【インタビュー】パンキー・メドウス (ex-ANGEL)

2016年05月25日 (水) 18:45

|

ローチケHMV - ヘヴィーメタル , ローチケHMV - 洋楽


長い沈黙を破って復活を果たし、最新ソロ・アルバム『Fallen Angel』をリリースした、70年代に一世を風靡したアメリカン・ハードロック・バンド、ANGEL のオリジナル・ギタリスト、パンキー・メドウスのインタビュー。
――あなたの初めてのソロ・アルバム『Fallen Angel』が遂にリリースされます。今のお気持ちから聞かせて頂けますか?

パンキー・メドウス(以下、パンキー):このニュー・アルバムをリリースすることが出来て、スーパーエキサイトしてるよ!君たちがこのアルバムを楽しんでくれることを願っている。

――このソロ・アルバムはイメージも含めて“PUNKY MEADOWSが遂に帰って来た!”というメッセージが感じられます。あなたはどうお感じですか?

パンキー:その通りだよ、パンキーは戻ってきたのさ!パーフェクトなアルバムを引っ提げてね。今は本当に最高の状態だよ!

――今回の初めてのソロ・アルバムが制作される経緯を教えて頂けますか?

パンキー:今回の私のソロ・アルバムの制作に当たっては、私の友人であり、共犯者でもあるダニー・ファーロウ・アネイロの存在が大きいんだ。最初に彼は私に尋ねた。ソロ・アルバムを作ることに興味はあるかとね。もちろん興味はあると答えたよ。でも不安もあったんだ。その後、彼はレコード会社も紹介してくれてそこでも感触はとても良かった。それでやってみようということになったんだ。で、ダニーは家に来たよ。そこで一緒にいくつかの曲を書いてみたんだ。結果は最高だったよ!もうこれらの曲をレコーディングしなければという感じでね。それでリハーサルをしながら曲をまとめでレコーディングしていったんだよ。

――実際、ANGEL以降は何をされていたんでしょうか?

パンキー:私は活動の拠点だったカリフォルニアを離れることにしたんだ。そして1988年から新しいビジネスを始めたんだ。株式売買と資産運用のビジネスさ。それで成功することができたんだ。結局2005年まで続けて、その仕事は引退したよ。

――ANGEL後、本当に長い時間が経ちました。その時間はあなたにとって何かをもたらしましたか?

パンキー:私はミュージック・ビジネスに疲れてしまって、それらに付随する全てが必要じゃなくなってしまったんだ。私は自分自身の楽しみのために生きるべきだと思った。誰かにコントロールされるのでなく、自分を自分自身でコントロールしようと決めたのさ。でも音楽を完全に止めた訳ではなかったから、ギターを弾いたり、曲を書くことは続けていたよ。実際、私はこの時期にギタリストとして多くのことを学んだ。それまでがミュージックビジネスに追い立てられていたようなものだったからね。成功を収めていたら、学ぶことは必要なことではないのさ。あの頃はそんな状況だったんだ。ギターで同じ曲を納得いくまで弾いたり、同じリフを延々と弾いたり・・・忙しくしているときは、そんなことしたことがなかったから。そして音楽的にも今まで聴いていなかった種類の音楽を聴いて新たに学ぶことも多かった。それは自分の魂にとっても良いことだったし、必要なことだったね。

――今回のアルバムはバンドのリズム・ギタリストでもあるダニー・ファーロウ・アネイロの存在が大きいと思います。彼についてお話し頂けますか?

パンキー:ダニーは私のベストフレンドであり、音楽的なパートナーだ。彼は素晴らしい才能の持ち主であり、我々は考え方も似てるんだ。彼と私は好きな音楽・・例えば、THE RESBERRIESやABBA、からLED ZEPPELINや、その他のハードロックバンド(ヘヴィメタルバンドではない)などだね。ダニーとは本当にうまくいっているから意見の相違は無いし、ほとんどの意見は一致して何の問題もない。彼は私に“もっとできるはずだ”と思わせてくれる存在なんだ。まさに我々はブラザーさ!

――そして今回のあなたのバンド・メンバーは豪華です。チャンドラー・モーゲル(OUTLOUD)や、ボビー・パンテラ(MONSTER MAGNET),チャーリー・カルヴ(SHOTGUN SYMPHONY)など日本でもよく知られていますし、ベーシストはANGELのフェリックス・ロビンソンです。彼らについて話して頂けますか?

パンキー:チャンドラー・モーゲルはキラーなシンガーで、グッドガイだね!我々はこのアルバムを作りに当たって数多くのシンガーをオーディションしたけれど、彼がベストであることは一目瞭然だった。そして彼はこのアルバムでアメイジングな仕事をしてくれた。素晴らしかったね!ボビーはいちいち言う必要も無いほどの驚異的なドラマーだね。彼とはもともと友人だったよ。このバンドで彼以外のドラマーを考えたことは無いね。チャーリーは素晴らしいキーボードプレイヤーであることは間違いない。そして驚くべきことに彼はほとんどのANGELの曲を知っていてね。最高さ!そしてフェリックス・ロビンソン!・・・彼のことを何といえばいい?彼はこの惑星でベストなベース・プレイヤーであり、素晴らしいアーティストだ。彼はどんなスタイルの音楽でもプレイできるし、シンガーや、キーボードプレイヤーとしても優れている。彼はあらゆる意味でバンドに必要な人間さ。彼がいないことは考えられないよ!

――アルバムはメロデッックなアメリカン・ハードロックのスタイルで時には’60年代や、’70年代を感じさせる楽曲も含まれます。楽曲に関しては狙い通りですか?

パンキー:‘60年代と’70年代は私に影響を与えた“本当の”曲が書かれている。それらはミュージシャン自身の魂が込められたオリジナルな曲だよ。あの当時は歌が時代を切り開いていた素晴らしい時代だったよ。私はそれらの素晴らしい曲に恋していた。そう、このアルバムにはそんな時代に私が好きだった曲のフィーリングが感じられるだろうね。本当に多様な楽曲が入っているからね。例えばメタルの曲は私には皆、同じに聴こえる。私にはそうゆう曲は必要ないと思っているし、私がやるべきものでは無いと思っている。ギタリストが1000マイルで弾きまくる必要は無いんだ。上手さをひけらかすような曲は必要ないのさ。私のプレイはハートとソウル、そしてトーンが全てだと思っているよ。今回の私のアルバムに入っている「Leaving Tonight」を聴いてみて欲しい。私が言う、ハートとソウルが感じられ、絶妙なトーンが聴けるよ。英国のブルーズ・ギタリスト、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジミ・ヘンドリックス、ゲイリー・ムーアなどの素晴らしいギタリストのフィーリングを感じられると思う。本物のリアルなギタリストのフィーリングがね。ごめんね、未だに私はギターに関してはついつい力が入ってしまうもんだから。(笑)

――アルバムの曲であなたが特に気に入っている曲を含め、何曲かにコメントを頂けますか?

パンキー:このアルバムの全ての曲はスペシャルだよ。。それらについて語ることは難しいね。なぜならそれらは本当にパーソナルな作品集だから。今も丁度私はアルバムを聴いているよ。改めてどこから聴いても、私自身が詰まっているよ。それで曲の件だけど、1曲1曲について多くは語りたくはないけれど、少し曲の話しをすると、まずは「Straight Shooter」のソロを聴いて、「Leaving Tonight」と「Home Wrecker」、「Shake Shake」あたりを聞けば私が目指すべきものは見えてくると思うよ。

――今回のアルバムのアートワーク、これは直接ANGELをイメージさせます。そしてアルバム・タイトルや、バンドのメンバーが羽をつけたアートワークもです。我々にはとても意味深に感じられます。あなたの狙いについてお話し頂けますか?

パンキー:君が言っている通りだよ。それは私が最初から考えていたアイディアだった。ANGELが地上に降り立ったということさ。わかるね!?(笑)

――それではここであなたの過去のキャリアについて質問させて下さい。まず、あなたの生い立ちについて簡単に教えて頂けますか?そしてあなたがギターをプレイするようになったきっかけも教えて頂けますか?

パンキー:私は相当特別な子供だったかもね。私はまずエルヴィス(プレスリー)と出会ってすぐにやられてしまってね。父は私に安物のアコースティック・ギターを買い与えたんだ。そのギターというのは弦が有刺鉄線のようなものだったがね!(笑) それでも私はそのギターでエルヴィスの「ピーターガンのテーマ」や、その他のインスト曲をものにしていったんだ。その後はビートルズさ!もう熱狂したね。それからもう少しまともな(笑)ギターを買ってもうビートルズ漬けさ!片っ端からビートルズの曲を覚えていったよ。ベッドルームで何度も何度も練習したもんさ。でもあの練習は私におしえてくれたよ。良い曲には良いコード進行が使われているとね。同時にギターの本当の美しさはコードにあるということも学んだよ。それから私は近所の連中とバンドを組んでナイトクラブで演奏していった。但し、私はまだ未成年だったから、クラブから追い出されたりで大変だったがね。(笑)バンドは人気だったから結局私はオーナーに戻されて結局3年間ハウスバンドの一員としてギターをプレイしたんだ。あの時代は自分のスタイルを形成するのに大きかった。ロックだけじゃなく、カントリー、モータウン、ブルーズ、そしてダンス・ミュージックなどの幅広いスタイルの曲をプレイしたからね。私自身もそれらの曲が好きだったよ。

――そして1974年のANGELの結成までの経緯を簡単に教えて頂けますか?ANGELというバンド名について、そしてKISSのジーン・シモンズとの繋がりについてもお話し頂けますか?

パンキー:ANGELは、ボギーと呼ばれたクラブで私とミッキー(ジョーンズ)とグレッグ(ジェフリア)によって誕生したんだ。それまで私はラルフ・ノーマンとミッキーと一緒にプレイしていたBUXというバンドにいたんだ。我々はボギーのハウスバンドだった。グレッグとはそれより2,3年前に知り合いで、いつも一緒にバンドをする話しをしていたよ。お互いのバンド活動などもあり、それまで一緒にやれてなかったけど、グレッグと話し合いをして、今こそその時ということになってね。だから、BUXを辞めてグレッグとミッキーとバンドをつくることにしたんだ。リハーサルはボギーの2Fでやってたよ。そしてミッキーのバンド仲間だったフランク(ディミノ)とバリー(ブランド)が合流して5人で活動を進めた。我々はクールな衣装とメイクを決めてワシントンDCではイカしたグラム・ロックバンドと呼ばれていて、女の子の人気が凄かったね。本当に愛されていたよ。ジーンはある夜、クラブにポール・スタンレーとエース・フレーリーと一緒にやってきたよ。そこで初めて会ったんだ。彼らは我々のショウを気に入って、後日、ジーンはカサブランカ・レコードに我々を紹介してくれたんだ。その後本格的な活動を求め、我々はマネージャーとともにカリフォルニアに向かったよ。そこでカサブランカのニール・ボガードと正式に契約を決めたんだ。我々のライヴを観ずにね。本当にジーンの力が大きかったと思うよ。彼らは最高だとニールに言い続けてくれたからね。

――そして遂にファースト・アルバム『Angel』がリリースされますが、本国よりも先に日本で人気が出ました。日本ではKISSやQUEENと比較して露出も多くありました。

パンキー:日本のファンは本当に凄かったよ!日本に来たときの歓迎のされ方はまるでビートルズにでもなった気分だったよ。

――1977年に来日公演が行われました。熱狂を持って迎えかれた訳ですが、実際、日本ツアーはいかがでしたか?

パンキー:日本は本当に最高だったよ!ファンは我々を愛していたし、我々もファンを愛していたから。あれは自分の人生でも最高の時期の1つだろうね。驚いたことに我々は日本では本当にビッグスターだったよ。本当にビートルズのような扱いを受けていたんだ。クレイジーだったね!もちろん私は日本の人々も文化も大好きさ。あのツアーでたしか10都市ぐらいを回ったんじゃないかと思うね。少なくとも日本の主な大都市ではプレイしたとはずさ。繰り返すけどあの日本ツアーは素晴らしかった。私の決して忘れられない大切な思い出さ。

――その後、ANGELはアメリカでも成功を収めましたが、オリジナル・アルバム5枚を残して1981年に解散しました。本当に残念でした。それについてお話し頂けますか?

パンキー:ANGELはオリジナルは5枚だけど、ライヴ・アルバムを入れると6枚のアルバムを残した。ANGELはアルバム・バンドだったよ。シングルバンドではなかった。シングル曲を書くのが好きじゃなかったんだ。例えれば我々はLED ZEPPELINとYESが出会ったようなものだったよ。(笑)プログレッシヴな要素はかなりあったから。QUEENの1stを聴いてごらんよ、そのスタイルは我々と似通っていたよね。我々のツアーでは問題があったんだ。何しろオープニングの我々の人気で、メインのバンドがヘソを曲げて、ツアーを降りてしまったりした。本当さ。サポートを努めたあらゆるバンドがそのような問題を起こしたんだ。たしかに我々の人気は凄かったよ。だからその後はヘッドラインとしてのショウが増えていったんだ。それとともにショウの規模も大きくなり、演出も凝ったものになっていった。皆は大喜びだだったよ。所属のカサブランカ・レコードは我々にシングル曲を書いて欲しかったから、私はその後、ポップな曲を書き始めたんだ。ポップな曲自体は好きだからね。『Sinful』 (邦題:蘇った天使たち)はポップでシングルにできる曲が収録されていて、個人的にはANGELでのフェイヴァリット・アルバムだろうね。私自身は、ラジオで良く掛かっていたFLEETWOOD MACや、ピーター・フランプトン、EAGLESなどの曲は好きだったが、それをそのままやることは良しとはしなかったけれど、あのアルバムは質の高いポップな曲が収められていたと思うよ。あと、あの頃はMTVがまだなかったね。もしあの時代にMTVがあったなら、ANGELの運命はもう少し違うものになったかもしれないとは思うけれど、それはまた別の話しさ。(笑)丁度MTVが出てきた80年代初頭は我々にとって厳しい時期だった。それは皮肉なものだね。そしてカサブランカのニール・ボガードが会社の資金横領の罪で会社を追われたんだ。ニールが去ってカサブランカはバラバラになってしまった。常に中心にいた人間がいなくなってね。ANGELはカサブランカと契約していたこともあって、停滞を余儀なくされた。我々には何もできなかったんだ。でも時間だけは過ぎてゆく。。我々は決断しなければならなかったよ。そうして我々は別々の道に進むことにしたんだ。友達のままでね。私とグレッグはANGELを継承するプロジェクトを模索したけれど。。

――1981年にはファーギー・フレデリクセン(LeRoux, TOTO他)とも活動していましたね?

パンキー:それは今言ったグレッグと一緒にやってた時期の話さ。ファーギーは偉大なシンガーだったよね。その新しいプロジェクトは、グレッグと私、そしてバリー、そしてリッキー・フィリップス(BABYS, BAD ENGLISH, STYS他))とファーギーだった。我々はあのアンディー・ジョーンズとデモを作った。あれは素晴らしいデモだったよ。そしてレーベルを探すべくショーケースのギグを行っていたんだ。そんな時にファーギーにトラブルが起こって、彼は去ってしまった。理由は分からないが、彼は突然ステージ恐怖症のような状態になってしまったんだ。それでバンドは危うくなってしまってね。しかしながら、私は彼を愛しているよ。彼は最高のロック・シンガーの1人であることは疑いようがないからね。

――その後、Gregg GiuffriaはGIUFFRIAで成功します。彼の活躍についてはどう思っていましたか?

パンキー:グレッグは私のブラザーさ。私はいつも彼の幸運を願っているよ。彼の成功は私も嬉しかったね。

――その後、一時的にANGELはバリーとフランクによって再結成されました。その際、あなたも含めてオリジナル・メンバーでの話しはありましたか?

パンキー:あの時、彼らは私にも声を掛けてきたよ。ANGELを再結成しようとね。でもオリジナル・メンバーが揃わなければそれは意味がないとずっと思ってきたから、その話しは断ったんだ。誰かしらない人間を入れてANGELとは名乗りたくないのさ。過去を汚すことはしたくないんだよ。パンキー、フランク、バリー、フェリックス、そしてグレッグの5人での再結成の可能性については運に任せるしかないね。

――オリジナル・メンバーによるANGELの再結成の可能性については?

パンキー:それについては、できないとは誰も言っていないし、あきらめてもいないよ!

――その後、フランクは昨年、ソロ・アルバム『Old Habits Die hard 』 をリリースしました。あのソロ・アルバムはあなたや、グレック・ジェフリアもゲスト参加しました。フランクとの久しぶりのジョイントについてはいかがでしたか?彼のソロ・アルバムが今回のあなたのソロ・アルバムの制作に何らかのきっかけをもたらしましたか?

パンキー:フランクのアルバムは最高だったよ。彼は私にアルバムに参加しないかと誘ってくれた。光栄だったね!大いに楽しんだよ。

――ありがとうございました。この素晴らしいアルバムをリリースした後、あなたの予定を教えて頂けますか?

パンキー:ありがとう!我々にとって始めてのライヴをニューヨークのB.B.KINGで6月14日に行うんだ。アルバムと同じメンバーでね。楽しみだよ。そしてアルバムをサポートするツアーも計画してるよ。あとはそう、セカンド・アルバムの曲作りも始まっているよ!

――最後に日本のファンにへのメッセージを頂けますか?

パンキー:日本のみんな!私は君たちの国に戻って君たちファンの前でプレイするのが待ちきれないです。君たちの美しい国と素晴らしい人々に会うことも待ちきれない思いです。私は本当に日本とその人々を愛しています。
みんな愛しているよ! ドモアリガト!



PUNKY MEADOWS Weblinks:
  Official Facebook Page

%%message%%

ローチケHMVレコメンド

日本盤ボートラ2曲収録

ローチケHMVレコメンド

Fallen Angel

CD

Fallen Angel

Punky Meadows

(1)

価格(税込) : ¥2,571

発売日: 2016年05月25日

このニュースが気に入ったらいいね!をしよう!

ローチケHMVは、国内・国外の厳選した音楽、映像、アニメ、ゲームなどの
エンタメ最新情報をお届します!

ローチケHMV最新ニュース

最新ニュース一覧を見る