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「実はいいムーティ」(許光俊)

2006年1月31日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第72回

「実はいいムーティ」

 現代のクラシック音楽界の悲劇は、@初心者やまだ理解力が十分でない人にアピールする指揮者と、Aマニアやハイ・アマチュアから評価される指揮者が、完全に二分されてしまっていることだろう。
 たとえば、私の周囲の人たちは、アバド小澤ムーティメータといったところには、まったく興味を示さない。彼らが一流オーケストラと来日すると、一応は出かけてみるが、心から満足することはまずない。ハイティンクシャイーゲルギエフなども同様。比較的最近ではチェリビダッケヴァント、かつてならバーンスタインクーベリックカラヤンベームなどを聴いてきた耳にとっては、やはり物足りないのだ。
 どこがどう物足りないかはまた別の機会に譲るとして、それでもごく稀に、「あれは、意外とよかったね」ということがなくもない。今回はムーティのセットものについて述べよう。実はムーティは、空虚な指揮者が多い現代にあっては、玄人筋の評価がなかなか高い音楽家なのである。
 ただし、ハッキリ言って、彼の場合、生演奏も録音も玉石混淆だ。CDはあれやこれや大量にあるから、どれがいいかは聴いてみないとわからない。最近セットで安く売られている中では、まずウィーン・フィルとのシューベルト交響曲全集が聴く価値がある。
 最大の魅力は、ウィーン・フィルのよさが十分に出た、しかも音のよいシューベルト全集だということ。意外なようだが、比較的最近の録音で、ウィーン・フィルならではの美しさを堪能させてくれるシューベルトはあまりないのだ。ムーティは専制君主的なマッチョのイメージがあるが、意外にもこの全集では、たとえばショルティのようにウィーン・フィルの魅力を圧殺せず、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。もちろん、ムーティらしいイタリアっぽい面も強いが、その一方で、ウィーンのやわらかさや陰影や陶酔的な歌もたっぷり含まれているのである。
 それが一番わかりやすいのは「グレート」か。冒頭のまろやかで甘い響きや歌い方、第2楽章の弦楽器の音色の繊細な変化といったところが聴きどころだ。同じような指揮者と見られがちな小澤やメータがウィーン・フィルを指揮しても、こうはならないだろう。イタリアの指揮者と言っても、アバドやシャイーではこうした艶やかな美しさは出てこない。第2楽章ではチェロの歌が豊満で、なるほど偉大とか魂を抜かれるとか言う音楽ではないにしても、全然悪くない。締めの部分など、老大家のようなやさしさがある。生で聴いたなら、「今日はウィーン・フィルのよさが楽しめた」と満足して家路につけるだろう。この第2楽章、決してフルトヴェングラーのように物々しかったり、何とも言えないはかなさが漂ったりはしないが、軽快な音楽の運びのうちにほどよく情感が立ちのぼり、好感度で言えば相当上位につける演奏だ。それゆえ、フィナーレで多少暴れても、ご愛敬と寛大な気持ちで聴ける。それどころか、屈託のない疾駆はこの曲にふさわしいという気がしてくる。
 笑えるのは「ロザムンデ」序曲。冒頭を聴いてびっくり、暗い和音はまるでヴェルディの序曲みたいだ。次に出てくる木管楽器の旋律は女性主人公のアリア。ヴァイオリンの歌いまわしはますます完璧にオペラの世界。もしこの曲を知らなかったら、絶対にヴェルディの中期作品だと思うはずだ。そう、やはりムーティの音楽とは、こういったヴェルディの語法から発想されたものだったのだ。その是非はともかくとして、ムーティがそうした自分の音楽を、ウィーン・フィルに徹底して演奏させていることは認めねばならない。誰もがこういうことをできるわけではないのである。いずれにせよ、これを聴いてしまうと、次はフルトヴェングラーの演奏でさえヴェルディに聞こえてしまうから、恐ろしい。
 初期の交響曲の演奏では、ロッシーニ的な表情がけっこう出ている。おもしろいことにウィーン・フィルはけっこう喜んでイタリア風の演奏をやっているようなのだ。よく知られているように、モーツァルトの時代もベートーヴェンの時代も、ウィーンで一番人気があったのはイタリア音楽だった。だとしたら、ウィーンの作曲家にイタリア音楽の強い影響があるのも不思議ではない。このウィーン風味とイタリア風味が混じり合ったシューベルトが心地よいのは、そうしたことも関係するだろう。

 スクリャービンの交響曲全集は、最初発売されたとき、ムーティがこんなものを録音するのかと驚かされた。なるほど彼はフィラデルフィア管弦楽団という世界有数の名オーケストラの監督だったが、こんな全集まで録音するとは予想外だったのである。
 ロシア風のネバネバ、ドロドロ、低音はグリグリといった演奏を期待すれば肩すかしを食う。野蛮、凶暴とは隔たった洗練された美しさ、もっとサラサラしたきれいさがムーティの取り柄だ。特に第3番「神聖な詩」は美しい。あくまでもたれず、しかし十分にロマンティックに、適度に濃厚に、音のうねりが続く。フィラデルフィア管弦楽団もすばらしい。管楽器のレベルの高さは当然のこととして、弦楽器の柔軟な歌はおよそアメリカのオーケストラらしくない味わいだ。この全集を通じて、彼らの実力には舌を巻く。
 交響曲第2番もワーグナーあるいはリヒャルト・シュトラウスのような音楽が楽しめる。こちらも特に第2楽章は、幸せなセックスといった感じの平和的官能のしみじみ感、静けさがいい。音楽の伸縮も危なげがない。意外や意外、ムーティはこういう種類の音楽ができる人でもあるのだ。
 実はスクリャービンは、生前からアメリカでしばしば演奏されていた。フィラデルフィアもその拠点だった。アメリカ人の感覚に合うのかどうか、ここでのフィラデルフィア管は、サヴァリッシュあたりに指揮されてドイツ音楽をやるときとは、桁違いに熱意のこもった演奏ぶりである。その結果、豊かな音の奔流に身を任せたい人には最適のセットができあがった。

 フィルハーモニア管弦楽団を指揮したチャイコフスキー交響曲は、決してひどい演奏ではないが、シューベルト、スクリャービンと比べると差がある。よく言えば上品で端正でさわやか、悪く言えば表面的といった傾向がある。それも無理はない。このチャイコフスキーが録音されたのはもっぱら1970年代、まだキャリア初期だった。よく、ムーティの最高の演奏は、同時期の「アイーダ」だなどと言う人がいるが、とんでもない。この人もやはり、経験によって多くを学んでいるのだ。音楽の多彩さ、変化の幅の広さ、押すところのたくましさ、引くところの力の抜き方、そういった諸々の点における差が、これらのセットを聴き比べるとよくわかる。ムーティの特徴である厳格なフレージングも、この時代にはまだ究められていなかった。
 このチャイコフスキー・セットには、いくつかフィラデルフィアを指揮した曲も入っているが、試みに「弦楽セレナーデ」など聴くと、表現がはるかに強靱になっていることに嫌でも気づかされるはずだ。この曲のもっとも過激な演奏はこれかもしれないというほど超辛口である。歌うところは極限まで歌い、間はたっぷりと取り、しかしものすごく厳しく、オペラティックで悲劇的な表情も濃い。自信を持ってやりたい放題をやっているが、こういう貫禄を70年代のムーティはまだ持っていなかった。
 蛇足になるが、ムーティのチャイコフスキーを聴きたければ、比較的最近発売されたフランス国立管弦楽団を指揮した「悲愴」がいい。フランスのオーケストラらしいしゃれた美しさが横溢する名演奏である。

 もしムーティが得意の曲だけやっていれば、「なかなかいい指揮者じゃないか」となるだろう。だが、現代においてはそれでは許されない。レパートリーもキャリアも、何でも拡大路線でなくては生きていけない。モーツァルト、ベートーヴェンはいざ知らず、けっこうマイナーなロシア音楽だの、ありとあらゆる曲を演奏、録音する(あるいは、させられる)。結果として、はずれが多くなってしまう。気の毒と言えば気の毒だ。
 ムーティは今でもそうなのかどうか、かつては女性のアイドルだった。日本にもファンクラブがあったはずだ。颯爽とした指揮ぶりだし、音楽もメリハリが強く、フレーズの終わりも威勢よく切ったりしてきっぱり感が強いところが、女性受けしたのかもしれない。けれど、決してそれだけではない指揮者である。変な話、もし彼がかっこよくなかったら、マニアックなファンがついたのかもしれない。もしエマールがかっこよかったら、ポリーニみたいな人気が出るだろうというのと同じで。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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