罰するなどした結果、約4万1000人のオランダ人が処刑。さらに、オランダ在住ユダヤ人約14万人のうち逃げ遅れた約11万人の財産を強奪した上で強制収容所に送致していました。
また、1944年冬には、ドイツ軍が残存するオランダ西部地区への石炭、ガス、電気の供給ルートが「連合国軍」によって遮断され、ドイツも水上輸送での食料供給を断ったため、国民の半数にあたる約450万人が影響を受け、約2万2千人のオランダ人が飢餓や寒さが原因で犠牲になっています。
◆5月11日、チャーチルがイギリスの首相に就任。市街地空爆など民間人攻撃を推進し、最終的にドイツの民間人約41万人を殺害、500万人分以上の住居を破壊しています。
◆5月11〜12日、イギリス空軍、ドイツ西部のメンヒェングラートバッハ空爆。独英間で最初の空爆はイギリス側が実施。
●6月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン6番、バッハ:3台のピアノのための協奏曲等。バッハではフィッシャー、ケンプ、フルトヴェングラーがピアノを担当。ポツダム音楽祭。
◆6月、フランス、ドイツと46日間戦ったのち休戦協定を締結。大枠で見るとフランス北部がドイツの占領統治、南部が「ヴィシー政権」による統治で、例外が長年の係争地であるエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)地方となります。
同地方はドイツに割譲という形になったため、1938年に併合したオーストリアと同様、ドイツ政府による統治とし、他のドイツ・オーストリア地域と同じく「大管区」に組み込まれ、徴兵なども実施されることとなります(エルザス=ロートリンゲン地域からの徴兵数は約10万人)。
●7月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン8番、ブラームス1番。ザルツブルク音楽祭。
◆8月、バルドゥール・フォン・シーラッハ[1907-1974]が、ウィーン総督兼ウィーン大管区指導者に就任。ヒトラーユーゲント全国指導者として知られたシーラッハは、ウィーンを芸術の都としてさらに盛り上げようと音楽や美術への支援を強化。多くの有名音楽家をウィーンに招聘させ、さらに、退廃芸術の展示や、イギリス演劇、ロシア音楽の上演も認めるなど芸術に対して理解のある人物です。ちなみにシーラッハの父カール[1873-1949]はワイマール劇場の総監督、姉ロザリント[1898-1981]はオペラ歌手でした。
◆8月25日〜9月4日、イギリス空軍、ベルリン空爆。
◆9月7日、ドイツ空軍、ロンドン空爆(死者約300人)。
●10月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン5番、バッハ:3台のピアノのための協奏曲、R.シュトラウス『死と変容』。バッハでは、ケンプ、ハンゼン、フルトヴェングラーがピアノを担当。赤十字コンサート。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、プフィッツナー交響曲、チャイコフスキー6番。
●10月、ウィーン・フィル(3回)、チャイコフスキー6番等。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、チャイコフスキー6番等。ハンブルク、ベルリン、ライプツィヒとまわったのち、保護領のプラハを訪れています
●11月、チューリヒ・トーンハレ管(2回)、ベートーヴェン1番、ブルックナー7番。中立国での指揮。
●11月、ヴィンタートゥール市立管(1回)、ハイドン88番、ブラームス2番等。中立国での指揮。
●11月、ウィーン・フィル(2回)。ベートーヴェン6番、プフィッツナー交響曲等。
◆11月14日、ドイツ空軍、コヴェントリー空爆(死者568人)。
●12月、ヴァイオリン・リサイタルでピアノ伴奏(3回)。ヴァイオリンはベルリン・フィル・コンマスのゲオルク・クーレンカンプ。ウィーン、ミュンヘン、ライプツィヒで演奏。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス1番等。
●12月、ウィーン・フィル(2回)、ブラームス2番等。
1941年(55歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●1月、ベルリン・フィル(15回)、ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』序曲等。ドイツ国内の後、同盟国イタリアの各都市(ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、ボローニャ、トリエステ)を訪れています。
●2月、ベルリン・フィル(4回)、ブルックナー7番等。
●2月、ウィーン・フィル(3回)、ブルックナー7番等。
●3月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン7番等。
●春、オーストリア、フォアアルルベルク州ザンクト・アントンでスキーに興じていた際、転んで重傷を負い完治までに8か月を要しました。
◆3月27日、ドイツ国防会議により法令布告。闇取引および買い溜めに関する取り締まりを強化。最高刑は死刑。
◆3月29日、大蔵省が法人税増税について発表。前年度利益が3万マルクを超えた場合、利益の25〜30%を徴税。
◆6月、独ソ戦開戦。
●10月、ベルリン・フィル(4回)、ベートーヴェン3番等。
●11月、ベルリン・フィル(6回)、ハイドン100番、ベートーヴェン3番等。
●11月、チューリヒ・トーンハレ管(2回)、ベートーヴェン5・6番。オーケストラの年金基金のための特別公演。中立国での指揮。
●11月、ベルン市立管(2回)、シューベルト『未完成』、ブラームス3番等。中立国での指揮。
●11月、ウィーン・フィル(3回)、ブラームス3番等。
●11月29日、ベルリン・フィル、『新世界より』、レーガー『モーツァルト変奏曲』ほか。カラヤンによってベルリン国立歌劇場管弦楽団コンサートマスターに引き抜かれたジークフリート・ボリース[1912-1980]の後任として、フルトヴェングラーがブルノから引き抜いた逸材、19歳のゲルハルト・タシュナー[1922-1976]のお披露目の日でもあり、バッハのシャコンヌを演奏。
●12月、ベルリン・フィル(7回)、ブルックナー7番等。
●12月、ウィーン・フィル(2回)。ベートーヴェン6番、プフィッツナー交響曲等。
●12月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
1942年(56歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(3回)、『トリスタンとイゾルデ』『フィデリオ』。
●1月、ウィーン・フィル(4回)、モーツァルト『グラン・パルティータ』、ブルックナー4番等。
●1月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス3番等。
●1月、デンマーク王立歌劇場管(1回)、シベリウス『エン・サガ』等。占領国での指揮。
●1月、ストックホルム・フィル(2回)、ブラームス1番等。
●2月、ベルリン・フィル(10回)、ベートーヴェン3・5番等。中立国スウェーデン、占領国デンマークをまわるスカンジナビア・ツアーのほか、AEGタービン工場での演奏会も。
●2月、ウィーン国立歌劇場(2回)、『フィデリオ』。
●3月、ベルリン・フィル(7回)、ベートーヴェン9番等。ブルーノ・キッテル合唱団40周年記念シリーズも。
●3月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『フィデリオ』。
●3月、ウィーン・フィル(3回)、シューベルト3番、ブルックナー8番。ウィーン・フィル100周年記念演奏会では、大管区指導者シーラッハの演説の後にシューベルト3番を演奏。
◆イギリス空軍、リューベック空爆(死者約320人)。
●4月、ベルリン・フィル(1回)、バッハ管弦楽組曲第3番アリアに、ベートーヴェン9番。ヒトラー誕生日記念演奏会。ノルウェー、ギリシャ、ラトヴィアなどでも放送。エンディングの撮影もおこなわれています。
●4月、ウィーン・フィル(4回)、ベートーヴェン9番。
●5月、ベルリン・フィル(1回)、シューベルト『グレート』。
◆5月30〜31日、イギリス空軍、ケルン空爆(死者約480人)。
◆6月1日、ドイツ空軍、カンタベリー空爆。
●6月、ベルリン・フィル(10回)、シューベルト『グレート』、ベートーヴェン1・7番、ブラームス4番。中立国スイスへのツアーなど。
●6月、チューリヒ市立劇場(2回)、『神々の黄昏』。中立国での指揮。
●10月、ベルリン・フィル(4回)、ブルックナー5番等。
●10月、ウィーン・フィル(1回)、ブルックナー5番等。
●11月、ウィーン・フィル(3回)、ブルックナー5番、ドヴォルザーク9番、シベリウス『エン・サガ』等。
●11月、ベルリン・フィル(4回)、フロンメル交響曲、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番等。
●11月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『フィデリオ』。
●11月、スウェーデン王立歌劇場(2回)、『ワルキューレ』。中立国での指揮。
●11月、ストックホルム・フィル(3回)、ブルックナー5番等。中立国での指揮。
●12月、ヨーテボリ響(1回)、ベートーヴェン3番等。中立国での指揮。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、シューベルト『グレート』等。
●12月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『マイスタージンガー』。
●12月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『フィデリオ』。
1943年(57歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●1月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●1月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン1番、レーガー『ヒラー変奏曲』、フランク『交響的変奏曲』。
●1月、ヴィンタートゥール市立管(1回)、ブルックナー4番等。中立国での指揮。
●1月、チューリヒ・トーンハレ管(2回)、シューベルト『グレート』。中立国での指揮。
●1月、ベルン市立管(1回)、ブルックナー4番等。中立国での指揮。
●2月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス2番、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲、『エン・サガ』。
●2月、ウィーン・フィル(5回)、コダーイ『ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲』、シューベルト『グレート』等。同盟国ハンガリーでの演奏も(1回)。
●5月、ウィーン・フィル(7回)、シューベルト『未完成』『グレート』等。占領国デンマーク、中立国スウェーデンへのツアー。
●5月、ベルリン・フィル(2回)、昼にジーメンス工場で『ティル・オイレンシュピーゲル』『皇帝円舞曲』『未完成』、夜にフィルハーモニーで『未完成』『英雄』『皇帝円舞曲』等。
◆5月16〜17日、イギリス空軍、ドイツのダムを空爆する洪水作戦を展開(死者約1,300人)。
●6月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン4・5番等。
●妻ツィトラと離婚成立。
●6月26日、エリーザベト・アッカーマン[1910-2013]と結婚。政治家の娘で夫は戦死、4人の子連れという親子ほど年齢差のある女性でした。ちなみにエリーサベトの異父姉であるマリア・デーレン[1903-1993]は、長年、フルトヴェングラーの愛人でもありました。
●7月、バイロイト(4回)、『マイスタージンガー』。
◆7月27〜28日、連合国軍、ハンブルク空爆(死者約41,000人)。
◆8月、連合国軍、ベルリン空爆開始。翌年3月までの民間人死者約9,400人。
●8月、チューリヒ・トーンハレ管(2回)、ベートーヴェン3・4番、ドヴォルザーク9番、シベリウス『エン・サガ』。
●9月、ミュンヘン・フィル(1回)、ベートーヴェン5・6番。
●10月、ウィーン・フィル(3回)、ブルックナー6番、ワーグナー『神々の黄昏』から。
●10月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『マイスタージンガー』。
●10月、ベルリン・フィル(1回)、ベートーヴェン7番、ペッピング2番等。
◆11月1日、モスクワ宣言。3回モスクワ会議でのソ連・アメリカ・イギリスの外相らにより取り決められた内容で、オーストリアについては、ヒトラーの侵略政策の犠牲となった最初の国であるとされる一方、ドイツへの戦争協力にも言及し、今後、オーストリアそのものがドイツからの解放にどのくらい関与したかで戦争責任の追及が変わってくるなどと指摘。以後、オーストリア国内でのレジスタンスは数を増すこととなり、1944年の終わりには、臨時オーストリア国民委員会も結成して抵抗運動を本格化していました。
●11月、ベルリン・フィル(7回)、ブルックナー6番、ペッピング2番等。
●11月、ウィーン・フィル(3回)、モーツァルト40番、R.シュトラウス『ティル・オイレンシュピーゲル』『ツァラトゥストラ』。
●11月、ウィーン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●11月、ヨーテボリ響(1回)ベートーヴェン1番、ブラームス1番等。中立国での指揮。
●12月、ストックホルム・フィル(4回)ベートーヴェン9番、シューマン4番等。中立国での指揮。
●12月、ベルリン・フィル(5回)、ブラームス4番、ピアノ協奏曲第2番。
●12月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン5・6番。
1944年(58歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ウィーン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●1月、ベルリン・フィル(4回)、R.シュトラウス『家庭交響曲』等。
●1月、ベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニーが連合国軍の爆撃で破壊。
●1月、スイス・ロマンド管(2回)、ベートーヴェン5番等。中立国での指揮。
●1月、ベルン市立管(2回)、ベートーヴェン5・6番等。中立国での指揮。
●2月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン5番等。
●2月、ウィーン国立歌劇場(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●2月、ウィーン・フィル(5回)、シューベルト『未完成』、ラヴェル『ダフニスとクロエ』等。同盟国ハンガリーでの演奏も(2回)。
●3月、ベルリン・フィル(4回)、16日は保護領プラハで、ドヴォルザーク9番、ベートーヴェン5番。それ以外は『魔弾の射手』序曲、『ダフニスとクロエ』第2組曲、ベートーヴェン6番。
●3月、ウィーン・フィル(5回)、シューベルト『未完成』、ラヴェル『ダフニスとクロエ』等。同盟国ハンガリーでの演奏も(2回)。
●3月21日、総統誕生日演奏会忌避のため病気を装い、6月1日まで療養休暇。
◆4月、連合国軍、ベルギーとフランスへの交通機関空爆開始。11月までに民間人など死者約15,000人。
●6月、ウィーン・フィル(2回)、モーツァルト40番等。
◆6月13日、ドイツ軍、V1ミサイル運用開始。
●6月、チューリヒ市立劇場(2回)、『ジークフリート』。中立国での指揮。
●6月、ベルリン・フィル(2回)。
●7月、バイロイト(2回)、『マイスタージンガー』。
●8月14日、ウィーン・フィル(1回)、ザルツブルク音楽祭。ブルックナー8番。
◆9月1日、ゲッベルスにより、全ドイツの劇場(歌劇場)閉鎖令が布告。これは7月20日に発生したヒトラー暗殺未遂事件とクーデーターを収拾させたゲッベルスが、国家総力戦総監に任命され、国家総力戦の一環として劇場を閉鎖することを策定したもので、立案は7月末におこなわれ、一部の劇場では早期の運用がおこなわれていました。
●9月6日、ルツェルン音楽祭管(1回)、ベートーヴェン1・3番等。
◆9月11〜12日、連合国軍、ダルムシュタット空爆(死者約12,300人)。
◆9月25日、総統命令により、民兵組織「国民突撃隊」の編成が開始。対象者は16歳から60歳の一般市民。約600万人の組織を目指したものの、兵器や軍服の極端な不足や、様々な理由による拒否などにより計画にはまったく満たない状態で、戦果の方も限定的でした。
●10月11日、リンツ・ブルックナー管弦楽団(1回)、ブルックナー9番。聖フローリアン修道院での演奏。
◆10月18日、連合国軍、ドイツに対して24時間体制で空爆を開始。
●10月、ウィーン・フィル(4回)、ブルックナー8番等。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス3番等。
●10月、ベルリン国立歌劇場(1回)、『神々の黄昏』。
●11月7日、母アーデルハイト死去。
●11月11日、息子アンドレアス誕生。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲等。
●12月、ウィーン・フィル(5回)、ベートーヴェン1・3番。19日と20日の公演はマグネトフォンコンサートで、シュナップが録音、のちに「ウラニアのエロイカ」として有名に。
1945年(59歳) ベルリン・フィル首席指揮者、プロイセン枢密顧問官
●1月、ベルリン・フィル(2回)、ブラームス1番、モーツァルト40番等。
●1月24日、ウィーンに到着。前日のベルリン公演終了後、夜行列車での移動でした。投宿先は定宿のインペリアル・ホテル。戦時中のドイツでの公演は前日のベルリン公演が最後でした。
●1月25日、フルトヴェングラー59歳の誕生日。エンジニアで友人のフリードリヒ・シュナップと共に、大管区指導者シーラッハから贈られたバタークリーム・トルテを食します。
●1月27・28・29日、ウィーン・フィル(3回)、フランク交響曲、ブラームス2番。
●1月30日、ベルリン・フィルに対して、2月4日と5日の公演での指揮を、転んで脳震盪を起こしたという虚偽の理由で延期するよう連絡。
●2月1日、もともと予定されていたスイスへの客演のための準備を開始。オーストリアのブレゲンツ近郊にあるスイス国境近くの町ドルンビルンに滞在。
●2月7日、スイスに入国。チューリヒで待つ妻と生後3ヶ月の息子アンドレアスと合流。
◆2月12日、連合国軍、スヴィーネミュンデ空爆(死者約23,000人)。
●2月12・14日、スイス・ロマンド管(2回)、ベートーヴェン1番、ブラームス2番等。中立国での指揮。
◆2月13〜14日、連合国軍、ドレスデン空爆(死者3万人から15万人)。
●2月23日、ヴィンタートゥール市立管(1回)、ブルックナー8番。中立国での指揮。
◆2月23〜24日、連合国軍、プフォルツハイム空爆(死者2万人以上)。
●スイス滞在の延長申請が却下されるものの、エルネスト・アンセルメが関係筋に手をまわして滞在延長が認められることとなります。
◆4月16日、赤軍のジューコフ元帥によりベルリン砲撃開始。ベルリンの戦いは3週間続き、ドイツ側死者約32万人、ソ連側死者約8万人という激戦となります。
◆4月30日、ヒトラー自殺。ヒトラーはデーニッツ元帥を後継に指名していたため。同日、臨時政府「フレンスブルク政府」が発足。デーニッツが大統領に就任して降伏のための準備を進めます。また、1月からデーニッツの指示で実施中の海軍による市民と兵士の搬送作戦も5月中旬まで継続され約200万人を救出。
◆5月9日、ドイツ降伏。2週間後、デーニッツ逮捕により臨時政府解散。
●5月、レオ・ボルヒャルト[1899-1945]がベルリン・フィル暫定首席指揮者になるものの、8月23日にアメリカ兵により射殺。
●8月、セルジュ・チェリビダッケがベルリン・フィルの首席指揮者に就任。戦時中のドイツでの指揮実績が無いということによるものでした(実際には2度ほどベルリンで指揮していましたが当時は発覚しませんでした)。
●10月18日、フルトヴェングラーの交響曲第2番完成。
●11月、モントルーの教会でエリーザベトと結婚式をあげたのち、息子アンドレアスの洗礼。
◆11月20日、ニュルンベルク裁判開始(1946年10月1日まで)。
1946年(60歳)
◆1月、占領軍政府による非ナチ化裁判が開始(1949年まで)。10万人以上のドイツ人が裁判にかけられ、音楽界でもナチ関連疑惑のあった人物が続々と法廷に送られることになったため、連合国軍側の作成したブラックリストに載っていなかった(=知名度が高くない)音楽家たちや、外国人、ユダヤ人たちには大きなチャンスが訪れることになります。
なお、この各国占領軍政府によって実施された非ナチ化裁判については、アメリカが熱心で、ソ連やイギリス、フランスの占領軍政府ではあまりおこなっていないなど、国によって温度差が大きかったのですが、その後のアメリカ人やユダヤ人音楽家のドイツでの躍進ぶりを考えると、最初からそれが目的だったとも考えられます。
実際、外国人が入り込めないような公的機関などについては、アメリカによる非ナチ化の追求はほとんどおこなわれなかったようで、裁きようがないために処罰を免れた約800万人以上の元ナチ党員や、党友が普通に生活、占領統治下ながら、行政機構も戦時中からほぼそのまま継続していたため、役人はほとんどが元ナチ党員で、たとえば性的マイノリティの作曲家・指揮者のヘンツェが、西側にも関わらず自殺未遂寸前まで追い込まれたりもしていました。1957年の調査でも、西ドイツ司法省上級職員の元ナチ党員率が約77%、裁判長で約70%となっています。
ちなみに、ソ連はまず占領地行政の抜本的な変更を最優先し、行政機関の主要な役職は共産主義者に総入れ替えしていました。
●2月6日、非ナチ化委員会で弁明するためにウィーンに向けて出発。途中、インスブルックで、フランス軍占領政府により列車から降ろされて一晩拘束。
●3月9日、オーストリアで非ナチ化。しかし連合国側は、これが出演契約などの政治的な取引を含む審理結果と見抜き、オーストリアでの活動再開にも、フルトヴェングラーの国籍がドイツであることから、ドイツでの非ナチ化審理も必要になると通告。
●3月10日、「ドイツの民主的新生のための文化同盟」の招きで、ウィーンの空港からソ連軍の大型輸送機に乗って、ベルリンのアドラースホーフ空港に到着。ポツダムの自宅で、申し出を受けるものの、ベルリン・フィルへの復帰ではなく、ソ連占領地区のベルリン国立歌劇場での指揮ということで拒否。ソ連側の申し出を断ったため、帰路は陸路となり、フランス占領地区を通る必要があったものの、フランスがなかなかビザを発行しないため、時間をとられることとなります。
●8月、インフルエンザ罹患。
●9月、EMIのウォルター・レッグと数か月の交渉の末に合意に達し、独占契約に署名。かつて録音した『悲愴』の印税も戦争の終結により支払われることとなり、フルトヴェングラーの窮状を救うことになります。
●10月、エトヴィン・フィッシャーの誕生日コンサートに出演、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番第2楽章でフィッシャーと交替してピアノを弾きました。
●10月、ヴィースバーデンで尋問。
●12月1日、WFの非ナチ化審理がベルリンで開始。ウィーンでは20分で終わった審理が、ベルリンでは4時間半に及び、それでも終わりませんでした。
●12月17日、2回目の審理が開始。審理は7時間に及びました。2時間半後、委員会はフルトヴェングラーの芸術活動の無制限の行使に関する案件をアメリカ占領軍司令部に送付することになると通告。
1947年(61歳) ベルリン・フィル終身指揮者
●3月、新たにフルトヴェングラーにとって不利な証拠が出てきたということで、審理のやり直しも検討されます。
●エンリコ・マイナルディが、イタリアは占領軍政府の管轄外なので、コンサート活動が可能だとフルトヴェングラーに連絡、トスカニーニによってミラノ公演は妨害され出演できなくなるものの、ローマとフィレンツェで公演をおこなうことができました。
●4月9日、聖チェチーリア管(1回)、ハイドン101番、R.シュトラウス『死と変容』、ベートーヴェン第5番。
●4月13、20日、フィレンツェ5月祭管(2回)、ハイドン101番、ブラームス『ハイドン変奏曲』、ベートーヴェン3・5番等。
●4月末、非ナチ化審理をアメリカ占領軍司令部が承認。判決は「無罪」ではなく「同調者」ですが、これでようやく占領軍地区であるドイツ、オーストリアで制限なく指揮ができるようになります。
●5月25・26日、ベルリン・フィル、ベートーヴェン『エグモント』序曲、交響曲第5・6番でドイツでの復帰コンサート。会場は映画館のティタニア・パラスト。
●5月27日、ベルリン・フィル、ベートーヴェン『エグモント』序曲、交響曲第5・6番でドイツでの復帰コンサートの3日目。会場は戦前・戦時中に帝国放送局(RRG)として使用されていた建物のホール。
●5月、ベルリン国立歌劇場管(1回)、ベートーヴェン1番、チャイコフスキー6番等。
●6月、ベルリン国立歌劇場管(3回)、ベートーヴェン1番、チャイコフスキー6番等。
●6月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン5・6番等。
●6月、ハンブルク国立フィル(1回)、ブラームス2番等。
●8月、ウィーン・フィル(2回)、シューベルト『グレート』、ブラームス1番等。
●8月、ルツェルン祝祭管(3回)、ブラームス1番、『ドイツ・レクィエム』等。
●9月、ベルリン・フィル(6回)、ベートーヴェン5・6番等。
●9月、北ドイツ放送響(1回)、ベートーヴェン7番等。
●10月、ベルリン国立歌劇場管(2回)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲等。
●10月、ベルリン国立歌劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●10月、ストックホルム・フィル(3回)、ブラームス2番等。
●10月、ミュンヘン・フィル(3回)、ブラームス1番等。
●10月、ベルリン・フィル(2回)、チャイコフスキー5番等。
●11月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン3番等。
●11月、ウィーン・フィル(6回)、ベートーヴェン3番等。
●12月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●12月、スイス・ロマンド管(2回)、ベートーヴェン6・7番等。
●12月、ヴィンタートゥール市立管(2回)、ベートーヴェン7番等。
1948年(62歳)
●1月、ベルン市立管(2回)、ブルックナー8番。
●1月、パリ音楽院管(2回)、ベートーヴェン5番等。
●1月、ウィーン・フィル(1回)、ベートーヴェン7・8番等。
●2月、ウィーン・フィル(1回)、ベートーヴェン7・8番等。
●2月、ウィーン響(2回)、チャイコフスキー6番等。
●2月、ベルリン・フィル(4回)、シューマン4番、ストラヴィンスキー『火の鳥』、フルトヴェングラー2番等。
●2月、ロンドン・フィル(1回)、ヴォーン・ウィリアムズ『タリス幻想曲』、ベートーヴェン7・8番等。
●3月、ロンドン・フィル(9回)、ハイドン101番、ベートーヴェン9番等。
●4月、テアトロ・コロン管(7回)、チャイコフスキー6番、ベートーヴェン5番等。
●5月、テアトロ・コロン管(1回)、ベートーヴェン9番等。
●5月、聖チェチーリア管(2回)、ベートーヴェン6・7番等。
●5月、フィレンツェ5月祭管(2回)、ブラームス1番等。
●5月、ミラノ・スカラ座管(2回)、ブラームス1番等。
●6月、ウィーン・フィル(6回)、ベートーヴェン5番等。
●7月、ウィーン・フィル(1回)、ザルツブルク音楽祭。『フィデリオ』。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(1回)、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』、R.シュトラウス『英雄の生涯』、オペラ(2回)、『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。ベーム夫妻と会食。
●8月、ルツェルン祝祭管(4回)、ブルックナー4番、ベートーヴェン9番等。
●9月、聖チェチーリア管(2回)、ベートーヴェン5番等。エジンバラ音楽祭。
●9月、ウィーン・フィル(5回)、ベートーヴェン5・6番等。ロンドン公演2回。
●10月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番等。ロンドン公演。
●10月、ハンブルク国立フィル(2回)、フルトヴェングラー2番。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス4番等。
●11月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス4番等。イギリス・ツアー。
●11月、ストックホルム・フィル(4回)、ベートーヴェン7・8番、ブラームス『ドイツ・レクィエム』等。
●11月、パリ音楽院管(2回)、シューマン4番、ベートーヴェン7番等。
●12月、ウィーン・フィル(6回)、ウォルトン1番、チャイコフスキー5番等。
●12月、ウィーン響(2回)、ブルックナー4番等。
1949年(63歳)
●1月、スイス・ロマンド管(3回)、シューベルト『グレート』等。
●1月、ミュンヘン・フィル(4回)、ベートーヴェン4番、チャイコフスキー6番等。
●2月、パリ音楽院管(2回)、ブラームス2番等。
●2月、ウィーン・フィル(7回)、ブルックナー5番、ベートーヴェン9番等。
●2月、ベルン市立管(1回)、チャイコフスキー6番、バーバー『アダージョ』等。
●3月、ベルン市立管(1回)、チャイコフスキー6番、バーバー『アダージョ』等。
●3月、ヴィンタートゥール市立管(2回)、フルトヴェングラー2番等。
●3月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー8番。
●3月、ミュンヘン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
●5月、フィレンツェ5月祭管(1回)、ブラームス2番等。
●5月、聖チェチーリア管(2回)、ベートーヴェン4・5・9番等。
●5月、ミラノ・スカラ座管(2回)、ブラームス2番、ベートーヴェン9番等。
●6月、ベルリン・フィル(17回)、ベートーヴェン5・6番等。ドイツ国内ツアー。
●7月、ウィーン・フィル(2回)、ザルツブルク音楽祭。『魔笛』『フィデリオ』。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(1回)、ブルックナー8番、プフィッツナー交響曲、オペラ(7回)、『魔笛』『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ルツェルン祝祭管(3回)、チャイコフスキー4番、ハイドン『天地創造』等。
●9月、コンセール・コロンヌ管(1回)、シューベルト『グレート』等。
●9月、ウィーン・フィル(5回)、ブラームス:アルト・ラプソディ、チャイコフスキー5番等。イギリス・ツアー(3回)も。
●10月、ウィーン・フィル(7回)、ベートーヴェン9番等。イギリス、フランス、スイス・ツアー。
●10月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー7番等。
●10月、バーゼル管(2回)、ブルックナー7番等。
●12月、ベルリン・フィル(4回)、ブラームス3番等。
●12月、ゲヴァントハウス管(1回)、ベートーヴェン4・5番等。
1950年(64歳)
●1月、ミュンヘン・フィル(2回)、フルトヴェングラー2番等。
●1月、ウィーン・フィル(5回)、シューマン4番、チャイコフスキー4番等。
●2月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン3番等。
●3月、ミラノ・スカラ座(9回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』
●4月、ミラノ・スカラ座(3回)、『神々の黄昏』
●4月、テアトロ・コロン管(4回)、ベートーヴェン7番等。
●5月、テアトロ・コロン管(6回)、バッハ『マタイ受難曲』等。『マタイ受難曲』のリハーサルには、若きミヒャエル・ギーレン[1927- ]もアシスタントとして参加。演奏様式には納得できなかったものの、内的な緊張感を伴った巨大なアーチを思わせる演奏に感嘆したということです。
●5月、フィルハーモニア管(1回)、R.シュトラウス『4つの最後の歌』、ワーグナー・コンサート。
●5月、ベルリン・フィル(8回)、ブルックナー7番等。ドイツ、スイス・ツアー
●6月、ベルリン・フィル(16回)、ブルックナー7番等。スイス、フランス、ドイツ・・ツアーと定期、他。
●7月、コンセルトヘボウ管(2回)、ブラームス1番等。
●7月、ウィーン・フィル(3回)、ザルツブルク音楽祭。『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(2回)、ストラヴィンスキー『3楽章の交響曲』、ブラームス4番、ベートーヴェン3番、オペラ(11回)、『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ルツェルン祝祭管(3回)、ベートーヴェン5番、ヒンデミット『白鳥を焼く男』、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』等。
●9月、ウィーン・フィル(7回)、ドビュッシー『海』、チャイコフスキー5番等。スカンジナビア・ツアー(5回)も。
●10月、ウィーン・フィル(18回)、ドビュッシー『海』、チャイコフスキー5番等。スカンジナビア、ドイツ、オランダ、スイス・ツアー。
●10月、ベルリン・フィル(2回)、バルトーク『管弦楽のための変奏曲』等。
●11月、聖チェチーリア管(1回)、ストラヴィンスキー『3楽章の交響曲』、ベートーヴェン3番等。
●11月、ミラノ・スカラ座管(2回)、ベートーヴェン4・5番等。
●11月、フィルハーモニア管(1回)、ベートーヴェン5番等。
●12月、フィルハーモニア管(1回)、チャイコフスキー5番等。
●12月、ベルリン・ドイツ・オペラ(1回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
1951年(65歳)
●1月、ウィーン・フィル(7回)、ベートーヴェン9番等。
●1月、ウィーン響(2回)、ブラームス『ドイツ・レクィエム』。
●1月、バーゼル管(2回)、チャイコフスキー5番等。
●2月、フィルハーモニア管(1回)、ブルックナー7番等。
●2月、ベルリン・フィル(3回)、チャイコフスキー6番等。
●3月、トーンハレ管(2回)、ブラームス1番等。
●3月、フィルハーモニア管(1回)、ワーグナー・コンサート。
●3月、ミラノ・スカラ座(3回)、『パルジファル』
●4月、ミラノ・スカラ座(6回)、『パルジファル』『オルフェオとエウリディーチェ』
●4月、ベルリン・フィル(11回)、ヒンデミット『管弦楽のための変奏曲』、チャイコフスキー6番等。エジプト、イタリア・ツアー。
●5月、ベルリン・フィル(14回)、ブルックナー7番、チャイコフスキー6番等。イタリア、フランス、ドイツ・ツアー。
●5月、ウィーン・フィル(2回)、フランク交響曲、ベートーヴェン5番等。
●6月、チューリヒ市立劇場(2回)、『トリスタンとイゾルデ』。
●7月、バイロイト(1回)、ベートーヴェン9番。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(2回)、ブルックナー5番、ベートーヴェン9番等。オペラ(9回)、『オテロ』『魔笛』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ルツェルン祝祭管(2回)、バルトーク『管弦楽のための変奏曲』、ベートーヴェン7番、ワーグナー『神々の黄昏』抜粋等。
●9月、ベルリン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。9月5日はシラー劇場落成式公演。
●10月、ウィーン・フィル(18回)、チャイコフスキー6番、ブルックナー4番、ブラームス4番等。スイス、フランス、ドイツ・ツアーほか。
●10月、フィルハーモニア管(1回)、ブラームス1番等。
●10月、北ドイツ放送響(1回)、ブラームス1番等。
●11月、ベルリン・フィル(1回)、ハイドン88番、ブルックナー4番等。
●12月、ベルリン・フィル(2回)、ハイドン88番、ブルックナー4番等。
1952年(66歳) ベルリン・フィル終身指揮者
●1月、ローマRAI響(3回)、ベートーヴェン5・6番等。
●1月、ウィーン国立歌劇場(2回)、『ワルキューレ』『トリスタンとイゾルデ』。
●1月、ウィーン・フィル(4回)、ブラームス1番等。
●2月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
●2月、ベルリン・フィル(3回)、ブラームス1番。
●2月、ミラノ・スカラ座(1回)、『マイスタージンガー』。
●3月、ミラノ・スカラ座(5回)、『マイスタージンガー』。
●3月、トリノRAI響(2回)、ブラームス1番等。
●4月、ウィーン・フィル(3回)、バッハ『マタイ受難曲』。
●4月、ベルリン・フィル(8回)、ブラームス2番等。ドイツ・ツアー(5回)も。
●4月、フィルハーモニア管(1回)、シューマン4番、ラヴェル『スペイン狂詩曲』等。
●5月、ベルリン・フィル(18回)、ブラームス2番等。フランス、ドイツ・ツアー(15回)も。
●5月、トリノRAI響(1回)、ワーグナー『神々の黄昏』第3幕。
●6月、トリノRAI響(2回)、チャイコフスキー5番等。
●6月、チューリヒ市立劇場(1回)、『ワルキューレ』。
●11月、ウィーン・フィル(2回)、ベートーヴェン1・3番等。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、ヒンデミット『世界の調和』、ベートーヴェン3番等。
●12月、ヘッセン放送響(1回)、フルトヴェングラー2番等。
●12月、トリノRAI響(1回)、ベートーヴェン9番。
1953年(67歳) ベルリン・フィル終身指揮者
●1月、ベルリン・フィル(6回)、フルトヴェングラー2番等。ドイツ・ツアー。
●1月、ウィーン・フィル(1回)、ベートーヴェン9番。第3楽章途中で意識を失い演奏中止。
●2月、ベルリン・フィル(3回)、ラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』、ブラームス2番等。
●2月、ウィーン・フィル(4回)、フルトヴェングラー2番等。
●2月、ヴィンタートゥール市立管(1回)、フランク交響曲、チャイコフスキー6番等。
●3月、トーンハレ管(2回)、ベートーヴェン3・4番。
●3月、カッセル・シュターツカペレ(1回)、フルトヴェングラー2番等。
●4月、ベルリン・フィル(14回)、ブラームス1番等。ドイツ、フランス・ツアー(11回)も。
●5月、ベルリン・フィル(8回)、ブラームス1番等。ドイツ・ツアー(5回)も。
●5月、ウィーン・フィル(3回)、ベートーヴェン9番。
●6月、ウィーン・フィル(1回)、ベートーヴェン9番。
●7月、ウィーン・フィル、オペラ(1回)、『ドン・ジョヴァンニ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(1回)、ヒンデミット『世界の調和』、シューベルト『グレート』等。オペラ(7回)、『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』。声楽(1回)、ヴォルフ・リサイタルでピアノ伴奏。ザルツブルク音楽祭。
●8月、ルツェルン祝祭管(2回)、ヒンデミット『世界の調和』、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン3番等。
●9月、ウィーン・フィル(6回)、ベートーヴェン3・4・5番等。含むイギリス・ツアー(4回)。
●9月、ベルリン・フィル(3回)、シューベルト『未完成』『グレート』等。
●10月、ウィーン国立歌劇場(3回)、『フィデリオ』
●10月、ローマRAI響(2回)、『ラインの黄金』『ワルキューレ』。
●11月、ローマRAI響(8回)、『ジークフリート』『神々の黄昏』。
●11月、ローマ教皇のためにジョコンダ・デ・ヴィトーとプライベート・リサイタルを2回開催。
●12月、ベルリン・フィル(3回)、ブルックナー5番等。
●12月、ウィーン・フィル(2回)、フランク交響曲、ヒンデミット『世界の調和』等。
1954年(68歳) ベルリン・フィル終身指揮者
●1月、インフルエンザでバーデン=バーデンのサナトリウムに入院。翌月回復。
●3月、フィルハーモニア管(1回)、ベートーヴェン4・5番等。
●3月、ヴェネズエラ響(1回)、ブラームス1番等。
●3月、シュトゥットガルト放送響(1回)、フルトヴェングラー2番等。
●4月、ウィーン・フィル(6回)、ブルックナー8番、バッハ『マタイ受難曲』。
●4月、ベルリン・フィル(11回)、ベートーヴェン2番、ブラームス:ピアノ協奏曲第1番等。ドイツ・ツアー(3回)。
●5月、ベルリン・フィル(21回)、ベートーヴェン7番、ブラームス3番等。フランス、イタリア、スイス、ドイツ・ツアー(18回)。
●6月、ウィーン・フィル(1回)、シューベルト『未完成』『グレート』。
●6月、スイス・ロマンド管(2回)、ベートーヴェン3・4番。
●7月、ウィーン・フィル、オペラ(2回)、『魔弾の射手』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、バイロイト(1回)、ベートーヴェン9番。
●8月、ウィーン・フィル、管弦楽(1回)、ベートーヴェン7・8番、『大フーガ』等。オペラ(8回)、『魔弾の射手』『ドン・ジョヴァンニ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月、フィルハーモニア管(2回)、ベートーヴェン9番。ルツェルン音楽祭。
●8月、ルツェルン祝祭管(1回)、ブルックナー7番、ハイドン88番。
●9月、フランス国立放送管(1回)、ベートーヴェン5・6番等。
●9月、ベルリン・フィル(2回)、ベートーヴェン1番、フルトヴェングラー2番。最後のコンサート。
●11月30日、バーデン=バーデン近郊のエバーシュタインブルク病院で、肺炎により死去。
●12月4日、ハイデルベルクの聖霊教会で葬儀。オイゲン・ヨッフムの指揮でモーツァルトの『フリーメーソンのための葬送音楽』とバッハの管弦楽組曲3番のアリアが演奏。列席者には、ハイデルベルク市長、マンハイム市長、ベルリン市のティブルティウス大臣、ザルツブルク市長、オーストリアの教育文化大臣、ベルリン・フィルのインテンダントとメンバー、ウィーン・フィルの代表のほか、指揮者のベームも、
●12月、ハイデルベルクの名誉墓地に埋葬。
【商品説明:年表シリーズ】
指揮
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ガウク
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クイケン
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クーセヴィツキー
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クチャル
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クラウス
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クレツキ
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クレンペラー
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ゴロワノフ
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サヴァリッシュ
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シューリヒト
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チェリビダッケ
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ドラティ
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バーンスタイン
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パレー
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フェネル
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フルトヴェングラー
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メルツェンドルファー
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モントゥー
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ライトナー
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ラインスドルフ
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ロスバウト
鍵盤楽器
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カークパトリック
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カサドシュ
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デムス
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ニコラーエワ
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ユージナ
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ランドフスカ
弦楽器
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カサド
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シュナイダー四重奏団
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パスカル弦楽四重奏団
●
ハリウッド弦楽四重奏団
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リッチ
作曲家
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アンダーソン
●
ヘンツェ