Top 100 Japanese pops Artists - No.15

2003年11月16日 (日)

80年代後半から90年初頭にかけて一大ブームを巻き起こした渋谷系サウンド。その中でピチカートファイヴオリジナルラヴとともに、当時の音楽シーンの度肝を抜いたフリッパーズギター

実質たった3枚のオリジナルアルバムしか残さなかったものの、日本を、いや世界を震撼させたポップマジックは、今聴いてもまったく色褪せることなく、むしろ新鮮なくらいの輝きを保っている。 コーネリアスこと小山田圭吾と、小沢健二のその後の活動の輝きがここに詰まっているといっても過言ではない。そして、いまだに衝撃を与え、音楽好きを魅了する彼ら。

フリッパーズギターの前身バンド・ロリポップソニックは、英国的なアコースティック・バンドだったらしい。(音源は入手困難)甘く、奇妙なその音はちょっとこれまでの日本のバンドには見られなかった。 1989年8月25日、中学が一緒だった小山田圭吾小沢健二を中心に組まれ、1stアルバムまでは井上由紀子(key)、荒川康伸(dr)、吉田秀作(b)の5人構成。2ndからはお互いのイニシャルのKOになった。

フリッパーズギターが残した3枚のオリジナルアルバム、Three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった〜はネオアコの金字塔ともなったファーストアルバム。今聴いても新鮮な全曲英詞の作品だ。
2ndのCamera Talkは、2人になってからの初作品。「カメラ!カメラ!カメラ!」、「恋とマシンガン」「午前3時のオプ 」「 バスルームで髪を切る100の方法 」など極上ポップが詰まった名盤。今作は全て日本語詞。リリカルで鋭い言葉が、甘いポップにのり、どこか哲学的。
そしてラストアルバムヘッド博士の世界塔ではサンプリングやテクノといった打ち込みを多用。やりたいことをやりつくしてしまい、あとは解散に向かうしかなかった怪作。このアルバムのレコーディングが解散のきっかけとなったと言う、いわく付きのラスト・アルバム。 音楽ファンなら裂けては通れない彼らのアルバム。生活費を多少削ってでも入手する価値はある。必ずや人生のどこかが変わるはずだ。

今でこそ、J-popシーンに大きな功績を残していった彼らだが、20歳そこそこでこれだけの音楽を創りだしてしまった恐るべきセンス、回転の速すぎる頭脳には周りのメディアが追いつかなかったようだ。 インタビューでの彼らのナマイキさは伝説だし、他のアーティストをこっぴどくコキおろしている毒舌はもはや誰もついていかれまい。ああ言えばこう言う、若さゆえの暴走…だろうか。

そもそもフリッパーズギターは万人受けするようなバンドではなかったし、本人達は“売れたい”とも発言しつつ、それを否定するような事もやっていた。音楽でもことごとくファンを裏切りまくっていたが、彼らの音楽にはそれを覆す抜群のクオリティと中毒性があったのだ。「音楽はいいけど性格悪い」と言われたら、 「上等だよな。性格がよくて音楽が悪いよりいいじゃねーか」とも。大物です。  

1991年 10月29解散。
この謎の解散は音楽的な相違ではなく、感情のもつれからだったとか。様々な憶測が飛び交ったがこれにより復活はありえないことになったフリッパーズギター。まさに幻のバンドになってしまった。突然の解散でレコード会社は予定していたコンサート・ツアーを急遽キャンセル。大赤字を出した。天才的音楽疾走とでも言うべきフリッパーズギターは、永遠のポップソングとして音楽史にその名を刻むこととなった。 今考えると、デビュー時、小山田20歳、小沢21歳、という脅威の若さ。 今、この若さであれだけの曲を作るミュージシャンが存在するだろうか? あれだけハイセンスでキュートでキャッチーでポップな曲を。

最近になってこの2人の残した3本のVHSがDVDとなってLost Pictures Original Clips & Cm's + Testament Tfg Television Serviceとして発売される。

DVDは、90年10月にリリースされた「Original Clips」、91年12月の「Testment」、そして93年9月の「Lost Pictures」の3本を1枚にまとめたもの。 オリジナルクリップをはじめ、若かりし日々の小沢健二小山田圭吾の歌う姿が見られるプロモ映像+ライヴ映像も収録。カヒミ・カリィが出演していたり、合間のつなぎに本人達が出演したりと見所満載。すべてが今でも新鮮なものとなっている。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

Top 100 Japanese pops Artists The List So Far....