トップ > 音楽CD・DVD > ニュース > ジャズ > 菊地成孔 ロング・インタビュー【第6回】

菊地成孔 ロング・インタビュー【第6回】

2008年6月20日 (金)

菊地成孔



音楽家/文筆家/音楽講師。
スクエアという言葉からはあまりにもかけ離れた
驚異的な視点と感性。
弁舌逞しい軽妙な語り口で、
縦横広大なスペースを緩急自在に駆ける、
菊地成孔。

最新プロジェクト=ダブ・セクステットのアルバム。
そして、2冊の著作『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究』、
『服は何故音楽を必要とするのか?』。
3つの最近クリエイションをメインにしながら
テーマは、ざっくりと「音楽とファッション」。

ドールが無機質に闊歩する場に
最も似つかわしい音楽など
元来存在しない。

欲求を 只隠し、耐え忍び、
やがてドールは、ドールとなり
ウォーキング・ミュージックも成立と相成る。
そんなリュクス論飛ぶ、第6回。


   
ファッションっていうのは、
全部我慢ですよ。
抑圧状態にいるから、
エレガントなんだっていうね。



--- 「クラブ・ミュージックは、踊るためのものであるのに、ファッション・ショーにおいて、モデルたちは踊ってはいけない」とあり、それに対し、モデルたちの「欲求不満説」を仮説立てされています。そうした、欲求不満であったり、抑圧されている状況下だからこそ、より一層エレガンスであるとお考えなのでしょうか?


菊地  そうですね、それもありますよね。何でそう書いたかっていうと、クラブにモデルがいると、狂ったように踊るんですよね。モデルか医者なんですよ(笑)。まぁ、それは、全然与太話というか(笑)、別に違う職業の人にだって、狂ったように踊る人はいっぱいいるけど。モデルさんが、音楽が鳴ってて、キチガイみたいに踊るっていうのは、すごく抑圧のきつい、太っちゃいけないし、踊っちゃいけないし、そういうところから解放された状態というか。


--- スイッチがオフったところで、さらに箍が外れるというか・・・。


菊地  うん。だから、踊っていいってなったら、気が狂ったように踊ると思うんだよね。注目も浴びるしさ。そういうのは、結局、モデルの欲求不満だろうと。年がら年中ダンス・ミュージック聴いてるけど、踊っちゃいけないっていうのは、相当なことですから。


   料理人だって、作りながら食うしね。音楽家も、踊りながら作ってるから、ダンス・ミュージックって。基本的に、ブースで「いいねぇ!」ってやってるから。だから、あれを聴いて踊らないっていうのは、相当なことだと思うんですよね(笑)。ジャーナリストも踊らないし。本に書いてあるけど、吉田美和(ドリームズ・カム・トゥルー)さんは踊ってましたけど。


--- そうみたいですね。吉田美和さんだけは、こう、首を振ってって。


菊地  うん。もう我慢できなかったんですよ(笑)。田中(ファンタスティック・プラスティック・マシーン)さんのDJでね。世界水準のハウスじゃないですか、そこで、吉田さんだけ激しく踊ってて(笑)、すごいなって。感動したなっていう。


--- その他観覧されている方々も、戸川純さん、ともさかりえさん、奥菜恵さん、嶽本野ばらさん・・・「凄まじい物」だったようで。


菊地  それは、「ケイタ・マルヤマ・トーキョー・パリス」だったから、まぁ、業界御用達みたいな感じでね、いっぱいいたんですよ。


--- 菊地さんは、そうした状況で踊りたくはなりませんか?


菊地  いや、そうでもないですね。ボクは、踊る時間は死ぬほど踊ってるんで(笑)、それはそれで事足りてるから、ファッション・ショーの時は黙ってるっていうのが適合っていうかね。


--- 女性にとって例えば、すごく高いハイヒールを履いたりだとか、冬でもノースリーヴの薄手のものを着たりだとかということが、ハイ・モードであるとすれば、それもやはり、「我慢」、「抑圧」、「自己犠牲」の中から生まれるエレガンスと言えるのでしょうか?


菊地  これは、ボクが見たんじゃなくて、人から聞いた話になっちゃうんですけど、IKKOさんが「ファッションっていうのは、寒さとの戦いなんだ」と(笑)。結局、「冷えとの戦いでしかないんだ」っていうね(笑)。まぁ、そうだと思いますけど。だから、逆に「暑さとの戦い」でもあって。「我慢との戦い」だから、結局そういうのは。常に抑圧ですよね。だって、楽になっていくんだったら、半ズボン、スウェットになっていくわけだから(笑)。ファッションっていうのは、全部我慢ですよ。抑圧状態にいるから、エレガントなんだっていうね。


--- ピアスを開ける時などでも、痛みを伴いますもんね。


菊地  そうした痛みもあるし、我慢もある。痛みは一瞬だけどね。我慢はずーっと続くわけだからさ。居心地悪りぃとか。


   指輪しないで演奏した方が、はるかに演奏しやすいんだけど、ギプスはめてるのと同じだから。ビーバッパーが、あの時ギラギラしていたのは、一種のドぎつい表現というか。やると分かるけど、こういう指輪を外したら、もう軽々、ぴろぴろ動くんだけど(笑)、乗せたら大変な重量だから。裸で演奏するのが一番楽ですからね(笑)。



菊地成孔


 

ダンス・ミュージックが流れてるのに
踊らないっていうのは、
ご馳走が出てきたのに
食べないってことだから、
ものすごいゴージャスで、リュクス・・・




--- そうしたエレガンスとは相対的なところにある、セレブリティや華奢に重きを置く「東京ガールズ・コレクション」でかかる音楽も、ハウスだったりしますよね。


菊地  そう、同じなんですよ。東京ガールズ・コレクションは踊るんだけどね。要するに、YVES SAINT LAURENTでも、109でも、同じダフト・パンクが流れたりするんですよね(笑)。YVES SAINT LAURENTでは絶対踊らないですよね。しゃなりしゃなりと。で、マルキューのブランドが・・・名前は分からないけど、東京ガールズ・コレクションに出ると、エビちゃんとかが、もうガンガンに踊りながら出てくるわけで。客も踊ってるから。全員踊ってるんですよね(笑)。エレガントではないですよね。ダンスがエレガントじゃないって言ってるわけじゃなくて、踊っちゃってるって段階で、ハイ・モードの側面から較べるとエレガントじゃないんで。でも、セレブだから・・・エレガントなきセレブ。リュクスっていうことじゃない?子供セレブ、子供リュクスですよね。それは、良い悪いじゃなくて、そういうものとして成立しちゃってるっていう。


--- 『服は何故〜』では、小西康陽さんの発言として「ハウス・ミュージックをファッション・ショーに使うのは、単にゴージャス感、セレブ感が欲しいだけで、それ以外は理由も意味もない。」ということが記されており、一方で、菊地さんは「日常的には見えない音楽とフットワーク。ミクロの時差のうねりが、モード界が構造的に持っている大きな時差に直結しているのではないか」と発言されており、両氏の視点が全く異なる点が興味深かったのですが。


菊地  そうですね・・・視点が違うというか、深く考えてるか考えてないかだけだと思うんですけどね。まぁ、誰でもぱっと考えるのは、ハウスは、貧乏くさくないですからね。ハウスは、リュクスな音楽だから。それが、ファッション・ショーはリュクスだから、かかるだろうって言っちゃえば、もうそれで終わりだし、間違ってないんだけど。ハウスがかかってるのに、あえて踊らないっていうのが、倍エレガントなんだ(笑)っていうところまで考えてるかどうかだけだと思いますけどね。


--- テクノだと、また違うのでしょうか?同じ四つ打ちベースのクラブ・ミュージックとして。


菊地  テクノもそんなにかからないですよね。もっとミニマリズムみたいなものを硬質に表現しているブランドが、ゴリゴリにエレクトロなテクノをかける時があって、それはそれでひとつの表現っていうかね。服は真っ黒で、モノトーンで無機的でっていうものは、テクノの音楽と合ってますよね。だけど、大体、洋服って、そういう服か、あとはゴージャスな服かしかないんで。パリコレで、あんまりドレス・ダウンしたものを見せるっていうのはないから、結局、ハウスみたいなものに落ち着くっていう。


--- ハウス・ミュージックは、まさにファッションのために生まれた音楽と、決め定めしてもおかしくないのでしょうね。


菊地  まぁ、知ってると思うけど、ハウスは、ゲイが作ったんで・・・ゲイが、ゲイ・カルチャーのために、ディスコから独立してハウスを作ったんで。ゲイっていったら、もう服飾のね。ゲイは清潔でオシャレですから、パリコレとくっ付いてもおかしくないですよね。ていうか、パリコレ、ゲイだらけだけどね(笑)。ハウスは、厳密に言うと、ゲイの黒人ですけど。初期のパラダイス・ガラージとか、あの手の感じのね。


   踊っちゃうのは、出された飯食ってるのと同じで、あんまりリュクスじゃないですよね。ご馳走がきたから、ワァーッて食ってるのと同じなんで、いい曲かかったら、ワァーッて踊ってるわけでしょ。だから、ダンス・ミュージックが流れてるのに踊らないっていうのは、ご馳走が出てきたのに食べないってことだから、ものすごいゴージャスというか、ものすごいリュクス・・・お姫様みたいな行為ですよね(笑)。その、さらに上にゴージャスがかけてあるってことが、同じ音楽使っても、東京コレクション見て踊っちゃうと、全然バクバク食ってるわけで(笑)。連中は元気だなっていう(笑)・・・っていうのが浮き彫りになりますよね。踊るか踊らないかで、えらい違いなんだってことですけどね。


--- レゲエもかからないですよね?


菊地  レゲエも聴いたことないね。でも、メッセージ性も含めて、VIVIAN WESTWOODが、ボブ・マーリーを一瞬かけるとか、ジミ・ヘンをかけるとか、あの人はお婆さんで、ロック古典みたいなの好きだから、そういうことはありますけど。


--- サプライズ的な意味合いも含めてと。


菊地  そうそう。もうメッセージですよね。一般的に様式のベーシックとして、レゲエがかかり続ける状態っていうのは、全くないですよね。ダブもおっかないから、あんまりないんですよね(笑)。リー・ペリーがかかることもないし。でも、テクノは、ヨーロッパのドイツ系のデザインなんかでさ、結構、無機的なコレクションをやる時の必須アイテムなんですよ。だから、レゲエよりはテクノの方がかかりますよね。


   ハウスとテクノだね。ヒップホップもかからない。ジャズも勿論、今全然かからないですから。


--- クラブ・ジャズも全く?


菊地  クラブ・ジャズも全然かからない。ラテン絡みのものはかかるけど。でも、その感じは、クラブ・ジャズっていうよりは、もうラテン・ハウスだから。あと、ジャジー・ヒップホップみたいのなものも全然かからない。かえって東京の方がかかりますよ。東京は、ジャジー・ヒップホップみたいのなものかけたりするし。インストも含めて。パリ、ミラノじゃ、お目にかかったことがないですね。









In Tokyo

 
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『In Tokyo』
 «New«


20008年7月の渋谷DUOと、9月の赤坂BLITZのライブから選りすぐりのテイクを収録。菊地成孔、類家心平の火の出るようなアドリブ・ソロの応酬や、ますます冴えわたるパードン木村によるライブ・エフェクト。坪口昌恭、鈴木正人、本田珠也からなるリズム・セクションの強烈なドライブ感など、ライブならではの臨場感を完全パッケージ。スタジオ収録+事後編集というコンピューター内で、クール且つ精緻に制作されたオリジナル盤2作品(『Revolution Will Not Be Computerized』、『Dub Orbits』)を見事に再現した衝撃のライブ・アルバム。



 




記憶喪失学
4 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 『記憶喪失学』


何名かのメンバー・チェンジを終え、第二期ペペ・トルメント・アスカラールの音楽は、新しいサウンドを響かせ始めた。これまでのジャズ〜ラテン的なラウンジ感は残しつつ、さらに映画音楽、ブラジリアン・ミュージックの隠れた名曲を取り上げるなど、ペペから聴こえてくる音楽は、ポピュラー・ミュージックのあらゆる領域に拡がりをみせる。本作のために委嘱された菊地本人の作品(M-9)、中島ノブユキ(“エテ・パルマアンサンブル”を主催)の作品(M-8)、両者の共作(M-6)では、このアンサンブルが持つ底知れない可能性が楽しめるだろう。ポピュラー・ミュージックという音楽ジャンルが、映画、BGMなどに溜め込んできた名曲を、菊地はこのアンサンブルで、現代音楽を披露するかのように、慎重に取り上げ、古典/ロマン派を取り上げるように意匠を凝らした解釈を施す。



 




Dub Orbits

 
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『Dub Orbits』


菊地成孔が初めて挑んだ、2管ハード・バップ+ダブ・エンジニアという編成のグループ=Dub Sextet。60年代マイルス第二期クインテット・サウンドを踏襲し大きな話題を呼んだ、1stアルバム『The Revolution Will Not Be Computerized』に続く、2ndアルバム。ウェイン・ショーターによる名曲「Orbits」のカヴァーをはじめ、よりファンキーでアッパーな楽曲が並ぶ。ダブ・マスター、パードン木村・主動によるブレイクビーツ・チューンもグループ新境地。アートワークには、美術家、グラフィックデザイナー、映像作家、VJ、文筆家等多彩な才能を持つ宇川直宏氏を迎えた大注目の1枚。



 




Revolution Will Not Be Computerized
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『The Revolution Will Not Be Computerized』


自身に、新人トランペッター、類家心平を起用した2管に加え、リズムセクションを、クインテット・ライヴ・ダブからのメンバーである坪口昌恭(p)を中心に鈴木正人(b)、本田珠也(ds)で固めた、菊地成孔の新プロジェクト=Dub Sextet。『ESP』、『Miles Smiles』、『Sorceres』、『Nefertiti』というマイルス第二期クインテットのスタジオ4部作を母体としたサウンドにダブの抽象性を垂らし込んだ、アブストラクト且つスタイリッシュで、クールな緊張感も漂う快作。



 




M / D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究

4 『M / D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究』


『東京大学のアルバート・アイラー』でジャズ史を根底から覆した最強タッグ、菊地成孔×大谷能生・両氏のライフワークとも言える、帝王マイルス・デイヴィス論。2004年4月から通算3期に及んだ、東京大学教養学部における講義を書籍化。「モード・ジャズという概念が、服飾や流行現象としてのモードと同じであり、マイルスがそれを端的に体現している」という眼目において、マイルスの全貌を浮き彫りにする、大部800ページのガチンコ帝王論。講義録本編に加え、高村是州氏との鼎談、ケイ赤城氏へのインタビューなど圧倒の内容。







服は何故音楽を必要とするのか?

4 『服は何故音楽を必要とするのか?』


「ウォーキング・ミュージックという存在しないジャンルに召還された音楽達についての考察」。雑誌『Fashion News』の人気連載が、初のパリ・コレクション取材や、ショー音楽監督との対談を加えて書籍化。Kanye Westといったセレブリティ・ヒップホップ・アイコンを引き合いに出しながら、「ウォーキング・ミュージック」という名のもと、メゾン・ショーと音楽の融合乖離に、氏独自の鋭い考察力をすべりこませた注目著作。







サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍

4 『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』


「僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった」。「スペインの宇宙食」、「歌舞伎町のフットボール」に続く第3弾エッセイ集。自ら「聖域」と語る格闘技をテーマに据えた入魂の1冊。5年間の「凍結」を解き、自らの聖域と遂に対峙。「闘う人/闘ってみせる人」という存在に対する信仰の告白。2005年に発刊された著作の待望の文庫化。









ペペ トルメント アスカラール
4 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 『野生の思考』

 『南米のエリザベス・テイラー』のステージ・アクト用に結成された、バンドネオン、ハープ、弦楽四重楽団にツイン・パーカッションという12人編成のストレンジ・オーケストラ「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」。コンサートのレパートリーを中心に、エキゾチックかつ、過剰にロマンティークな世界感を表現。




Cure Jazz
4 UA × 菊地成孔 『Cure Jazz』

 UA『Sun』に、菊地成孔はSax奏者/ホーン・アレンジとして参加。UAは、菊地成孔『Degustation A Jazz』にヴォーカルで参加。2年の歳月を経てリリースされた2人によるコラボ・アルバム。誰もが知るスタンダード楽曲に加え、両者のケミストリーにより生み出されたオリジナル楽曲をもって、新たなジャズの世界が展開されている。




南米のエリザベス・テーラー
4 菊地成孔 『南米のエリザベス・テーラー』

 危険なまでの官能作品。菊地成孔が、アルゼンチンはブエノスアイレスの土を踏み、抗う事もできずに叩き込まれたであろう、様々な別世界の混沌を「官能」として捉え、氏の言語で放出した魅惑の逸品。カヒミ・カリィ、内田也哉子らをゲストに配し、妄想のタンゴ、ラテン・ジャズ、ポスト・モダンを濃密に搾り出す。

  



Degustation A Jazz Authentique / Bleue
4 菊地成孔 『Degustation A Jazz Authentique / Bleue』

 2004年に発表された、菊地成孔・初のジャズ・リーダー・アルバム『Degustation A Jazz』。本盤は、元々の41曲を30曲にダウンサイジングし、曲間にブランクを多めに設け、さらに曲順を入れ替えたディレクターズ・カット完全版。クインテット・ライブ・ダブによる最新実況録音 (intoxicate vol.11) 部分を追加収録。

 



Franz Kafka's America
4 Date Course Pentagon Royal Garden
    『Franz Kafka's America』


 2007年その8年間の活動に終止符。惜しくもラスト・アルバムとなってしまった、菊地成孔率いるDate Course Pentagon Royal Gardenの3rdアルバム。ジャズ、ファンク、ソウル、アフロ、現代音楽などを融合させた、マッシヴでカオティックな複合ビート。ハードコアでフロア・フィラーな「ダンス初期衝動空間」は唯一無二。




Musical From Chaos 3
4 Date Course Pentagon Royal Garden
    『Musical From Chaos 3 "HOA-KY"』


 クラブ・シーンはもとより、日本の音楽史に輝かしい名前を残したであろうユニット=DCPRGへのレクイエム。DCPRG勃興期から活動を共にする鬼才・映画監督、夏目元による、菊地成孔の内面からDCPRG現象を再構築する迫真の映像作品。もう生で体感することが出来ないであろう新曲を中心に、ライブ映像もたっぷりセレクト。