トップ > 音楽CD・DVD > 商品情報 > ダンス&ソウル > 100人の偉大なアーティスト - No.34

100人の偉大なアーティスト - No.34

2003年5月19日 (月)

1942年6月3日、シカゴで生まれ、この地で育つ。10代の頃から黒人ミュージシャンには欠かせない素養となっている教会音楽にも深く接しており、ゴスペルと呼ばれる音楽に大きく影響されている。10代半ばにはミュージシャンとして活動するようになり、ローカル・グループを幾つか経た後、活動を通じて知り合いになったジェリー・バトラー、サム・グッデン、リチャード・ブルックス、アーサー・ブルックスの兄弟らと、1957年、インプレッションズというコーラス・グループを結成する。翌年、グループが発表したシングル"フォー・ユア・プレシャス・ラブ"(リード・シンガーはジェリー・バトラー)が大ヒットを記録したことで、アメリカ全土に彼等の名前が知れ渡ることになった。その後ジェリーはアルバムを1枚制作したのち、ソロ・シンガーとして活動の場を求める事になりグループを脱退。この一件以降カーティスがグループのリーダーとして実力を開花させていく時期へと移行していく。

ABCパラマウントに移籍した彼等は、1961年以降、"ジプシー・ウーマン"、"イッツ・オールライト"、"アイム・ソー・プラウド"そして"ピープル・ゲット・レディ"と立て続けに大ヒット・シングルを連発。洗練された都会的なソウル・ミュージック、シカゴ/ノーザン・ソウルの第一人者としてインプレッションズはコーラス・グループの頂点に立つことになる。そうした順調な活動を続けていた中、カーティスは60年代も終わりの声を聞くようになると同時に、ソウル・ミュージックも新時代の声を聞きつけ、その活動を新たに発足させた自主レーベル、カートムに移すことになる。セルフ・ソングライターの時代はロック/白人音楽の分野においては定着していたものの、黒人世界においては今だプロデューサー/ソングライター・システムが隆盛を誇っていた時代である。’68年に発足したカートム・レーベルはそうした来るべきセルフ・ソングライティングの時代を予見し、それ以降カーティスがインプレッションズに書く曲は彼のメッセージ性が大きく表れたステイトメント・ソングものとなった。カートムでのインプレッションズはアルバムを3枚制作した後に、大きな転機を向かえる。


’70年にはインプレッションズ最後のアルバム「チェック・アウト・ユア・マインド」に先駆け、ソロ・デビュー作「カーティス」を発表している。70年代の到来はニュー・ソウルの到来でもあった。このアルバムを先駆けに、マーヴィン・ゲイダニー・ハザウェイスティーヴィ・ワンダーといったミュージシャンが、内省的且つ繊細なソウル・ミュージックを産み出し来るようになり、黒人としてのアイデンティティを題材に意識の高揚と喚起を促し、またブラック・ムーヴィーと呼ばれる黒人社会をリアルに描いた作品のヒットにより、ソウル・ミュージックの時代は確実に新時代へと入っていった。’71年に発表されたカーティスの2枚組ライヴ盤はニュー・ソウルのメッセージとグルーヴを完璧に捉えた作品として、現在も高い評価を得ているが、彼の評価が絶頂を向かえるのは、黒人社会の矛盾点を鋭く切り裂いたブラック・ムーヴィー「スーパーフライ」のサウンドトラックを発表した1972年だろう。タイトル・トラックは全米チャートを駆け上がり、マーヴィン・ゲイと並ぶニュー・ソウルの代表格として認知されるようになった。 その後発表されたベトナム帰還兵の問題を淡々と描く「バック・トゥ・ザ・ワールド」なども同じ部類に入る傑作中の傑作だ。

’75年にはアルバム制作を一手に引き受けたブラック・ムーヴィーのサウンド・トラック「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン」(歌はステイプル・シンガーズ)はカートム・レーベル唯一の全米制覇を果たした作品である。そうしたシリアスなメッセージと内省的なサウンドは’75年「ゼアズ・ノウ・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」で頂点を極めることになるが、これ以降カーティスの音楽はまたしても転機を向かえることになる。カートム・レーベルの経済的問題、また時代背景としてクラブ/ディスコ・ミュージックの波が押し寄せる70年代後半、カーティスは60年代後半にそうしたように、その流れに逆らうことなくその時代の中で生きていく決意をし、大胆にディスコ・サウンドへ接近、80年代に入るとさらに都会的なソフト・サウンド・ソウルへとカーティスの音世界は移行していくのである。80年代は70年代と比べてヒット作に恵まれず、またカートムの経営悪化で以後穏やかなリリース・ペースとなったが、80年代後半に起こったイギリスでのレア・グルーヴ・ムーヴメントで、カーティスの70年代の諸作品はまた脚光を浴び、彼の周辺も俄かに慌しくなる。

しかし’90年 「テイク・イット・トゥ・ザ・ストリーツ」 発表後のツアー・リハーサル中に照明機具がステージに落下、その真下にいたカーティスの上半身を直撃、脊髄を損傷した彼は半身不随、音楽活動は勿論、二度と自身の足で立つことが出来なくなってしまったのである。しかし、彼が20年以上にも渡って作り上げてきた音楽とメッセージは、決してシーンの中で風化するようなものではなかった。


そして’94年、カーティスは自身のトリビュート・アルバムで奇跡の復活を遂げる。リパーカッションズの"レッツ・ドゥ・イット・アゲイン"に、病床からヴォーカルで参加、その歌声は以前と変わらない優しさに満ちたものだった。その映像(ビデオ・クリップ)の感動は今なお忘れることはできない。まさに”リヴィング・レジェンド・オブ・ソウル”カーティスはそれから2年後、彼をリスペクトして止まない多くのミュージシャン達に囲まれ「ニュー・ワールド・オーダー」でシーンへの完全復帰を果たしたのだった。しかし、2000年を目前とした1999年12月26日朝、カーティスは帰らぬ人となる。享年57歳、心から冥福を祈りたい。そして心からありがとう。
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

top 100 most influential artists The List So Far....