【インタビュー】ドン・エイリー

2018年06月01日 (金) 20:30

|

HMV&BOOKS online - ヘヴィーメタル


現代ハード・ロックを代表するキーボードの名手、ドン・エイリーがソロ・アルバム『ワン・オブ・ア・カインド』を発表した。

レインボーやオジー・オズボーン、ゲイリー・ムーアなどとの活動を経て、現在ディープ・パープルの一員であるドンは、“ザ・ラスト・グッドバイ”と題されたパープルの最後のツアーで世界をサーキットしているところだ。 カール・センタンス(ヴォーカル/ナザレス、クローカス、パージャン・リスク)、サイモン・マクブライド(ギター/スウィート・サヴェイジ)、ローレンス・コットル(ベース/ブラック・サバス、ゲイリー・ムーア)、ジョン・フィニガン(ドラムス/バッド・マナーズ)という実力派ミュージシャン達を従えて作られた久々のソロ・アルバムは、ドンが半世紀近く過ごしてきたブリティッシュ・ハード・ロックの伝統に則った味わい深いサウンドに浸ることが出来る。

新作のリリースにタイミングを合わせて実現したインタビュー。ドンは穏やかな語り口でアルバムについて、そしてレインボーやゲイリー・ムーアとの思い出話を語ってくれた。

――1988年に『K2』を作ってからずっとソロ作はご無沙汰で、21世紀に入ってから『A Light In The Sky』(2008)、『All Out』(2011)、『キード・アップ』(2014)そして『ワン・オブ・ア・カインド』を発表しましたが、どんな時にソロ作品を作るのですか?

私はバンドの一員でいるのが好きだし、 セッション・ワークもやる。けっこう、それで音楽欲は満たされてきたし、どうしてもソロ・アルバムを作りたいという欲求はなかったんだ。ひとつのきっかけとなったのは、カラコルム山脈K2での遭難事故についてニュースで知ったことだった(1986年)。テレビや新聞でこの事件について知るにつれ、登山隊に捧げるアルバムを作りたくなったんだ。それが『K2/栄光と悲劇の物語』だった。ゲイリー・ムーアやコージー・パウエル、メル・ギャレイなど、友達を招いて作ったんだ。セールス的には決して悪くなかったけど、それからしばらくソロ・アルバムを作る機会がなかった。2000年代に入って作った3枚のソロ・アルバムは『マスコット・レコーズ』との契約で作ったアルバムで、私の中では“3枚で1枚”という感覚なんだ。きわめて緩く繋がっているアルバムだよ。その時期からディープ・パープルで世界をツアーしながら、オフの時などに“ドン・エイリー&フレンズ”で短期ツアーをしてきた。そうして時間を見つけて、『ワン・オブ・ア・カインド』をレコーディングしたんだ。

――カール・センタンスのシャウトがイアン・ギランを思わせる箇所もあり、キーボードを前面に据えたハード・ロックということもあって、イアンが1970年代後半から1980年代前半にやっていたバンド、ギランを思い出したりもしました。

うーん、そうかもね。言われて初めて気がついたよ。私もギランは好きだったよ。コリン・タウンズは素晴らしいキーボード奏者だった。全英トップ40チャートにレインボーの「アイ・サレンダー」とギランの「ニューオリンズ」、それからホワイトスネイクの曲...「ドント・ブレイク・マイ・ハート・アゲイン」かな?元ディープ・パープルのメンバーのバンドが同時にエントリーしていたこともあった(1981年)。興味深い時期だったね。ただ、正直『ワン・オブ・ア・カインド』を作っているとき、ギランを意識したことは一度もなかったな(笑)。

――インストゥルメンタル「リメンバー・トゥ・コール」の泣きのメロディはどのようにして書かれたのですか?

「リメンバー・トゥ・コール」のリード・メロディはサイモン(マクブライド/ギター)が書いたものだった。それを私と2人で発展させていったんだ。クラシカルな曲で、メロディにエモーションが込められていて、もはや歌詞は要らないと感じたんだ。この曲でのサイモンのギター・プレイは美しいし、限りないエモーションが込められているよ。

――1975年、ゲイリー・ムーアとコロシアムIIで出会ったときのことを教えて下さい。ゲイリーはドラマーのジョン・ハイズマンと新バンドを結成して、50人のキーボード奏者をオーディションしても適任者が見つからず、あなたが51人目だったとゲイリーは話していました。

ははは、実際には52人目だったらしいよ(笑)。コロシアムIIは音楽的にシリアスなバンドだった。私たちは平日は毎日、午前9時から午後5時までリハーサルしていたんだ。私はその前、コージー・パウエルズ・ハマーでやっていた。彼らも酒やドラッグに溺れるタイプではなかったけど、ジョンとゲイリーはストイックなほど音楽に没頭していたんだ。ゲイリーはリハーサル後、ちょっと飲むことはあったけど、酔っ払ってリハーサルに来ることはあり得なかった。一度、彼が酒場でケンカに巻き込まれて、ガラスの破片で切りつけられるという事件があった。私がバンドに加入する前のことだけど、命に関わるかも知れないケガだったらしい。でも彼は常に真摯に音楽に向き合っていた。私も音楽に対しては常にシリアスだったし、ゲイリーとはウマが合ったね。コロシアムIIでやった音楽は常に大きなチャレンジだったし、私を大きく育ててくれた。ただ、このバンドはまったく金にならなかったんだ。アルバムを3枚出して、ヨーロッパでツアーをやっても、暮らしは楽にならなかった。ゲイリーがシン・リジィに引き抜かれたのは、彼が本格的にロックをやりたかったこともあるけど、ギャラの面も大きかったと思う。コロシアムIIはその後、私の弟のキースを入れて最後のツアーをやって解散したんだ。

――ゲイリーは「パリの散歩道」をコロシアムIIのヨーロッパ・ツアー中、ベルギーで書いたと話していましたが、当時あなたも聴きましたか?

いや、あの時点でゲイリーはバンドの誰にも聴かせていなかったんじゃないかな?少なくとも、私の記憶にはないよ。あれほどインパクトのある曲だったら覚えている筈だから、聴いていないと思う。

――あなたは現ディープ・パープルの一員であり、元パープルのリッチー・ブラックモアが率いるレインボーにも在籍しましたが、両バンドはどのように異なりましたか?

ディープ・パープルはひとつのチームだったけど、レインボーはリッチーが絶対的なリーダーだった。ただ彼はスタジオでは他のメンバーのアイディアに対してオープンだったし、『ダウン・トゥ・アース』(1979)と『アイ・サレンダー』(1981)は作っていて楽しいアルバムだった。ツアーではリッチーは若干気難しいところもあったけど、基本的に私には敬意を持って接してくれたよ。元々私はロックンロール・ライフスタイルが好きだったわけではないし、酒やドラッグにハマることもなかった。レインボーとのツアーは私にとって初めての本格的なワールド・ツアーだったし、とてもエキサイティングな時期だったよ。

――それでもレインボー在籍が比較的短期間で終わってしまったのは?

レインボーでの活動は後味の悪いものになってしまったんだ。日本公演(1981年)の後にハワイでショーをやったんだけど、途中でリッチーが他のメンバーを引き連れて、ステージを下りてしまった。それで私はキーボード・ソロを30分近くやることになったんだ。それでも彼らが戻ってこないんで、私はお客さんに「有り難う、おやすみ」と言って1人でショーを終えることになった。それでホテルに戻ったら、バンド全員が集まって飲んでいたんだ!リッチーがプラクティカル・ジョークが好きなのは知っていたけど、音楽を馬鹿にした行為は容認出来なかった。その翌朝、1人で家に帰ったよ。レインボーとはそれで終わりだったんだ。その3ヶ月後、オジー・オズボーンのバンドに誘われた。しばらくリッチーとは連絡も取っていなかったけど、近年は連絡を取っているよ。3年ぐらい前かな、ブラックモアズ・ナイトのショーに行って、バックステージでしばらく話し込んだ。リッチーは歳を取って少し落ち着いたようだったけど、相変わらずいたずらっ子みたいな目をしていたよ(笑)。

――現在、レインボーでキーボードを弾いているイェンス・ヨハンソンをどのように評価しますか?

イェンスは素晴らしいミュージシャンだ。ストラトヴァリウスでのプレイも良いし、彼のジャズ・アルバムもすごく好きなんだ。よくインタビューで「気に入っているハード・ロックのキーボード奏者は?」と訊かれて、「あまりチェックしていないし知らない」と答えてきたけど、イェンスがその1人であることは間違いない。昔からリッチーは良い耳を持っているよ。

――1978年頃、リッチー・ブラックモアがレインボーにイアン・ギランを迎え入れようとしたそうですが、あなたはどこまで事情を知っていましたか?

何も伝えられていなかったよ。ロニー・ジェイムズ・ディオがレインボーを去って、一時期リッチーとコージー・パウエル、私の3人でリハーサルしていた時期があったんだ。そのとき、イアンの『マーキー・クラブ』でのショーにリッチーが飛び入りしたことがあった。その頃に再合体の話をしていたと、後になって知ったんだ。結局イアンの加入は実現しなかったけどね。

――ゲイリーのソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』(1978)でプレイしたいきさつを教えて下さい。

『バック・オン・ザ・ストリーツ』はゲイリーがコロシアムIIからシン・リジィに移籍する時期に作られたアルバムで、両バンドのメンバーがプレイしているんだ。コロシアムIIから私とベーシストのジョン・モールが参加しているよ。アルバムのプロモーションで、イギリスのTV番組『オールド・グレイ・ホイッスル・テスト』に出演したんだ。ゲイリーとフィル・ライノット、コージー・パウエル、スコット・ゴーハム、そして私というラインアップだった。一発撮りのライヴ・レコーディングなんだけど、ゲイリーが納得行かず、強引に2テイクを撮影したのを覚えているよ。その日彼はえらく不機嫌で、スコットに何か怒鳴っていた。

――1978年から1979年にかけて、ゲイリーが『バック・オン・ザ・ストリーツ』、シン・リジィが『ブラック・ローズ』、フィルが『ソーホー街にて』、ワイルド・ホーシズが『ザ・ファースト・アルバム』などをほぼ同時進行で制作して、お互いのアルバムに参加し合っていましたね。

うん、アーティスト達の一種のコミュニティ意識があった。私も『バック・オン・ザ・ストリーツ』に参加したし、『ブラック・ローズ』の「サラ」でキーボードを弾くことになっていた。数テイクを録ったけど、結局ヒューイ・ルイスのハーモニカが使われたんだ。コージーのソロ・アルバム『オーヴァー・ザ・トップ』(1979)もその中に入れることが出来るかも知れないね。ゲイリーや私、ジャック・ブルースなどが参加していたんだ。ホワイトスネイクのバーニー・マースデンもいたし、ミュージシャン仲間の交流が活発だったね。彼らの少なくない人数がいなくなってしまった。お互い刺激を受け合っていたし、彼らともう一緒にプレイ出来ないのはすごく寂しいよ。

取材・文 山崎智之



DEEP PURPLE 来日
2018年10月14日(日)東京:幕張メッセ国際展示場 9・10・11ホール
2018年10月15日(月)名古屋:名古屋国際会議場センチュリーホール
2018年10月17日(水)大阪:フェスティバルホール
2018年10月20日(土)広島:広島上野学園ホール
2018年10月22日(月)福岡:福岡サンパレス ホテル&ホール


国内盤 2枚組初回限定盤

One Of A Kind

CD

One Of A Kind

Don Airey

価格(税込) : ¥3,240

発売日: 2018年05月25日

国内盤 通常盤

One Of A Kind

CD

One Of A Kind

Don Airey

価格(税込) : ¥2,700

発売日: 2018年05月25日

輸入盤

One Of A Kind

CD輸入盤

One Of A Kind

Don Airey

価格(税込) : ¥2,777

まとめ買い価格(税込) : ¥1,667

発売日: 2018年05月25日

購入不可

%%message%%

最新ニュース・情報を受け取る



HMV&BOOKS online最新ニュース

最新ニュース一覧を見る