現代語新訳 世界に誇る「日本のこころ」3大名著 『茶の本』『武士道』『代表的日本人』 フェニックスシリーズ

岡倉天心

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784775941300
ISBN 10 : 4775941305
フォーマット
出版社
発行年月
2014年11月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
476p;19

内容詳細

国境を越え1世紀を経ても色あせない日本発、世界各国ロングセラーが1冊になった。

目次 : 茶の本(東西を結ぶ茶碗/ 茶の変遷/ 道教と禅 ほか)/ 武士道(道徳体系としての「武士道」/ 武士道の源/ 「義」―あるいは正義について ほか)/ 代表的日本人(西郷隆盛―新日本の創設者/ 上杉鷹山―封建君主/ 二宮尊徳―農民聖者 ほか)

【著者紹介】
岡倉天心 : 本名、覚三(かくぞう)。明治時代の美術評論家、思想家。1863年、横浜に生まれる。父が貿易商だったこともあり、幼少時代から英語を習得。東京大学在学中に日本美術研究科の通訳・助手を務め、文部省入省後は欧米視察を経て、東京美術学校の設立に尽くす。27歳で第二次校長に就任し、横山大観など多数の日本画家や彫刻家を育てるが、内紛により辞任。その後、弟子たちと日本美術院を設立する。一方で、アメリカのボストン美術館の東洋部長にも就任し、同美術館が「東洋美術の殿堂」と呼ばれる基礎を作るとともに、海外での講演活動や執筆活動を通じて、日本ひいては東洋に対する欧米の理解を深めるのに尽力した。1913年没

新渡戸稲造 : 農学者・教育者・思想家。1862年岩手県盛岡生まれ。札幌農学校(現在の北海道大学)で学んだ後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1891年にメリー・パターソン・エルキントンと結婚。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校学長、東京帝国大教授、東京女子大学学長などを歴任。1920年に国際連盟事務次長を務め国際平和に貢献する。1933年没

内村鑑三著 : 1861年高崎藩士である父の元、東京に生まれる。キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。東京外国語学校を経て札幌農学校に新渡戸稲造、宮部金吾らと勉強を共にする。卒業後、アマースト大学、ハートフォード神学校に留学し、1890年に帰国。第一高等中学校嘱託教員となるが、翌年、教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され免職。以後は著述家として活躍。1919年から内村聖書研究会を開き、多くの人を集めた。聖書にのみ基づく信仰「無教会主義」の創始、伝道者となる

関岡孝平 : 1952年静岡市生まれ。静岡大学工学部卒業後、大手電気メーカーでコンピューターの開発に携わる。在籍中から出版翻訳を手がけ、定年退職後の現在はフリーランサー。1930年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

ユーザーレビュー

総合評価

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

読書メーターレビュー

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

powered by

  • ぺしみち さん

    「武士道」は既読なので今回は飛ばした。「茶の本」は感性の鈍い私には難しかった。「代表的〜」は訳者序文にある通り、キリスト教的色眼鏡が強すぎる部分は突っ込み入れて読んだ。まぁ、日本人も変わったな〜ってのが全体の感想。

レビューをもっと見る

(外部サイト)に移動します

人物・団体紹介

人物・団体ページへ

岡倉天心

1863〜1913年。美術評論家・思想家。本名は覚三。文明開化の風潮の中で、フェノロサとともに日本美術の復興に尽くした。東京美術学校開設に尽力し、のち校長となる。その後、日本美術院を創立し、明治日本画家の指導者として活躍、ボストン美術館中国日本美術部長などを務める。英文著書による日本文化の紹介者とし

プロフィール詳細へ

文芸 に関連する商品情報

おすすめの商品