Top 100 Albums - No.36

2004年4月18日 (日)

『遂にビートルズを超えるメロディメイカーが生まれた』と、地元リヴァプールの住民たちを沸かせたラーズ。誰もが永遠の名曲と呼ぶ「ゼア・シー・ゴーズ」は、ピート・タウンゼンドエルヴィス・コステロポール・ウェラーといったアーティストが賞賛した。イギリス音楽誌もまた、ニュー・スミス、ニュー・ビートルズという表現を使って彼らを絶賛した。

「ゼア・シー・ゴーズ」を含むこの伝説と呼ばれるアルバム『ラーズ』。80年代後半〜90年代初期の音楽界に強烈なインパクトを与えた彼らだが、このアルバム一枚を残してその姿を消してしまう・・。

ラーズの母体となるグループがリヴァプールでスタートさせたのは、’86年頃のこと。バンドの中心人物でもあるリー・メイヴァースとジョン・パワーに友人二人を加えたラーズは7曲いりのデモテープを作ることから活動を開始。そのテープが地元を中心に関係者の間で話題となり、遂にはGO!DISCから直接オファーが舞い込むという、実に幸運なスタートを切っている。

そのGO!DISCから’87年にデビュー・シングル「ウェイ・アウト」をリリースしたラーズは、同時に積極的なライブ活動も地元のクラブを中心に開始。そして‘88年、彼らの評価を決定付けることになるセカンド・シングル「ゼア・シー・ゴーズ」をボブ・アンドリュースのプロデュースでリリース。リー・メイヴァースはこのプロデュースにあまり満足していなかったものの、「ゼア・シー・ゴーズ」のそのあまりにも素晴しいメロディーに誰もが釘つげになっていた。

そして、翌年’89年早々のラーズはアルバムの制作にむけてプロデューサー、マイク・ヘッズと共にデボンにある彼のスタジオでレコーディングを開始。すべてが順調にいきはじめたように見えた矢先。4月にリリースが予定されていた「タイムレス・メロディー」が発売中止となる。その後、制作がすすんでいるとおもわれたアルバムもウヤムヤのうちに話しが流れてしまう。プロデューサー、マイク・ヘッズとの間でのトラブルが原因とおもわれる。その後、アルバム制作の主導権を握ったプロデューサー、スティーブ・リリーホワイトが、完成作を最終的に90年にリリースする。

そういった複雑な経緯の中発売されたのが、待望のデビュー・アルバム『ラーズ』だ。

リー・メイヴァースは、このアルバム『ラーズ』について、「プロデューサーが勝手に60年代風に作り上げた、ゴミみたいな作品だ」と全否定した。しかしながら、リー・メイヴァースの目指すサウンドが現実味をなくし、むしろ現実からの逃避へかわっていったのも事実。また、正気かどうか疑う人々さえ出てきたのだ。その後、『これ以上このバンドからなにも生まれることはないだろう』とジョン・パワーは脱退、事実上の解散となってしまう。

80年代後半、当時はアシッド・ハウス〜マッドチェスターという流れがシーンの主流であり、60年代の流れを汲むラーズは反動的で、レトロな存在だった。しかしながら、ノエル・ギャラガーが公言するように、オアシスの登場を準備したのはまぎれもなくラーズだったし、その数年後、アメリカから、ベックパレス・ブラザーといったアーティストが現れ注目を集めたことを考えれば、ラーズが与えた影響はあまりにも大きい。

アルバム『ラーズ』に対して、「あんなゴミ音楽買うな!」とまで言い放ったリー・メイヴァースは、来日インタビューでこう続けた・・・「60年代のレコードを聞いたことがあるだろ?ああいう風じゃなきゃダメなんだ。音が生きていた、機械に窒息させられていなかった。そういう風にあのレコードを作り直して、今度こそ本当のファースト・アルバムとして発表するんだ・・・」と。

その後、彼の言う本当のファーストアルバムはいつまでたっても発表されていない。ただ、十分過ぎる名盤と称されるアルバム『ラーズ』以上に、リー・メイヴァースのいう「60年代の生きた音」が聴けるのなら、その発表をいつまでも待っていたいと思う。

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