-今回の来日において、Idea 6のステージを通じて、日本のジャズ・ファンに伝えたいイタリアのジャズの真髄とは何でしょうか?
Paolo Scotti(以下P):「大きく分けて2つあると言えるかな。1つは、メロディのラインが分かりやすいということ。もう1つは、ジャズの中でもイタリアン・ジャズは、特に聴きやすく、入りやすいものだということ。Idea 6などのアルバムを聴けば、リスナーの皆さんはこの辺のところをすぐに感じることができるはずだよ。」
-現在のイタリアの若いジャズ・リスナー達も自国(イタリア)のこうした素晴らしい伝統的な音に触れる機会は多いのでしょうか?
P:「普段の生活では、そういったイタリアの伝統的なジャズが耳に入ってくるという機会はあまりないな。TVでもラジオでもそんなにかかることはないし...ミラノの方に唯一、素晴らしいイタリアン・ジャズを流しているラジオ放送局があるんだけど...それでもやっぱり、普通の生活にはほとんど浸透していないのが現状だよ。ただ、夏にはジャズのコンサートやフェスティバルが多く開催されているので、もし本当にイタリアのジャズを知りたければ、そこに足を運ぶのベストと言えるかもしれないね。」
-クラブでジャズを聴くといった習慣はほとんどないということなんですか?
P:「イタリアン・ジャズに限って言えば、現時点のクラブでかかるということはまずないよ。ジャズのクラブ自体があまりないんだ。皆ジャズのクラブに対してあまり興味がない感じだね。もしかすると今の複雑な政治状況が影響しているせいかもしれないんだけど。」
-では、ジャズ・ハウスの類のようなものは?
P:「そうだね。クラブで流れることもあるよ。けど、そういった分野にいたっては分け目があると思う。コマーシャル・ミュージックでもそうだけど。イタリアには今でも沢山のクラブがあるけれども、私の中で一番良かった時期は、10年前だね。その頃のクラブはとても面白かった。アシッドジャズの波が過ぎた後、Nicola Conteなんかが出てきてね。それと、80年代にイタリアのDJが、クラブで初めてブラジリアン・ミュージックを流し始めたんだ。Claudio Rispoli(aka Moz-art)、Daniele Baldelli、Beppe Lodaなんかが初めてブラジリアン・ミュージックとジャズ・ミュージックを一緒にかけたDJになるだろうね。昔、あるクラブで、Claudio Rispoli(aka Moz-art)の音でChick Coreaが踊っていたことがあるよ(笑)。」
P:「正確には、初めてブラジリアン・ミュージックがかかったのは1979年。大体1985年頃までかかっていたね。そして、プログレッションの時代が来て、エレクトロニック・ミュージックへと変わっていった。
アフリカン・ミュージック、エレク
  トロ・ミュージック、ブラジリアン・ミュージックがミックスしたような感じもあるね。ちなみに、私達は恐らく世界で初めてアシッドジャズをかけていたDJだろうね。実際に流行ったのは10年後だったけど・・・。」
Gerardo Frisina(以下G):「70年代後半から80年代前半にかけて、クラブにおいて音楽の革命があったと思うんだ。音楽の革命というのは、コマーシャルなミュージックに対しての意味でね。アシッドジャズ現象が起きていたけど、その遥か10年前にイタリアのDJがすでに同じようなことを試みていた。Airto Moreira、Flora Purimから、インディアン・ミュージックまで様々なものがかかっていたよ。10万人規模のとてもでかいパーティーで、ここから色々なことが始まったと言えるよ。また、1979〜82年頃には、Fela Kutiをかけていたしね。アフリカン・ミュージックを初めてかけたのも私達だ。Fela Kuti、King Sunny Adeは、私達がかけ始めたその10年後に流行ったんだよ。もう1つ言えば、その頃私達は、全く異なるBPMの曲を繋いでいた。たとえば45と35とか。当時はまだ誰もやってなかったんだよね。」
-イタリアのジャズは、アメリカからのハード・バップやモード・ジャズの影響を受けながらも、他国にはないエモーショナルでものすごく豊かな感性に溢れているものだと思うのですが。
P:「確かにイタリアン・ジャズは、アメリカのジャズの影響を多少なりとも受けているかもね。その昔、Oscar Valdambriniが、アメリカ人の作曲家に編曲を頼んだことで、アメリカ風なアレンジに仕上がり、その曲から影響を受けた人もいると思う。しかし演奏の仕方や、人への伝え方、といった部分は異なるので、アメリカのジャズに似てるようで似ていないと言えるかな。また、メロディーの構成に関しても、イタリアン・ジャズの方が、よりフランクに感じる。たまに、イタリアン・ジャズの雰囲気を強く出そうとしている曲や、アメリカのジャズに似せようとする曲などがあるけれども、よく聴けば、どれがイタリアン・ジャズか一発で分かるよ。」
-イタリアン・ジャズ「黄金期」と、現在のクラブ・ジャズ・シーン。この2つに共通する点があるとしたら、それは何だと思いますか?
P:「とにかく今も昔も変わらないのは、演奏者が、ジャズを演奏する情熱を持ち続けているということ。そして、若いタレントが次々に出てくる状況であるということ。つまり、今の若い人達が、60年代〜70年代に活躍した人達の影響を大いに受け、さらに、その頃の時代の人達もまた、先代が築いたものに影響を受けているという繋がりがあるという部分じゃないかな。」
-Idea 6『Remix』についてお伺いします。彼らの音源を使ってリミックス・アルバムを制作するという考えは当初からお持ちだったのですか?
P:「最初からあったというわけではないよ。Nicola Conteのリミックスを手掛けた後に、使えるヴォーカルやトラックがいくつか残っていたので、そのタイミングで初めて制作を考えたんだ。」
-Gerardoは、過去に様々なクラシック音源をリミックス、リワークしていますが、今回Idea 6の音源を扱う際、最も注意を払った部分はどこでしょう?
G:「オリジナルに敬意を払うという意味も込めて、エフェクトをなるべく原曲と同じような感じに処理したところかな。エレクトロ・ミュージックやテクノのような激しい変化を避けて、極力、オリジナルの雰囲気に近づけようとしたよ。で、「ジャズ」か「クラブ・ジャズ」のどちらかに偏ったものではなく、中立的な音を作ろうという意識があったんだ。」
-リミックスを終えた楽曲を、Ganni Basso(ジャンニ・バッソ)やDino Piana(ディノ・ピアナ)らメンバーに最初に聴かせた時、彼らはどのような感想をのべていましたか?
P:「残念ながら時間がなくて、まだ全員には聴いてもらってはいないんだけど、ジャンニとディノには聴かせていて、「とてもいいね」と気に入ってくれたんだ。」
-彼らは、クラブ・ジャズやその他のクラブ・カルチャーにも比較的関心や理解があるのでしょうか?
P:「メンバー全員が、クラブ・ミュージックに詳しいというわけではないよ。ただ、ジャンニが言うには、「ジャズはあくまでジャズ」であり、クラブ・ジャズとは全く別なものとして捉えているようだね。」
-Gerardoにお伺いします。「Windly Coast」では、原曲はとてもスインギーなジャズでしたが、ブラジル音楽やラテン・ミュージックの要素が多く詰まった素晴らしいリミックスに仕上げています。どのようなところからインスピレーションを持ち込んだのでしょうか?
G:「音楽的に言えば、純粋なブラジリアン・ミュージックからのインスピレーション。オリジナルを聴いた時に、曲のニュアンスがブラジリアン・ミュージックか、ラテン向きだとすぐ思ったんだ。」
-Schemaからのアルバム『Ad Lib』をリリースした2001年当時と比べ、ジャズ・シーンはどのように変化してきていると思いますか?
G:「音楽の流行自体は、ごくパーソナルな部分でも移り変わってゆくことはあるけど・・・。私はほんの一部しか好きではないけれど、(イタリアの)若い人達の間で流行っているのはミニマルなテクノであり、今のイタリアのジャズ・シーンに限れば、ある意味危機的な状況にあると言えるかもしれない。それは、ジャズを演奏する若い人達の多くが、古いスタイルをただ真似ているだけということにも起因しているんだ。」
P:「このことは、何のジャンルにでも、どこの土地にでも当てはまることだと思うよ。もしかしたら、日本でも同じ状況なのかもしれないよね(笑)。」
-須永辰緒さん、小林径さん、Quasimodeなど、日本のクラブ・ジャズ・クリエイター達と時間を共にする機会が多くありますよね?
P:「須永辰緒氏に関しては、彼の方からDMR(ダンス・ミュージック・レコード)の小川充氏を通してコンタクトを取ってきたんだ。彼のコンピレーションを聴いた時、音的なモノだけでなく、スタイルやコンパイル方法にも感銘を受けた。そこから親交が始まり、小林径氏を紹介してもらったんだ。Quasimodeは、また別の経緯で、彼らのアルバムを聴く機会があって、これも音やスタイルに大きな感銘を受けた。そこから、彼らのプロデューサーとメールでコンタクトを取るようになって、親交を深めていったんだ。」
-最後に、お二人の今後のスケジュールを教えて下さい。
P:「フランス、オーストラリアで近々Idea 6としてのライヴがあるよ。アルバムの方も来年の秋頃に出せれば、という感じかな。」
G:「私は、ニュー・アルバムの準備として、今から制作に入るよ。可能であれば来年末にはリリースしたいと思っている。」