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中村梅雀インタビュー ベースと音楽語る

2008年10月23日 (木)

無題ドキュメント
中村梅雀
中村梅雀インタビュー

「演劇が無くても音楽さえあれば生きて行ける」



--- ベースを「自分の楽器」と自覚され、12歳から弾き始めたという事ですが、ベースとの最初の出会いとその影響力、40年に渡りプレイを続けてきたその魅力を教えてください。

中村梅雀  私の母親はクラシックのピアニストです。そのため物心が付く前からクラシック音楽と生のピアノを聴いて育ちました。そしてどういう訳か何を聴いてもコントラバスやパイプオルガンの低音等、ベース音ばかり気になるのでした。


中学生になり、昼休みに校内放送で流れるポップやロックの中で、Bee Gees とBeatles がとても気に入りました。特に最初に友達に聴かされたBee Gees の『獄中の手紙』のモーリス・ギブのベース。当時の私としては、歌のバックのベースがこれ程格好良く動き回る曲は初めてでした。それまで弦楽器は三味線しか弾けませんでしたから、早速三味線を低い調子に合わせてベースの演奏をコピーしました。


でも友達に格好悪いと言われ、意を決して母に必死にお強請りして、12歳の時に買ってもらったのがベースギターでした。


ベースの魅力は何と言ってもあの低音のブーンという音と振動。 曲の要で全体の音を支え、グルーヴを出す心地良さ。 理屈抜きでとにかく気持ち良いのです。 そして様々なアプローチの仕方があり、音楽を表現する上で非常に奥深い影響力を持っている事。


とにかく好きなんです(笑)

--- 役者=中村梅雀、ベーシスト=中村梅雀。このふたつはご自身の中でどのように存在しているのでしょうか?

梅雀  役者=中村梅雀は、自分の務め。役者の家に生まれ育った中で方向付けられ、天職として与えられた生きる道。職人的な意地を感じる道。稼ぐために与えられた道。


ベーシスト=中村梅雀は、自分が最も好きな世界。最も自然に心躍る世界。


「演劇が無くても音楽さえあれば生きて行ける」というくらい音楽が好きです。

--- 非常に御多忙な役者業の中、いつ、どこでベースを練習し、腕を磨いてきたのでしょうか?

梅雀  若い頃は暇さえあれば何時間でもベースを弾いて来ました。 忙しくなってからはロケ先や劇場や宿泊地にベースギターを持って行き、時間を作って練習しています。弾けなくても常に音楽を聴き、無意識のうちにベースを聴いています。

--- アルバムでは全12曲中、9曲は梅雀さんの作曲によるオリジナルですが、曲はどのように創り上げていますでしょうか?

梅雀  役者の仕事の合間に観た風景や光景、人間の生き様を考えているうちに、曲を思いついた時にすぐに携帯電話や携帯録音機で鼻歌とか言葉で録音します。


もう少し余裕があれば携帯のシークエンサーやギター、ベースギターを使って簡単に録音して作っておき、時間がある時に細かく仕上げます。


長期滞在のロケ地や公演地にはPro Tools LE を持参して録音しています。


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中村梅雀 プロフィール
俳優でベーシスト。1955年12月12日生まれ。東京都出身。 屋号は成駒屋。 曾祖父は初代中村梅雀(浅草、柳盛座の座頭)。祖父は劇団前進座の創立者の1人、三世中村翫右衛門。父は四世中村梅之助。‘65年『勧進帳』 の太刀持ちで初舞台。’80年二代目中村梅雀を襲名。  舞台、映画、テレビ等の出演作品多数。ピアニストの母の影響で幼少時から音楽を愛し、12歳でベースギターを始める。中学生時代にバンド活動を開始。オリジナル曲多数。近年は松原正樹、安田裕美らとバンドを組みライヴを重ねる。ベーシストとして松原正樹、山崎ハコ、小椋佳などのCDに参加。今回が初ソロCDとなる。

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