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2006年10月20日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第64回

「シーズン開幕に寄せて」

 新たな音楽シーズンが始まった。
 先日は大野和士がブリュッセルのモネ劇場のオーケストラを指揮したマーラーの第5交響曲を聴いた。これは期待以上にすぐれた演奏だった。オーケストラは整然とコントロールされていて、情熱的でありながら、粗くない。しかもかつてよりニュアンスもぐっと豊富になっている。若々しいのに、風格がある。アダージェットでは、なんとテンポを超遅くし、一音一音にのみをふるうかのごとき様子を見せたのには驚いた。それでいて最後は颯爽と疾駆。バーンスタインやテンシュテットといった超個性派が持つ毒はないにしても、現在これ以上のマーラー演奏がほとんど存在しないことは間違いない。同じ演奏者による「復活」の録音が登場したとき、私はこの録音では大野の実力が全然伝わらないと黙殺したけれど、実際、この日の第5番はその判断が間違っていないことを示していた。私が出かけた新宿での公演では放送マイクがぶら下がっていなかったが、NHKはN響公演を自画自賛している暇があったら、こういったものを放送すべきである。

 だいたい例年10月から11月までは、どっと外国演奏家が押し寄せるのが常であるが、今年もその傾向がはなはだしい。私が行ってみてもいいなと思ったものだけでも、デュトワ+チェコ・フィル(マカールじゃないよ)、アファナシエフ、チッコリーニ、ポゴレリチと、半端でない。しかも、悪いことに結構日程が重なっているのである。チケットの値段が気にならないのなら、ヤンソンス+バイエルン放送響、マゼール+トスカニーニ・フィルも悪くないだろう。
 チェコ・フィルはすばらしいオーケストラで、少し前に来たときはフルネに指揮されてものすごい底力を示した。まさに夢のような「ボレロ」の美しい響きは、忘れがたい。今度もデュトワという実力がある人だけに、なかなかの水準が期待できるはずだ。東京公演のストラヴィンスキーも聴いてみたいが、チャイコフスキーがメインの川崎公演は全カテゴリーのチケットが売れ残っている。もったいない。
 フルネといえば、なんと彼は今年末、引退してしまう。12月の都響定期が引退コンサートになっているけれど、まったく残念ながら、伊藤恵が独奏者として登場する。チェコ・フィルのときもなぜか突然プログラムが変わり、伊藤が登場したが、ハッキリ言って論外だった。あの鈍くさいピアノを再び聞かされるのかと思うと、うんざりする。これは私だけでなく、周囲の多くの人々が「またかよ」と呆れている。私はさっそく都響に「プログラムor独奏者を再考せよ」とウェブ上から書き送ったが、形式的な「ご意見は参考にします」という返事が来たきりである。特別な返事など必要ないが、最後なのだ。もうちょっとましな人を出してほしい。もちろん、協奏曲などやらないのが一番いいが。

ほ  ところで先日、やはりフルネ+チェコ・フィルに感激したクチの平林直哉氏に、引退コンサートのチケットを買わないのかと尋ねたら、キャンセルの場合、払い戻しはあるのかと心配していた。確かにフルネはもう90歳、突然倒れることだってあるだろう。目玉の演奏家がキャンセルしたら、払い戻ししてくれるのは、お客としては当然だと思うが、ここ何ヶ月か、雑誌「クラシックジャーナル」で、それに関連した記事が続いている。オーケストラや、オーケストラの代理人である弁護士は、チケットには変更の場合も払い戻しはしないと書いてあるのだから、しなくてよいと突っぱねているようだ。
 しかし、これはおかしい。極端な場合、ラトル指揮ベルリン・フィルでチケットを売っておいて、代役が学生指揮者と学生オーケストラでもよいということではないか。
 そういえば今年だったか昨年だったか、グリモーが協奏曲の夕べをキャンセルしたとき、払い戻しがいっさいなかった。これなど、明らかにグリモーで売っていたのだから、相当腹を立てた人が多かったようだ。こんなことをしたら、ハッキリ言って、その企業のイメージはめちゃくちゃ悪くなる。日本でのチケットの値段は決して安いものではない。場合によっては1万円、2万円と払っているのだから、お客はものすごく損をした気がする。むしろ気前よく払い戻したほうが、お客は次も安心してチケットを買ってくれるはずだ。関係各社の猛省を促したい。

 ピアニストのほうもチッコリーニだの久しぶりのポゴレリチだの、あれこれ来日するが、個人的にはアファナシエフのベートーヴェン「月光」が楽しみだ。私はかねてから、彼が弾く超ノロノロの「月光」が聴きたいと思っていた。本当にノロノロに弾いてくれるかはわからないが、もしかしたら超夢幻的な「月光」になるのではないかと期待している。最近は思いのほか普通だったりするので、微妙だが。
 アファナシエフは東響とベートーヴェンの「皇帝」も演奏する。これはCDを聴く限りでは意外とおとなしい。CDの全集では、第4番と、第3番の第2楽章がたまらない。日本での「皇帝」もCD同様、スダーンが伴奏する。

 11月には井上喜惟がジャパン・シンフォニアと初めて「悲愴」をやるのが楽しみだ。およそ日本のオーケストラ離れした弦楽器の響きが聴けるだろう。井上には、ブルノのオーケストラを振ったチャイコの5番という幻のCDがあり、これが1時間近くかかる驚きの演奏だった。ゆえに、「悲愴」のほうはどんなことになるのか、期待は大だ。
 同月には、シルヴィ・ギエムが踊る最後の「ボレロ」という催しもある。ギエムという人は、あらゆる超絶的な音楽家と同様、いいときにはとんでもない領域にまで到達してしまう人だけに、多くの公演からどの日を選ぶかは難しい。今までの経験からすれば、初日か最終日か。ハードスケジュールなだけに、初日が無難そうだが、本当に最後の市川公演には絶対に行きたいところ。しかし、この日、私は朝日カルチャーセンターの講座を入れてしまっていた。一生の不覚とならなければよいのだが・・・。聴き逃したコンサート、見逃した公演は、絶対にリピートできないのである。もっとも、日本以外では踊るらしいのではあるが。
 ちなみにギエムは10月はロンドン、ミラノで大忙しなので、疲れをひきずらねばよいがと心配している。

 最後にCDの話をひとつ。冬に来日するシュトゥットガルト国立歌劇場のモーツァルト「魔笛」は早々と売り切れてしまったらしいが、私は今、クレンペラーの「魔笛」にはまっているのである。昔からよく知られていた盤だけに、自分でも何を今更と思わないでもないのだが、何となく久々に聴いてみたところ、あまりにも独特の美しさにすっかり参っているのだ。あくまで抽象的な美しさを追求するオーケストラが何と言っても麻薬的である。いわゆるオペラティックな演奏ではもちろん全然ない。しかし、音、音型、リズムのひとつひとつが重なり合う建築的な美しさは他では聴けないものだ。宇宙的な巨大さを持つと言ってもかまわない。
 試しに、第1幕の夜の女王のアリアの前奏だけでも聴いてごらんなさい。この頭の10秒のために買ってもいいくらいだ。たちまち別世界に入り込んでいくような、目眩がするような経験をすることができる。それに合唱のナンバーが荘重で実にいい。クレンペラーらしい重量感あるリズム感が決まる。しょせん歌芝居であるはずの「魔笛」がこんなに立派でいいのかと思ってしまうほど。第2幕最初のオーケストラ部分も圧倒的に神々しい。ここまで音楽がすごいと、ストーリーも設定も、どうでもよくなる。
 それに、シュヴァルツコップ他が歌う豪華な3人の侍女といい、最高に澄んだヤノヴィッツの美声といい、ポップの燦然とした夜の女王といい、歌手陣も贅沢である。ザラストロが場違いなまでに悪者声なのがご愛敬。
 というわけで、とっくに飽き飽きしている「魔笛」だが、これだけは繰り返し聴きたくなってしまうのだ。オーケストラと声による壮大な交響曲とひとことで呼んでおこう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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