ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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SACD 輸入盤

交響曲全集 キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(12SACD)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
C49545
組み枚数
:
12
レーベル
:
:
Germany
フォーマット
:
SACD
その他
:
ハイブリッド,輸入盤

商品説明



ショスタコーヴィチ交響曲全集
ドミトリー・タエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
マルチチャンネル対応 ハイブリッドSACD12枚組!


レニングラード包囲戦の前年、1940年にレニングラードに生まれたロシアの名指揮者ドミトリー・キタエンコは、生地のレニングラード音楽院を経てモスクワ音楽院で学び、さらにウィーン音楽アカデミーでハンス・スワロフスキーに師事して指揮の腕を磨きます。
 20年に渡ってモスクワ・フィルの監督を務めたキタエンコは、その後、フランクフルト放送響の首席なども務め、各地のオーケストラを指揮して着実に名声を高め、現在に至ります。
 キタエンコの芸風はロシア的なものを前面に出すことなく、作品に対して純音楽的にアプローチするというもので、このショスタコーヴィチ全集でも、全曲一貫したシリアスなスタイルが大きな魅力となっています。
 ドイツの名門ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団ならではの暗めの音色を基調とした重厚な響きによるここでの演奏は、いたずらに部分強調をおこなうこと無く、作品のシンフォニックな性格を強く意識させるもので、構造的・様式的な面白さがわかりやすいのがポイント。
 なお、このアルバムはハイブリッド・タイプのSACDなので、通常CDのステレオ音声のほか、SACDのステレオ音声(2.0)、SACDのマルチチャンネル音声(5.1)という3つの音声が収録されています。
 直接音の切れ味、楽器の音の細密な描写を味わうのであれば2チャンネル・ステレオが、ホールに響く全体の雰囲気を味わうにはマルチチャンネルが適しているとよくいわれますが、それらを聴き較べて楽しむのもハイブリッドSACDならではの楽しみと言えるかもしれません。


【交響曲第1番】
交響曲第1番は、レニングラード音楽院作曲科の卒業制作曲であり、当時「現代のモーツァルト」とまで讃えられたという作品。ストラヴィンスキーやアルバン・ベルク、シェーンベルクの影響のほか、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスの引用もおこなわれ、全体は機知に富む仕上がりを見せています。

【交響曲第2番『十月革命に捧ぐ』】
ソ連政府による規制がまだおこなわれていなかった1927年に書かれた作品で、若きショスタコーヴィチの斬新なアイデアや前衛的な手法が盛り込まれた、演奏時間18分ほどの小規模な交響曲。長年に渡ってロマノフ朝に苦しめられてきた民衆と、その蜂起、勝利を描いたもので、合唱も交えながら最後にはレーニンを賛美して締めくくるという構成で、27声のフガートや無調部分、サイレン音など聴きどころの多い作品です。

【交響曲第3番『メーデー』】
ショスタコーヴィチ23歳のときの作品。第2番と同じく前衛的な雰囲気もありますが、曲の終わりには農村を賛美する合唱が付くという体制寄りの要素もあり、平和的な雰囲気を表現したと作曲家自身が述べています。緊張感の持続と、合唱を伴う最終部のはじけっぷりが印象的。

【交響曲第4番】
作曲者自身が「自分の書いた最高傑作、第8番よりももっと良い出来」と語るこの作品は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも特異な経緯を持ついわくつきの音楽。30歳の時に完成した画期的な交響曲であり、リハーサルの途中で作曲者みずから発表を中止。紆余曲折を経て、実に25年後の1961年、〈雪解け〉といわれる状況の中、コンドラシンの指揮でようやく初演が行なわれたというものです。
その後の成功予定作(?)の第5番と較べると、この第4番は余りにも斬新かつ凶暴であり、前年に当局に批判されたポポフの交響曲第1番や、自身の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の二の舞になることをショスタコーヴィチが恐れたのも無理からぬことだったのでしょう。
確かに、この問題作から感じられる異様なまでの激しさ、力強さ、残虐さは比類のないものであり、それらに戦争や圧政の影を結びつけて考えるのも自然なことかもしれませんし、また、並存する諧謔的な表現についても、複雑なアイロニーの発露と考えれば納得も行きます。
とはいえ、そうした時代背景への認識を抜きにしても、マーラーの2番や7番、1番、マイスタージンガーの引用(パロディ)を経た大音響地獄の果てに、最後は美しく静かなコーダに収斂されてゆくという重層的な構図は、交響曲好きにはたまらないところです。

【交響曲第5番】
ショスタコーヴィチの交響曲の中で最も人気のある作品。天候不順と農政失策が引き起こした大飢饉によるソ連国民の餓死者500万人以上ともいわれる1930年代、スターリン派の政治家が対抗勢力に暗殺されたことに激怒したスターリンが政治的な大粛清を開始、その犠牲者もほどなく数百万人規模に達し、第二次世界大戦前ながら、すでにソ連国内の社会不安は極点に達していました。
 この時期、ショスタコーヴィチは自信作ながら問題作でもある交響曲第4番をすでに完成させていましたが、最悪の場合の拒否反応を想定して初演をとりやめ、社会不安に打ち克とうとするかのような交響曲第5番を新たに作曲、社会主義リアリズム的な明解さをも表現して大成功を収めています。

【交響曲第6番】
1939年に書かれた交響曲第6番は、通常の交響曲スタイルでの第1楽章にあたる部分が無く、いきなりラルゴの緩徐楽章で開始され、その後、アレグロのスケルツォ→プレストのフィナーレと速度を上げて行きます。身近に迫った戦争への不安を描いたかのような緩徐楽章に続き、そうした不安を払拭するような楽しげなスケルツォと、やたらに快活でどこかカラ元気の気配もあるフィナーレが演奏される作品。

【交響曲第7番『レニングラード』】
第8番と並び迫力ある戦争交響曲として人気を博す第7番『レニングラード』はショスタコーヴィチの書いた交響曲の中では最も規模の大きな作品でもあります。レニングラードがドイツ軍に包囲されたのは1941年9月のことで、以後、1944年1月まで包囲戦は続き、67万人とも100万人以上とも言われる市民が飢餓や砲撃、爆撃によって犠牲になっています。ショスタコーヴィチは包囲戦開始の少し前に作曲を開始して約4カ月で完成、翌年、初演前に作品はスターリン賞1席を受賞し、続々と海外でも演奏されるようになり、1943年3月、ショスタコーヴィチはモスクワ音楽院教授に就任しています。防衛戦のなまなましい光景に強い印象を受けて作曲されただけに、当初は各楽章に「戦争」「回想」「祖国の大地」「勝利」という副題が付され、プロパガンダ交響曲の様相も呈していましたが、のちに副題は撤回されています。


【交響曲第8番】
かつて『スターリングラード交響曲』とも呼ばれていたこの作品は、戦争の酷さや悲しみ、虚無感を投影したものとして、壮大・激烈な音響にさえ独特のペシミズムやパロディ感覚、アフォリズムの精神が備わるという含みのある重層的な性格を持っているのが特徴。


【交響曲第9番】
1945年に書かれた第9番は、第7番、第8番と同じく戦争交響曲と呼ばれる作品ながらも、ずっとコンパクトでシニカルなイメージの強い音楽。戦勝記念を期待した当局に対する皮肉ともとられたこの第9番は、それゆえに強い批判に晒されショスタコーヴィチの立場を危ういものに追い込みました。

【交響曲第10番】
スターリンの死の直後に発表されたこの第10番は、第1楽章にリストの『ファウスト交響曲』、第2楽章にムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』、第3楽章にマーラーの『大地の歌』の引用を含む意味深な作品。第2楽章スケルツォの迫力あるけたたましい音楽によっても有名で、中間部に傍若無人な行進曲を含むその音楽はスターリンを描いたものとも言われています。

【交響曲第11番『1905年』】
1958年にレーニン賞を授与された標題音楽。ロシア革命前夜、「血の日曜日」と呼ばれる軍隊による民衆虐殺の場面でも知られる作品で、ショスタコーヴィチの描写力が冴え渡っています。


【交響曲第12番『1917年』】
1961年に完成した交響曲第12番は『1917年』というタイトルを持つ作品。共産党大会の祝賀行事の一環として初演されたこの『1917年』は、1917年10月のロシア革命とレーニンに関するものとされています。作曲当時のソ連は、フルシチョフ書記長のスターリン批判のもたらした「雪解け」ムードの中、領空侵犯してきたアメリカ軍のU2偵察機の撃墜&パイロットの裁判により、米ソ関係が緊張を迎えることになった時期でもあります。
交響曲第2番『十月革命に捧げる』と共通の素材も用いられるこの作品は、レーニンにより実現した、ロマノフ王朝の圧政に対する蜂起と革命理念を描いたもので、その後、レーニンの死により、スターリンに踏みにじられることとなった実際のソ連を考えれば皮肉な作品とも言えますが、楽曲中には革命歌の引用などもおこなわれており、革命当初の姿を歴史的視点から捉えるという意味合いでは、真実味の感じられる音楽でもあります。


【交響曲第13番『バビ・ヤール』】
ショスタコーヴィチの13番目の交響曲は、その歌詞内容を巡って初演当初から大きな反響をよんだ作品です。膨大な打楽器群を伴う大編成のオーケストラに男声合唱、バス独唱を要し、1時間にも及ぶこの問題作の焦点は、第1楽章のテキストであり、作品全体のタイトルともなっている詩「バビ・ヤ-ル(バービイ・ヤール)」にあります。
 エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・エフトゥシェンコ[1933-]の手になる詩「バービイ・ヤール」は、1961年9月19日に「文学新聞」紙上で発表されました。当時28歳、新進気鋭の若手詩人によるこの詩は、第2次大戦中、ナチス・ドイツによってキエフ郊外のこの地でおこなわれた周辺ユダヤ人の大虐殺(2日間で33,771人)を直接のテーマとしながら、ロシアで帝政時代から根深く続いていた、そして当時のソヴィエトにあっては事実上蔓延していたとされる、反ユダヤ主義の告発を主眼とする、いわば、ソヴィエトの恥部を暴くような内容だったのでした。
 このような詩が、公式筋からの猛烈な批判を浴びつつも熱狂的な支持を生んだ背景には当時のソヴィエト政府が「雪どけ」といわれる緩和政策のさなかにあったことが第1に挙げられます。スターリンの死後、「思想から経済へ」と踏み出し、西側諸国との平和共存をうたった共産党政権の転換は、ヴァン・クライバーンのチャイコフスキー・コンクール制覇や、オイストラフ、リヒテル、ギレリスらの渡米公演など、多くの文化的な功績も残しましたが、一方で、そうした自由な空気の流入は国内言論の緩和という形であらわれ、自由な論説を展開する「雪どけ派」といわれる知的言論人を生み出してもいたのでした。エフトゥシェンコは、そうした言論人の急先鋒でした。
 ショスタコーヴィチが、いつこの詩を自らの題材に選んだのかは明らかではありませんが、1955年にバービィ・ヤールを実際に訪れたことがあったという彼が、この若い詩人の作品に心を惹かれなかったはずもなく、詩が発表されて約半年後の1962年3月には、後に第1楽章となる『バービイ・ヤール』が完成、当初は合唱付きの交響詩として完結する考えだったようですが、持病の右手神経症治療で入院中(同年7月21日まで)に、エフトゥシェンコの詩集「両手をふりあげ」から素材を探し、最終的に全五楽章の大作へと発展したのでした。異なる素材を選び出し、有機的に関連付けていったショスタコーヴィチの文学的センスは、この頃にはショスタコーヴィチと親しくなっていたエフトゥシェンコ本人をも驚嘆させたそうですが、さらに驚かされるのは、第一楽章以外の四章がすべて入院中に完成されたことで、記録によると、最終楽章「出世」が完成したのは退院の前日、7月20日とされています。
 この年の秋、ショスタコーヴィチは友人数人を自宅に招き、その13番目の交響曲を披露しています。持病のため以前のようには達者とはいかなかったようですが、ショスタコーヴィチは声楽の主要な旋律を歌いながら全5楽章をピアノ演奏、それぞれの楽章の前にはエフトゥシェンコが詩を朗読したそうです。限られた招待客には、作曲家仲間のハチャトゥリアンとヴァインベルク、歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤ、そして、この作品の初演を担うこととなるキリル・コンドラシンの姿があったとされています。
 初演は1962年の12月18日、コンドラシン指揮のモスクワ・フィルその他によっておこなわれましたが、ただちに当局の非難にさらされます。国家のタブーに触れた詩作、それを用いて新作を書いた国際的にも著名な作曲家という取り合わせは、いかに「雪どけ」のソヴィエトにあっても見過ごされることはなかった、というべきでしょうか。この頃には「雪どけ」の行き過ぎた緩和政策を見直す気運が共産党政権内で次第に高まっており、同年10月に終結をみた“キューバ危機"を「アメリカに対する政治的敗北」とする意見の台頭もあり、自由な気風は急速に去りつつあったようです。初演当日のバス歌手のエスケイプや、当初、初演の指揮をレニングラードでおこなうはずだったエフゲニー・ムラヴィンスキーが不可解な理由から指揮を断った背景に、政治的な圧力をみる意見もあります。そしてそのことは、ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの長年にわたる友情に最終的な終結をもたらしたともいわれています。
 初演後、第13交響曲は共産党政権から歌詞の一部改定を指示され、1963年2月に改訂歌版で再演、その後1965年にも同じく改訂歌詞で演奏されますが、その後は長く封印されてしまいます。初のレコーディングは、初演、再演とも指揮を務めたコンドラシンによって1967年におこなわれますが、原典歌詞の復活を求めた関係者の努力もむなしく、改訂歌詞での録音となりました。ソ連におけるこの原典歌詞による録音の解禁は、1985年のロジェストヴェンスキー盤まで待たねばなりませんでした。ソヴィエト以外では、当然ながら、1970年1月のオーマンディ指揮によるソ連国外初演&初録音から一貫して原典歌詞が用いられています。



【交響曲第14番『死者の歌』】
弦楽合奏と打楽器群によって演奏されるこの交響曲第14番は、死にまつわる11のテキストに付曲した作品。グレゴリオ聖歌が引用されガルシア・ロルカの色彩豊かな光景を彷彿とさせる死者への祈りの詩を用いた第1楽章「深き淵より」から、コサックが「おまえの母ちゃんでべそ」的な悪口をスルタンにまくしたてる第8楽章のような音楽にいたるまで実に幅広い死のイメージを内包しており、ショスタコーヴィチが単なる静謐で美しい死のイメージといったようなものではなく、もっと複雑で現実的な痛みや苦み、恐れといったものまで表現しようとしていたことは明らかです。

【交響曲第15番】
ショスタコーヴィチ最後の交響曲で死の前年に書かれています。晩年のショスタコーヴィチは、勲章授与などさまざまな栄誉に浴し、なおかつ要職にも任ぜられるなど社会的には厚遇の中にありましたが、一方で右足の骨折や、二度の心筋梗塞などによる健康面での不安に苛まれてもいました。交響曲第15番では、ロッシーニ、ワーグナー、ハイドンの作品のほか、自作の交響曲第1番、第2番、第4番、第7番からの引用がおこなわれ、パロディ作品としての側面が強くなっている一方、第2楽章アダージョでは、晩年ならではの独特の暗い美しさを示しているのが印象的。(HMV)



【収録情報】
DISC-1
● 交響曲第8番ハ短調 op.65
 録音:2003年6月28日-7月2日[ライヴ]

DISC-2
● 交響曲第1番ヘ短調 op.10
 録音:2004年7月3-7日[ライヴ]

● 交響曲第3番変ホ長調 op.20『メーデー』
 録音:2004年1月20-24日&7月13-17日

DISC-3
● 交響曲第2番ロ長調 op.14『十月革命に捧ぐ』
 録音:2004年1月20-24日&7月13-17日 

● 交響曲第5番ニ短調 op.47
 録音:2003年3月12日,14-15日

DISC-4
● 交響曲第4番ハ短調 op.43
 録音:2004年2月9-11日[ライヴ]

DISC-5〜6
● 交響曲第6番ロ短調 op.54
 録音:2002年7月16-18日

● 交響曲第7番ハ長調 op.60『レニングラード』
 録音:2002年9月15日,17-18日[ライヴ]

● 交響曲第9番変ホ長調 op.70
 録音:2002年4月29-30日

DISC-7
● 交響曲第10番ホ短調 op.93
 録音:2003年3月24-26日

DISC-8
● 交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』
 録音:2004年2月12-17日[ライヴ]

DISC-9
● 交響曲第12番ニ短調 op.112『1917年』
 録音:2003年10月20-25日

DISC-10
● 交響曲第13番変ロ長調 op.113『バビ・ヤール』
 録音:2004年1月20-24日&7月13-17日

DISC-11
● 交響曲第14番ト短調 op.135『死者の歌』
 録音:2004年1月20-24日&7月13-17日

DISC-12
● 交響曲第15番イ長調 op.141
 録音:2004年7月3-7日[ライヴ]

 マリーナ・シャグチ(S)[第14番]
 アルチュン・コチニアン(B)[第13,14番]
 プラハ・フィルハーモニック合唱団[第2,3,13番]
 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
 ドミトリー・キタエンコ(指揮)

 録音場所:
 ケルン、シュトルベルガー・シュトラーセ・スタジオ
 ケルン、フィルハーモニー[ライヴ]

 SACD(Hybrid Disc)
 CD 2ch / SACD 2ch / SACD 5.1ch

収録曲   

ディスク   1

  • 01. Guerzenich-orchester Koln - Sinfonie Nr. 1 F-moll
  • 02. 1. Allegretto - Allegro Non Troppo
  • 03. 2. Allegro
  • 04. 3. Lento
  • 05. 4. Allegro Molto - Lento - Allegro Molto
  • 06. Guerzenich-orchester Koln - Sinfonie Nr. 3 Es-dur
  • 07. 1. Allegretto
  • 08. 2. Piu Mosso
  • 09. 3. Andante
  • 10. 4. Allegro
  • 11. 5. Andante
  • 12. 6. Moderato

ディスク   2

  • 01. Guerzenich-orchester Koln - Sinfonie Nr. 2 H-dur O
  • 02. Largo
  • 03. Tempo = 152
  • 04. Poco Meno Mosso
  • 05. Meno Mosso
  • 06. Guerzenich-orchester Koln - Sinfonie Nr. 5 D-moll
  • 07. 1. Moderato
  • 08. 2. Allegretto
  • 09. 3. Largo
  • 10. 4. Allegro Non Troppo

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フレーズのディテールが明確に描き出されて...

投稿日:2018/04/17 (火)

フレーズのディテールが明確に描き出されている それによって楽想が明晰に見渡せる これまで複雑晦渋で掴みきれなかった第4・第8・第12番などの大曲が明快な姿を現した 逆に耳通りの良い人気曲からはこれまで聴き落としていた楽句の一端が聴こえてきた 情緒感情的表現は払拭され音そのものに語らせる極めてリアルな演奏がここにある 曖昧な幻想性は消え 音楽の表情と性格と内包する作者の意思が克明に語り出された 伝記や資料を必要としない 音楽はショスタコーヴィチに体得感得した世界と向き合った時に沸き起こった心の声を確実に伝えている 音楽は今も生きて歌い語りかけ叫んでいる そこから何を聴き取るか それはショスタコーヴィチとわたしが語り合えるかを問われていることでもある 何を求めて生きるかと言うことでもある 音楽は恐ろしい 自分が何者であるかを見せつけられる せめて自己を見つめる目を失いたくはないものだ 今を生きるあなたは如何  

風信子 さん | 茨城県 | 不明

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 キタエンコは,テンポを遅めに取って,細...

投稿日:2011/06/19 (日)

 キタエンコは,テンポを遅めに取って,細部への注意を払っている.オーケストラは,技術は確かだが,金管の音色が少々デリカシーに欠く.このなかでは,歌付きの2,3,13,14番が,繰り返し聴きたい優れた演奏.

ケニチ さん | 愛知県 | 不明

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演奏は素晴らしい。 だが、12枚の全集なの...

投稿日:2009/07/11 (土)

演奏は素晴らしい。 だが、12枚の全集なのに、第7番が2枚のディスクにまたがって収録されているのが意味不明。80分以内の演奏であるのに。 他の曲の収録順序も、番号順になっているわけでも、録音順になっているわけでもない。 第6番と第9番をセットにすれば、第7番も1枚に収まったのに。

nyangetsu さん | 埼玉県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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  • 作成者:taka2002eさん