Top 100 Albums - No.69

2004年3月16日 (火)

2002年ゴールデン・ウィーク前に起こった出来事は、TLCファンだけでなく全音楽ファンにとってあまりにも衝撃的だった。TLCのメンバー、リサ・ロペス(レフト・アイ)が、ホンジュラスで交通事故のため突然他界してしまったのだ。彼女はホンジュラスにある自然食の道場によく通い、都会でのストレスな生活を忘れリラックスする時間を大切にしていた(アルコール問題の治療のためとも言われている)。今回もそうだったのだろう。バカンスでホンジュラスに来ていたリサと8人の仲間を乗せた自動車はスピードの出し過ぎにより横転、リサは頭蓋骨骨折、搬送された病院で亡くなった。Tボズの鎌状赤血球貧血という病気のため中断されていた4thアルバム「3D」の制作に再び取り組みはじめた矢先の不幸であった。世界中を悲しみに包んだこのニュースはTLCというグループがいかに大きい存在であったかを物語っているのではないだろうか。

グループのはじまりは90年代初頭アトランタに遡る。オーガナイズド・ノイズの一員、リコ・ウェイドがアイオワ出身のTボズ(ティオンヌ・ワトキンス)にフィラデルフィア出身のリサ・ロペス(レフト・アイ)を紹介して意気投合。2人は雑誌の広告にグループ募集のタイトルをみつけてすぐに応募し、このときの広告主で当時のもうひとりのメンバー、クリスタルで3人はセカンドネイチャーというガールズグループを結成した。彼女たちはTボズが通うヘアサロンで働いていたマリーから"ガールフレンド"のヒットで知られLAリードの元妻であるぺブルスを紹介される。しかしTボズとレフト・アイの実力にクリスタルが追い付いていないと感じたペブルスは彼女を脱退させることを条件にマネージメントを引き受け、自らのミュージック・ビデオに出演させたり、ジャーメイン・デュプリに引き合わせ、彼が手がけた作品にバックコーラスとして参加させるなど、精力的に売り込みをかけていた。

その後、ラフェイス・レコードに所属していたダミアン・デイムのバックコーラス兼ダンサーであった地元のロゾンダ・トーマス(チリ)がペブルスに見い出され、ここで初めて現メンバーの3人が出会い、新生TLCが誕生した。ぺブルスは、ジャーメイン・デュプリにデモ・テープ制作を依頼するとともに、のちにプライベートでもパートナーとなるLAリードに彼女達を紹介し、新人としては異例とも言えるラフェイス・レコードとの契約を成立させた。

当時、ガールズ・グループの頂点と言えばアン・ヴォーグだったが、コンドームの袋をアイパッチ代わりにする奇抜なファッションで度胆を抜いたTLCのセンセーショナルなデビューによりその座は危うくなった。新進気鋭のダラス・オースティンを主軸にLA&ベイビーフェイスジャーメイン・デュプリなど、当時のアトランタR&B新勢力が結集した92年のデビュー・アルバム「エイント・2・プラウド・2・ベッグ(Ooooooohhh...On the TLC Tip)」はいきなり全米チャートトップ10入り。ダラスが手がけたストリート感あふれるポップ・チューンの1stシングル"エイント・2・プラウド・2・ベッグ"はミリオン・セラー、続くセカンド・シングル"ベイビー・ベイビー・ベイビー"は、同じ1992年にボーイズIIメン"エンド・オブ・ザ・ロード"、ボビー・ブラウン"ハンピン・アラウンド"をビッグ・ヒットに導いたLAリード、ベイビーフェイス、ダリス・シモンズが手がけ、全米チャート2位、R&Bチャート1位となり、再びミリオンセラーを記録。3rdシングルはダラス・オースティンがプロデュースを担当したクールなミッド・ビート"穂ワット・アバウト・ユア・フレンズ"を採用し、全米R&Bチャート2位(全米チャート7位)をマーク。3曲連続の大ヒットにより、デビュー・アルバム「Ooooooohhh - On The Tlc Tip」は全米で500万枚以上のセールスを記録、新人としては異例のデビューを飾る。

デビュー・シングル"エイント・2・プラウド・2・ベッグ"から既にレフト・アイは自分でライムを作りラップをこなし、同年デビューしたメアリーJブライジと共にヒップホップ・ソウルなるジャンルの確立に貢献した。実際、当時のヒップホップのトップ・プロデューサー、マーリー・マールが関わった"Das Da Way We Like 'Em"や、"This Is How It Should Be done"の2曲は当時のヒップホップ・ファンの間では注目度が高かったように記憶している。またダラス・オースティンとの相性も抜群に良く、重いビートとガールズ・グループっぽいキャッチ−なサビはTLCの持つアイドル性とストリート性が同居した個性とマッチし、90年代最新型サウンドの基盤となっていった。

またTLCの魅力は歌だけに留まらない。デビュー当時のTボズがソルトゥン・ペパやBBD(ベル・ビヴ・デヴォー)らと比較されて出したコメントが面白い。「私たちがソルトゥン・ペパと比較されることがあるとすれば、それは唯一、女性グループということだけ。実際TLCでラッパ−はレフト・アイだけで、ソルトゥン・ペパと比べられるとしたら、彼女しかないわ。BBDそのステイタスのあるグループにくらべられるのは褒められているだと思うけれど、時間がたったらみんなBBDとTLCの違いにハッキリ気付いてくれるんじゃないかな。だって全く似てないんだもん」
いやはや、なんと頼もしいこと。

このTボズの強気な発言からもわかるように、TLCは「本音」がトレードマークであった。 遍歴するボーイフレンドを扱う方法やティーンの自由なセックスへの忠告などアイドルらしからぬリアリティのある歌詞は、男性ファンだけでなく、とりわけ10代、20代の女性の支持を集めた。ファッション・リーダーとして時代を象徴していたと同時に、若者の身近な代弁者としてTLCは存在していたのだ。そしてそれは次のモンスター・アルバム「クレイジー・セクシー・クール」で決定的となる。

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Ooooooohhh -On The Tlc Tip

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Ooooooohhh -On The Tlc Tip

TLC

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発売日:1992年01月17日
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