CD 輸入盤

交響曲第9番 バーンスタイン&イスラエル・フィル(1985年8月ライヴ)(2CD)

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
HEL029656
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
Israel
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

バーンスタイン指揮イスラエル・フィル
マーラー:第9交響曲、1985年8月ライヴ


イスラエル・フィルのレーベル「Helicon Classics」から、ついにバーンスタインが登場。イスラエル・フィルを指揮して、マーラーの第9交響曲を演奏した超弩級の内容です。

【バーンスタインによるマーラー】
レナード・バーンスタインといえば、その経歴が端的に示すように、言わずと知れたマーラーのエキスパート。いち早くアメリカ時代の1960年代に交響曲全曲をセッション録音すると、1970年代には交響曲全曲の映像をライヴ収録晩年の1980年代にもライヴ録音で全集に取り組みながら、第8番の収録を残し完成間近に世を去っています。
 マーラーを指揮しているときのバーンスタインはやはり別格で、作曲家・指揮者としての自らの姿とを完全に重ね合わせるかのような瞬間もあり、バーンスタインの演奏を通じてマーラーに目覚めたというファンは数知れず、おおいに受容に貢献した功績については異論の余地のないところです。

【バーンスタインによるマーラー第9番のレコーディング】
バーンスタインによるマーラーの第9交響曲について、正規の商業録音として以下の4つの演奏が知られています。

1965年12月 ニューヨーク・フィル(セッション録音)
1971年3月 ウィーン・フィル(ライヴ録音)※映像作品
1979年10月 ベルリン・フィル(ライヴ録音)
1985年5,6月 ロイヤル・コンセルトヘボウ管(ライヴ録音)

録音年が下るにつれて、全体の演奏時間が拡大する傾向が認められ(下記トラックタイム参照)、濃厚なうたい回しと主情的な表現が一種独特の世界を醸し出し、そこがまた「バーンスタインのマーラー演奏」の魅力として熱い支持を集める要因にもなりました。

【日本公演でのイスラエル・フィルとのマーラー第9番】
ただ、これらのレコーディングとは別に、比較するもののない空前絶後の大演奏として語り草となっているのが、1985年9月の来日公演でバーンスタインが指揮したマーラーの第9番。終身桂冠指揮者としてイスラエル・フィルを率いた全9公演のうち、マーラーの第9番を演奏したのは4公演、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったとは衆目の一致するところのようで、8日の東京公演を目の当たりにした音楽評論家の許光俊氏も、当時を振り返り次のように述べています。
「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないと思われます。」

【日本公演直前のライヴ】
このたび登場する音源は、歴史的とまで騒がれたその日本公演の直前、1985年8月25日にテルアビブにある本拠マン・オーディトリアムでおこなった同一プログラムのコンサートの模様を収めたものです。
 バーンスタインにとって本公演に臨むにあたり、上記のように、同じ年の5月29日から6月3日にかけてアムステルダムでロイヤル・コンセルトヘボウ管とマーラーの第9交響曲のライヴ収録を終えていることもプラスに働いているようにおもわれますし、晩年の様式に顕著な途方もないスケールと感情移入全開の歌い込みが特徴のRCO盤とは演奏時間もほぼ同じであることからも、ここでもほとんど同傾向の演奏内容がおこなわれているとみて間違いないでしょう。
 率直なところ、時期もほとんど同じに、バーンスタインがイスラエル・フィルとマーラーの第9番を取り上げていたことも驚きですが、音源がこのような形で残されていたことに感謝の念を禁じ得ません。
 日本公演の内容が未だCD化の目処すら立っていない現状では、このたびのリリースの価値はファンにははかりしれないものといえそうです。(キングインターナショナル)

【収録情報】
・マーラー:交響曲第9番ニ長調

 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
 レナード・バーンスタイン(指揮)

 録音時期:1985年8月25日
 録音場所:テルアビブ、マン・オーディトリアム
 録音方式:ステレオ(ライヴ)

【トラック・タイム】
1985 IPO 29:27 + 16:43 + 12:07 + 30:15 = 88:32
1985 RCO 29:52 + 17:26 + 11:47 + 29:34 = 88:39
1979 BPO 27:31 + 15:49 + 11:59 + 26:03 = 81:22
1971 VPO 27:24 + 16:06 + 11:28 + 25:48 = 80:46
1965 NYP 28:26 + 15:52 + 12:30 + 23:03 = 79:51


【許光俊の言いたい放題 第206回 「バーンスタインの偉大さにひれ伏す」より】

 ...あのときは、まず大阪で演奏会があり、吉田秀和がそれを絶讃する評が東京公演の直前に朝日新聞に掲載された。ただの名演奏と言うよりも、歴史的な大演奏とか何とか、そんなことが書かれていたように記憶している。それは嘘でもなければ大げさでもなかった。今でこそ、曲が静かに終わったときには拍手を控えるようになった日本の聴衆だが、かつてはそうではなかった。むしろ逆で、すばやく拍手するのが礼儀だと信じられていた。ところが、この時ばかりは二十秒も沈黙が続いた。何しろ、黒田恭一がそれに仰天して、後日バーンスタインとのインタビューでわざわざ触れたほどだ(もっとも、バーンスタインはそんなことは意に介さず、マーラーの魂が話しかけてきた云々と彼らしい怪しい話をしていたのだが)。
 私にとってはこのイスラエル・フィルとの演奏が思い出が強烈すぎて、コンセルトヘボウとの録音は一度聴いただけでがっかりしたし(こういう、深いところに突っ込まないことを美学とする楽団で第9番を録音したレコード会社を恨んだ)、ベルリン・フィルとのライヴ盤にも熱中しなかった。
 東京公演はNHKホールで行われたが、あの会場で音響のことなどまったくどうでもよくなったのはあとにも先にもこの時だけである。あまりにも鋭い、肺腑をえぐるような衝撃的な響きから、ぶあつい弦のカンタービレまで、あのお粗末な音響のホールにおいてすら、恐るべき生々しさで聞こえてきたのである。いや、耳に突き刺さるように音が飛んできたのである。身を切られるような痛みすら覚えた。
 そんな東京公演に先行する本拠地でのライヴ録音が発売されるというニュースを聞いて、私は驚き、喜び、恐れた。まさかあの忘れがたい、というか、私が聴いた最高のコンサートのひとつである来日公演と同様のすごい演奏を聴くことができるのか? だが、演奏のよしあしが伝わるかどうかは音質次第でもある。はっきり言って、期待しすぎないほうがいい。不安も感じつつ、今度のCDを聴き始めた。

 結果から言おう。これはバーンスタインの代表盤とされるべき、すばらしいCDである。いや、その域を超えて、あらゆるクラシックのCDの中でも特に大事にされなければならない貴重なうえにも貴重な記録である。音質も欲を言えばきりがないが、まずこれ以上は求められないだろう。
 弦楽器全体の響きを生かした録音ゆえ、金管楽器や打楽器の衝撃力は減じられている。だから、第1楽章では、聴くものを責め苛み、引きずりまわし、圧倒しつくしたはずのデモーニッシュな迫力は薄れている。そこにわずかな不満がないわけではない。が、それにしたって、これほどまでに弦があちこちで不気味に鳴っている演奏は、バーンスタイン以外にない。しかもその一方で、実に陶酔的でもある。幸福と不幸、甘さと苦さ、静謐と狂乱が、じかに隣り合っている。この強烈なコントラストこそがマーラーなのだ、と改めて思わされる。
 カラヤンとベルリン・フィルの、あの練りに練られた美しいスタジオ録音と比較してみるとよい。カラヤンのほうは、あれはあれでたいへん立派な第1楽章だけれど、バーンスタインで聴くと、あっちこっちの音型、リズムなどが異様に生命感を帯びている。カラヤンが情報を一元化するのに対し、バーンスタインは多元化させるのだ。情報量がまったく違うのだ。本当に、まったく別方向の演奏である。このふたつを聴けば、演奏によってまったく違う音楽が生まれてしまう不思議を痛感するに違いない。
 第3楽章でも、あらゆるディテールが意味を持っているのがすごい。これはもはや美しさをまったく問題とはしていない音楽である。人生が必ずしも美しさで割り切れないのと同様に。バーンスタインが達した解釈の高みは、他を圧している。私はこうした演奏を聴いたことがあるからこそ、アバド、ブーレーズ、ヤンソンス、ハイティンクあたりを、まったくマーラーがわかっていないと百パーセントの確信を持って批判できるのである。もちろん、バーンスタインと違う解釈や音楽観があってよい。いや、あるべきだ。しかし、ここまで徹底的に読み込み、表現した例が他にあるなら、教えてもらいたいほどだ。
 フィナーレは想像をはるかに超えてすさまじい。こういうのを何と言ったらよいのか。豊かな歌、嘆きの歌、いや、全然言い足りない。弦のハーモニーのひとつひとつに異様な強さがある。特に16分過ぎ、ここは東京でも度肝を抜かれ、いまだにはっきり覚えている個所だけれど、木管楽器から弦楽器に交替してからあとが、戦慄的だ。オーケストラからこんなにとてつもない音、まるで人間の必死の叫び声のような音が出るのかと文字通り震えが来るような、凄絶きわまりない音楽だ。もし私が指揮者ならは、一生のうちに一度だけでいい、こんな音を出さないでは死にたくない。
 このうえなく孤独でありながら、このうえなく連帯を求める音楽。この演奏のさなか、聴衆の多くは、指揮者とともに、オーケストラとともに、そして作曲者とともに、心の中でいっしょに歌い、悲しみ、愛おしんだはずだ。音楽を生きたはずだ。そんな例外的な演奏がテープに見事に記録されていたとは、ただただ感謝あるのみである。当時の新聞評によれば、イスラエルでのこのコンサートのあとでは20分間拍手が続いたという。
 このCDは半端な気持で聴くものではない。家に誰もいないときに、たっぷり時間を取って、真剣に相対すべき音楽である。私は聴き終わったあとで、しばらく平常心に戻れなかった。そして、このような音楽を聴くためにこそ自分の人生は存在するのであり、他のことは結局のところ、すべてどうでもよいことなのだと思った。傑出した芸術は、それ以外のすべての価値を無にしてしまう危険な作用があるのだ。
 そんなものが家で聴けるとは、本来あってよいことなのかどうか、私にはわからない。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

収録曲   

ディスク   1

  • 01. Mahler: Symphony No. 9: I. Andante comodo (29:27)
  • 02. II. Im Tempo eines gemachlichen Landlers (16:43)

ディスク   2

  • 01. III. Rondo Burleske (12:07)
  • 02. IV. Adagio (30:15)

総合評価

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物凄いとしか言い様の無い、奇跡的な名演だ...

投稿日:2017/01/03 (火)

物凄いとしか言い様の無い、奇跡的な名演だと思う。ベルリン盤、ACO盤を凌ぐ、至上の宝が発掘された事に、ただただ感謝。

ルパン四世 さん | 静岡県 | 不明

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購入後何度か聞いた後、2年ほど放置。久し...

投稿日:2013/11/12 (火)

購入後何度か聞いた後、2年ほど放置。久しぶりに聞きました。自分の評価一変。激烈な演奏とその柔らかい優しい響きのギャップの虜となりました。今ではACOはなんだか肩肘張った窮屈なものと思えます。ただし、4楽章の26’02”前後のレフト側から電子音(パソコン音)のようなものが聞こえるのがなんとも興ざめ。もともと入っていたのか、編集時に入ったものなのか・・・・。秋の夜長にぴったりの1枚です。

ぽん太 さん | 神奈川県 | 不明

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いかにもバーンスタインならではの大演奏で...

投稿日:2012/09/26 (水)

いかにもバーンスタインならではの大演奏で、個人的には、ベルリンフィルやコンセルトヘボウとのディスクよりも感銘深く聴きました。バーンスタインの陶酔・没入ぶりは同じですが、それにオケが同調し表現しきっていることではこちらの方がはるかに上であります。ライヴならではのミスはありますけれど、それも表現意欲の積極性から生じたもので、不勉強不熟練ややる気のなさではありませんから、決して大きなマイナスに評価すべきではないと思います。テンポの変化(急なドライヴ)、音色へのこだわり、ダイナミクスのコントラスト、とあらゆるところで思う存分表現を突き詰めた、バーンスタインとしてもこの時期にようやく到達し得た、そしてイスラエルフィルとのコンビによってようやく成就し得た、希有の演奏ではないかと思います。マーラーの交響曲第9番の、極めて感銘深い、しかし大変特別なディスクの登場です。この曲を愛する方にはぜひともお聴きになるよう、お薦めいたしましょう。但し、やはり、この曲によほどよく馴染んだ上で聴くのがよいかと拝察します。理由を記しましょう。@名曲は、人生の友として長く付き合うことで大いに楽しみを得ます。その間、実演でもディスクで多くの演奏を耳にして曲の魅力をあらゆる角度から味わう、これぞ音楽を聴く楽しみであり喜びです。A最初に聴いた際の演奏は、一つのスタンダードとして曲のイメージを形作り、言わば「刷り込み」がなされます。テンポや強弱のバランスなどは、特に影響を受けやすいものです。Bしたがって、名演と評価されていようとも個性的な演奏によって初めて聴いてしまうと、曲のイメージも「個性的」なものに刷り込まれてしまう恐れがあります。たとえば次の組み合わせ、初めて聴く人に勧められましょうか?「ローマの松」(スヴェトラーノフ)、ブルックナー交響曲第8番(チェリビダッケ&ミュンヘンフィル)、ベートーヴェン交響曲第9番(フルトヴェングラー&バイロイト)。いずれもある意味「究極の演奏」ですけれど、上記の@に関してはいささか不幸な影響を与えるかもしれません。要はこのディスクに聴くバーンスタインという千両役者の一世一代の大演奏もその部類に入ろうかと思います。逆にこの曲に馴染んでいる者には、ここでバーンスタインが行っている独特な処理が大変によくわかり、感心したり、驚かされたりと、発見も感動もひとしおです。さて、録音は優秀。大オーケストラをよくとらえ、不自然さのない、いい感じの音像が形成されています。レンジはやや狭いかもしれませんが、別に問題はありません。最後に一言。この直後の来日公演を私も実は聴いております(NHKホール)。魂がジャワの向こうに吹っ飛ぶような物凄い感銘を受け、おかげでこの年は何も手につかず留年してしまったくらいですが、今回のこのディスクは、その記憶とほとんどシンクロせず、独立したものとして聴き終えました。もちろんよく似ているのですけれど、別物という気がしました。このディスク、かつての大感激の記憶と齟齬してしまうかもしれないと、ホントは聴くのが少し怖かったのですが、それは杞憂でありました。自分も立ち会った、あの現場での感動は「記憶の博物館」の中でもう揺るがぬ位置に鎮座し、何があっても動かないところに昇華してしまったようです。人生上における音楽体験の意味についても、やや考えた次第です。

ほんず内閣総理大臣 さん | 北海道 | 不明

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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