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グルダはやっぱり恐ろしいほどの天才だった

2005年5月23日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第53回

「グルダはやっぱり恐ろしいほどの天才だった」

 今年の春は花粉症があまりにひどかったり、多忙だったりで、なかなかこのコラムを書くことができなかった。今までここで書いたものが半分、新しい内容が半分という本も作って、近々出版する。書名は『オレのクラシック』(青弓社)。一人称を「オレ」にした一種のオレ・ワールドを構築してみるかとやってみた。覆面レスラーがマスクを取り替えると善玉から悪役に変わったりするのと同じで、書くときに主語を変えるだけで、けっこう気分が違ってくる。一種の自己暗示みたいなものだが、「オレ」で書くのはなかなか愉快だった。そのうち、うんと悪っぽく「オレ様のクラシック」なんて本を書くのも楽しいかなと思うし、いっそお上品に「わたくしのクラシック」というのも笑えそうでよい。また、「おまえのクラシック」「君らのクラシック」・・・という続編もいいかもと考えている。もっとも、それまでにやらねばならない仕事が山ほどあるが。

 さて、テンシュテットのワーグナー・コンサート(ロンドン・ライヴ)をはじめとして、おもしろいCDもいくつか出ている。そのテンシュテットについては、新刊の中でも書いたので、ここでは超弩級とだけ言っておこう。1曲ずつ日本ライヴと比べたわけではないが、「リエンツィ」や「タンホイザー」序曲は日本ライヴよりすごいかも、とすら思った。あの日本ライヴの「リエンツィ」以上かもしれないなんて、昔LDを買って演奏を知っている人は、聞いただけでわくわくしてしまうだろう。とはいえ、テンシュテットについては何度も書いているし、違うテーマを選ぼう。

 毎年のように若い音楽家が華々しくデビューする。しかし、真の天才とはこのようなものだと唖然とさせてくれるのが、このグルダだ。
 曲目は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといったドイツ・オーストリア以外はショパンとドビュッシーという、グルダが晩年まで好んで弾いた作曲家のもの。ただし、プロコフィエフの第7ソナタは珍しい。
 グルダは1946年に16歳でジュネーヴ・コンクールに優勝した。そして、自身が「自分は17歳ですでに完成したピアニストだった」と言っている。嘘ではない。1947−49年に録音された演奏の数々がそれを証している。
 いずれにも共通するのは、清潔で端正なそれでいて四角四面でないリズム、漂う上品な気品だ。晩年になるほど、グルダの演奏はセンチメンタルになっていった。寂しげで人なつっこい表情が強く出た。が、ここではどの曲もきわめて折り目正しい。露骨に感情を吐露しないよう自身を戒めているようだ。新品のブレザーを着たフレッシュマンと言ったらいいか。ぴしっとした姿勢の直立した姿。
 よく、「円熟が楽しみだ」みたいな言い方をする人がいる。甘ったるい意見だ。結果として熟してよくなる芸術家がいないとは言わない。だが、本当にすごい人は、たいへん若いときから、ほぼ完成している。少なくとも自分のスタイルをはっきり持っている。若いときたいしたことがなかった人が、後年すばらしい演奏家になる可能性は、非常に少ないのである。このグルダにしても、盛期を迎えたばかりの果物のように、個性の鮮烈な色彩を持ち、皮ははちきれんばかりに張りつめている。手触りはまだ固い。完熟には遠く見える。けれども味わってみると、見事に甘美で濃厚なのである。この一瞬を逃したら味わえないという絶品なのである。
 あまりにもきちんとしていて、隙がない。正直言って、ショパンやドビュッシーは、この演奏のほうが後年よりいいと思った。まるで若い肉体のように無駄がなく、引き締まっている。これに比べたら、後年のものは中年風で脂染みているとすら感じられる。ショパンの「舟歌」で聴かせる弱音の繊細さ、高音の美しさ、流麗な音楽の運び。「バラード」のしゃれた余裕・・・これが大学1年生くらいの男の音楽なのか? 確かに若やいだ幸福感、恍惚感はある。が、若さを魅力にしているような単純な音楽ではさらさらない。はるかに高次だ。ピアノというのは何とすばらしい楽器だろうと思わされた。
 プロコフィエフは敏捷な猫が軽やかに鍵盤で踊るようだ。精悍ではあるが、筋肉隆々でない。全然重ったるくないし、力ずくの馬力の押し売りもない。あくまで燕尾服が似合うエレガントな音楽なのである。
 バッハはきわめて厳粛だが、ベートーヴェンは、ウィーン風としか呼びようがない独特の匂いが思いの外強い。
 こんな音楽を十代でやってしまったら、あとは崩す方向に行くしかないではないか。考えてみたら、グルダに心酔して弟子入りしたアルゲリッチは、やはり若いときから完成されたピアニストだったミケランジェリにも師事した。そして、自身、やはり十代にして一流ピアニストだった。こうした人たちには、もしかしたら数十年という人生は長すぎるのかもしれない。若者の端正な肖像のようなこの演奏には、天才の残酷な運命が刻まれている。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


フリードリヒ・グルダ
ザ・ファースト・レコーディングス

・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻〜第15番 BWV.860
・バッハ:パルティータ第1番 BWV.825
・バッハ:トッカータBWV.911よりフーガ
・ベートーヴェン:11のバガテルOP.119〜第11番
・ベートーヴェン:エコセーズ変ホ長調 WoO.83
・ショパン:『子守歌』Op.57
・ショパン:練習曲OP.25〜第1番
・ショパン:練習曲OP.25〜第2番
・ショパン:バラード第3番 Op.47
・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 Op.83
・ドビュッシー:『喜びの島』
・ドビュッシー:『映像』第1集〜『水に映る影』
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番 K.576

フリードリヒ・グルダ(P)

録音:1947〜1949年、ロンドン(モノラル録音)

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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