平林直哉のヒストリカル中毒　「クナッパーツブッシュの注目DVD」

2003年1月26日 (日)

特別寄稿シリーズ～平林直哉のヒストリカル中毒
「クナッパーツブッシュの注目DVD ２タイトル」

このＤＶＤは2002年最大の話題盤である。
　まず個々の曲が断片ではなく、カットなしの全曲というのは何にも代え難い。画質は鮮明で、カメラワークも最近のソフトにありがちな顔や楽器のアップの連続というものがなく、たいへん見やすい。そして音質も最高水準のモノーラルである。

　それでは順に簡単に内容に触れて行こう。まず「レオノーレ」序曲第３番はズシリと手ごたえのある冒頭の和音に続いて、深く神秘的な序奏が奏でられる。棒の動きは簡素だが、サッと手を動かしたり、肩の動きがほんの少し加わっただけで音楽が急にうごめく。主部の最初は、はるか遠くから響くようにひっそりと始まるが、それがやがてみるみるとふくれ上がる。このように音楽がふくれ上がる場面でも、指揮者は最小限の動きで、オーケストラから最大限のヴォリュームを弾きだしているのだ。それは、コーダの最後の部分でも同様である。あらかじめ「来るな」とはわかっていても、その最後の最後にスーッと立ち上がってオーケストラに合図する様は、やはり怪物的と言わざるを得ない。

　バックハウスを従えたベートーヴェンの第４ピアノ協奏曲ではクナは珍しく眼鏡をかけている。少しでも合うように眼鏡を使用しているように思われるが、実際はそうではなさそうだ。多くの指揮者がやるような、ソリストの方をのぞき込んで、いかにも仲良く合わせていますよ式のポーズなど、クナにはみじんもない。「私はオーケストラ担当、あなたはピアノ独奏、ただそれだけです」と言わんばかりの、一種独特の雰囲気である。

　「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死は、後述の「ワルキューレ」よりもクナの指揮姿が多く映るので、見応えとしてはこれが一番かも知れない。延々と続くクレッシェンド、クナはむしろポーカーフェイスで、まだまだ余裕があるのだと言わんばかりの仕草。ところが、その頂点にさしかかる直前、それまで座っていたクナは突然立ち上がり、巨大なフォルテを指示するが、オーケストラはまさにその通りにふくれ上がる。そのほか、しなやかに、ゆっくり動いていたかと思うと、急に爬虫類のように素早い動きとなり、同時にオーケストラの音色もサッと変わっていく部分など、やはり驚くほか無い見事なものだ。

　もう１枚の「ワルキューレ」第１幕全曲の演奏会形式も素晴らしい演奏で、観たあとの充実感はちょっと言葉では言い表しにくい。ここでもクナは譜面を見ながら指揮をしているが、その合図の出し方や音楽の流れに沿った目配せ、身体の動きなどが実に見事。もちろん、単に縦の線を合わせる合図ではなく、次に起こることを奏者たちに巧みに伝えているのだが、それにしても、これだけ簡素な指示ながらも、オーケストラからこれだけ深く、熱く、そして多彩できめの細かい表情が引き出せるのかは全く持って謎としか言いようがない。これは恐らく、フルトヴェングラーのテンポの動きと双璧の、古今の指揮者界の最大の謎であろう。なお、申し遅れたが、３人の歌手も素晴らしい。

　さらに、この映像ではボスコフスキーやバリリ、カンパー、クヴァルダなど、往年の名奏者たちの存在感ある演奏姿を見ることができるのも実に喜ばしい。

　最後にひとこと。今回のＴＤＫの発売はＤＶＤに限られているが、中には「ＤＶＤは持っていないので観れない。プレーヤーが買えない」と漏らす人もあるだろう。気持ちは分かるが、そんな情けない理由でこの映像を観ないのは大きな損失である。プレーヤーを持っていない人も、ただちに用意して欲しい。その投資に見合う、いや、それ以上の感動を与えてくれる映像なのだから。(ひらばやしなおや、音楽評論）

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