チェリの『シェエラザード』みたいなデュファイ?
2008年2月1日 (金)
連載 許光俊の言いたい放題 第133回「チェリの『シェエラザード』みたいなデュファイ???」
私はバロック以前の音楽には取り立てて興味を持っていない。大学時代に皆川達夫氏の授業でいろいろルネサンス音楽を聴かされたが、正直言って、氏の話はおもしろかったけれど、肝心の音楽のほうは・・・という感じだった。
しかし、ごく最近、あるCDを聴いて、いたく気に入ったのである。「デュファイ・ラメント」というアルバムだ。シャンソン、つまり宗教的な内容ではなく、世俗的な恋の歌を集めている。ギョーム・デュファイは15世紀の作曲家で、ルネサンス音楽の大物。ちょうど私が学生の頃だったか、大きなLPセット物が出て、評判がよかった。もっとも、当時私はそれを聴いても、何だか茫洋とした、取っつきにくい印象しか覚えなかった。
ところが、このアルバムは違う。今までルネサンス音楽に対して抱いていた、「まあきれいと言えばきれいだが、最終的には退屈してしまう」というイメージが嘘みたいに、きわめて生き生きしているのだ。まるで、15世紀の人間が現代に蘇ったようなのだ。
それは第一にソプラノの力による。なまめかしい音の動き、切なそうな表情、ささやくような弱音、あえて崩される音程の揺れ、あえぐようなこぶし・・・。そうした歌い方によって、ひとつひとつの曲が非常に生々しい情感を帯びるのだ。私はその歌い方から、たとえば松田聖子とか現代の流行歌手たち、あるいは演歌を連想した。こうした歌唱や演奏が時代様式からして正しいのかどうか、古い音楽の専門家でない私には判断ができない。だが、ルネサンス音楽がこれほどまでに身近に感じられる演奏も他にないのではないか。あるいは、こうした演奏は俗と言って悪ければ、現代日本風の感覚に流れすぎてはいないかと少しばかり思ったりもする。だが、おそらくデュファイの曲も、生まれた当時にはこうした現実的感覚で歌われたであろう。
その歌に負けず劣らず、器楽の演奏もしっぽりと濡れたような趣があってとても美しい。第1曲の冒頭からして、強弱などニュアンスが多彩で、異常に美しく、夢見心地に誘われる。まるでチェリビダッケが指揮したリムスキー=コルサコフ「シェエラザード」のようなのだ。あのはかなくも過ぎ去った昔への追憶という感じ。音の響かせ方は、どこか砂漠に漂うイスラムの音楽すら思い出させる。この曲が最初に置かれているがゆえに、聴く者はスムーズにアルバムの世界に導き入れられるのだ。最後が、器楽曲だけの曲で閉じられるというアイディアもたいへんよい。余韻を噛みしめることができる。思い出せば、もう二十年以上前、名前が知られてきたころのウィリアム・クリスティがこんな感じで、はかなくも艶っぽく、余韻が長い音楽をやっていた。
深夜に極上の酒を飲みながら聴きたくなるアルバムである。 こうしたアルバムはそうそう見つけられるものではない。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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