浜崎あゆみ『Guilty』 Interview

2008年1月10日 (木)

Cawaii!2月号 Cawaii! Cover Girl浜崎あゆみ〜より引用 取材・文/釣谷高子

元旦恒例となったAYUのNEWアルバムが2008年も待望のリリース。その名も『GUILTY』。このタイトルに集約された意味を、どう解釈するかはもちろん聴き手次第。しかし、キレイごと抜きに自問自答し問いかけてくる『GUILTY』は、AYUがAYUであるゆえであり、原点回帰というよりもre birth(再生)、そんな言葉がよく似合う。

自分でもね、いいアルバムだと思った。いいにもいろんな意味があるけど、いろんな意味を含めてね。『MY STORY』『(miss)understood』『Secret』の時もそれぞれ自画自賛大会だったんだけど、それともまた違う達成感というか、どこか『Duty』や『LOVE ppears』の頃のような気持ちになったところがあって、そういう意味でも『私よくつくれたなぁ』って思ったし、『つくれて良かったな』って思ったんだ。ここ数年はアルバムは創り終わったとき単純に『今年もみんなに届けられるいいのもが出来た』っていう感じで毎年締めくくれてたんだけど、今年はそういう安心感じゃなく、今も非常にまだ痛いというか・・・。そういう意味でも「よく出来たな」って。『Secret』までは、日々手応えを感じながら自信をつけながらつくっていけた感があったり、製作の過程で「このアルバムはこういうことのためにつくるんだな」とか「この曲はあの時のこういう傷が癒えないからつくったんだ」っていうような、いろんな気づきがあったんだけど、今回は最後までわからなくて、ずっと確かなものがないまま一気につくり終えた感じなんだよね。それなのに、いつものように曲を並べてみたらちゃんとストーリー仕立てになってて自分でも驚いた。なんだこれ?って(笑)。それでもいつもの作り終わった気持ちとは違うんだよね。『Duty』の頃のように、作り終わってもドキドキしてるというか、「こんなに正直に毒づいてしまって、よかったんだろうか?」「こんなに正直に泣いたり怒ったりしてよかったのか?」って。当時もつくってる最中はイケイケだから何も気にしてないんだけど、後になって急に弱気になったりして(笑)。そんなドキドキに近いものを実は今も感じてるんだよね。

たしかに、『MY STORY』から『Secret』あたりの、AYUの生き様を感じての感化や共感とはどこか違う。今回の『GUILTY』では、共感というよりも共鳴。自分自身の中にもある葛藤や迷い、自分でも気づかなかった心の叫びが覚醒され、抑えの効かない衝動が沸きあがってくるようなあの感覚。それはまさしく『Duty』の頃の「何か」だ。

それはあると思う。ちゃんと手応えを感じながら作っていた「自信作です」と言えていたここ数年のアルバムもそれはそれですばらしいんだけど、それっていうのは、どちらかというと、自信が作品から見え隠れしてたと思うのね。自信があればあるほど強いものになっていくし、強くなっていくとどうしても浜崎あゆみっていうものがチラついて、自分と置き換えるというより、浜崎あゆみとして生きる私を作品から見出してる人が多かったのかなって。でも、今回の『GUILTY』や『Duty』『LOVEppears』たちは、浜崎あゆみとしての生き様というよりは全部自分に置き換えられるような気がする。それって、今の私の不安感だったりっていうものからくると思うんだけど、きっと全部シェアできる状態にあるアルバムなんだと思う。

AYUの口から久しく聞いたことがなかった「不安感」という言葉にちょっと驚いた。

もちろん、みんなに聴いて欲しいんだけど、聴いて欲しくないような、そんな感じなんだよね。「聴いてもらったら絶対にわかってもらえるはず、そこの期待は裏切らないよ」っていうとこへの自信はある。でも、全体的にすごくダークだし、ヘンに「勇気と希望を持って生きていきましょう」みたいなことは一切言ってないから、そういうことへの不安かもね。「立場的に言ったほうがよくない?」みたいな。次々とスコンスコンと落としていくような感じだからそれをちょっと気にしてて。「ポジティブ全開じゃないけどいいっすか?」って(笑)。しかも、もうひとついつもと違うのは、この曲はこうで・・・っていうそれぞれの楽曲に対しての説明が難しいところかな。その1曲だけでは伝わらないような、全部の流れで聴いてもらいたい、そんなアルバムなんだよね」

AYU自身も感じている「明らかな違い」。そこには突き動かされるような何かがあったという。2008年で10周年を迎える浜崎あゆみにとって、その1年の始まりとなる『GUILTY』とはどういうものなのだろうか。

奇跡だね。つくり始めたときはヤバイくらい何も浮かばなかったっていうのもあるし、正直いうと、2007年は新しいアルバムをつくる気があまりなくて、生まれてこないものを無理やり創造してつくってもそれってどうなんだろう?私のためにもならないし、聴く人も嬉しくないだろうと思ってそこはムリしなかったのね、実は。なんだけど、なぜかある日突然、曲を書き出して、それは書きたいというよりも書かなきゃいけない、「わたしやっぱ歌わなきゃ、創らなきゃ」っていう出来事があったりして、その時に一気に5曲くらい出来た。これはアルバムを出せっていうサインだなって思ったの。でも、製作途中でまた「やっぱりムリかも」って立ち止まってしまったんだよね。私って本来、途中で諦めることをしないタイプなのに、「まぁそんなこともあるさ」って一瞬、本気で開き直って「ムリな私を受け入れよう」って、スタッフたちに白旗を揚げたの。でも、思い切って揚げてみたものの、そんな自分が気持ち悪くて、「ダメだやり遂げなきゃ」って翌日に撤回(笑)。そっからは強かった。ありえないスケジュールでやり遂げたから。それとね、白旗をあげることが自分にとってどれだけ気持ち悪いことかもよく思い知った。そして思ったんだ「絶対に負けねぇ」ってね。

GUILTY=有罪。その意味については、
「自分に対してそうつけたタイトルなんだけど、それは、今までの自分を含めた今の自分だったり、自分の生き方だったりって言うことに対してね」と短く言葉を切った。
しかし、果たして「無罪」な人間なんて存在するのだろうか?そんな気はなくとも、誰かを傷つけてしまったり、ウソで繕ってしまったり、ちょっとした罪つくりなことのひとつふたつは誰だって身に覚えがあるはず・・・。


そう感じながらも、生きていかなきゃいけないっていうことは、つくってるときも歌ってるときも常に思ってた。みんな罪の意識があろうがなかろうが、嬉しかろうが悲しかろうが、やっぱり私達は今生きてるわけで生き続けなきゃいけないっていうのはあったかな。

『Secret』は聴く人によって、何曲目から聴きだしても無限にループする映画のような作品だったけど、『GUILTY』は1曲目からラストまで完璧な3幕の物語のようで、どの楽曲が抜けても成立しない感じすらある。そして、その先に感じる「それでも・・・」という、真っ白な空白の余韻-――。
それは「生きていくんだ」というAYUが託した「想い」かもしれない。


めずらしいことといったら、あらためて『GUILTY』を聴いた時に泣いてしまったことかな。そもそも私って自分の曲を聴かない人だし、いつもはつくり終わるとかなり冷静になって客観視できたり、あるいは「この時の歌入れは大変だったなぁ」みたいな思い出に走るかのどっちかなんだけど、今回はそのどちらでもなく、すごい泣いちゃったんだよね。しかもどうにも止まらなくなって、真剣に最後まで聴けずに途中で違うことしだしたから(笑)。でもね、また聴くことがあったら、きっと「生きるって素晴らしい!」って思えるような気がするんだ。必ずね。