日本のシンガーTOP30 - 第2位

2006年1月6日 (金)

美空ひばりに次ぐ伝説的存在・山口百恵。

山口百恵

1973年に登場した一人の少女は、マイクをステージに置き、強いインパクトを残して芸能界から姿を消した。日本のシンガー第2位は、永遠のアイドル・山口百恵さんです。

いまだに根強い人気を誇る彼女。その存在感は、楽曲としての印象もさることながら、その存在自体がなにか特殊なオーラをまとっているようなイメージがある。引退時にはまだ21歳(!)という若さでありながら、その「成熟した大人の女性」のオーラ、妙に艶っぽい歌声、圧倒的な表現力と、その美しさ...彼女を語るには言葉が足りなすぎる。

2003年にはデビュ−30周年を迎え、限定生産24枚組CD BOX『Momoe Premium』(完売)という貴重な作品もリリース。まだまだ根強い人気を証明しました。そして昨今、その評価は高まる一方です。

ひとりの少女が羽ばたいた。

山口百恵は、1959年1月17日生まれの東京生まれ神奈川育ち。
1972年12月に伝説のオーディション番組『スター誕生』(ここから数々のアーティストが育ちました)の第5回決戦大会で「回転木馬」を唄い準優勝を獲得。

ホリ・プロダクションにスカウトされ、1973年4月、映画「としごろ」に出演し、5月に同名の曲で歌手としてもデビュー。スターへの第一歩を踏み出す。

森昌子桜田淳子らと「花の中三トリオ」と呼ばれアイドル的存在となり、TVドラマや映画に出演。当時のキャッチコピーは「ひとに目覚める14歳」。

1974年『ひと夏の経験』がヒットし、TBS系のテレビドラマ赤いシリーズでも好演。女優・歌手として成長し、トップアイドルとなった。この頃から”百恵伝説”が始まった。

山口百恵といえば阿木耀子×宇崎竜童コンビ!

山口百恵の楽曲面では、なんといっても阿木耀子(作詞)×宇崎竜童(作曲)コンビが有名でしょう。それまでの清楚なイメージを強引なまでに飛び越え、『女の業』ともいえる強烈な世界観を表現させたことで、彼女の魅力がさらに開花。

それ以外にも初期の山口百恵を支えた千家和也(作詞)×都倉俊一(作曲)コンビの素晴らしいですが、谷村新司、さだまさし、堀内孝雄といった、ニューミュージックやフォーク寄りのアーティストの楽曲提供も彼女の世界観を広げました。

21歳という若さでの結婚。そして引退。

1974年映画「伊豆の踊り子」で三浦友和と初共演。三浦友和とは「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、これが運命の出会いとなる。それ以来二人の共演作品が続き21歳の秋、1980年3月7日に婚約発表をし、10月5日、日本武道館でファイナル・コンサートを行い引退。その後、11月に結婚。

引退コンサートは1980年10月5日に日本武道館で行われ、『さよならの向う側』を歌い終えてマイクをステージに置くシーンは伝説となっています。引退後は芸能活動は一切行わず主婦業、子育てに専念。

引退後は?

彼女ほど、すっぱりと芸能界から引退した女性には、あまり引退後をとやかく言うものではないのですが...引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めている彼女ですが、一貫して芸能界とは距離を置いています。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしています。

また節目ごとに無数のベストアルバムが発売され、その度に大きな話題となっている。またブームとは関係なく永遠のアイドルスターであり、日本の音楽界においては美空ひばりに次ぐ伝説的存在である。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。