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「原智恵子のすばらしさに驚いた」

2007年6月27日 (水)

連載 許光俊の言いたい放題 第115回

「原智恵子のすばらしさに驚いた」

 クラシックを聴く人は本好きが多いとかで、クラシック関係の本は次から次へと出版されている。ここ何年かは入門書が異常なまでに増えた。そんな中で、江森一夫編『クラシック音楽の楽しみ方完全ガイド』(池田書店)はまったく奇をてらわずに要点を記した高水準の入門書だ。値段は1500円と新書よりは高いけれど、写真や図がかなり入っているうえ、CDも2枚付いていて、コストパフォーマンスはきわめて高い。ちょっと教科書風かもしれないが、実のある本だ。

 最近、石川康子『原智恵子 伝説のピアニスト』(ベスト新書)を読んだら、これがかなりおもしろかった。5年以上も本棚に放り込んだままにしておいて、失敗したと思った。このピアニストの名前は知識として持っていたけれど、これほどまでに波瀾万丈の生涯を送った人とは知らなかったのだ。ところどころ筆者の思い入れ、思いこみが激しくて単純化されすぎている嫌いはあるけれど(技巧的な、狡猾な単純化ならいいのだが)、このピアニストの音楽を聴いてみようと思うには十分以上だ。特に、最後の章は思いがけない内容で衝撃的。重い余韻を残す。
 この本に刺激されて、さっそく「パリの原智恵子」、「カサド・アンコール・アルバム」というアルバム(どちらもコロムビア)を買ってきて聴いてみた。
 前者に入っているリュリ、ラモー、クープランの舞曲は、すばらしく優雅な絶品である。厳格、端正で気品が高いが、それでいて時に情熱が高まる。下品な演奏が盛り上がるよりも、このような端正な演奏が高まるほうが、禁断の、とでも言おうか、独特の味わいが出てくる。曲によっては踊っている人間の姿が見えるような生き生きした表情を持つ。
 シューマン「子供の情景」はノスタルジックな色で染め上げられている。最初からして情感豊かできわめて繊細な弾き方だが、特に非常に遅く始められる終曲が圧倒的だ。この悲しさ、深さ、静けさ、味の濃さには凍り付くような思いをさせられた。今更言うのもおかしな話だが、間違いなく自分の音楽、自分の感受性を持った演奏家だ。借り物ではない演奏家自身のパーソナリティがきわめて強い。結果論だが、このようなはかない悲哀に満ちた「子供の情景」を奏でてしまう人が、現世的な幸福に必ずしも恵まれないのは当然だという感じはする。そういう音楽なのである。ともかくこのCDは、私にとっては非常に嬉しい発見だった。「子供の情景」は他のどのピアニストの演奏よりも美しいとすら思う。
 前掲書によれば、日本の音楽界はある時期以後、これほどまでの演奏家に対してたいへん冷淡だったというが、スポーツみたいに何秒、何メートルといった客観的数字でものごとを判断できない芸術の場合、残念ながら、人気だの評価だのはきわめて曖昧で移ろいやすい。理解力に乏しいうえに下らない上昇意欲や支配欲いっぱいの音楽家や評論家、欲の皮が突っ張った業者が、犯罪的行為を繰り返している。いつまでたっても、身分不相応に得をする者、損をする者がいなくなることはあるまい。だが、すぐれた芸術を理解する者もまた、少数かもしれないが必ずいるのだ。「パリの原智恵子」のようなアルバムが、軽佻浮薄な流行を追いかけることのない、真価を見極められる人たちに愛聴されることを切に望みたい。
 ちなみに「カサド・アンコール・アルバム」の解説書には、原についてのまともな言及はなく、しかもここまでやるかというくらいピアノが極小バランスで録音されている。これではとてもじゃないがピアノの質の高さなど伝わらないし、二重奏とも呼べない。意図的なものかどうかわからないけれど、あるいは、当時の原の日本での立場がよく表れた録音なのかもしれない。「パリの原智恵子」にも同時期の二重奏が収録されている。そちらと比較してみれば、暗然とした気持ちにさせられるほかない。

   伊藤恵子『チャイコフスキー』(音楽之友社)は、発売以来、とにかく読みにくい日本語だと評判になった本である。確かに、噂に違わぬ悪文だ。執筆者のメモがそのまま本になったかのように、何の脈絡もない事実がどんどん並記されていく。不親切だ。筆者の頭の中には、読者のことなどほとんどないのだろう。立ち止まって考え込まないと意味がわからない文も散見される。それに、間違いとは言えないだろうが、「ヨハン・シュトラウス・ジュニア」などと書かれると、まるでできの悪い学生の答案を読んでいるような気にさせられてしまう。
 だが、情報量は多い。読みにくいような小さな字でビッシリと印刷されている。チャイコフスキーの日本語資料はとても限られているがゆえに、この作曲家を愛する者なら、必ずや持っているべき書物であることは間違いない。一通りチャイコフスキーについて知識が頭に入っていれば、得られるものは少なくないはずだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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