インタビュー PLASTICS
最強なリズムセクションで、ドイヒーなギターを弾く
HMV : それでは宜しくお願いします!皆さん、けっこう会われたりするんですか?
中西 俊夫: いやぁ…昨日、島ちゃん(島武美)と話したけど、 会ってはいないですね。
立花 ハジメ : (屋敷)豪太じゃなくて?なんで?島ちゃんに?
中西 : いや、79年のこと話してって言うから…そういう意味じゃ豪太は関係ないかなって。
立花 : あぁ、そうか… 79年?なんで79年なの?
中西 : (笑)それ、趣旨わかってないじゃん!79年にラフトレードからデビューして、今年2009年で30周年っていう…
立花 : あぁー!!(笑)
中西 : 初めて気がついた?(一同爆笑)
HMV : それがコンセプトで今回お願いしたんですけど…(笑)
立花 : いや、今日はリキッドのライブの取材かなと思って。
中西 : それもそうなんだけど…
佐久間 正英 : 30周年っていうキャッチフレーズがね。
立花 : …まぁ、30周年だねー。
HMV : 元々それがあって、今回出されるはず…ですよね?
佐久間 : じゃないと、2年経ってから…ね(笑)
中西 : 引っ張るもんだなーって(笑)
HMV : 寝かせておいたんですね、ライブが終わってから(笑)
佐久間 : 冷凍室に(笑)
HMV : ようやく解凍されたんですね!そもそも2007年のライブっていうのは…
中西 : それはハジメが(テンションが)上がってたからじゃないの?みんなのタイミングが合うときがあって。
立花 : それと再結成しませんか?みたいな話があると思うんだけど、昔のままで再結成っていうのは、たぶんみんなあまり興味がなくて。それだったら、昔の「ALL ACROSS THE USA」(’97)とかライブの時…あれを超えることはできないから…。まぁ、そんなこだわらなくて気楽に再結成っていうのでもいいのかもしれないけど、僕なんかはそういう再結成には昔の形態でっていうのは全然興味がなかったし、昔のライブは越えられないからやりませんっていう話で。で、一昨年は久しぶりに音楽モードに入ってて、ギター弾きまくってて、新しいバンド(THE CHILL)でライブやりまくってて… そのCHILLの時のドラムが豪太だったんだけれども。それでドラムが豪太で中西と僕とまーちゃん(佐久間)…っていうPLASTICSも面白いかなって。
HMV : 新しい形でっていう…
中西 : いわゆる最強なリズムセクションで、ドイヒーなギターを弾くっていうコンセプトで(笑)。
HMV : (笑)
立花 : まぁ、ドイヒーなギターが最強のリズムセクションで…昔まーちゃんは、僕とか周りのみんなのテクニックの低さに合わせて、本職の弦ベースじゃなくてシンセベース・キーボード。レベルを落として合わせてくれてたっていうよりかは、それでも当時はバランスが面白かったかなって。
中西 : 当時はまーちゃんは最初プロデューサーとして関わるっていう話だったんだよね。
佐久間 : そうそうそう。
HMV : そうだったんですか?
中西 : でも、やんなくてよかったねって(笑) こんなドイヒーなギターじゃ訳がわかんないっていう(笑)
立花 : あの形態でまーちゃんが本気で弦ベースを弾いちゃうとそれはそれで…
HMV : 違ったものになりますよね。
立花 : 今から考えたら逆にそれはそれですごいバンドだなって…それでリズムボックスでっていうPLASTICSもまた…
中西 : でも、数曲弾いてなかったっけ?
佐久間 : うん、後半はね。後期はね。それはヤオヤ(TR-808)になったからね。リズムボックスが。
立花 : あー…そうそうそう。
佐久間 : それまではちょっと無理だったからね。
HMV : プログラミング的にですか?
佐久間 : いや、というか音的に。生ベースとリズムボックスの音って合わない感じですよね。
立花 : で、中西とは会ったり話すことはあるんだけど、まーちゃんとかはなんか…そんなに話したりする機会がなくて。「こんな形でPLASTICSやらない?」っていう話をしたら、まーちゃんも珍しくというか…「いいよ」みたいな感じになったので(笑)
中西 : まぁ、10年に1回あるかないかっていう波で。2年前のやつは。あんまりみんながタイミング合う時はなかなかないから…
立花 : 一番の原因は僕なんだけどね!(笑)みんながなんだかんだ言って安定してて、ずっと音楽やってたりするんだけど… 僕は仕事もグラフィックデザインをやってたり、音楽をやってたり、波があるんで申し訳ないんだけど、なかなか会う時がね… その原因は僕なんですけども。会う時があまりないわけで。で、たまたま2007年の時は波長が合ったので。よし!ドイヒーなギターが最強のリズムセクションと乗せるってことで…それだったら単なる再結成と全然…面白そうだってことで。
男だけのPLASTICS。
HMV : すんなり話はまとまったんですか?「やろう!」って…
立花 : 全然すんなり。まーちゃんは「いいよー!いいんじゃなーい!」って(笑)
HMV : 皆さん、やりたい方向もすぐ納得したような感じですか?
中西 : うんうん。で、僕なんかパッと思ったのは(サディスティック)ミカバンドみたいに、若い女の子入れてやるのかな、って思ったのね。でも、それはハジメ的にはやりたくないと。男だけのPLASTICS。それを聞いてまたちょっとビックリして、「そういう展開か!」と思って(笑) 発想の転換というか。
HMV : もともと女性を入れるとか、そういう発想は最初からなかったんですね?
立花 : (佐藤)チカの代わりに入れるとか、ドラムというかリズムボックスであるとか、それこそプログラミングして打ち込んどいてベースを入れるとか、いろいろ考えられたんだけど、昔のPLASTICSとかになぞるみたいな…そういうのは全然。そういう意味では全然PLASTICSじゃないっていう。それはチカにも僕はすごい丁寧に説明して(笑) 丁寧に説明したつもりなんだけど…
中西 : そうそう、スネちゃったからね(笑)
立花 : 僕が丁寧に説明する前に、再結成するっていう話が先にチカに行っちゃって、チカ的には面白くないわけですよ。「何それ?私の代わりに若い女の子入れようっていうの?」みたいな…
中西 : 「カエラが入るの?太田莉菜が入るの?」みたいな…
立花 : そんな話になっちゃってて。「いやいや、そういうんじゃないんだ」と。昔のをなぞるとか…
中西 : 「新しい女の子と浮気して…!」(笑)
立花 : 「チカの代わりに若い女の子入れる」とかそういうんじゃないから…と。ある意味PLASTICSじゃないっちゃないんだ、って。
HMV : それはないっていう話ですよね!
中西 : 反対にそういう方が失礼だって話でね…若い女の子を入れるってことが、チカに対しても…
立花 : そういうわけで、チカにもご了解を頂いて。
HMV : 納得していただけたんですか?
中西 : 最初かなり怒ってたけどね…(笑)
HMV : 最初チカさんに会いに行って説明されたんですか?
立花 : あぁ、会わないよ!チカはロンドンにいるから、電話してメールというか。
中西 : 今日、来日したらしいよ。僕は知らないけど(笑) 僕のところには何にも連絡ないから、わかんないけど…
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PLASTICS NEW ALBUM
『Dr.VoBG』
PLASTICS 男だらけのプラスチックス。新曲2曲を含む嵐のライヴ!僕にとってもスペシャルな晩だったので形に残せるのはうれしい。
--- 中西俊夫
ファッション、デザインを音楽と同様に重視したイメージコンセプトや、国境を跨いだグローバルな活動範囲、デビューからわずか2年人気絶頂のうちに解散したそのライトな感覚など、その活動スタイルは今なお多くのフォロワーを生んでいる「Plastics」。
イギリス・ラフトレードより「COPY/ROBOT」で英国デビューしてから今年で30年。
2007年に行われた「結成30周年LIVE」の音源を完全収録!小山田圭吾ギターで参加!
Discography
『Origato 25 』 PLASTICS
『Welcome Plastics』 PLASTICS
『Here Comes Sex Education』 Plasticsex
Profile
PLASTICS are 佐藤チカ(vo)、中西俊夫(vo/g)、立花ハジメ(g)、佐久間正英(key)、島武実(vox)。
1977年、イラストレーターの中西、スタイリストの佐藤、グラフィック・デザイナーの立花が中心となって結成。
1979年、イギリス・ラフトレードから「COPY/ROBOT」で日本に先駆け英国デビュー、翌1980年1月にシングル「TOP SECRET MAN」とアルバム『WELCOME PLASTICS』で日本デビューを果たす。
そのサウンドは、同時期デビューしたYMO、P-Model、ヒカシューらと共に、次世代のジャンル“テクノポップ”として注目される。中でも個性的でファッショナブルなメンバーを揃えるPLASTICSは「テクノポップの代表バンド」として業界内外で注目を集める。1stアルバム発売後、B-52'sとの共演をきっかけとしたUSツアーから海外での活動が活発化。US/UK大手アイランドレコードとの契約による3rdアルバム『WELCOMEBACK』の全世界発売を前後して、米欧でのリリースツアー、ラモーンズやトーキング・ヘッズなど一線級アーティストとの共演など国境を超えた精力的な活動を展開した。
しかし、まさに「これから」と思われていた1981年12月、突如解散。デビューから実質2年間のバンド活動に終わりを遂げた。
ファッション、デザインを音楽と同様に重視したイメージコンセプトや、日・米・欧と国境を跨いだグローバルな活動範囲、デビューからわずか2年人気絶頂のうちに解散したそのライトな感覚など、その活動スタイルは今なお多くのフォロワーを生んでいる。
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