連載小説(1)『占い師 琴葉野彩華は占わない』第一話
2016年10月14日 (金) 15:00 - HMV&BOOKS online - 本・雑誌
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「マジシャンとセクシーな助手の関係よ」
僕たちの間柄を、彩華さんはそんな風にたとえた。
期待したなら申し訳ないけれど、主従的には甥っ子である僕がセクシー助手の立場になる。すなわち箱に詰められてぷすぷす剣を刺されたり、箱に詰められて体を半分にされたりする役回りだ。
実際箱には詰められていないけれど、掃除洗濯食事の支度に、はては「イチゴのつぶつぶ全部取って」なんてわがまままで言われるのだから、彩華さんの鬼畜ぶりはマジシャンのそれと大差ない。
しかも最近は、助手に要求する仕事のレベルがどんどん上がってきているのが困る。
「明日は何をやらされるのやら……」
先の暮らしを憂いつつ、僕はマフィンにベーコンとポーチドエッグを乗せた。そうして仕上げにバター風味のオランデーズソースをかけ、キッチンから叔母を呼ぶ。
「彩華さん、ごはんできましたよ」
返事はない。いつものことである。
僕―― 菱橋連太郎が同居するようになって一ヶ月経つけれど、我が家のボスが時間通りに目を覚ましたことなど一度もなかった。九つ差という歳の近さも相まって、近頃は叔母というより、できの悪い姉ができた気分でいる。
「入りますよ。ノックは二十回以上しましたからね」
とりあえず服だけは着ていてくれよと祈りつつ、僕は寝室のドアを開けた。
「……なんつー格好で寝てるんですか」
あちこちに衣類が脱ぎ散らかされた部屋の中央、天蓋つきのお姫様ベッドの上で、彩華さんはスマートフォンを握り締めたままうずくまっていた。
「もうお昼ですよ彩華さん。依頼人が来ちゃいますよ」
白い背中から目をそらしつつ、めくれあがったルームウェアを元の位置へ戻す。そのまま華奢な肩を揺すっていると、よだれで輝く口元がもごもごと動いた。
「……レンくんお願い。あと六時間九分寝かせて」
「生活サイクルをゲームのスタミナ回復待ちに合わせないでくださいよ」
最近の彩華さんは、女性向け恋愛ゲーム『俺に触ると風邪ひくぜ』にハマっている。きっと昨夜も「のど風邪」を擬人化したイガラシくんにせっせと貢いでいたのだろう。
「まったく……。二十八にもなって力尽きるまでゲームするなんて恥ずかしくないんですか」
「……妬かないでレンくん。昨夜の彼、本当に素敵だったの。おかげでたくさんプレゼントしちゃった」
ウフフと笑う叔母の髪はボサボサで、薄く開いた目は充血している。恋をすると人は詩人になるというけれど、彩華さんの場合はむしろ死人だ。
まあ……この人が二次元世界に逃避してしまうのは仕方ない理由もあるのだけれど。
僕はやるせない想いで窓の外に目を向けた。
きらきらと太陽を照り返す横浜の海。
立ち並ぶベイサイドの高層ビルと観覧車。
ここはみなとみらい地区にそびえ立つホテル、その最上階にあるロイヤルスイートルームだ。
まったくもって信じがたいことに、この一泊ウン十万円の部屋が僕たちの住む家になる。
「彩華さんが自分で稼いだお金を何に使おうが自由ですけどね。でもゲームに課金しすぎて宿代を滞納している現状は把握してくださいよ。オーナーのご厚意だって有限なんですから」
経営者に仕事で「貸し」を作った結果、彩華さんはこのスイートにカプセルホテル並の宿泊費で滞在を許されている。なのにそれすら払えないのだから、恋する死人が画面の彼に貢いだ額は推して知るべしだ。
「……レンくん大学は? ちゃんと友達できたの?」
「もう午前の授業を受けてきました。急に保護者ぶってごまかしてもダメです。ほら起きて。働いて」
「……もっとイガラシくんぽく起こして」
「起きろよ彩華。どうせオレの夢を見ているんだろ?」
「……」
「がんばったんだからリアクションくださいよ!」
「……おなかすいた。エッグベネディクト食べたい」
「もうできてます。早く食べて働いてください」
「……やっぱりサンマーメンがいいわ」
「そっちもできてます。ほら、キリキリ働いて」
こんな風に、自堕落な叔母をなだめてすかして働かせるのも、居候たる助手の務めだ。
まあボスが食べたいものを予想して作っておくなど、母に同じことをしていた僕には造作もない。
僕が要求レベルを上げられ困っているのは、彩華さんの「仕事」そのものの助手としてのことになる。
「そこへ座ってリラックスして」
うっすら肌が透けるジプシー風の衣装をまとった彩華さんが、ソファに座ったまま依頼人に言った。ボサボサだった髪はきれいに巻かれ、いまは手首や首元だけでなく額にまで金のアクセサリーを飾っている。
「は、はい」
依頼人が見回した室内にはキャンドルの炎が揺れていて、あちこちをドレープのかかった布が覆っていた。
彼女の後方に控えた僕の足元には、なぜか水晶球が六芒星を描く形で床に配置されている。正直ちょっと、いやかなり邪魔くさい。
このミステリアスかつ歩きにくい空間は、彩華さんのスイートにある占いサロンだ。
何を隠そう僕の叔母―― 琴葉野彩華は、「必ず依頼人を満足させる」を売り文句にしている、自称「魔女」の占い師である。
「あなた自身の紙とペンで、氏名と生年月日を書いてちょうだい」
彩華さんは艶めく唇に優雅な笑みを浮かべ、細めた両目で依頼人を観察していた。毎晩ゲームで徹夜して、起き抜けに高カロリー食を貪る人間には見えない魔女っぷりだと思う。僕が言うのもなんだけど、人の目があるときの彩華さんは本当に美人だ。
「は、はい。ちょっと、待って、ください」
対する依頼人の方は、グレーのスーツに眼鏡をかけた地味な女性だった。あたふたとガラステーブルに置いたバッグもノーブランドで、出てきた手帳も平凡そのもの。そくせ薬指のリングは悪趣味極まりない派手さで、どこかちぐはぐな印象を受ける。
彼女が名前を書きつけるペンは、白い花が大きくプリントされたものだった。女性らしいとも言えるけど、それも本人の控えめな装いには似つかわしくない。
『鱒見かすみ 1985・6・7』
手帳に書かれた文字は、仕事の昼休みに慌てて来た割には几帳面できれいだ。
「電車から降りる際は、忘れ物がないか座っていた席を一度振り返るタイプね。よく言えば慎重。悪く言えば自分に自信が持てない」
鱒見かすみはえっと小さく声を出し、すぐに開いた口を片手で塞いだ。どうやら当たっているらしい。
「星のめぐりからすると、今年は人生の転換期よ」
彩華さんがタロットカードを交ぜながら告げると、鱒見かすみがびくりとしてソファから腰を浮かせた。
この手のリーディング(鑑定)を彩華さんはよく口にするけれど、大抵の依頼人は目を輝かせるだけで、彼女のようにおびえた様子を見せる人は珍しい。
「左の山から順に、一枚ずつ取ってちょうだい」
テーブルの三つのタロットの山から、鱒見かすみがおずおずとカードを抜いて自分の前に三枚並べた。
「一番左のカードを左手で左側にめくって」
鱒見かすみがカードを裏返すと、水瓶の水を大地と湖に注ぐ女性の絵柄が現れる。
「『星』を意味するこのカードがあなたの『過去』。私に伝わってくるのは……花を見つめる少女のイメージね。そこに憧れ、あるいは夢のようなものが感じられる」
「すごい……当たってます」
彩華さんは無言で微笑み、次をめくるように促した。二枚目のカードには天高くそびえる塔、そしてそこから落ちる人々という、いかにも不吉な情景が描かれている。
「『現在』を表すカードは『塔』ね。これは近い分はっきり読み取れる。あなたは……岐路に立っているわ。隣にいる男性は特別な人。お金を渡しているわね……三百万くらいかしら」
「き、金額までわかるんですか」
鱒見かすみはいよいよ青ざめ、膝に載せたバッグを両手でぎゅっと抱え込んだ。
「最後のカードはあなたの『未来』よ」
彩華さんが指差したカードを、依頼人の震える指先がめくる。描かれたイラストが見えた瞬間、鱒見かすみはカードから手を離して身をこわばらせた。
「これが……わたしの未来……」
テーブルの上には山羊の頭にコウモリの翼を持った、言わずと知れた「悪魔」のカードが横たわっている。
「そうよ。あなたには意味がわかるでしょう?」
依頼人はかすかに震えながらうなずいた。
「でも安心なさい。占いは破滅の未来を防ぐためにあるの」
血のように赤いマニキュアを塗った彩華さんの指が、悪魔のカードをすっと横へずらした。するとその下に、タロットがもう一枚伏せられている。
「このカードがもう一つのあなたの未来。この先を観てほしければ鑑定料は百万円。明日の土曜日、この時間にここへ持ってきて」
すっかり血の気を失った依頼人を出口へ見送ると、僕は取って返して叔母を問い詰めた。
「彩華さん、いまの占いどういうことですか」
魔女は早くも自堕落人間に戻り、ソファでごろごろしながらスナック菓子を頬張っている。布で隠していた壁面のテレビに向け、リモコンをぽちぽちいじりつつ。
「見ての通りよ。彼女は結婚詐欺師に騙されてるだけ」
「全然見ての通りませんけど」
「ほら見てレンくん。今日の獅子座は臨時収入があるかもって。当たってるわ。さすが鈴鹿ステラ先生」
「占いコーナー見てないで説明してください」
「ふむ。ラッキーアイテムはアヒルの卵ね」
「微妙に入手困難だ……じゃなくて!」
「レンくんの乙女座はぺんぺん草ですって」
「それラッキーなのかな……じゃなくて! さっきの占いの意味を教えてくださいよ!」
「なんやかんや色々あって、最終的に女が背後から男に鈍器で殴られる。おかげで私は大儲けってことよ」
いかにも適当に告げられたその予言に、僕は声を失った。
彩華さんの占いは「当たるも八卦当たらぬも八卦」ではない。この怠惰な魔女が口にした運命は、いつも必ず現実に起こる。
だって彩華さんは、占いなんてしていないのだから。
(月刊ローチケHMV 9月15日発行号より転載)