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2006年10月31日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第65回

「あまりにも幸福なマーラー」

 ヘンスラーから出たドイツのオーケストラのライヴ・シリーズは、ヴァントもライトナーも選り抜きの名演奏で感心していたが、今回もさすがだ。
 第一にテンシュテットのマーラーから話を始めねばならないだろう。この指揮者のライヴは昨今珍しくなくなったが、この第4交響曲はきわめてすぐれている。1976年、テンシュテットが国際的に有名になりつつあった時期の記録だ。
 ズバリ、最大の特徴は、驚くほどのびやかで明るくて幸せな表情で一貫されていることだ。テンシュテットというと、私などは、地獄の底まで克明に見せてしまうような、えぐりにえぐった演奏を期待してしまうのだが、これは正反対なのである。といって、彼が時々見せる躁状態のような異常な雰囲気は微塵もない。きわめて穏やかで平和で、まさにこの作品にふさわしいのだ。あたかもベートーヴェンの「田園」のようだと言ってもいい。
 第1楽章の開始から、ヴァイオリンが甘く美しく歌う。チェロの足取りも軽く、何だか嬉しそうだ。しかも音楽はメリハリがあって、切り替わりは鮮明。細部まで血が通っていて、立体感も見事。歌うところは陶酔的に歌い、テンポの操作は巧みで危なげなく、結果として生命感に富んだ音楽になっている。作品と演奏者がひとつに溶け合って呼吸している。この楽章に限ったことではないが、実に快適な速度で音楽が進んでいく。
 第2楽章は、あまりアイロニーを感じさせない。あくまで上機嫌な遊戯だ。とはいえ、軽薄、浅薄とは無縁。豊かな色彩が混じり合うのも好ましい。
 第3楽章はもちろん情感たっぷり。心行くまでマーラーならではの甘美さを堪能できる。時折暗い影は差すが、あくまで一時的な影に過ぎない。光を覆いつくすにはほど遠い。天空が割れるようなすさまじい響きから一転、深い余韻に満ちた平安の調べが流れ出す。最後のほうの吸い込まれてしまうような音楽には、もう絶対にこれでなくてはと思わされる。
 フィナーレは意外にも躍動感が強く、「復活」のスケルツォのような鋭い諧謔味が出ている。といっても、幸福感が壊れてしまう心配はない。
 南西ドイツ放送のオーケストラと言えば、私たちはミヒャエル・ギーレンの渇いた響きを即座に連想するけれど、とても同じ楽団とは思えない(時代も違うが)。それほどまでにぬくもりがあるのである。味わいがあるのである。こんなにいいオーケストラだったのかと舌を巻いた。テンシュテットがこの楽団を指揮した回数がどれほどなのか、私は知らないけれど、まるで手兵のように自由自在に動いている。統一感があって、しかも積極的なのである。試みにロンドン・フィルとのスタジオ録音を取り出してみたが、何から何までまったく比べものにならない。この南西ドイツ放送響を知ってしまうと、とてもではないが聴いていられないとまで思ってしまう。
 ともかく、こんなに素直に嬉しそうなテンシュテットは初めて聴いた。この曲に関しては、私はバーンスタインとウィーン・フィルがやった、空の中に溶けてしまいたいような陶酔的な演奏が好きだが、残念ながら海賊盤である。正規で買える演奏としてはこのテンシュテットをもっとも好ましいものと太鼓判を押したい。作品、指揮者、オーケストラが渾然一体となった最高峰の演奏である。こうした演奏で聴くと、この交響曲は心底すばらしい作品だと思えてくる。
 それにしても、もしテンシュテットがこの曲を最晩年に指揮してくれていたら、また全然違ったものになっただろう。考えても詮ないことだが、想像したくなる。

 このテンシュテットのあとでヴァントを聴くと、当たり前と言えば当たり前だが、音楽があまりにも違うので今さらながら驚くことになる。ヴァントがまだ元気な時期の演奏だけに、カッチリ、ガッチリ度合いが強烈なのだ。
 「ポストホルン」など、精気みなぎるという感じがするほど。いや、第1曲などいっそサディスティックとまで言おうか。きっぱりしたリズムでぐんぐん進むが、各楽器のバランスや強弱の変化、転調といったところに細かな配慮があるのはいつものヴァント流。木管などのソロ奏者に勝手をやらせない厳しさはたいへんなもので、第4曲などその最たるものだ。何にしろ、非常に突き詰められた高度な演奏であることは疑問の余地がない。
 これは1978年録音だが、最晩年の演奏もBMGでCD化されている。自分が生で聴いたそちらをいっそうすばらしいものと思ってしまうのは致し方ないのかもしれないが、あの最晩年ならではの一瞬の間合いの深さとか、オーケストラの奏者たちが自ずから出してしまう表情の何とも言えない陽炎のような美しさを知ってしまうと、こちらは少々窮屈な感じがする。逆に、指揮者が自分がやりたいようにやっていて、余分な色がついていないという点では、むろん今回の演奏を上とすべきなのだろうが。このあたりをどう考えるかは、ハッキリ言って聴く人による。私などは、これに限らず一般論として、芸術家がやりとげようとした段階のさらに上に、人智を越えた芸術の真髄、奥義があると思っている。だから、われながら最晩年の演奏を高く評価しがちだと思うが、それを一種の退廃と見なす向きもあるだろう。
 「ポストホルン」の充実は重々認めながらも、「セレナータ・ノットゥルナ」(1988年録音)が私には好ましかった。正直言って、「ポストホルン」に比べれば、ことさら傑作と呼ぶほどの作品ではない。が、ヴァントの端正なやり方が、曲を何段階も高級なものにする。
 フルート協奏曲(1990年録音)は、普通埋め草的に演奏されてしまうものだが、これは違う。何しろオーケストラが引き締まっているので、フルートそっちのけで聴いてしまう。中でもフィナーレはすばらしい。このCDで最大の聴きものかもしれない。この曲がここまで本気に、あたかも交響曲のように演奏されたのは前代未聞だろう。
 前回のバイエルン放送響とのライヴ同様、録音はたいへん明晰。

きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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