CD 輸入盤

交響曲第9番 クルト・ザンデルリング&北ドイツ放送交響楽団

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
PH17007
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


マーラー:交響曲第9番
クルト・ザンデルリング&北ドイツ放送交響楽団
ザンデルリングのマーラー第9番の先入観を覆す物凄い演奏!


驚きの音源の出現です。ザンデルリングのマーラー:交響曲第9番録音はベルリン交響楽団(1979年2月)、BBCフィル(1982年)、フィルハーモニア管(1992年)のセッション3種が残されていますが、4つ目の、それも北ドイツ放送響との組み合わせによる夢のライヴのマスターテープが、スタジオ・ハンブルク・エンタープライジスに保存されていました。1987年12月の演奏で、BBCフィルとフィルハーモニア管の録音のちょうど間に時期にあたります。
 ザンデルリングはマーラーの交響曲録音に慎重で、1979年のベルリン響との第9番が初セッションだったといわれ、ディスコグラフィも第4番のライヴ以外は第9番と第10番しかありません。この録音も海賊盤で一部流通しましたが、オリジナル・マイスターからの正規発売となります。

【演奏時間】
ベルリン交響楽団
(I. 27:29/ II. 16:43/ III. 12:48/ IV. 23:24)
BBCフィルハーモニック
(I. 27:48/ II. 17:14/ III. 13:03/ IV. 24:25)
フィルハーモニア管弦楽団
(I. 26:26/ II. 16:01/ III. 13:04/ IV. 23:48)
北ドイツ放送交響楽団
(I. 25:39/ II. 16:45/ III. 12:19/ IV. 25:53)

第1楽章は速く、フィナーレは遅いのが特徴。第3楽章にカットがあるため時間は少し短いものの、テンポ自体は特に変わりはありません。各フレーズのコントラストが強く、早い部分でのグロテスクなエネルギーは、ショスタコーヴィチを思わせます。ライヴならではの高揚感に加え、北ドイツ放送響ならではの熱いものとなっていて、フィナーレは涙なしに聴けない感動的なものとなっています。ようやくザンデルリングのマーラー像を示す演奏が登場したと申せましょう。超オススメです。(輸入元情報)

【収録情報】
● マーラー:交響曲第9番ニ長調


 北ドイツ放送交響楽団
 クルト・ザンデルリング(指揮)

 録音時期:1987年12月7日
 録音場所:ハンブルク、ライスハレ
 録音方式:ステレオ(ライヴ)

【プロフィール】
重厚長大スタイルながら情感が非常に豊かな演奏を聴かせたドイツの大指揮者、クルト・ザンデルリングは、ヴァント[1912-2002]やチェリビダッケ[1912-1996]、ショルティ[1912-1997]、マルケヴィチ[1912-1983]と同年の生まれ。
 2002年、90歳の歳に引退するまで積極的に指揮活動を展開するなど、老いてますます盛んなのはヴァントと同様でしたが、ザンデルリングの場合は独墺系基幹演目のほかにも、マーラーやショスタコーヴィチ、シベリウスなども重要なレパートリーとしていたのが大きな相違点でした。それにはザンデルリングが辿った音楽家としての道筋も大きく影響していたものと思われます。
 1912年9月19日、東プロイセンのアリスに生まれたクルト・ザンデルリング(ザンデルリンクとも)は、個人教授を受けて音楽を学び、1931年にベルリン国立歌劇場の練習指揮者として採用。しかしユダヤ系ドイツ人だった彼はナチスの台頭を嫌って1935年にスイスを経てソ連に亡命、翌年、モスクワ放送交響楽団を指揮して正式なデビューを果たします。
 ザンデルリングはこれをきっかけに同オーケストラの副指揮者に就任、その後、ハルコフ・フィルを経て1941年、疎開のためノボシビリスクに長期滞在中のレニングラード・フィルにムラヴィンスキー音楽監督のもと、指揮者陣の一人として迎えられます。
 以後、1960年まで20年間続くこのレニングラード・フィル時代には、ムラヴィンスキーと共に同オケの黄金時代を築き上げ、数多くの演奏会を指揮、1958年には日本ツアーにも同行するなど活躍したほか、メロディア・レーベルなどへのレコーディングも相当数おこなっていました。中でもドイツ・グラモフォンに録音したチャイコフスキーの交響曲第4番は、ディスク大賞を受賞するなどザンデルリングの名を大いに高めてもいます。
 1960年になるとザンデルリングは、東ドイツ政府からの要請により、設立間もないオーケストラであるベルリン交響楽団の首席指揮者に就任してレベル向上に努め、1977年の退任までのあいだに同オケの実力を一気に高めることになります。退任後も、このオケとの関係は深いものがあり、引退までの40年以上に渡って良好な関係が継続されました。
 その間、ザンデルリングは1964年から67年にかけてはシュターツカペレ・ドレスデンの指揮者も兼務し、さらにゲヴァントハス管弦楽団とも密接な関係を保って、海外公演なども精力的に展開。
 ベルリン交響楽団首席指揮者退任前後からは、世界各地のオーケストラを積極的に訪れ、日本でも1976年以来読売日本交響楽団に客演、1979年には名誉指揮者に就任し、以後たびたび来日して素晴らしい演奏を聴かせていました。
 なお、夫人のバーバラはコントラバス奏者で、子息のトーマスとシュテファンは指揮者、ミヒャエルはチェリストという音楽一家でもあります。(HMV)

収録曲   

  • 01. Mahler: Symphony No. 9: I. Andante comodo [25:39]
  • 02. II. Im Tempo eines gemachlichen Landlers - Etwas tappisch und sehr derb [16:45]
  • 03. III. Rondo-Burleske: Allegro assai [12:19]
  • 04. IV. Adagio - Sehr langsam und noch zuruckhaltend [25:53]

ユーザーレビュー

総合評価

★
★
★
★
☆

4.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
1
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0
★
★
★
★
☆
これは驚きのリリース。ちょうどこの時期ハ...

投稿日:2017/03/31 (金)

これは驚きのリリース。ちょうどこの時期ハンブルクにいたので、マエストロに頼んでプローベから見学させてもらったのだけど、正直プローベでは大丈夫かなあ?という感じだった。NDRのオケは当時はヴァントがシェフで三大B(この場合はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)の演奏が多かったこともあるのか、どうもマーラーはイマイチだったような気もする。ベルティーニが客演した際のマーラー3番も消化不良な演奏だった。ちょっと前にテンシュテットのもとで火を噴くようなマーラーを演奏していたオケとは思えないほど・・・ ただ東ドイツからの亡命者が多かったハンブルクの土地柄なのか、ザンデルリンクに対するオケの態度というかレスペクトぶりは素晴らしくて、マエストロもとても気持ちよく練習を進めていたと思う。二回の本番が彼にとってどのくらい納得のいくものだったかは分からないけれど、日曜日の夜の演奏は特に終楽章の集中度が凄まじくて、いつもの「ヴァントのオーケストラ」がまるで違うものになっていた。 (ザンデルリンクを旧西ドイツで聴けたのはこの時一回のみだった。出来ればブラームスとかチャイコフスキーをこのオケで聴いてみたかった。) しかし何と言っても30年前の演奏なので、まずは虚心坦懐にじっくり聴かせていただきたいと思う。期待をこめて4つ星!!

南風 さん | 東京都 | 不明

5

人物・団体紹介

人物・団体ページへ

マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

プロフィール詳細へ

マーラー(1860-1911)に関連するトピックス

交響曲 に関連する商品情報

おすすめの商品