「ヴァントとミュンヘン・フィルA」
2008年2月29日 (金)
連載 許光俊の言いたい放題 第138回
「ヴァントとミュンヘン・フィルA」
前回は第6番について記した。
第9番はなぜか第6番とは対照的に、局部強調型の録音ではない。逆にホールの残響がかなり入っている。それゆえ、細部をほじくるようなオタク的聴き方には向かないが、演奏全体にみなぎる緊張感、力感といったものははるかによく伝わる。始まってすぐ、最初のフォルティッシモの凄絶なこと。そのあと甘美な主題が登場し、至純の音楽がとうとうと流れてくる。こういう音楽の起伏は、細部強調型録音では破壊されてしまうのだ。
楽器のすばらしいバランスもよくわかる。オーケストラ全体で作り上げられる響きの透明感と重たさもよくわかる。たとえば第3楽章15分過ぎからずっと続いていく楽器の移りゆきの美しさ。こういうのは細部強調型録音では絶対にわからない。なぜ同じホール、同じオケでこれほど録音に違いが出たのか、まったく訳がわからないが、結果的には、第9番がこういった音質で残されたのは非常に喜ばしい。
同じく第3楽章18分過ぎからの息の長いクレッシェンド。この1分を超える長いクレッシェンドはやがて凶暴な音塊へとたどりつく。放送録音ゆえ、物理的なダイナミックレンジはそれほど広くない。だが、全体の印象を捉えているために、ここの緊張と爆発が手に取るように伝わってくる。もちろんクライマックスのすさまじさも。ヴァントならではの強音だ。
もちろん第3楽章全体がたいへんな聴きものだ。天上的なやさしい美しさ、それと対照的なすべてをなぎ倒すような暴力的な咆哮。激しい嵐のあとの明るさのようなコーダも感銘深い。レガートで弾き続ける超美しい弦楽器、そこにかぶさってくる柔らかい抱擁のような明るいホルンの響き。フルートのしみじみした歌い方。これこそが音楽というものである。
これを聴けば、なぜ私がヴァントとベルリン・フィルのブルックナー演奏を、第5番と4番を除いてはけなし続けたのか、誰にでも納得がいくはずだ。とにかくここでのミュンヘン・フィルほどオーケストラがブルックナーを演奏できる喜びを露わにしている例も少ないだろう。楽員はブルックナーが弾けて嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。ブルックナーが大好きでたまらないのだ。それに対し、ベルリンの場合、ただ物理的な音が鳴っているだけなのだ。ただのピアニッシモ、ただのレガート、ただの旋律、そんなのがつながっているだけだ。もしベルリン・フィルが凡庸で無能なオーケストラなら私はそれほど文句を言わない。だが、超一級の楽団であり、ヴァントとともにブルックナーの第5番というものすごい演奏をやってのけている。そんな連中があまりにも鈍感で無感動な演奏をし続けたことに対して私は憤りを感じたのである。しかし、ここでのミュンヘン・フィルは違う。まさに曲にのめり込み、一体化し、曲を生きている。楽員が夢中になって演奏しながら音楽に感動している様子がひしひしと伝わってくる。
全体に実にいいテンポで運ばれる。ヴァントらしく基本的にはやや速めのすっきりした進行で、ネチネチ粘ったりはしないけれど、そっけなさやドライすぎる感じはしない。ヴァントっぽいリズムの刻みが生きている。重量感を保ちつつ、鈍重でなく、緊張感も途切れない。音楽は快調にどんどん進んでいくが、どの部分も密度が高いので、物足りなさやあっけなさがない。
北ドイツ放送響の演奏は確かに立派だが、まじめすぎて息が詰まるという人には、南ドイツのオーケストラならではの耽美的で快楽的な表情、色気、甘美な味わいは好ましく感じられるはずだ。印象的なことをひとつ記すなら、全体にディミヌエンドが異常に美しい。単に音量が減少するのではない。なんともいえない、詩的と言ってよいような余韻を伴っているのだ。
話が前後したが、当然第1楽章もすばらしいが、細かに指摘すると切りがない。最近流行のような変な小細工などまったくない。差異のための差異、そんなものは必要ないのだ。音楽は当たり前のようにひたすら堂々としており、威厳があり、品格があり、流麗であるわざとそっけなくするようなところはまったくない。媚びもない。ひたすら麗しくも感動的な音楽が次々に生まれては消えていく。ヴァントの演奏としては他のオーケストラといっしょのときのほうが徹底しているのではないかとか、ミュンヘン・フィルの演奏にはチェリビダッケの影響が残っているのではないかとか、いろいろ言うことはできるだろう。だが、それは私にとってはどうでもよいことだ。
この曲にはいろいろ魅力的な録音がある。が、もしどれか1枚だけ買いたいという人がいたら、私は間違いなくこれを薦めるだろう。やはりヴァントはすごかった。そして、ミュンヘン・フィルもすばらしい音楽をした。改めてこの両者に深い敬意を捧げたい。
ところで、第6番の日はヴァントお得意のハイドン交響曲第76番が最初に演奏された。これがまた超絶品だった。こちらはCD化されないのだろうか。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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