100人の偉大なアーティスト - No.40

2003年5月13日 (火)

日本のトップ・アーティストがリミックスを手掛けた「Soul Source」がリリースされた2000年、空前の大ヒットを放ち、ジャクソン5は時代と世代、そして人種を超え、世界の音楽ファンに広く愛され続けている。

ジャクソン5は1966年、父ジョーをマネージャーとしてインディアナ州ゲイリーで結成された。メンバーはジャッキー(’51年生)、ティト(’53年生)、ジャーメイン(’54年生)、マーロン(’57年生)、そしてリード・ヴォーカルのマイケル(’58年生)の5人構成。’68年にスティールタウン・レーベルからレコード・デビューを飾り、その頃、彼等のコンサートを見たダイアナ・ロスの紹介で、’69年、当時全盛期を迎えていたモータウン・レーベルと契約。同年、1stアルバム「Diana Ross Presents The Jackson 5」を発表、このアルバムに収録されていた「I Want You Back」がいきなり全米でNo.1を獲得、一躍脚光を浴びる事となる。

翌’70年には2ndアルバム「ABC」を発表。タイトル曲に続き「The Love You Save」でもポップ/R&Bの両チャートを制覇、モータウンの看板グループとして、まさに”時代の寵児”とも言える活躍振りを示した。

同年、矢継ぎ早にリリースした「Third Album」も立て続けに大ヒットを記録、マイケルの初々しいヴォーカルが映える"I'll Be There"も、勿論No.1を獲得して、その人気を不動のものとした。クリスマス・アルバム「Christmas Album」を経て’71年に発表した「Maybe Tomorrow」からは"Never Can Say Goodbye"大ヒットした。

グループ活動と平行してマイケルは’71年ソロとしてもレコーディングを開始し、その記念すべきデビュー・シングル"Got To Be There"は10月に全米No.1を記録。当時13歳のマイケルの瑞々しい歌声と天才少年の名に恥じない見事なまでの歌唱力はこの時点ですでに完成された美しさを感じさせる。同タイトルのアルバムからは他に、"Rockin’Robin"、"I Wanna Be Where You Are"等がヒット・チャートを賑わせ、映画の主題歌ともなった"Ben"やテンプテーションズの"My Girl"のカヴァーを含む’72年の2ndソロ作も話題となった。

一方、兄ジャーメインも’72年からソロとして活動を開始、シェップ&ザ・ライムライツのカヴァー"Daddy’s Home"でR&Bチャート最高3位のヒットを飛ばした。マイケルは「Music & Me」(’73)に続き’75年にはソロ第4弾「Forever Michael」を発表。ここからは"We Are Almost There"、"Just A Little Bit Of You"のスマッシュ・ヒットを記録した。

一方、’74年の「ダンシング・マシーン」あたりからディスコ色を強めていたジャクソン5は、モータウン創設者ベリー・ゴーディJrの娘と結婚したジャーメインを残し、’76年、モータウンを離れ、エピックへと移籍する。ソロへと転向したジャーメインの代わりとしてランディ(’61年生)が加入して、グループ名もジャクソン5から心機一転ザ・ジャクソンズとして再スタートを切る事となった。

創作の自由を求めて新天地にやってきた彼等は、早速移籍第1弾となる「ザ・ジャンクソンズ」(’76)を発表。当時18歳のマイケルの弾けるヴォーカルは冒頭を飾る"Enjoy Yoyrself"1曲でK.O.されてしまう。そしてMFSBサウンドに乗った2ndシングル"Show You The Way To Go"での爽やかな印象は今だ新鮮味を失っておらず、ジャクソン5時代にばかり目がいきがちだが、これは紛れもなく彼等を代表する傑作と言えよう。

ギャンブル&ハフ制作の「ゴーイン・プレイセズ」(’77)に続く’78年作「デスティニィ」からのシングル、"Blame It On The Boogie"、"Shake Your Body(Down To The Ground)"、そして’80年作「Triumph」からの"Heartbreak Hotel"、"Can You Feel It"のヒットで当時のディスコ・シーンにも君臨する存在となったジャクソンズ。翌’81年発表のライヴ盤には、そんな彼等の貴重なパフォーマンが収録されている。

マイケルは’79年、クインシー・ジョーンズをプロデュースに迎えたエポック・メイキングな大作「オフ・ザ・ウォール」を発表。タイトル曲に加え、グラミー賞を獲得した"Don’t Stop ’Til You Get Enough"、"Rock With You"等の大ヒットで、ソロ・シンガーとしても確固たる地位を築き上げていった。さらに’82年のモンスター・アルバム「スリラー」からは3曲連続R&BチャートNo.1となった"Billie Jean"、"Beat It"そしてポール・マッカートニーとのデュエット"The Girl Is Mine"を始め、7曲のシングルをヒットさせ、まさにスーパースターならではの活躍振りを見せた。

マイケルがソロ活動に専念した為、グループは一時解散を余儀なくされるが、’84年、ジャーメインも復帰してアルバム「ヴィクトリー」を発表して見事復活。しかし、ミック・ジャガーをゲストに迎えた"State Of Shock"が話題となったものの全盛期の勢いを感じる事は残念ながらできなかった。

結局、マイケルとジャーメインは再びソロ活動へ、また、ランディ、マーロン、ジャッキーもあいついでソロへと転向を試みるが、失敗に終わってしまう。マイケルはご存知のように’87年にあの世界的ヒットとなった「バッド」を発表、タイトル曲の他、"I Just Can’t Stop Loving You"、"The Way You Make Me Feel"、"Man In The Mirror"と4曲立て続けに全米チャートを制し、MTV全盛のまさにビジュアル時代に相応しい活躍で人気の頂点を極めいった。

’89年、当時のR&Bシーンに君臨していたベイビーフェイスとテディ・ライリー等をプロデュースに迎え、ジャーメイン、ジャッキー、ランディ、ティトの4人による新生ジャクソンズとしてカムバック!ベイビーフェイスによるダンス・ナンバー"Nothin(That Compares 2 U)"でヒット・チャート返り咲きを果し、テディによるファミリー讃歌"2300 Jackson Street"では、マイケル、 ジャネット 、マーロンもヴォーカルで参加し、ファンを大いに喜ばせてくれた。

ホイットニーとのデュエットでも話題となったアルバム「プレシャス・モーメンツ」(’86)、そしてソロとしては初のR&BチャートNo.1に輝いた"Don’t Take It Personal"で、順調なソロ活動を展開していたジャーメインだが、90年代に入り、ベイビーフェイスをプロデュースに迎えたアルバム「ユー・セッド」で再起を計るものの実らず、次第にシーンから遠ざかってしまう事となる。一方対照的にマイケルは’92年発表の「デンジャラス」から、"Black Or White"、"Remember The Time"、"In The Closet"、"Jam"等のヒットを連発、’95年には新曲とベストの2枚組による「ヒストリー・パスト・プレセント&フューチャー」を発表してその根強い人気振りを改めて示した。

そしてファン待望の新作「インビンシブル」がリリースされ、彼の人気が以前高いことを証明した。

最近では、暴露話など彼の身辺や生い立ちについてのゴシップが絶えないが、キング・オブ・ポップとしてマイケルには創作意欲を失わず音楽活動だけ頑張って欲しいものだ。
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ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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