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2009年2月9日 (月)
連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第9回
「タローのあまりにもバロックなサティ」
アレクサンドル・タローのピアノを最初に聴いたときは、その音楽の底から立ち上がってくるヒンヤリとした感触に、いささか近寄り難いものを覚えたものだった。その音楽が精妙で風通しのいいことはよくわかっているのだけれど、取りつく島がないようなクールさに躊躇してしまったのだ。ヒンヤリ系の演奏を嬉しがって聴く自分のような男でも、由来も知れぬクールさには、一歩身構えてしまうのである。
そのクールの出所に合点がいったのは、彼の弾いたクープランの作品集を聴いたときだった。イマドキ、クープランをモダン・ピアノで弾く演奏家は珍しい。しかし、タローの演奏は、ピリオド以前の回顧でもなければ、ピリオドの流儀をたくさん勉強しましたというスタイルにも相当しない。
すべてのフレーズが意味に満ち、トリル一つとっても恐ろしく雄弁。にも関らず、それがまったく停滞せずに流れる。この流れを作り出すのに必要なのが、このタローのクールにすぎるアプローチなのだ。河の流れに手を差し伸べたときの冷たさみたいに。
これって、まさしく、アンチ・ロマンティシズム。ロマンティシズムの時代は、ずるずると感情を引きずったまま、それを停滞、蓄積させることに意味を見出していた。それによって、感情および理性の深さにアプローチしようという時代といっていい。
タローの目指す音楽は、そうしたロマンティシズムとは無縁だ。だから、彼のレパートリーは、バロックと現代作品のほかに、ラヴェルやプーランクなどロマン派の本流から一歩足を踏み出したものが多くなる。
今回タローが挑んだサティは、まさにアンチ・ロマンを声高に唱えた作曲家。早速聴いてみると、その相性の良さに改めて驚かされた。これまでのサティ演奏といえば、ロマンティシズムにベッタリの流儀もあれば、中世の神秘主義に根を張ったもの、さらにコチコチの現代流、あるいはポスト・モダンでございといわんばかりの軽〜いアプローチなど、様々なものがあったが、タローの演奏はこれらいずれのスタイルにも属さない。一言でいえば、ガッツリとバロック派。
ピアノ独奏作品を集めた一枚目は、曲の合間に6曲のグノシェンヌを配置し、続けて聴くと、まるでバロックの組曲のようだ。緩急のリズムの交代が心地いい。トリルも快楽的。《メドゥーサの罠》では、一部にプリペアドしてあるピアノを使用するなど、音色へのコダワリも。
そして、感情をだらだら引きずらないのがバロックの流儀。キビキビと表情を変え、そのザックリとした切断面に余韻を宿す。《干からびた胎児》の大袈裟で、やたらにカッチリと弾かれたフィナーレのあとに演奏された、グノシェンヌの第5番の退廃的な美しさといったら。
ディスク二枚目は、四手や歌曲などのデュオ作品を収録している。エリック・ル・サージュとの精妙にして立体的な四手作品、むせかえるようなフランス語の発音がたまらないシャンソン歌手ジュリエットとの歌曲、そして《右や左に見えるもの》はイザベル・ファウストという、かなり贅沢なセッションだ。アンサンブルでのタローは、そのキッチリとした弾き方は変わらないが、快楽的なエキスが一層強く滲み出ているようにも感じる。
わたしの場合、サティの作品は好きなのだが、何曲も続けて聴くと飽きてしまうことが少なくない。ただ、今回のタローの演奏ではそういうことはまるでなかった、ということは強調しておきたい。
(すずき あつふみ 売文業)
評論家エッセイ情報
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