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100人の偉大なアーティスト - No.32

2003年5月21日 (水)

長い間音楽を聴き続けていると、数々の傑作や素晴らしいミュージシャンとの出逢いは決して珍しいことではない。しかしここでの主人公 フランク・ザッパはそうしたものを遥かに超越し、少し言葉は悪いが、まるでそれまで自分が聴いてきた音楽のすべてがくだらないものに見えてくるぐらいオリジナリティ溢れる傑作を何枚も残した唯一無比の天才的なアーティストだと断言したい。

フランク・ザッパは1940年12月21日メリーランド州ボルティモアに生まれた。幼少期からR&BのSP盤のコレクターだった彼は、12歳でドラムを始め、18歳でギターに転向する。いくつかのローカル・バンドでプレイした後、’64年の母の日にマザーズ・オブ・インヴェンジョンが結成される。そして’66年8月ドゥーワップ、R&B、ブルーズ、ジャズ、原題音楽といった要素を含んだファースト・アルバムにしてロック史上に残る傑作フリーク・アウトにてレコード・デビューを飾る。

’67年にはトータル性では前作を上回るアブソリュートリー・フリー、初のセルフ・プロデュースで、カウンター・カルチャーを強烈に批判したウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー、’68年にはソロ名義で音楽とおしゃべりが全く等価なものに扱われたコラージュ・サウンドに挑んだランピー・グレイヴィー、ルーベン&ジェッツという架空のバンドを主人公にし、’50年代のR&B、ドゥーワップを取り入れ当時のイーストLAの雰囲気を伝えるクルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ、’69年には未完となった同名のサウンドトラックでほとんどがインストゥルメンタルという構成のアンクル・ミート、再びソロ名義で1曲を除きインストゥルメンタルというジャズ・ロック史上に輝く名盤ホット・ラッツ、初期マザーズの寄せ集め的作品 バーント・ウィーニー・サンドウィッチをリリース。まさに怒涛のリリースが始まった。

’70年代になってもそれはとどまるところを知らず、’70年には寄せ集め的作品第2弾いたち野郎、この年の母の日コンサートで知り合った元タートルズフロ&エディがヴォーカルで参加したチャンガの復讐、’71年にはそのタートルズの大ヒット・ナンバー「ハッピー・トゥゲザー」も収録された初のフル・ライヴ・アルバムフィルモア・ライヴ’71ザッパ総指揮の下に製作された同名映画のサウンドトラック200モーテルズ、’72年にはUCLAで録音されたライヴ・アルバム第2弾ジャスト・アナザー・バンド・フロム・L.A.ホット・ラッツの続編とも呼ばれるワカ/ジャワカザッパ流オーケストレーションの頂点に立つ名作グランド・ワズー、’73年にはコンパクトにまとめられた楽曲が並び、 ザッパ流ポップの極致とも言えそうなオーヴァーナイト・センセーション、’74年には前作同様な作風で何と全米チャートでトップ10入りしてしまったアポストロフィ、’73年12月のハリウッド“ロキシー”を中心にマザーズ結成10周年を記念した各地でのライヴ音源を収録したロキシー・アンド・エルスウェア、’75年には数ある作品の中でも無駄、スキの無さでは文句なしの傑作ワン・サイズ・フィッツ・オール、旧友キャプテン・ビーフハートを迎えて行われたツアーからのライヴ・アルバムボンゴ・フュリー、’76年にはこの年の初頭来日公演が実現、大阪公演での音源が使われた「ブラック・ナプキンズ」を収録したズート・アリュアーズをリリース。しかしこの頃からレコード会社との関係がギクシャクしだし、’77年にはレザーという4枚組LPをリリースしようとしたが、レコード会社によって分轄され(19年後の’96年に奇跡的にリリースされた)、’78年にニューヨークでのライヴをまとめたザッパ・イン・ニューヨーク、また本人に無許可でスタジオ・タン、’79年にスリープ・ダート、オーケストラル・フェイヴァリッツの3作品がリリースされてしまった。この他にも’79年にはKC & ザ・サンシャイン・バンドのヒット曲からタイトルを拝借した’70年代後期ザッパの傑作シーク・ヤブーティザッパ流黒人音楽の総括とも言うべきジョーのガレージがリリースされた。

’80年代に入ってもそのリリース量は一向に衰えることなく、’81年にはスティーヴ・ヴァイ初参加、1曲を除いてオーヴァーダビング一切なしのライヴティンゼルタウン・リベリオン、当初は通信販売やライヴ会場でバラ売りされていたザッパのギター・プレイをまとめた黙ってギターを弾いてくれ、’70年代後半のアメリカ社会を痛烈に皮肉ったザッパの真骨頂ユー・アー・ホワット・ユー・イズ、’82年には愛娘ムーン・ザッパの語りをフィーチャーして初の全米トップ40ヒットを記録した「ヴァリー・ガール」を収録したたどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船、’83年には音数の少ないソリッドな演奏が目立つマン・フロム・ユートピア、’79年に欧米で公開された同名映画のサウンドトラクベイビー・スネイクスザッパ作曲による交響楽の傑作ロンドン・シンフォニー・オーケストラ(’87年に同Vol.2リリース)、’84年にはフランスピエール・ブーレーズ指揮による現代音楽『パーフェクト・ストレンジャー』、息子ドゥイージル・ザッパも参加したマザーズ結成20周年記念盤の痛快ロック・アルバムやつらか俺たちか、18世紀に実在した(?)フランチェスコなる作曲家の作品をシンクラヴィアで自動演奏させたフランチェスコ・ザッパジョーのガレージ以来のストーリー性を持ったザッパ流爆笑ミュージカル巨編シング・フィッシュ、’85年にはロックの歌詞検閲を要求したParents Music Resource Centerとの闘争を知らせるために緊急発売されたザッパ検閲の母と出会う、’86年には前々年度のワールド・ツアーの模様からハイライトを集めたダズ・ヒューモア・ビロング・イン・ミュージック、シンクラヴィアで加速された創造力をジャズ化し、2年後のグラミー賞ベスト・インストゥルメンタル・アルバム部門を受賞したジャズ・フロム・ヘル、’88年には黙ってギターを弾いてくれの第2集となるギター、20年間に渡るザッパライヴ音源の集大成ユー・キャン・ドゥ・ザット・オン・ステージ・エニモアVol.1(以降Vol.6までリリースされる)、’89年にはスティングも飛び入り参加したライヴブロードウェイ・ザ・ハードウェイがリリースされた。

’90年代は続々とライヴ音源がリリースされ、’91年には痛快ホーン・アレンジの「天国への階段」を収録したザ・ベスト・バンド、その続編でインストゥルメンタルを主体としたジャズ・ノイズ、’92年には’70年代初期のツアーの世界を疑似体験出来るプレイグラウンド・サイコティクス、’93年には’68年10月28日のロンドン・フェスティヴァル・ホールでの全貌が明らかになったアヘッド・オブ・ゼア・タイム、そして時には自ら指揮棒を振ったアンサンブル・モデルンとザッパの融合作であるイエロー・シャークを最後に’93年12月14日癌のためその生涯を終えた。

死後もベスト盤や未発表作品が続々とリリースされ、今更ながらその録音魔ぶりには驚かされる。「難解」、「変態」などと言う言葉で論じられることの多いザッパだか、時代に流されること無く、自身の音楽にこだわり続けた姿勢はこれから先も変わらず評価され続けるに違いない。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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