トップ > 音楽CD・DVD > ニュース > クラシック > 許光俊 「『フィガロ』はモーツァルトの第9だ―ベームのザルツブルク・ライヴ」

許光俊 「『フィガロ』はモーツァルトの第9だ―ベームのザルツブルク・ライヴ」

2006年12月29日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第21回

「『フィガロ』はモーツァルトの第9だーーベームのザルツブルク・ライヴ」

 DVD時代になって、LD時代以上に大量のオペラ映像が発売されている。が、私を満足させてくれるものは残念ながら、なかなかない。舞台上の収録は、演技やメイキャップが劇場向けで大げさなうえ、カメラワークがまずいのが食い足りないのだ。むろん、それ以前に、演出が凡庸なものがほとんどという問題もあるが。

 けれど、最近見た、ベーム指揮の「フィガロ」はよかった。演出はレンネルトで、かつて名演出家と呼ばれた人。だが、さまざまな新機軸を知っている現代人からすれば、はっきり言って、化石だ。なるほど、オペラとは本来こういうものかもしれない。だが、いつまでもこんなものでしかなかったら、私はオペラを見続けてはいなかったろう。ピーター・セラーズを知ってしまったあとで、この演出に満足しろと言われても、少なくとも私には不可能である。

 このDVDの価値は、ひたすらベームが指揮するウィーン・フィルのすばらしさによっている。まるで管弦楽と声の大交響曲のようだ。きりりと引き締まっていて、品があって、それでいて冷たくなくて、荘重で、深刻で、壮大で・・・。モーツァルトが「フィガロのために」に史上空前のスコアを書いたことに今更ながら圧倒される。当然、第2幕フィナーレが大きな聴き所なのは予想通りだ。それに、さまざまなアリアの前奏部分がどれもこれも立派なこと、威厳があること。

 といって、オペラティックな魅力が皆無というわけでもない。中だるみになりやすい第3幕がことにおもしろかった。最初の伯爵とスザンナのやりとりは、切なさ、哀しみ、喜び、疑い、怒りといった感情がめまぐるしく入れ替わる、モーツァルト作品にあっても珍しいくらいの各種感情の展覧会だ。決して説明的な演奏でないにもかかわらず、見事に追従しているあたり、うならされる。

 そのあとの伯爵のアリアも、まるで悲劇の主人公のようにシリアスで、説得力がある。普通伯爵は、単なる色惚けしたオヤジのように見えてしまうものだ。が、このように演奏されてみると、彼は彼なりに真剣な恋の苦しみを背負っているように聞こえてくる。
 あれ、もしかしたら、伯爵は本当は真剣な恋をしているのかな、ところが周囲にはそれが真剣な恋ではなく殿様の色惚けにしか見えないのかな、だとしたら、これは誰からも理解されない辛い片思いの悲しさなのかな・・・そう思えてくるのだ。歌詞を丹念に読むとなおさら。

 第4幕では、まるでベートーヴェンのような深刻な響きが聞こえる。そうだ。この曲はモーツァルトの第9交響曲なのである。許しと愛情によって、人々がみな手に手を取って幸福になるという、第9同様の友愛のドラマなのである。それをベームは、まさに第9を指揮するように演奏していくのだ。第9のコーダのように、駆け上がるような快速で。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授) 


■モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』全曲

アルマヴィーヴァ伯爵:イングヴァール・ヴィクセル
伯爵夫人:クレア・ワトスン
スザンナ:レリ・グリスト
フィガロ:ヴァルター・ベリー
ケルビーノ:エディト・マティス
マルチェッリーナ:マルガレーテ・ベンツェ
バルトロ:ゾルタン・ケレメン
バジリオ:デイヴィッド・タウ
ドン・クルツィオ:アルフレート・プファイレ
アントニオ:クラウス・ヒルテ
バルバリーナ:ディードル・エイゼルフォード

ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:カール・ベーム

演出:ギュンター・レンネルト

収録:1966年8月11日、ザルツブルク祝祭劇場小ホール

画面:モノクロ、4:3
音声:リニアPCMモノラル
字幕:日本語、イタリア語
収録方式:片面二層式
収録時間:180分


主要な歌手と指揮者の略歴

イングヴァル・ヴィクセル(アルマヴィーヴァ伯爵)
 1931年5月7日、スウェーデン北部のルーレオ生まれ。ストックホルム音楽院で学び、55年に同市の王立劇場でパパゲーノを歌ってデビュー。68年まで同歌劇場に所属した。並行してベルリン・ドイツ歌劇場やハンブルク国立歌劇場、フランクフルト市立歌劇場など西ドイツ(当時)のオペラ界で活躍した。モーツァルトとヴェルディの諸作品を主なレパートリーとする。70年にベルリン・ドイツ歌劇場の一員として初来日している。ザルツブルク音楽祭にはこの66年の《フィガロの結婚》が初登場で、68年まで3年間この伯爵を歌い、並行して68年と69年にベーム指揮の《フィデリオ》のドン・ピツァロ役を歌った。レコードではこの役をコリン・デイヴィス指揮のPHILIPS盤(70年)に録音している。

クレア・ワトソン(伯爵夫人)
 1928年2月3日、ニューヨーク生まれ。イーストマン音楽学校に学び、エリーザベト・シューマンに師事。ヨーロッパに渡り、51年にグラーツで《オテロ》のデズデモナ役でデビュー。結婚で一度引退したが56年に復帰して再び渡欧し、フランクフルト市立歌劇場に56年から58年まで所属。以後はバイエルン国立歌劇場を中心にヨーロッパ各地の歌劇場に出演、モーツァルト、R・シュトラウスなどを主なレパートリーとした。74年にバイエルン国立歌劇場の一員として初来日。ザルツブルク音楽祭では66年から68年まで3年間、この伯爵夫人役を歌った。伯爵夫人役のレコード録音は残されていない。1986年7月16日没。

レリ・グリスト(スザンナ)
 1932年2月29日ニューヨーク生まれ。幼少時からブロードウェイで子役を演じていた。クイーンズ大学で学ぶ。57年のミュージカル《ウエスト・サイド物語》にサムウェアの歌手として出演ののち、サンタフェ歌劇で《後宮からの逃走》のブロントヒェンを歌ってオペラにデビュー。渡欧して60年から64年までチューリヒ市立歌劇場に所属した。以後ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場に出演、70年からはバイエルン国立歌劇場に所属した。74年に同歌劇場とともに初来日している。カール・ベームが重用した歌手であり、ザルツブルク音楽祭のオペラ公演には64年にベームの指揮でツェルビネッタを歌ってデビュー以来、77年の《コジ・ファン・トゥッテ》(これもベームの指揮)のデスピーナまで、モーツァルトとR・シュトラウスの諸役で継続的に出演した。スザンナ役は66、67、70、71年と4回歌っている。レコードではクレンペラー指揮のEMI盤(70年)でこの役を録音している。

ワルター・ベリー(フィガロ)
 1929年4月8日ウィーン生まれ。ウィーン音楽アカデミーで学び、50年に生地のウィーン国立歌劇場で《火刑台上のジャンヌ・ダルク》のバス・ソロ役でデビュー、54年にはここで最初の《フィガロの結婚》のフィガロ役を歌っている。このフィガロ役と《魔笛》のパパゲーノ役を当たり役として、以後ウィーンとザルツブルクを中心に、欧米各地の歌劇場で活躍した。63年にベルリン・ドイツ歌劇場の一員として初来日。ザルツブルク音楽祭には53年以来数えきれぬほど出演している。フィガロ役は63年に代役で1晩だけ歌ったのをのぞくと、この66年の公演が初めてで、続いて67年にも歌った。70年代前半にもカラヤン指揮でこの役を歌っている。レコードでは64年にスイトナー指揮のドイツ語版でこの役をEMIに録音している。

エディット・マティス(ケルビーノ)
 1938年2月11日、スイスのルツェルン生まれのソプラノ。ルツェルンとチューリヒで学び、在学中の56年にルツェルンで《魔笛》の第2の童子役を歌ってデビュー。59年から63年までケルン市立歌劇場に所属、並行してハンブルク国立歌劇場とも客演契約を結んだ。63年にベルリン・ドイツ歌劇場とともに初来日。コンサート歌手としても名高いが、オペラではモーツァルトを得意とする。ザルツブルク音楽祭には60年にデビュー、ケルビーノ役はこの66年の公演で初めて歌い、67、68、70年と出演した。70年代にカラヤンが《フィガロの結婚》を指揮したときには、スザンナ役に転じている。レコードではこの役を64年にスイトナー指揮のドイツ語版でEMIに録音している。67年のベーム指揮のDG盤にも参加したが、そのときはスザンナ役を歌った。

カール・ベーム(指揮)
1894年8月28日、オーストリアのグラーツに生まれる。16年にグラーツ歌劇場のコレペティトーアに採用される。4年後同所の第1楽長。21年から27年までは、ブルーノ・ワルターとハンス・クナッパーツブッシュのもとでバイエルン国立歌劇場の楽長を務める。27年から31年はダルムシュタット歌劇場の、31年から33年はハンブルク国立歌劇場の、34年から42年はザクセン国立歌劇場の、43年から45年はウィーン国立歌劇場の、それぞれ監督を歴任。戦後、54年から56年までふたたびウィーン国立歌劇場監督。その後はザルツブルク音楽祭、バイロイト音楽祭や各国の歌劇場に客演をかさねた。64年にオーストリア音楽総監督の称号を授かる。67年にはウィーン・フィル初の名誉指揮者に任命される。63年、ベルリン・ドイツ歌劇場とともに初来日。続いて75年、77年とウィーン・フィルと来日。80年にはウィーン国立歌劇場とともに最後の来日をした。《フィガロの結婚》は63年と80年の来日で指揮している。スタジオ録音でも56年と67年の2度録音した。81年8月14日、ザルツブルクで死去。


→ベームを検索(年間売上順発売順作曲家順)
→ウィーン・フィルを検索(年間売上順発売順作曲家順)
→モーツァルト:フィガロの結婚を検索(年間売上順発売順)


⇒評論家エッセイ情報
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

featured item

%%header%%閉じる

%%message%%

カール・ベーム

洋楽3点で最大30%オフ このアイコンの商品は、 洋楽3点で最大30%オフ 対象商品です